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ヒューマンビーアンビシャス  作者: 憂上和也
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第1話~後半戦~

さて、みな様後半戦でございます。

前半戦からどのように展開していったのか、お楽しみいただけると幸いです。

凛太郎と奈々の掛け合いにも拍車がかかり更なる登場人物との触れ合いも見どころとなっています!!


第三章『任務前夜祭』

―――そんなこんなで国超から車を走らせること数十分。区画で言えば第三区にある奈々の家に着いた。

 奈々は普通の六階建てのマンションの一階に住んでいる。凛太郎は奈々には親がいない、ということだけしか聞いていない。

 奈々が鍵を取り出しながら警告、もとい死の宣告を浴びせてきた。

「言っとくけど私の許可なく何かを使ったり何かに触れたり家主の気に障ることをしたりしたら私の家はそいつの血で染まることになるわ。特に入ってすぐ右にある寝室を見た者は安らかでない死を与えるわ」

 一つ行動を間違えると即刻死につながる家。

「そんな危険極まりない家がこんな都会に、しかもマンションの一階なんかに気軽にあっていいものなんですか!?」

「なっ、なによ。女の子の部屋に入れるんだからこのくらいの条件安いもんでしょ?」

 死が安いとは、奈々はたいした価値観の持ち主のようだ。

「いや、でもさすがに…ん?」

 ここで今更ながら凛太郎はある重要なことに気付いた。

「…女の子」と呟き、奈々を見る。

「な、なによ。急に黙り込んで…」

 不快な色を見せる奈々。をよそにして今度は後ろを向き七篠を見る凛太郎。

「…?なにかありましたか?」

 今まで男だと思っていたから注意して見てはいなかったが、よく見ると着替えたタキシードの胸のあたりがふくよかなふくらみを帯びている。

 もう一度奈々を見る。ワイシャツを着ているがその胸部にふくらみは見受けられない。その特徴的な首下十センチから十五センチの部分をまな板だとうっかり口にしたときにばれてしまうから凛太郎は黒板と呼ぶことにした。

「な、なんなのよ。なんか文句があるなら言いなさいよ」

 その胸に黒板を宿す奈々は凛太郎の奇行に少し苛立ちを覚えている。

 「…こっちは大丈夫か」と意味ありげな言葉を口にし、再度七篠に目線を預ける。

 「問題はこっちか…」とさらに気持ちを込めて発する。

「七篠、ちょっと車に携帯を忘れちゃったからお前の能力で取ってくれないか?ここからならぎりぎり届くだろ?座ってたとこに落としたみたいだ」

 誠心誠意の笑顔と共に凛太郎は忘れてすらいない携帯の回収を依頼する。

「?ええ、そのくらいなら」

 親切にも素直にも凛太郎の依頼を承諾し右手首を消してくれた七篠。――数秒後、

「ほんとに忘れたのですか?手探りでしたがそのようなものはありませんせしたよ」

 右手が返ってきた七篠が凛太郎に確認をする。

「ん?ああ、ごめん。ポケットに入っていたよ。さっきはないと思ったのになあ。いやーごめんごめん」

 能力を使ったため男の姿になった七篠に詫びを入れる凛太郎。

「いえ、あるのならいいのです」

 これこそが凛太郎の真の狙いだったのである。

 いくら任務のためといえど男が一人で女が二人の部屋のお泊りイベントを楽しめるほど凛太郎の心に余裕はない。さらに万が一周りの住民に目撃された場合、この布陣はあまり芳しくはない。

「それで、さっきから変に思い悩んでいたのはそのことなの?」

 しかし、幸か不幸か奈々は見た目が女っぽくないためドキドキすることはない。であるから危険因子である女七篠を排除したのである。男だと思い込んでいた分女の状態の七篠は凛太郎にとっては脅威だ。

「はい、ありがとうございました」

「いえ、私はてっきり野崎君がわざと言平に能力を使わせて男の姿にしたのかと思ったのだけど…」

 (しまった。ばれたか…)と心の中で作戦の失敗を覚悟した凛太郎であったが、

「でも、言平が男になったところで野崎君にはなんのメリットもないわよねー。考えすぎね、ごめん何でもないわ」

 するどいのか、はたまたただの思ったことを言わずにはいられない性格なのかは分からないがとにもかくにも作戦は成功に終わった。

 構図的に男二人女一人の編成でいざ奈々の家に突入する一行。

 奈々が今の今まで持ち続けていた鍵をその身が収まるべき場所へ挿入した。一寸の互いもなくするりと入ったその鍵を右に回す。ガチャリと音を立てた扉。ドアノブに力を入れ扉を開く。

 さあ、鬼がでるか蛇が出るか魔の巣窟に足を踏み入れよう。

「いらっしゃい。ようこそ私の家に」

 玄関。三人がぎりぎり入れるくらいの大きさ。くつは見る限りそんなに多くは置いていないがあるもののほとんどは底上げ仕様のものだった。

「…奈々さん、このくつは?」

 底上げ仕様のくつを持ち上げ凛太郎が憐れんだ目で奈々を凝視する。

「そんなに身長が気になるのなら所長の姿になんかならなければよかったのに…」

 明らかに奈々を小バカにしている凛太郎。

「し、しょうがないじゃない。毎年毎年姿を変えているけど、今年はなりたいものがこれといってなくてその瞬間を迎えちゃって…そのときたまたま所長が思い浮かんじゃって…しょうがないじゃないっ!!」

