14.決死の抵抗
彼らが出てしばらくして、宿屋の主人は時雨たちの泊まっていた部屋を掃除しようと、バケツやモップを持って二階へ上がった。
二階の一番大きな部屋はステラが寝ている。
その隣の客室はテオが使っている。
そしてその隣が、時雨たちの泊まっていた部屋である。
広い部屋ではないが、不自由はしない程度の広さはある。
主人は鼻歌を歌いながら部屋へ入った。
次に使う人間はいつ現れるか分からないが、掃除をしないというわけにもいかない。
モップをかけようとして、ふとベッドの下に何か風呂敷のようなものがあることに気がついた。
「あれ、忘れ物かな……」
引っ張りだしてみると、風呂敷いっぱいに黒いドラゴンの鱗が詰め込まれている。
「ちょっと、テオくんいる?」
主人が隣の部屋に向かって呼びかけると、すぐに返事がかえってきた。
「はい、何でしょうか」
「これ、何か聞いてる?」
「え? これって、ドラゴンの鱗ですか? 僕は何も聞いていませんが、忘れ物でしょうか」
「聞いてないか。それにしても、ドラゴンの鱗なんて普通手に入らないだろうし、貴重なものだったんじゃないかな」
主人の言葉を聞いて、テオは支度を始めた。
「僕、届けてきます。まださっき出ていったばかりですし、馬で追いかけようと思います」
「人食い虫が出たら危ないよ」
「アリアネ様は森を迂回すると言ってましたから、森の中に入るつもりはありませんし、大丈夫です」
「分かった。気をつけてね。ああ、そうだ。これ、良かったら持ってて」
主人は懐から銀色の犬笛を取り出した。
「人狼だけに聞こえる音を出す特別な笛だ。近くまで行って鳴らしたらアリアネちゃんがすぐに気がついてくれるさ」
「ありがたいのですが、勝手に追いかけて行って、おいそれと呼べませんよ。……そうですね、森の手前まで行って、姿が見えなかったら諦めます」
テオは主人から手渡された犬笛を首にかけ、ウィンドブロウの街を出発した。
街で馬を借りて、草原の中をひたすらに真っ直ぐ進んでいく。
どれほど走ったころだろうか、街は遠くに見えなくなり、眼前には森が端から端まで広がっている。
森に着くまでには追いつきたかったが、どうやら間に合わなかったらしい。
仕方なく諦めて帰ろうとしたところへ、大きな影が覆いかぶさった。
「なんで、まだ森の外なのに……」
反応の遅れたテオは死を覚悟した。
人食い虫に捕まって助かった人間はいないことを知っているからだ。
彼らは人間を頭から丸かじりにする。
自分がそんな目に会うところを想像し、恐怖のあまり目を強く閉じて、身を硬くする。
しかし、鎌はいつまで経っても襲い掛かってはこなかった。
代わりに恐ろしく不気味な声が聞こえた。
「お、人間だ」
恐る恐る目を開けると、人食い虫が炎に包まれて燃えている。
そして、その隣には、体中に投げナイフを装着した不審な男がいた。
マケリは両手をひらひらと振りながら、テオに話しかけた。
「あんた、冒険者ってやつ? 俺たちさ、ちょっと人探しをしてんだけど、知らない?」
「……俺たち?」
事態を飲み込めないテオの背後から、別の声が聞こえた。
「私たちはある少女を探している。白い髪に黒いローブを着た背の低い死霊使いだ。知らないか?」
ボルボロスの問いかけを聞いて、テオは一瞬考えてしまった。
事情を知っているが故に、嘘をつこうと、思考を一度止まらせた。
それが、彼らの感覚に触れた。
「知ってんだな」
「知っているようだな」
彼らに詰め寄られる前に、テオは背にある杖へ手を伸ばしたが、その手の甲にナイフが突き刺さる。
「うっ……」
「おいおい、俺たちは話を聞きに来ただけだぜ? 荒っぽいことはなしにしよう」
