18.食岩人の村
メガロスの山岳地帯を抜けて、ウィンドブロウの街から反対側の山肌にアンダークレイの村はある。
岩肌に無理矢理家を作ったような村になっており、その証拠に、家屋の屋根がそのまま歩道になっている。
家屋から少し離れたところに、魔法で作ったであろう、不自然な出っ張りの土地に畑があり、村人はそこで芋などの根菜を作って自給自足をして暮らしている。
そこで暮らしている人間はほとんどがドワーフ種であり、彼らは鉱石を食べることで栄養を摂取できるため、小さな畑からとれる穀物は全て少数の他種族のためのものになる。
それでも足りないものは定期的に訪れる商人からある程度まとめて買う必要がある。
その際に工芸品や手芸品を売って、彼らは少しばかりのお金を稼いでいるのである。
時雨たちは山を迂回して来たために、下からその段々になっている村を見上げることになった。
「……ムルカ、口が開いてるぞ」
ボルボロスの黒いエプロンをマントのようにして全身を覆った時雨に言われて、慌ててムルカは口を閉じた。
二人は初めて見る、まるで巨大な遺跡のような構造に圧倒されていた。
「ここがアンダークレイの村だ。凄いだろう。こんな形の村はここにしかないからな」
「なぜこんな形に?」
「平野の魔物から身を守るため、と言われているが、確証はない。詳しいことを知っている人間はもういないんじゃないか? この村は三百年ほど昔からある村なんだ。初めはどうやって家を作ったのかすら、伝わっていない」
そう言ってアリアネが先立って歩いていくと、その顔を見た村人たちは会釈をしたり、握手を求めたり、と親し気な様子で接してきていた。
「随分顔が広いんだな」
「北の街へ行く時の通り道だからな。一年に二回ほど宿泊に使わせてもらっている」
岩肌に出来た歩道とも家屋の屋根ともつかない道を歩き、三人は中腹あたりでひと際大きな建物の前へとたどり着いた。
「ここが村長の屋敷だ」
アリアネがそう言って、躊躇することなく木で出来た扉を開いた。
中はがらんどうになっており、広い空間の中心に囲炉裏だけがある。
地べたに直接座って生活しているようで、椅子や座布団のようなものは置いていなかった。
壁に空いた棚に金槌を持った一つ目の怪物の像が飾られていたが、それは装飾品というよりは神仏のように扱われており、傍に色鮮やかな花と七色に光る鉱石が供えられていた。
鍛冶の神様である、サイクロプスの像である。
彼の化け物がドワーフへ鍛冶技術を伝えたとされているのだ。
部屋の奥は長い通路になっており、曲がり角の先からは淡い光が漏れていた。
「アリアネだ! 村長はご在宅か!」
アリアネが声を張り上げて言うと、光の放たれていた辺りから、腰の曲がったドワーフの老人が手にカンテラを持って現れた。
老人の足元には、三角帽をかぶったてるてる坊主のような生き物が宙に浮いてまとわりついている。
深くかぶった帽子から少しだけ覗いた丸い目は淡く光っていた。
「なんだあれ」
時雨が率直に聞く。
「ノームです。ドワーフの主食になる鉄鉱石を作るので、ドワーフと共存している土の精霊です。彼らは岩石を鉄鉱石に変えて、その時発生するエネルギーを食べるんですよ」
ムルカの解説に関心して相槌をうっていると、そのノームが物珍しそうに、時雨とムルカに近寄ってきた。
「エアセ?」「チサオアイ」「イテライキン?」
彼らはささやくようにして口々に言う。
「何を言っているんだ?」
「君が誰かと聞いているんだ。まあ、気にしなくて大丈夫だ。危害を加えたりはしてこないからな」
アリアネには彼らの言語が分かったようで、そう答えた。
「村長、彼らは私の旅の供で、クロノスの宝玉を探しているそうだ」
村長は髪や眉毛でほとんど隠れてしまった目を大きく見開いた。
伸びきった眉を片側だけ上げてムルカと時雨をよく見て、そして何か考える様子を見せた。
「どうしたんだ?」
「いえ、宝玉がほしいということはわかりました。しかし、またなぜ?」
疑問を抱く村長にムルカは答えた。
「助けたい人がいるんです」
「なるほど。しかし、宝玉にそういう力がないのは、分かっておるのかね?」
「はい。それも分かっています。宝玉は強力だけれど、使える用途は限られている。その中に病人を救うような効果はない、と」
「そこまで分かっていても、なお、必要だと言うのかね」
「宝玉があれば絶対に助けられるというわけではないのですけど、それでも、私に出来るのはこれくらいですから……」
村長は押し黙り、ムルカは緊張で汗ばんだ。
本当にここに宝玉のひとつがあるのならば、少し強引な手も使わなければならない。
その覚悟をしていた。
しかし、村長の答えは思っていたものではなかった。
「……ここまで聞いておいてすまんが、実は宝玉を持っているのはわしじゃない。こっちへおいで。あの方に会わせてあげよう」
踵を返し、出て来た洞窟へと向かう村長に毒気を抜かれたムルカは、言われるがまま後ろについて歩いた。
その後ろをアリアネと時雨がついていく。
ノームたちは前に後ろにとくるくる周りながら、まるで遊ぶようにして暗闇を照らしていた。
「面白い生き物だな」
「ああ、魔物もみな精霊と同じような生き物であれば助かるのだが……」
「精霊ってのは他にもいるのか?」
「あと三種族ほどだな。ウィンドブロウのような人の手が入りすぎている街にはいないが、ここのような村や集落だと必ずいるから、機会があれば探してみるといい」
