6 同窓生(後編)
「先輩がた、ごきげんよう」
私は、おうちに帰ります。
女学校の人たちと会うと、ほんの少しだけ、いい心持ちになります。
自分の身が今、どれほど恵まれた状況にあるか、はっきりと実感できるからです。
皆の羨望のまなざしが、私をほんの少し、愉快にさせます。
でも、それはほんの少しだけ。
ちょっと。たったのちょっとです。
なぜなら、私のほんとうのしあわせは――、
「お姉さま、ただ今戻りました」
「ふみぃ……」
この場所、このときにこそ、あるのです。
時子お姉さまのいる場所、時子お姉さまと過ごす時間に!!
ふたりっきりの、この屋敷の“はなれ”に。
ふたりっきりの、このときに。
『フミ』と私の名を呼んでいただくと、
すべてを忘れてしまいそうなほどの
なんとも言えぬ気持ちになれるのです。
それは、もう、先輩がたの妬みの視線の愉快さなど
軽く消し飛び、頭からすっかりなくなってしまうくらい。
だって、愛しいお姉さまがいるのですから!
「お姉さま、いい子で待っていましたか?」
「ふみぃ、ふみぃ……」
「ふふっ。ああ、そうですね。わかっています――」
お姉さまがなにを望んでいるのか、この私にはわかるのです。
今、この美しく可憐で儚いお方のしてほしいこと、それは……。
「お姉さまは、おしめを替えてほしいんですよね?」
「ふみぃ…………」
お姉さまはうつむき、真っ赤な顔をして、『フミ』と私を呼ぶのです。
もう何度も何十回もやっていることであるのに、いつも恥ずかしそうになさります。
私が外出して、この“はなれ”を長い時間空けたときは、
帰ってきてすぐに、こうしておしめを取り替えるものであるのです。
お姉さまはご自分ひとりで用を足せないので、当然のことでありましょう。
――ある意味、私とお姉さまの神聖な『帰宅の儀式』と言えました。
お着物の裾をめくりあげると、布のおしめはぐっしょりと濡れていました。
「まあ、いっぱい出したのですね。これはお着物も取り替えないと」
「ふみぃ、ふみぃ……」
「恥ずかしがることはありませんよ。お体の調子がよろしい証拠です。――そうだ、新しい着物をいただきましたから、早速これに着替えましょうか」
これは、女学校の人たちには、けっして体験することのできないよろこびでありましょう。
こうして手を湿らせてお世話をするとき、私のこころはひどく満たされるのです。
ちなみに――。以前は、嫌いな人にもらった着物は、お姉さまに着させずに捨てるか、あるいは切っておしめに変えたりもしてました。
(高そうな新品に刃物を入れるときなどは、なかなかに楽しいものでした)
ですが、今はもうやっていません。面倒くさくなったので。
お姉さまといっしょにいるという幸福をすべていっぱいに感じ取るためには、そんな些細な意地悪になど、気持ちを使ってやる余裕はないのです。
「はい、おしまい。お姉さま、きれいきれいになりましたよ」
「ふみぃ……」
こうして『帰宅の儀式』も終え、私はほっと息をつきます。
当然、膝にお姉さまの小さなお体を抱きかかえながらです。
「ふふ……。そういえば、お姉さま、明智はなという子を憶えています?」
「ふみぃ……?」
「ええ、そう。私と同じ学年の子で――あの『問題児』です。あの子、私と会いたいらしいのですよ」
もらったお手紙に、そう書いてありました。
普通、私のところに届く手紙というのは、
『時子さまのお加減は?』
『時子さまに、心配してると伝えてくれ』
などと、時子さまのことばかり書かれているものですが、あの子からのものは違っていました。
『あいたし。たのみごとあり。――明智はな』
あまりに殺風景な文面です。まるで電文のよう。
とても、ひさしぶりの同窓生に送る手紙とは思えませんが……、
とはいえ、だからこそ興味を持ったということもありました。
「私、明日にでも会いにいこうと思っています」
「ふみぃ……」
もしかして、ほんの私の気のせいなのかもしれませんが――、
一瞬、時子お姉さまは私の膝で、浮かない顔をしていたようにも見えました。
(マア……。お姉さま、もしかして今、やきもちを?)
ひょっとすると、私が他の子と仲良くするのが気に入らないのかもしれません。
だとすれば、こんなに嬉しいことはありません。
私が思わず、そのお体をぎゅうっと抱くと、お姉さまは、
「ふみぃ?」
と、わずかに驚いたお顔をなさっていました。
その日の夜、私は夢で、昼間のことを思い出します。
女学校の先輩がたに、羨ましがられたときのことを。
「――あの子、かわいそうに」
「――ええ、あんな姿の時子さまのお世話だなんて」
「――なんとか助けてあげないと」
別れ際になにか言っていたような気もしますが、私にはどうでもいいことでした。