テオは血が流れる手を庇うようにして、指先で空中に小さな魔方陣を描いた。
杖ならば大きな魔方陣でもすぐに使えるのだが、彼のナイフよりも早く杖を取り、魔法を使える自信がなかった。
「近寄らないでください!」
魔方陣からは火の粉がちろちろと漏れ出す。
いつでも発射できるという脅しであった。
「あなたたちは誰ですか?」
「あんたにゃ関係ねえよ」
マケリは怯まずテオの方へ歩き出した。
背後にいるボルボロスが動いていないことを感じたテオの魔方陣から炎の球が発現する。
炎はめらめらと燃え、テオの前で空中に静止している。
「……もう一度言います。近づいたら、撃ちますよ!」
「あんた勘違いしてるぜ。一度の脅しを実行出来ないなら、脅しなんかすんな。そして脅しが効かない相手ってのは、大抵格上だ。分かるかよ?」
歩み続けるマケリへ向かって、テオは炎の球を放った。
それだけでは終わらず、魔方陣からはいくつもの炎弾が次々に発射され、マケリへと向かっていく。
彼は避ける素振りも見せず、平然とその炎の雨の中を進んでいく。
いくつかの球が体にぶつかって弾け飛んでも全く意に介さない。
「火力が足りねえな」
「だったら!」
テオは左手で素早く青い魔方陣を空中に描く。
先程の脅しとは違い、今度は警告なしに放った。
魔方陣から現れたこぶし大の氷の塊がマケリに向かって飛んでいく。
炎の連弾の中に隠れたそれを正面から見分けるのは不可能であった。
マケリから氷の塊を認識できた瞬間に、彼は初めて行動を起こした。
「器用なやつだ」
右手に二本の投げナイフを持ち、氷へ向かって投擲したのだ。
カチン、と小さく音が鳴り、爆炎が上がった。
その火力と衝撃に、テオは思わず腕で顔を覆う。
「火ってのはこういうもんだ」
眼前に迫ったマケリを倒すため、もう一度魔方陣を描こうと指を動かした。
しかし、描けない。
おかしな感覚がして手元へと目をやると、両手共に人さし指の先が無くなり、とめどなく血が流れていた。
いつ攻撃をされたのかも分からない。
圧倒的な力量差と危機感に、テオは冷や汗をかいた。
「最初の質問に戻るが、俺たちは人を探している。教えてくれたら見逃してやってもいい」
「……ものか」
「何だ? はっきり喋れよ」
テオは震えを押し殺して、はっきりと言った。
「誰が教えるものか!」
「いいねえ。嫌いじゃないぜ、そういうの。ボルボロス!」
テオの乗っている馬の足元から、無数の小さな泥人形が這い上がって来る。
馬はすでに泥によって四肢を拘束され、身動きが取れなくなっていた。
気がつくのが遅すぎたのだ。
ボルボロスは静観していたわけではなく、逃げられないよう足を奪っていた。
テオは馬上から飛び降り、地面に転がりながらも、指先の無くなった人さし指を地面にこすりつけ、魔方陣を描く。
痛みに顔を歪めながらも、止まることはない。
「『炎陣』!」
テオの周囲を炎の壁が覆う。
高く空へと伸びた壁で、テオの姿はマケリ達から見えなくなった。
「何したって無駄なんだよ。お前程度の魔法じゃな!」
多少距離をあけたところで、逃げられるはずもない。
往生際の悪さにマケリは苛立っているようで、ナイフを手の中でくるくると回転させる。
そんな彼の所へと炎の壁を突き破り、先程も放った氷の塊よりも巨大なものが飛んだ。
「でかけりゃいいってもんじゃねえ!」
容易く氷を避け、壁の向こうにいるであろうテオに向かって、ナイフを三本放った。
物理的な刃物を炎で遮ることはできない。
三本共に壁を貫通し、反対側へと突き抜ける。
そう、突き抜けたのだ。
ナイフの通った風穴から炎が弾け飛び、炎の壁は空中へ霧散する。
消えた炎陣の中に、テオはいなかった。
「どこへ行った!?」
