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17.灼熱と継ぐもの

 熱いというよりは、痛い。

 時雨ときさめは小さいころに焼却炉の中を見た時のことを思い出していた。

 初めての魔法を見て抱いた感想から思考を切り替え、炎に包まれた室内を見ると、同じく炎の中にマケリは居た。


 彼の服が燃えていないところを見て、自分の姿を見ると、ムルカからもらったマントは焼けてしまったが、ズボンだけは残っている。

 このズボンは遺体だったころから履いていた物だ。

 恐らく英雄の私物で、永久に使える物なのだろう。

 理屈は知らないが、今はみっともない姿をさらさずに済んで、ただただありがたかった。


 マケリは彼が全く火を意に介さない様子を見て、少しばかりの恐怖を覚えていた。

 ドワーフの体を持つマケリなら炎の中でも耐えられる。

 服も火山地帯で活動するドワーフの技術で作られた不可燃性の布だ。

 しかし、目の前の屍はそうではないはずである。


 その体も、ドワーフの体つきとは違う。

 ならば、火の中でも余裕のある行動をとる彼は何者なのだ。

 声を出せないのはマケリも同じで、彼にそれを問うことは出来ない。

 時雨が火の中をゆっくりと歩いてマケリへ近づいて行く。

 マケリは思わず後ずさった。


 扉は少し離れているため、逃げ出す隙を見せた瞬間に背中から切られてしまうだろう。

 もうじきこの火も消える。

 その前に外に脱出できるだろうか。

 時雨は獲物を逃がさないために、回避行動に合わせて剣を振るうつもりであった。

 そのため、歩みは至って穏やかだったのだが、マケリが動かないところから、逃げ出そうとしているのだと分かった。


 追い詰められた者の取る行動は決死の覚悟で戦うか、いちかばちか逃げるかの二択であり、逆に言えば、その二択に追い込まれているということは、もう手がないということに他ならない。

