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私がグレイ・ストラーだ。
このストラーというのは軍役する者に与えられるコードネームのような物だと思ってもらって構わない。血族の者が継ぐこともないことはないが、たいていの場合は親が存命のまま子が軍役するので親子で別のものになる。
余談だが、"ストラー"とは軍師に付けられることが多い。もちろん私もその例にもれず軍師を任されている。
私の采配ひとつで前線で戦う兵士がどれだけ生き残れるか…いや、どれだけ死ぬかが決まる。
直接私が指揮を取るわけではないが、大を生かすために小を捨てる選択を指揮官に投げかけることも少なくない。それが最適解だと判断しての行為ではあるから、他の選択肢は敢えて告げない。
頭ではそれを理解していても人心的に受け入れられず軍師を嫌う者から向けられる嫌悪や憎悪、作戦が失敗した際に自分のせいで無駄に命を散らすことになる兵士たちに対する責任と後悔、…そして家族の待つ家と戦場との空気の差。敵と同時に、そんな自身の心の問題とも戦わなければならない。
正直に言えば、私は今でも時折やめたいと思ってしまう。心が折れてしまいそうになる。いや、ミレイアがいなければとっくに折れていただろう。
ミレイアだけではない。アレク、セリア、シルヴィ、ソル、ルイク、レイヤ、レイナ、デリー、マリー、マーク、シロ…そしてブレイ。愛する家族がいるから、私は今もこの仕事を続けられているのだ。
……そういえば子供達の話をしたら節操なしだと言われたが、それは心外だ。
元来、軍人というものは常に命の危機にさらされており、そのため子を残そうとする本能が働くのだ。だから私の子供が多いことはそれ程不自然なことではない。
ただまぁ、他の者の家に比べて少しばかり多いかもしれないが…。
子供達の話に関連することだが、私は子供達に私の後を継いで欲しいとは思わない。
アレクはすでに兵士として軍学校に入っているし、シルヴィに至っては実戦も経験している。この子らにはちゃんと私の経験談と実情を話した上で、よく考えて判断するように言った。その上でその道を選んだのだから、私には背中を押してやることと折れそうになった時に支えてやることしかできない。
セリアは兄のアレクを追ったりせずに自分の道を歩んでいるみたいで少し安心している。ソルたちにもセリアが切り開いたように別の道があるということに目を向けて、よく考えてもらいたい。
もしセリアがそれを考えてその道を選んだのだとすれば、私はセリアに進む道を強いてしまったのかもしれないと、時折思うことがある。…セリアにはアレクを嫌っている節があったが、それも関係あったりするのだろうか?
そのアレクだが、軍師というよりも兵士としての能力が高いように見える。身体能力が高いという意味であって、決して頭が悪いという話ではない。どこか抜けているところがあると言われれば頷かざるを得ないのだが…。
私は軍師と兵士のどちらが良いのか判断ができない。先ほどは軍師は辛く厳しい仕事だと言ったが、命を落とすという話となれば兵士の方が厳しい職となる。
…というわけで、そもそも軍役しないという選択もあるわけだが、生憎と私がそれ以外の道についてレールを敷いてやることはできない。
不甲斐ない父親だと思うかもしれないが、許してほしい。
シルヴィの名前も出たことだ。シルヴィのことも話しておこう。
あれは今から1年ほどだった。今は15だから当時は14歳という計算になるが、シルヴィは私について来たいと言い出したのだ。
私は最初こそ危険だからと許可しなかったのだが、シルヴィの熱意とアレクが護衛に付き危険が迫った際には何をおいてもシルヴィを連れて逃げるという条件のもと、最終的には私が折れて同行を許可する形となった。同行を許可したとは言っても、道中で浮かれた様子を見せた時は周囲の空気を乱すという理由から帰らせるつもりでいた。
しかして結局、シルヴィは戦場まで来てしまった。そして私はこの時、これがシルヴィの初陣となるとは思いもしなかった。
始まってから3日、戦況は徐々にだが良い方へと傾いていた。相手は大した策を用いてくるわけでもなく、こちらの想定し得るものでも悪くもないが良くもないという程度であった。詰まるところ想定の範囲内でしかなく、奇襲の類に混乱させられることもなく戦うことができたということだ。
しかし、4日目に事態は変化を見せはじめた。…私の油断が招いたのだと今でも後悔している。
日が落ち相手が撤退をはじめたのを確認した私は、これまでの相手の戦術から推測できる奇襲に対応できる最低限の人員で警戒を行い、それ以外の兵には十分に休息を取らせて長期戦や援軍があった場合に備えるように献策した。
勝利の気配が強かったこの時、私の考えを否定するような声はなかった。
そして夜、私がシルヴィとアレクに1日の報告…というよりも感想を聞いているころだった。
私たちのいる天幕に駆け込んでくる兵士がいた。慌てた様子の彼を落ち着け話を聞くと、敵襲との知らせだった。
アレクは首を傾げていたが、シルヴィは兵士が私の元へ駆けてきたことの重大さに気づいているようであった。
私は敵の夜襲にも対応できる最低限の人員を配置していた。しかし兵士は敵襲を知らせるために"駆け込んで"きた。つまり緊急事態あるいは手に負えない事態が発生したということであり、その内容が『敵襲あり』だったということは配置した人員では足りなかったことを示しており、同時に現在攻め込まれていることを示している。
私がアレクに約束通りシルヴィを連れて逃げるように告げようとすると、それをシルヴィが止めた。