話ながら歩いていると、洞窟の奥にある、広い空間へと出た。
そこにはノームたちが溢れかえっており、床や壁に淡い光が当てられて、幾分か明るかった。
「凄い数のノームですね……」
「ここは岩石が豊富でな。トンネルも彼らが掘ったもので中に魔物もおらんし、増え放題なんじゃよ」
そう言って、村長は笑った。
ノームたちの間を抜けると、壁に両開きの扉がつけられていた。
ムルカはその扉に描かれた魔法陣に手を当て、そっと指でなぞった。
「見たことのない魔法陣ですね……。封印、とも少し違うような……」
それを聞いた村長は感心して言う。
「ほう、よく知っているね。元は封印の模様だったものを少し手を加えているのじゃよ。まあ、わしらはどういう効力があるか知らんが、悪さをするものではないと聞いておる」
扉には鍵はかかっておらず、押すと簡単に開くことが出来た。
その扉を一歩越えると、洞窟だったはずの景色が一変し、ムルカ達は森の中に立っていた。
ムルカは驚いて周囲を見回し、これが洞窟の中に投影された物であると気がついた。
「幻惑魔法ですか?」
「そう、実際は洞窟の中じゃからな。わしからはぐれないようついておいで。この先は迷路のように分かれ道が続く。景色に惑わされて迷わんようにな」
空想の産物でありながら、まるで本当に森の中にいるかのような空気感であり、洞窟の壁を触っていると頭では分かっていても、木の幹を触る感触は手に伝わって来る。
五感に訴えかけるそれは本物と見分けがつかない、とてつもなく高い精度を誇る幻惑魔法である。
前もって魔法であると知っていなければ、ワープでもさせられたのかと思うほどの現実味があった。
「夢でも見てるみたいですね……」
「そうじゃろう、そうじゃろう」
村長はまるで自分のことのように満足そうに言った。
「これは誰がかけた魔法なんですか?」
「わしらは知らん。わしが子供のころからここはこうなっていた。仕組みは分からずとも、使い方が分かっていれば、恐れることはない」
木々の合間からノームがちらつく。
その数は進むにつれて次第に多くなり、やがて、迷路のような道のりの終点が近づくと、草木のように地面から顔を覗かせていた。
「こいつらに壁や地面は関係ないのか?」
時雨がその珍妙な光景に対してそう言った。
「ないな。魔力だけの体だから、物理的な障害は体が通り抜けてしまう」
アリアネが答えた。
時雨は「ふうん」と気の無い返事をし、景色に視線を戻した。
異世界に来て、まるで突風のような数日を過ごしてきたために、こうしてゆっくりと世界に身をゆだねる感覚は初めてであった。
幻想のものではあるが、木一本とってみても、時雨がいた地球のものとは少し違うような様子であった。
生命の気配としか言いようのない、芳醇な命の香りを感じる。
精霊や魔力といった、地球にはない要素が作用しているのだろう。
時雨は面に出さなかったが、心中では感動の波が押し寄せていた。
そして同時に、今まで地球にいたことが場違いであったかのような錯覚がした。
戦いの結果、人が死んだり、殺すことになったりということが日常になっていた時雨にとって、ただ生きるために戦うという選択肢のあるこの世界は、地球にいるよりも、天国にいるよりも、居心地のいい場所であった。
この世界に導いてくれたムルカや英雄には感謝しきれない。
「置いて行かれたら永久に出られなさそうだな」
時雨は後ろを振り返って言った。
通った道は薄暗く、洞窟とも森ともつかない様相である。
「ここが目的地じゃよ」
足を止めた村長の前には、丸太で作られたログハウスがあった。
その周辺は木が生えておらず、広場のようになっており、そこでノームたちが戯れ、遊んでいる。
「さて、わしの案内はこれまでじゃ。アリアネ殿は分かっておられると思いますが、わしら、アンダークレイの住人は『あの方』に直接会うことは許されておらん。帰るころにはまた迎えに来よう」
「あの方?」
時雨が聞き返した。
「左様。クロノスの宝玉はあの方の持ち物じゃ。屍の人よ、あなた方があの方に会えるのは、あの方が許可したからじゃ。この村に到着するよりずっと前から、あの方は三人がここを訪れることを知っていた。今朝がた、ノームを通して伝達があってな。ここへ真っ直ぐ通すように、と命令されておる」
「連絡役も出来るのか」
「精霊じゃからな。それくらいは」
村長は笑いながら三人を促し、先頭を行くムルカの後ろに時雨とアリアネはついた。
ムルカは緊張した面持ちで、ログハウスの扉をノックした。
ノックに返事はなく、ムルカがドアノブに触れて少し回すと、鍵はかかっていないようで扉は容易く開いた。
ムルカは時雨とアリアネの顔を見て、おずおずと中を覗く。
「すみません、あの、私、ムルカと言います」
声をかけながら、中を覗く。
入り口のすぐ隣がリビングになっており、奥にある暖炉では火が燃えている。
その明かりに照らされ、橙に光る人型の誰かが、ロッキングチェアに座って揺れていた。
「あの、すみません」
眠っているかと思い、控えめに声をかけると、突如、その人は立ち上がった。
全身を鉛色の金属のプレートで覆われ、胸の中心には緑色に光る宝玉がはめられている。
顔は溝のある面がつけられており、表情は見えない。
「待っていたよ。中へお入り」
敵意のない穏やかな声で、その人は言った。
「ええ、あの、お邪魔します」
暖炉で燃える薪の音がパチパチと鳴る室内へ、三人は招かれた。