 奈々が凛太郎にバカにされて怒らないのは珍しいうえに少しおかしなことも言っている。

「ん?その瞬間を迎えたって言っても奈々さんの能力って自動発動とかじゃなくて奈々さんのタイミングで発動させるものですよね?」

 たしかに凛太郎の言っていることは正しい。奈々は律儀に毎年正月に日の出を拝むとともにその力を発動させ姿を変えている。だからといってなりたい姿がないときは先送りすれば済む話である。

「うっ、それは…」

 奈々が答えを言いたくなさそうに顔をしかめる。

「こら、この鈍太郎が。察してあげてください。奈々様はずっと所長の姿になりたかったのですが当の本人からなかなか許可がおりず、やっと今年許可が出て念願の所長の姿になることができたのです。そんな乙女の純情な気持ちを恥ずかしいから言えないのが奈々様の人となりでしょう?」

 奈々の唖然とした顔が玄関にある鏡に無残に映り込んだ。

「ちょっと、言平なに言って…」

「さらに、先ほど指摘されたくつですがいつか所長の姿になれたときの為に三年前から用意していたのです。そのくらいは奈々様と長年ご一緒していた鈍太郎なら分かるはずです」

 奈々にかぶせるようにさらに秘密を暴露していく七篠。奈々は赤くなった顔を両手で覆い座り込んでしまった。

「おいおい、普段いじめられてるお返しか?」

 凛太郎には七篠が平時奈々にこき使われている憂さ晴らしをしているようにしか見えなかった。

「いやいや、まさか。ご冗談を…そんなことよりいつまで玄関に居座るつもりです?くつフェチかなにかですか?キモ太郎め」

 七篠が話題転換と同時に自分を棚上げしてみんなに玄関から離れるよう、暗に示した。

「いや、ほとんどお前のせいだろ…」

 さすがに凛太郎もつっこまずにはいられなかったが一理あるとも思い、くつを脱ぎきれいに並べられていたスリッパに足を通す。

「ってか…くつフェチって何だよ、くつフェチって。それに奈々さんもいつまでも座ってないで行きますよ」

「ううっ、野崎君も私のことずっと憧れていた所長の姿になりたかったストーカーの変態だと思ってるんでしょ?」

 いつになく気弱な奈々を見て凛太郎も七篠がついついいじわるをしたくなってしまう気持ちが理解できた。

「たしかに、前からこの底上げくつを用意してたりするところは変態っぽい……うっ」

 凛太郎はここまできて言葉につまってしまう。

 それは奈々が例の上目遣いで凛太郎を見つめていたからである。さらに今回はうるうる瞳のオプション付きで。

 凛太郎はどうも奈々のこの顔に弱いようだ。初めて会ったころと姿形の違う奈々ではあるが奈々という人を慕っている凛太郎は奈々に対して心から鬼にはなれなかった。

「…変態っぽいですけど、そうやって所長を憧れる一途なところは好きですよ?」

 優しい顔を作り奈々に手を差し伸べる凛太郎。

「野崎君…へへ、ありがとね」

 奈々に感謝の言葉を述べられ少し照れくさくなった凛太郎は反射的に右を向いた。そう、右に何があるのかも忘れてしまって。

(~ここからは回想~)

『言っとくけど私の許可なく何かを使ったり何かに触れたり家主の気に障ることをしたりしたら私の家はそいつの血で染まることになるわ。特に入ってすぐ右にある寝室を見た者は安らかでない死を与えるわ』

(~回想終わり~)

 そう凛太郎の右には死の寝室がズンとたたずんでいるのである。瞬間死を悟った凛太郎はその目を見開いた。

 寝室のドアが固く閉ざされていた。

「…助かった…あれ?」

 安心したのも束の間。凛太郎の目線でお届けすると世界が反転した。気付いたら床に頬ずりしていた。少し遅れて奈々に差し出していた右手が痛み出した。

「い、いたたたたた…え?何が起こったんだ?」

 奈々はいつの間にか立ち上がり下目遣いで倒れた凛太郎をにらんでいた。

 今度は七篠の目線でお届けしよう。凛太郎が寝室のドアを見ていることに気付いた奈々は差し出されている右手を両手でつかみ思い切り引っ張った。そして同時に前のめりになっている凛太郎の足をまたまた両手で抱えそのまま起き上がる。そして持っている両足を思いきり後ろへ放り出す。すると凛太郎は頭を中心に円を描き、一回転して床に落ちた。