そしてシルヴィは私に言った。これは陽動だと。
私が指令官の元に向かい、敵襲が陽動であることを告げ他の方角の守りを固めるように推すと、敵襲を告げた兵士は驚いた様子だった。それはそうだろう。軍師が14歳の娘が言ったのと同じことを言っているのだから。
そんなことを知らない指令官は即座に入り込んだ敵の部隊の殲滅と他方角への警戒を指示した。そして敵部隊の殲滅が始まったのと同時に、反対側とさらに別の方角から敵が迫ってきていると知らせが入った。規模としては最初に攻めてきた敵を1とすると、反対側が1、別の方角が4であった。つまり最初の部隊と反対側からの部隊が囮ということだろう。
なんとか被害を少なく終わらせることができた翌日、例の伝令の兵が話したのかシルヴィが作戦を立てたという噂が流れていた。
齢14にして才能の片鱗を見せるシルヴィに注目は集まり、戦を終えて凱旋した後にはシルヴィに仮の軍師として協力ほしいという要望が届き始めた。仮の軍師というのは、本来のその軍の軍師と別の視点から意見を求めるときに設置する役職であり、若年の軍師や最近配属された軍師を鍛えるために雇用される。
要望が届いたのはいずれも切羽詰まった戦場ではなく小競り合い程度の規模を担当している者からであった。なので、初めての戦場で正しい判断を下していたということに気を緩めた私はつい、経験を積みたいのであれば受けてみるのもいいと言ってしまった。
シルヴィは私の言葉をそのまま聞き入れ、経験を積む為にも全ての地を訪れたいと言った。そして壁に掛けられていた地図に向かうと、要請のあった地名を探しながら戦況と見比べ、時折私に意見を求めては訪れる順番を決めていった。
意見を求められた私はというと、答えをそのまま教えるのではなく、情報と思考の道筋を与えていった。
シルヴィが旅…というと不謹慎ではあるが、要請に応じた巡回に旅立つ日になった。本当はついていってやりたかったが、異動日数だけでも約2月の予定であった為に叶わなかった。
娘の一人旅を心配する私をよそに、シルヴィには緊張した様子は見られなかった。だから私は思ったのだ。
ーーこの子なら無事に帰ってくる。そしてそこらの若手よりもずっと…もしかしたら私をも超える才能を見せるかもしれない。
と。
…しかしそれから5ヶ月が経ち、ついにシルヴィが帰ってきた日、私は自分の考えが甘かったと後悔した。
明るい笑顔で旅立ったシルヴィは、痩せこけた頬で力なく笑いながら帰ってきたのだ。無理をして笑っているのが誰の目から見ても明らかで、呆然とする私の横からシルヴィのもとへ向かったミレイアが優しく抱きしめると、シルヴィはそのまま寄りかかるようにして眠ってしまった。
私が駆け寄りシルヴィを横抱きにすると、その頬を涙が伝っていくのが見えた。
ミレイアがその涙を拭ってから、先行してシルヴィの部屋までドアを開けてくれた。そして私はシルヴィをベッドに寝かせると、静かにドアを閉めた。
その時にシルヴィの泣く声が微かに聞こえてきたのは幻聴ではなかったと思う。
翌日、部屋から出てきたシルヴィは頬はこけているものの、旅立つ前のような明るい表情だった。
この子は本当に強い子だと心の底から思った。ミレイアが何事かを耳打ちすると、シルヴィは慌てて洗面所に向かって走って行った。きっと寝癖を直しに行ったのだろう。
しばらくして戻ってきたシルヴィがこちらに来たのを見計らって、私はシルヴィに謝った。
前日のうちに、シルヴィが訪れた地で何があったのかという情報を改めて集めていた。この5ヶ月の間に私に届いた情報以上に細かなことを。
そしてシルヴィが何を体験したのか知ることになった。盗賊に誘拐・監禁され、他の監禁されているもの達が拷問されている姿を間近で見せられ続けたのだ。
シルヴィは有用な人質として扱われてはいたようではあるが、そんな監禁生活がまともなものであるはずはないだろう。
それを聞いた私はシルヴィを危険な目にあわせた兵達に怒りを覚えると同時に、その程度で済んで良かったと安堵している自分がいることに気づいた。
確かに激しい戦場であればもっと酷い目にあうことなどざらではあるが、娘が盗賊に監禁されてその程度と考えてしまった。
本人にしてみれば決してその程度では済まないことであるのは容易に想像できる。実際にシルヴィのあの姿を見れば、なおのことその程度とは言えない。
そんな自分の過ちも打ち明け、私はシルヴィに謝った。
そのシルヴィはというと、私のことをキョトンとした様子で首を傾げながら見ていた。そして何かに気づいたように頷くと、こう言った。
「お父さん、私はただ長旅の疲れが出ただけですよ。一人で寂しい時もありましたし、お母さんのご飯ほど美味しいものもなかなか食べられませんでしたし、寝る時間がほとんどない日も少なくありませんでしたから」
私はその言葉がシルヴィの強がりなのか本心なのか瞬時には判断できなかった。しかしミレイアは違ったようで、安堵した様子を見せていた。どうやらシルヴィの本心からの言葉だったようだ。
私はシルヴィの方を向くと、ご苦労様と言って頭を撫でた。本当は抱きしめたかったが、年頃の娘を抱きしめるのはどうかと思ったからだ。
それからいつも通りの日々を過ごすうちに、シルヴィは以前のような元気な…いや、大人に近づいて綺麗になっていった。
……もうそろそろ私の順番も終わりになるのか。ほとんどシルヴィの話になってしまったな。
まぁソル達に関しては私よりもセリアやシルヴィ達の方が詳しいのかもしれないから、今度聞いてみるといい。
では次のアレク…いや、ソル……レイヤに譲るとしよう。