幕間6「湯浴み(前編)」
『――ふぇぇ、おねーたん、おねーたん……』
あのとき聞いた泣き声が、ずっと耳から離れません。
私は、思い出します。
明智はなさんと、その妹みどりさんの姿を。
はなさんは、小さく病弱な妹を膝に乗せ、ずっと蹴ったり小突いたりして、いじめていました。
妹のみどりさんは、ずっと泣いていましたが――、
(でも、逃げてはなかったわね……)
決して、姉の膝から逃げようとはしていなかったのです。
ただ、じいっと、笑うはなさんの膝に乗り、おとなしく、されるがままになっていたのです。
逃げることもなく、それどころか、身をよじって嫌がるそぶりを見せるでもなく。
あれは、なぜ?
よく見えないところで、逃げられぬよう、はなさんが妹の体を掴んでた?
それとも、妹のみどりさんは、逃げても無駄だと諦めていたから?
それとも……。
(私には、わからぬ絆が、あの二人の間にはあるとでも……?)
はなさんは、言っていました。
『この子は体が弱いから、僕が面倒見ないと生きていけない。……で、その対価が、これさ』
『かわりに、この子は、ぼくがいじめるのを甘んじて受け入れる』
『妹も、本当は喜んでるんじゃないのかな? ぼくにいじめられることで、初めてだれかの役に立てるんだ。そうだろ、みどり?」
最初、彼女の言葉を聞いたとき、私は心底あきれ、軽蔑しました。
まさか、あんなことを言うなんて。でも――、
(そういう関係も、もしかして世に存在するのでは……?)
私はなぜか、そのように感じたのです。感じてしまったのです。
少なくとも、妹を蹴る彼女の顔――。
(あんなにも、楽しそうなお顔で蹴るなんて……)
今にして思えば、異常です。
あれは、妹が嫌いだったり憎んでいたりで、できる顔ではありません。
まるで――『好きだから蹴る』とでもいうような……。
アア……。
「…………ふみぃ」
「――っ!?」
お姉さまのお声が耳に入り、私は、はっ、と正気を取り戻します。
どうやら、私はお姉さまのお体を膝に抱きかかえたまま、ぼうっ、と考えごとをしていたようです。
「ふみぃ」
「アア、ごめんなさい、お姉さま……。私、どうかしていました」
いつもなら、お姉さまと二人でいるときに、こんな風に呆けたりはしないのに。
膝に時子お姉さまを乗せているというだけで、幸せいっぱいで、他のことなんか考えられなくなるというのに……。
やはり、明智はなさんは許せません。
「ふみぃ!」
「ああ……。いけない、そうでした。今日はお風呂の日でしたね。すぐに仕度をいたします」
またも、ぼうっとしていました。
余計なことばかりを考えて、まさか――、
時子お姉さまにとって大切な、お風呂の日を忘れそうになるだなんて!!
日が明るいうちに済まさなければ。
私は急いで準備を進めます。