 これらを一瞬のうちに奈々はやってのけたのである「野崎君…寝室は見たらダメって言ったでしょ?覚えてないのかなぁ?そんなにこの頭はバカなのかなぁ?」

「痛いですって!見たって言ってもドアが閉まって中までは見えてないですよ?だから頭を踏むのをやめてください」

 奈々は追い打ちのように凛太郎の頭を踏んずけている。安らかでない死を実行しているようだ。

 まだ玄関からは一歩しか動けていない。

「え?ドアが何って?私は寝室を見たらダメって言ったのよ?その寝室にはドアも当然含まれるに決まっているじゃない」

 当然とは誰が決めたのか…家主の奈々はもはや神と同等の権力を持っているようだ。まるで「私が法よ」と言わんばかりの勢いである。

「そんな…寝室の閉まっているドアすら見れないなんてそんなの、女子の着ている服を見たときに下着を見られたって言われるのと同じですよ?」

「?何おかしなこと言ってるの?意味わかんない」

 たしかに凛太郎の言っていることは意味不明だが、言いたいことはなんとなく分かる。しかし、それで奈々が説得できるとは到底無理だとは思うが。

「奈々様、つまりですねこの死に太郎が言いたいのは奈々様が男の人を見たとしますね?」

「うん」

 返事とともに踏む力を一層強める奈々。

「その時に奈々様が急にその男の人に殴られました」

「えっ?」

「あくまで、もしの話です」

「あ、うん」

 さらに力を込める奈々。凛太郎にはミシミシという音が体内に響き渡っているように聞こえる。

「お…い……七篠、…できればもう少し早く説明してくれない…か?」

「そこで奈々様はなぜ殴られたのかを聞きますよね?」

「ええ、聞くわね」

 凛太郎の悲鳴は無視して七篠は続ける。

「そのとき男が俺のシンボルは俺の一部に含まれるから、俺を見たということは俺のシンボルを見たのと同じだから殴ったと言われたらどうします?」

 なるほど、少し凛太郎よりは分かりやすいがそれでも訳が分からない。

「え?そんなの許さないに決まってるじゃない」

 凛太郎の頭を踏み抜けるくらいの強さまで奈々は力を入れた。

「な、な…な…さ……ん。これで…ごほっ、僕……気持ち…が分かり…ました…か…?」

 なけなしの声で解放を求める凛太郎。

「それで、言平はその話で何を言いたかったの?」

「いえ、特には…続きをどうぞ」

「は?」

 七篠に裏切られ、あるいはもともと味方ではなかったから裏切りではなく陥れられ、凛太郎は安らかではない死を体験することとなった。暗転。

―――なにか恐ろしい夢を見た気がして勢いよく目覚めた凛太郎。

 そこは奈々(?)の家のリビングのソファの上であった。

「ん?なんでこんなところで寝てたんだろう…それにしても体中が痛いな…」

 時計を見ると深夜一時を回っていた。

「もう、こんな時間か…それにしてもいつの間に寝てたんだろ…」

 ノット安らかな死を経験すると人は記憶を失うみたいだ。

「ん…置手紙が…」

 そばにあった丸机の上に奈々の字で手紙が置いてあった。

「なになに…『おはよう野崎君。気分はどうかしら?任務前日だからってはしゃいじゃだめでしょ?少し手を抜いてあげたからよかったけど、本来死んでて当然だったのよ?まあ、そのことはもういいとして起きたなら、さっさとお風呂に入って寝なさい。清潔にするのも仕事の一つよ?お風呂はキッチンの奥にあるから。それと確認だけど、もう一度寝室を一部でも見たら即死よ?気を付けてね』…まじかよ、僕寝室見ちゃったんだ…でも、何も思い出せない…なんでだろ?…まあいいや」