マケリは焦げ跡の中心の地面を触って調べた。
そうしていると、唐突に、マケリの背後で破裂音がした。
先程の氷塊が割れた音だろう、と無警戒に振り返ったマケリの目に飛び込んできたのは、巨大な赤い魔方陣である。
「望み通りの最大火力だ!」
テオは氷の中に身を隠し、中で魔方陣の準備をしていたのだ。
正真正銘テオの全力である、火炎魔法『火炎葬』。
油断した相手に対する奇襲こそ、テオの最も得意とする戦法である。
「くら――――」
『くらえ』。
そう言おうとしたが、言葉が出ない。
喉元を触ると、硬い何かが刺さっているのを感じた。
そして、触った指先には赤い液体がつく。
「魔方陣、消えちまったぜ」
集中力が途切れた瞬間に、魔力のこもった術式は風で流れてしまった。
体に力が入らず、ぺたん、と尻餅をついてしまう。
「残念だったな、発動出来れば勝っていたかもしれねえのに」
マケリは一歩、また一歩とテオに近づいていく。
動け、と体に念じるも、体温を失っていく体は命令を拒否する。
「それで、俺の問いに答える気になってくれたか? 答えたら助けてやってもいい」
命が尽きようとしているのを感じる。
しかし、この瞬間こそが好機。
勝ちを確信した相手は最も油断する。
相手が格下と思い込んでいるなら、なおさらだ。
「死にかけてるんだぜ。分かるか? お前、死ぬんだよ」
テオは人さし指を微かに動かし、手の平に小さく魔方陣を描く。
こいつらが何者であったとしても、このままムルカを追わせるわけにはいかない。
せめて一人は確実に倒す、という決意が体を動かした。
「俺たちにはお前を助けることが出来る。簡易式の治癒魔法を常備してあるからな」
マケリはテオの顎をつかんで、くい、と持ち上げた。
「眼球で返事をしろ。教える気になったなら、右を見ろ。教えないと言うなら、まあ、何もしなくていい」
テオは真っ直ぐにマケリを見据えた。
睨みつけるだけの気力はない。
その気力は、全て魔法へ回した。
テオは全ての力を振り絞って魔方陣を描いた手の平で、マケリの顔を覆った。
爆発を起こす火魔法を発動させようとした時、テオの体に、鈍い衝撃が伝わる。
テオの心臓のあった位置を太い土の棘が貫いていた。
かろうじて動いていた体は、全ての機能を停止し、テオは力なくうな垂れた。
「……邪魔すんじゃねえよクソロン毛」
「止めねばやられていた」
「ああ? あの程度の火力で俺がやられるわけねえだろうが」
「それよりも」とボルボロスは言う。
「情報源が死んでしまったぞ。どうするんだ」
「街で見たことは間違いねえんだ。行って何人かに聞いてまわればすぐ見つけられるだろ」
「非効率的だな。そもそもお前は好戦的すぎる」
「仕掛けたのはこいつだろうが」
マケリはそう言って、テオの死体を棘から引き抜き、肩に担いだ。
「しかし、収穫はあったな」
「……気色の悪い食人家め」
「その人嫌いは食料にも反映されんのか?」
ボルボロスはため息をついて、マケリから視線を外す。
テオが死んだ辺りの地面で何かがキラキラと反射して、先程から視界に入っていたのだ。
「なんだ、お前は土でも食うのか?」
仕返しのような雑言を吐くマケリを無視し、ボルボロスはそれを拾い上げた。
「笛、だな」
手の平に収まるくらいの小さな笛。
ボルボロスはマケリへ手渡した。
「死体を弔う気が少しでもあるのなら、それを一緒に埋めてやれ」
「そんなもん、あるわけねえだろ。だいたいなんだ、この小せえ笛は。鳴るのか?」
マケリは口にあてがい、笛に息を吹き込んだが、何の音も聞こえない。
「壊れてるじゃねえか。いらねえよ」
銀色の笛を地面へと放り、二人は森の暗闇へと消えた。
足跡のように、血を点々と残しながら。