 時雨はマケリがこの炎以上のことをできないと判断したのだ。

 炎が止めば交渉の余地もあるが、テオをこれほど無残に殺した相手と何を交渉しようというのか。

 彼の死体は、この熱に耐えられるはずもなく、炭と化している。


 時雨は自身の間合いの一寸外で止まった。

 動いたところを斬るつもりである。

 二人ともに動けないでいると、小屋の中の魔法の炎が、まるで何事もなかったかのように消え去った。

 中は赤熱した土だけが残り、その温度が足裏に伝わるが、先程までの地獄のような空間を思えば、最早何の感想も抱かずにいられるくらいの熱である。


「……お前、ただの屍じゃねえな」


 先にマケリが口を開いた。


「俺にはただの屍ってものがどういうものかわからん。その質問には答えられないな」


 時間稼ぎを企んでいるのか、と時雨は怪しんだ。

 その疑問に対する答えはすぐに浮かんだ。

 外に仲間がいるのかもしれない。

 だとすれば、外にいる二人が危ない。


「どうやら、喋っている暇はないようだな。最後に何か言い残すことはあるか?」


 時雨は剣を片手で肩に担ぎ、言った。

 早いところ彼を斬り捨てて外へ行かなければならない。

 マケリは生まれて初めて、死を身近に感じていた。

 冷や汗が止まらず、手が微かに震える。

 今日ここで死ぬのか、と停止した思考から諦めの気持ちが沸き出てくる。


「なあ、命だけは助けてくれないか?」


 マケリは言った。

 手には数本のナイフを持っているが、握ることがやっとの力しか入らず、時雨からしてみれば虚勢ですらない。


「断る」


 時雨は踏み込んだ。

 それと同時に、マケリがナイフを放つも、それを時雨は避けもせず左手で受けた。

 突き刺さったナイフへ向けてマケリは魔力を込める。


「発火!」


 時雨の左手が炎をあげて吹き飛ぶも、悲鳴をあげるどころか怯みもせず、時雨は剣を振り下ろす。

 そして、マケリの左肩から右の脇腹へ向けて、白刃が一直線に走り抜けた。


「ば、化け物が……!」


 薄れていく意識の中で、高速再生する時雨の左手を見てマケリは言った。

 他に時雨を表す言葉が思いつかなかったのだ。

 血を流して転がったマケリをそのままにして、刃についた血を払い、時雨は急いで外へ出た。


「ムルカ、アリアネ! 大丈夫か!」


 小屋に入る前と外の景色は大きく変わっていた。

 周囲は短い背の草が生える平野だったはずが、まるで雨が降ったあとのように、泥の湿地帯へと姿を変えていたのだ。


「トキサメ! 無事でしたか!?」


 泥の中をムルカが走り寄って来る。

 その後ろを泥にまみれたアリアネがついてきていた。


「何だ、何があったんだ?」

「こっちのセリフですよ! 小屋の中で何があったんですか!? いきなり炎が出て……!!」


 興奮するムルカをなだめ、時雨は言った。


「こっちは、……ああ、奴らに連れ去られていたのは、テオだ。俺が小屋に入った時には、すでにやられた後で助けられなかった」

「テオが……」

「たまたま通りかかったところをやったんだろうよ。そういう感じのやつだった」


 ムルカは目に涙を浮かべていたが、時雨は淡々と続けた。


「犯人は倒したが、誰なんだこいつ」

「マリスの部下だ」


 ムルカの代わりにアリアネが答えた。

 テオが殺されたと聞いて、胸中にざわめきを覚えたのはアリアネも同じであった。

 しかし、彼女はそれを面に出すことが出来ない。

 沸いてきた怒りや悲しみの感情を、心の底へと沈めた。


「マリスっていうと、ステラに呪いをかけたやつか。何か情報は得られたのか?」


 アリアネは首を横に振った。


「ただマリスが最悪なやつだということが分かっただけだ。居場所を知るやつに当たりたいところだが……」


 ムルカは一人、土の小屋の扉を開け、中を覗いた。

 赤黒い土の壁と床の奥に、両手を打ち付けられた黒焦げの死体がある。

 それがテオであると判断するまでに時間はかからなかった。

 変わり果てた彼を見てもどうしたらいいか分からず、優しく抱き付いてムルカは静かに涙を流した。

 この温かみも、命の温かみではない。

 もうずっと前に、テオは息絶えていた。


「たった一人で、怖い思いをして、頑張ったんですね……」


 ムルカが指先に力を入れると、墨になったテオの体は簡単に砕け、パラパラと破片が落ちる。

 ハッと気がつき、ゆっくりと手を離した。


「テオは皮を剥がれて死んでいたらしい。トキサメから聞いた」


 いつの間にか背後にアリアネが立っていた。

 アリアネは両手の籠手を外し、テオの頬を撫でた。


「辛かったろう。助けられなくてすまない」


 そう言って、壁に打ち付けられた両手の杭をそっと外し、テオを抱きかかえた。

 三人は粛々と、埋葬の準備を進めた。

 彼を街へと連れて帰りたかったが、崩れゆく彼を長距離運ぶことが不可能であった。


「……テオは私たちのために、ここまで来て、襲われたんですよね?」


 ムルカは涙声で言った。

 押し寄せる後悔が溢れて、言葉となって口唇から漏れ出す。


「私たちと会わなければ、テオは殺されることはなかったんですよね? 私たちが、目的のためだけにテオに接触したから……」


 時雨はムルカの言うことを否定できなかった。

 そもそもこの厄介事に巻き込んだのはこちらであり、詳細な説明もしてやれず、彼は自分が何に襲われたのかすらも知ることが出来なかった。


「責任を感じなければならないのは、二人だけではない。私とて、彼を無闇に励ましてしまった。元の生活に戻るよう促していればこんなことにはならなかった」

「それは、違いますよ。アリアネは悪くありません。だって、悪いのは、私たちが巻き込んだからで……」


 ムルカの言葉を遮るようにして、アリアネが口を開いた。


「ムルカ、悪い人間がいるとすれば、それはテオを殺したやつだ。……これは人狼に伝わる考え方なのだが、死に対する責任をとりたいのなら、その者の死に意味を持たせてやれ。懺悔や自責など、結局は自分のためでしかない。責められて罰を受ければ、罪滅ぼしになると思えるからな」

「意味を持たせる……」

「そうだ。後へと紡ぐことこそが命の意味であり、意志だ」


 アリアネは銀の犬笛を、テオの胸元に置いた。

 そして、膝をついて手を顔の前で組んだ。

 人狼が死者を送る際に行う所作である。

 ムルカはそれを見て真似た。


「何も真似しなくとも……」

「させてください。私はこういうことをやったことがありませんから……」

「……そうか。ならばちゃんと教えよう。トキサメは、って、どうした?」


 時雨はただじっと墓穴を見つめていた。

 アリアネに呼びかけられて、頭をぽりぽりと掻いた。


「俺もこうしてちゃんと弔われたのか、と思ってな。まあ、死んだ後となっちゃ、どうでもいいことなんだが」

「死者を乱雑に扱う者などいまい。もっとも、こうして生き返っているところを見ると、鎮魂や葬儀の意味を考えてしまうがな」

「そういえば、人間の屍は珍しいんだったか」

「ああ、君のように意思を吹き込むことは特別困難なことだから少し勝手が違うが、屍というものはだいたいが魔力を注ぎ込まれて動く人形だ。彼女の骨犬のように、な。そして屍の中には稀に人語を解するものもいる、と記録を読んだことがある」


 一般的ではないが、近いものは存在しているのだ。

 テオの葬儀を済ませ、三人はアンダークレイへ向かおうとした。

 その時になって、時雨は思い出したように言った。


「ああ、そうだ」


 開け放たれた小屋の中へ向かって叫ぶ。


「帰ったら伝えておけ! 次はもっと強いやつを連れてこいってよ!」


 小屋から影が飛び出し、あっという間に森の中へと消えた。

 ムルカとアリアネは茫然と見ていたが、やがて我に返り、時雨に言った。


「生きていたんですか!?」

「なぜ言わなかったんだ!!」


 テオを殺した張本人が生きていたのだから、気が気ではない。

 ムルカとアリアネは小屋に入った時にはいなかったことを思い出して、ずっと隠れていたのだと気がついたのだ。


「落ち着けよ二人とも。本来の目的はマリスを釣り出すことだろう。あいつに怒りをぶつけてどうなる。テオはもう帰ってこないんだぞ」

「それはそうですけど……」

「怒りは全て根源のやつにぶつけろ。下からちまちまぶつけていっても解消はされん」


 それと、と時雨は付け加えた。


「何か羽織る物なかったか? 流石に丸出しはまずいと思うんだが……」


 時雨の胸の宝玉が緑色に光った。


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