 記憶を失ったせいか、寝室を見てしまった自分に呆れる凛太郎。…しかし、ここまで確実に記憶を失えるほどのこととは一体どんなことをされたのだろう…。

と、脱線を戻そう。手紙は一見脅迫文のようにも感じられるが一応お風呂には入っていいとのことらしい。

「着替えは…ないから今日の服のままでいいか…」

 そして手紙の横に置いてあったバスタオルを持ち風呂場に向かう。あんな目にあったのにのんきにあくびまでして重たい体を動かす。

 手紙の文面から奈々たちが寝ていると判断した凛太郎は気を遣って足音を立てないように歩く。この行動は記憶があってもなくても取る行動であろう。

 が、しかしどこの床もそうではあるがギシギシ音だけはどうしても出てしまう。

「…ん、クソ太郎…?」

 そのかすかな音に敏感に反応した人物が一人いた。

 そんなことはつゆ知らず凛太郎は風呂場に到着。

「ふう、今日は特に色々と疲れたな…こんな遅くに風呂に入るのは初めてかも」

 今日というよりは昨日のことを思い浮かべながら凛太郎は服を脱ぐ。

 筋肉こそないが、細見よりはしっかりとした体つきをしている凛太郎。その体に異変を感じたのは脱衣所の鏡を見た時だった。

「なんだよ、これ…」

 上裸の凛太郎が目にしたのは無数のあざ。両肩、両胸、腕、腹…とにかくいたる所にあざが見受けられた。

 言うまでもなくこれが記憶をなくした原因のれっきとした証拠である。

「そういえば、今日はことあるごとに何かしらの暴力を受けてたからな…しかし、ひどいなこれは…」

 記憶がない凛太郎はこう考察することしかできなかった。

「ふぁあ、そんなことよりさっさと入って寝よ…」

 一応今日は任務があることを考慮し少しでも長く寝ることを選択した凛太郎。

 残る服を全て脱ぎ去り、風呂場への扉を開けた。

「おっ、結構湯が残ってるな…ってかこれ奈々さんと七篠が入った残り湯か…よかった…こういうので興奮する人種じゃなくて」

 自分が特殊性癖を持っていないことに安堵した凛太郎は湯の多さに感謝して体を洗おうとする。

「いたたた…体が痛くて背中まで洗えないな…」

「それならば私が洗って差し上げましょうか?」

 ガラッと扉を開き七篠が入ってくる。

「おお、七篠か…気が利くな。お願いしてもいいか?」

「ええ、ご遠慮なさらず」

 凛太郎はその場にいるはずもない、いたらそれはそれで大問題の人物に背中を洗ってもらうよう依頼をした。

「…って、うおおおい…なんでお前がいるんだ?なんで平然と入ってきてるんだ?なんでもう背中を洗い始めてるんだ?」

 ノリツッコミした後に動揺の質問攻め。

「いえ、凛太郎様が風呂場に向かっていることに気付き着替えをお届けしようかと思いまして…」

「いや、だとしたら脱衣所に置いとくってひと声かけるだけで済んだだろ?」

「いえ、私も最初はそうしようと思ったのですが凛太郎様が背中が洗えないとおっしゃったので洗って差し上げるのが執事として当たり前かと思いまして」

「ずいぶんお前は服を脱ぐのが速いんだな」

 たしかに凛太郎が背中が洗えないと呟いてから七篠が返答するまでは二秒もかかっていない。

「え?そんなの私の能力を使えばちょちょいのちょいですよ」

 なるほどたしかに七篠の能力であれば一瞬のうちに服は脱ぐことはできる。

 しかし、ここで新たな問題が誕生した。

「…ということはお前、今…」

「ええ、女の姿ですが?」

 まるで恥ずかしげもなく女の姿であることを暴露した七篠。

「ちょ、ちょちょっと待て。もちろんタオルとか巻いてるよな?」

「??は?タオルですか?」

 巻いてないだ…と。このままでは凛太郎は二日連続で七篠のあられもない姿を見ることになってしまう。

「ささ、そんなことよりもはやくお体を洗わせてください。今日の任務に支障が出ては困ります」

「仕方ない…僕は目を閉じておくからさっさと済ませてくれ」

 凛太郎は律儀にというよりは女の裸に耐性がない(だいたいの人はないが)ため目をつむった。

「はい、では…」

 許可を得た七篠は凛太郎の体を洗い始める。

「ん?お前、なに使ってるんだ?」

 背中の神経が告げる違和感を言葉にする凛太郎。

「手…ですが?」

 またしても当たり前のように返事をする七篠。

「お前な、なんてもんで洗ってやがる」

 常人は手で他人の背中を洗ったりはしない。

「ひどいです。私の手をそんな汚物みたいに言わないでください」

 七篠の言い分も間違ってはいない。

「いや、今のは言葉のあやというか…汚物とは思ってないから、な?」

 凛太郎もとっさに弁解してしまった。

「いいんです。では、手では洗わないようにしますね」

「ああ、そうしてくれたら助かる」

 素直に凛太郎の言うことを聞き、体を洗うのを再開する七篠。

 しかし、凛太郎はまたしても背中に変な感触を感じた。

 変とは正確に言うとむにむにというかぽよんぽよんしたものが背中に当てられているのである。それも二つ。

「おおおおおおい、今度はなにで洗ってるんだ!?まさかとは思うがむ、む、むむむ…」

 風呂の温かさで紅潮した顔をさらに赤らめ凛太郎はある可能性を示唆した。それは七篠が自らの胸で凛太郎の背中を洗っていること。

 貧乳…どこの誰とは言わないが付近で寝ている貧乳には到底できない芸当である。それは常識的にも体的にも。

「おっ、お目が高いですね。まさか凛太郎様がこのむにむにぽよんぽよんボールを知っているとは驚きです」

「は?」

 聞き慣れない単語に思考が止まる凛太郎。

「今何て言った?」

「??むにむにぽよんぽよんボールですが?」

「なんだそれ!!聞いたこともないぞ?」

「知らないんですか?今女性の間で超が付くほど人気のこのむにぽよを?遅れていますね…」

 むにぽよって略すんだ…。七篠に明らかに失望されたが、そんなことはいい。

「いや、知らねーよ。第一女性に流行ってるんだろ?僕が知ってるわけないじゃないか」

「知らない?じゃあ、何と勘違いしたんですか?」

 逆に七篠から質問され、胸と勘違いしたとは言えない凛太郎は黙り込んでしまった。

「もしや…胸と勘違いしたとかじゃないですよね?」

「………」

 図星だった。

「図星ですか…。はあ、これだからエロ太郎は…」

「し、仕方ないだろ?こっちは目つむってんだし、そんな感触なのを押し付けられたら誰だって勘違いするだろ」

「はあ、もういいです」

 ざばーとお湯をかけられ終わりを告げられる。

「はい、もう終わりましたよ」

「あ、ありがとな。それとごめん、助かったよ」

 目を開け七篠を見ないようにお礼を言う凛太郎。

「しかし、なんか体が軽いな…痛みもなくなったみたいだ」

 試しに肩を回してみて痛みがなくなったことを確認した凛太郎。

「そうですか、それはなによりです。まあ、私のこの豊満な胸で洗って差し上げたんですからもちろんのことなんですけどね」

 いやに豊満という言葉を強調し七篠はとんでもないことをカミングアウトした。

「え…あ……は!?は?はああああああああああ!?」

 凛太郎の心からの叫びが風呂場の中に響き渡る。

 頭の中の思考回路がショートしたせいか凛太郎はくるりと七篠の方に体を向けた。

……そこには桃源郷が広がっていた。

「いやん、エッチ」

 そう言いながら七篠は無表情のまま凛太郎の二つしかなくて上についている方の球をつぶした。

「なにしやがるっ。言ってることとやってることが違うぞ?これじゃあお前の胸が見れないじゃないか!」

 …凛太郎もだいぶ脳みそをやられたらしい。血の涙を流しながら(慣用表現兼眼を潰されたという事実)訴える。

よほど七篠の胸で洗われたことが嬉しかったのか、はたまたピュアな凛太郎には衝撃的過ぎたのかは定かではないが。

「…もはやただのエロですね、このエロエロんが…」

「なんだよそのちょっとしたファンタジーに出るモンスターみたいな呼び方は…」

 眼を押さえながら新たな生命としての名を否定的に受け取る凛太郎。

「事実ファンタジーじゃなくてもモンスターですけどね」

 七篠が上手いことを言ったと言わんばかりに胸を張る。もちろん無表情で。プルルンと揺れる胸の効果音とドヤッという効果音がみごとな不協和音を作り出した。

「別に上手いこと言ってねーよ」

 雰囲気的に七篠がどや顔をしたことを悟った凛太郎はすかさずつっこんだ。

「この状況でつっこみをするなんてさすがエロエロんですね」

「お前の言うつっこみはなんか意味が違う気がする…」

「?なんでですか?男が女につっこんでいることには変わりないでしょ?」

 七篠はわざとそういう捉え方ができるように言葉を選んだ。

「いや、なんでわざわざあっちだと思われるように言うんだ!?」

 凛太郎は激しくつっこんだ。

「そんな…さっきよりも激しい。そんなにコエヲ大きくしてどうするつもりです?」

 七篠は「声を」の部分を意図的に小さくした。おどおどしているように見える演技までしている。

「どうするもなにもお前につっこみたいだけだよ」

 凛太郎も毒されてきたのかもはやあっちの意味にしか聞こえない。

「そんな…堂々と…私困っちゃいます」

「お前がつっこみを誘うようなことを言うのが悪いんだろ?」

 こんなにも真逆の内容で話が通じているのが怖い。

「私のせいにするのですか?あれほどいじめておいて…」

「いやいやいじめてなんかねーよ?」

「いいや、いじめました。私の見られたくないところを無理やり見て…」

 無理やりかどうかは置いておいて、凛太郎は七篠の胸をたしかに見ていた。

「そ、それは…気が動転したというか…つい、魔がさしたというか…その、すまん」

 ここは素直に謝る凛太郎。罪悪感は消えてなかったみたいで安心だ。

「つい?魔がさした?そんな理由で私は傷物にされたのですか…」

「傷物って…誤解されるだろ…」

 つっこむ元気がなくなった凛太郎は弱弱しく指摘する。

「誤解?傷物にされたのは事実でしょう?」

 負けずに指摘し返す七篠。

「ああ、もう分かったよ。僕が全面的に悪かった、ごめんなさい」

 やっと治ってきた眼で胸にタオルを巻いている七篠に頭を下げて謝る凛太郎。

「だめです。謝るだけでは足りません」

 相手はてこでも動かなかった。

「じゃあ、どうすればいいんだよ?」

 謝っても許してもらえないと凛太郎は為す術もない。

「じゃあ、一つだけ約束をしてください」

「約束?」

 どうせ一生奴隷だとか二度と口答えするなとかそんなことだろうと予測する凛太郎。

「はい、今日の任務…絶対生きて帰りましょう。なんだか嫌な予感がするのです」

「………」

 あまりに突拍子もないことだったため思考が停止した凛太郎。

 半面、七篠はお風呂の暑さで赤くなる以上に顔が夕暮れのようにオレンジ色をしている。

「へ?なんて?」

 凛太郎はまだアホ面で聞き直す。

「だから、今日の任務はなんだか怖いから気を付けてくださいってことです」

「ぷっ、あははははは…なんだよ、そんなことか」

「そ、そんなこととは失礼な…」

 オレンジ顔をぷいとそむける七篠。

 その後ろに二つの丸い物体を目にした凛太郎は七篠の行動を全て理解した。

「なんだよ、お前まさかそのことを言うためにこんな大胆な作戦をしたのか?」

 種明かしをすると七篠は凛太郎が起きてくるまで寝ていなかった。そして凛太郎が風呂場に向かったのを確認して後を追う。

 後は起こった通りである。

「変なこと言ったりしたのは僕の緊張を解くため。僕を追い詰めたのは約束という形で言いたいことを言うため。考えてみれば色々おかしかったもんな…胸で洗ったのとかも嘘だろ?…ったく、言いたいことはもっと素直に口にした方がいいよ?」

「な、なにをバカなことをついに妄想が暴走しちゃいましたか?」

 七篠は必死に抵抗するが何を言ってももう凛太郎には効かなかった。

「それにしても、七篠っていがいとかわいいところあるんだな」

 その上満面の笑顔とともにこんなことを言われ七篠は耳まで赤く染まってしまった。

「……言平…いい…す」

「ん?なんて?」

「だから、言平って呼んでもいいですよ。奈々様もそう呼びますし…」

 下を向いて呼び名の変更を要求する七篠。

「ん?まあたしかに統一した方が楽かもな。じゃあ、これからもよろしくな…言平」

「…ぼんっ」

 効果音を口にしながらその真っ赤な顔をさらに真紅に彩らせた言平。

「…ところで、凛太郎様は一つ間違っていることがございます」

「ん?」

 勝ち誇って油断している凛太郎に言平が一石を投じる。

「まずはこれをご覧ください」

 後ろの方から凛太郎が気付いた二つの丸いものを差し出す言平。

「これはあれだろ?んー、むに……名前は忘れたけど僕の背中を洗ってくれたやつ」

「そうです。これはむにむにぽよんぽよんボールです。しかし、よく見てください」

 そう言ってさらに凛太郎にそのボールを近づける言平。

「よく見ろって、どこを?」

「気付きませんか?」

 凛太郎に気付くよう催促する言平。

「あれ?そういえばこれ泡がついていないな」

 たしかに凛太郎の言った通りそのむにぽよボールには泡らしきものはついていなかった。

 これが凛太郎の背中を洗ったのだとしたら泡がついていないのはおかしい。

「はっ、まさか…」

 凛太郎はある結論に行き着いた。

「そのまさかです。私はこのむにぽよボールに触れたのは風呂に持って入った時と今だけです」

 言平のその発言によりさらに行き着いた結論に信憑性が増す。

「お前、本当に胸で洗ったのか?」

「ご名答でございます」

 これこそが言平の一石。勝ったと思っていた凛太郎は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしていた。

「ふっ、凛太郎様もまだまだ甘いですね」

「いや、なんでそれを用意してて使わなかったんだ?本当に胸で洗うメリットが分からん」

「はくしゅん。そんなことより寒くないですか?湯船につかりましょう」

 きれいにかわされた。それにしてもあんなにわざとらしいくしゃみは聞いたことがない。

「いや、入るっていっても二人も入らないだろ?」

 マンションの一室であるためある程度広いがそれでも二人が湯船につかるのはぎりぎりのように見える。

「まあまあ、そうおっしゃらずに。たまの裸のつきあいも大事ですよ?」

「でも…」

「言い訳無用。逆らうなら奈々様にさっきまでのことを報告します」

「恐喝!?そこまでして二人でつからなくてもいいだろ」

 たしかに凛太郎は正しい。わざわざ一緒に入らなくても交代で入ればいい。

「それじゃあ、意味ないです…」

 ぼそりと言平が呟く。

「何か言ったか?」

「いいえ、なんにも。それより早く入りましょう。風邪ひきますよ?」

「…分かった。じゃあ、せめてタオルは巻いたままで頼む」

「まあ、それくらいはいいでしょう」

 こうして、折れた凛太郎は肩が触れるか触れないかぐらいで言平と一緒に湯船につかった。

 裸の付き合いのおかげかは分からないが言平と少し仲良くなれた気がした凛太郎であった。

―――とはいえ終始言平のペースに飲まれていた凛太郎は最後の最後まで言平には勝てなかった。

「では、あともう少しですがおやすみなさい」

 風呂から出ると二時を回っていた。

「…おやすみ」

「ちなみに私とのお風呂はどうでした?」

「今世紀最大にドキドキしたお風呂だったよ」

 …色んな意味で。

「そうですか…それはなによりです。さらにちなみに私のおっぱいはどうでした?」

「はあ…そんなこと言わなかったらお前ってかわいいのにな…」

 心の底からそう思う凛太郎であった。

「なっ、侮辱しないでください」

「ま、今度からは言いたいことははっきり言うことだな。もう僕は寝るから…」

「うぅ、仕方ないですね。ではのちほど」

 強引に言平と別れソファに戻る凛太郎。

眼を閉じるが風呂場の言平の姿が頭から離れずなかなか寝れない凛太郎。

 ふいに見てしまった言平のお○○い、水を吸ったタオルに透ける言平のおっ○○、すらりと伸びたきれいで白い言平の足…。

「寝れない…」

 凛太郎は目をつむり素数を数えだした。

「2,3,5,7,9,11,13…」

 すると自然に眠気が襲ってきた。なんだかんだで体は疲れているから、体は正直っていうやつだ。

 こうして凛太郎は出発までの眠りについた。

――言平の悪い予感が的中することになるが、それはまた別の話。


第四章『新たな仲間』

「…野……おき…さい……」

 どこからか声がする。

「野崎…起きなさい」

 目覚めを強要してくる。

「んん、もうちょっと」

「ちっ、起きなさいってば」

「いたたたたた…」

 痛みとともに凛太郎は目覚めた。否、目覚めさせられた。

「朝っぱらから関節を極めるのはなしですよ」

 顔を洗いながら凛太郎は抗議する。結局一時間半しか寝れていない。

「なによ。起きない方が悪いんでしょ?」

 すかさず奈々も反論する。

「うっ、そう言われると…でもあんまり寝れなかったから…」

「何?何か言った?」

「い、いえ何も…」

 凛太郎の反抗も虚しく奈々に一蹴される。

 時刻は早朝三時四十分。まだ外は暗い。

「ほら、早くしないと遅れちゃうわよ!」

 奈々の叱責が飛ぶ中、凛太郎と言平は支度を進める。

「それにしても…言平が朝に弱いなんて意外だな…」

 凛太郎が言平に話かける。

「んん、べちゅによわきゅはにゃいんでしゅが…」

 頭がかくんかくんしている。

「言平が朝に弱いのは今に始まったことじゃないわ。そんなに珍しいものでもないからさっさと支度しなさい」

 奈々にとっては日常茶飯事の光景であるためか、言平の豹変ぶりには驚かない。

「ん?それにしても、野崎君はいつから言平を名前で呼ぶようになったの?」

 ふとした疑問をすぐさまぶつける奈々。

「へ?前からですよ前から、な?言平?」

 咄嗟に思わず嘘をつく。

「ふぁあ?しょうでしゅよぉ。奈々しゃまは忘れっぽいでしゅね…くぅ」

「そうだったかしら。って言平は早くこっちの世界に返ってきなさい!!そんなんじゃ、運転できないわよ」

「んん、どりょくしまふ…」

 半目でぼけーっとしながら受け答えする言平。たしかにこっちの世界には意識がいないようだった。

 言平は普段はあんなに無表情というか、きりっとしているのにこんなにだらけることもあるのかと凛太郎は少しギャップ萌えというやつを味わった。

―――数分後、しっかり支度できた三人がリビングに集まった。

「いい?後でまた言うとは思うけど、こんな任務は私も初めてなの。だから安全は保障できないし、みんながみんな思い通りには動いてはくれないと思う。だから、自分の身は自分で守ること!いいわね?」

 一応奈々は班長というか三人のリーダー的な存在であるから、注意を呼びかける。

「分かりました。自分の身はさることながら、奈々様の身も危険にさらすことのないよう心掛けます」

 数分前の姿が嘘みたいにシャキッとした言平。

「分かりました。僕はひとまずこの身の安全だけには注意するようにします」

 後方支援の凛太郎は軽い気持ちで答えてしまった。

「それならばよし、じゃあ国超に向かうわよ」

 奈々が真っ先にリビングから離れる。

「それにしても言平の寝ぼけっぷりはおもしろかったな。あの後ちゃんと寝たのか?」

 凛太郎が笑いながら言平に聞く。

「そんなの、寝れる訳ないじゃないですか…あんなことがあったのに…こっちはすごく勇気を出してあんな行動をしたのに…恥ずかしくて一睡もできませんでしたよ…」

 ぼそぼそと凛太郎に聞こえないように愚痴を漏らす言平。

「聞こえないぞ?」

「聞こえなくていいんです!さあ、行きますよ。奈々様に怒られてしまいます」

 これ以上話を進められると不利になると思い、言平は奈々の名前をだしてその場をやりきろうとする。

「まあ、そうだな。集合に遅れるのは嫌だしな」

 なんとか凛太郎を言いくるめリビングを後にする二人。

 凛太郎は今度は向かって左にある例の部屋を極力絶対に見ないようにし、玄関でくつをはき外に出る。

「…おじゃましました」

 任務前夜だというのに色々なイベントが起きた家に別れを告げ、駐車場の車に乗り込む。

「では、出発します」

 言平の運転で国超に向かう車。出発時刻は三時五十七分。

―――数十分後、国超に着いた三人は指定された場所に集合した。

「さすがに最後ではなかったみたいね」

 そこにはすでに数グループの人だかりが集まっていた。

「なんだ、意外といるんですね」

「そうね、ただの任務じゃないにしろこんなに多いのは珍しいわね」

 ざっと三十人くらいは人がいる。その中に一人だけ一人でいる女の子がいた。

 身長は奈々(所長)と同じくらい。髪はピンク色で右側にサイドポニーに結んでいる。

「うん、頑張ろうね…………」

 その少女は空中に話しかけていた。…危ない子だ、と凛太郎は判断した。

 しかし、その子に気付いた奈々はずかずかと近寄っていく。仕方ないから凛太郎もその後に続いた。

「ねえ、あなた。あなたもこの任務に参加しているの?」

「は、ははははははい。乙に何かご用でしょうかっ!?」

 急に奈々に話しかけられびっくりする乙と名乗る少女。

「だから、あなたもこの任務に参加しているのって聞いたの」

 自分から話しかけておいてびっくりされただけで不機嫌になる奈々。

「ひぃ、怖いですぅぅ」

 より威圧を感じ、縮こまる乙。

「へ?怖い?私が?」

 自覚がないのか奈々はきょとんとする。

「野崎君、私って怖いの?」

 凛太郎に確認をとる奈々。

「ええ、まあ…」

 「はうあ…」とダメージを負ったように口を開ける奈々。…やっぱり自覚なかったんだ…。

 そのまま目線を言平に向け、無言で同じことを訊ねる。

「奈々様はそこらのヤンキーよりも圧が強いですよ?」

 言平にそういわれ膝から崩れ落ちる。

「はは、私って怖かったんだ…」

 一連の流れを黙って見ていた乙は言平に話しかける。一番まともに見えたのだろう。

「あ、あの。あなた達は?」

「はい、私たちは今回の任務の中心となる姉ヶ崎班の者です。先ほどあなたに話しかけたのが班長である姉ヶ崎奈々。こちらのバカ面なのが野崎凛太郎。そして私は七篠言平です」

 言平は丁寧に簡潔に説明した。

「姉ヶ崎さん…ってあの姉ヶ崎さんですか!?」

 どの姉ヶ崎だろう。奈々さんって有名人なのかな…。と思わずにはいれない凛太郎。

「はい、その姉ヶ崎だと思います。それで、あなたは?」

「は、はいい。わしは…」

「わし?」

 こんな女の子がわしと言うのが不思議で思わず話をさえぎってしまった凛太郎。

「い、いえ、すみません。わたしは早乙女乙さおとめおとと言います。班には所属していなくて今回は後方支援として呼ばれまし……た」

 …だいぶ遅れて「た」が出たな。やはり不思議な子だな、と感じた凛太郎。

「それであなたはどんな能力なの?」

 やっと挫折から立ち直った奈々が話に入ってきた。

「ひ、ひぃ…あ、あの、その…」

「奈々様、あまり怖がらせるようなことはしない方がいいかと…」

「待って、私ただ質問しただけよ?」

 奈々の放つ圧力に敏感なのか、乙は奈々には本能的に危険反応を示す。

「仕方ないわね…こうなったら…」

 奈々は乙に近付き手を伸ばす。

「ひいい…」

「奈々さん暴力は…」

 凛太郎が制止しようとしたとき奈々は意外な行動に出た。

「え?」

 奈々は乙を抱きしめたのである。

「ああああああの、姉ヶ崎さん?」

「怖くない怖くない。私は怖くないわよ」

 まるで子どもをあやすように乙の頭をなでる奈々。母親のように優しさを注ぐ奈々。

「奈々さん…」

「どう?まだ私が怖い?」

 笑顔と付け合わせて乙に優しく問いかける。

「いいいいいえ、全然怖くないです。姉ヶ崎さんって優しい方だっ…んですね」

 さっきから「た」が抜けているように聞こえる。が、みんなあまり気にはしていないようだ。

「その姉ヶ崎さんってやめてくれる?あんまり上の名前は好きじゃないの」

「え…じゃ、じゃあ…奈々さん…へへ、じゃあわたしも乙って呼んでください」

 奈々と乙はみごと打ち解けたようだ。こういう面では奈々は尊敬できるのだ。

「ええ、よろしくね。乙」

「はい、よろしくです。奈々さたん」

「「「さたん?」」」

 三人が同時に聞き返してしまった。

「すすすすすみません。今まではこんなことなかったのに…ねえ、アスタロス、わざとでしょ?」

 謝ると同時に右の方の空中をにらむ乙。

「アスタロス?それにさっきから空中を見てるけどなんかあるのか?」

 凛太郎は我慢できずさらに質問する。

「い、いえ、なんでもありません。あ、あのわたしの能力の反動で言おうとすることの『た』が抜けたりまれに『た』が入り込んだりするんです。だからさっきのはわざとじゃないんです。ごめんなさい」

 だからさっきから「た」が抜けているように聞こえたのか。疑問が解けたところで話を進めよう。

「いやいや、大丈夫だよ。えっと…早乙女さん。」

「あ、ありがとうございます。野崎さん」

「それにしても、奈々さたんとか最高だな。ぷぷ…」

 思いがけず奈々にぴったりな呼び方を耳にし、笑いを我慢できない凛太郎。

「どう最高なのかしら?」

 凛太郎はやはり命知らずなのかもしれない。奈々がまさにサタンのように凛太郎をにらみつける。

「はっ、奈々さん…いいんですか?僕に暴力を振るっちゃったらまた怖がられますよ?」

 凛太郎は乙を利用して暴力を逃れようとする。

「ふん、まあいいわ。乙に怖がられるのは嫌だし、これから任務だしね」

 凛太郎はほっとして胸を撫でおろした。

「ただ、任務が終ったら…ふふ、楽しみね…」

 凛太郎の全身の毛が逆立った。鳥肌という鳥肌が立った。

「で、乙の能力って?」

 ぼーと奈々と凛太郎のやりとりを見ていた乙ははっとして答える。

「あ、わたしの能力は『絶対防壁』(ジーニアス)って言います。能力は乙の前に目に見えないけど絶対に壊れない壁を出す力です」

「へえ、それはいいわね。大きさはどのくらいなの?」

 興味を持ったようで奈々は乙に質問する。

「はい、たぶんですが横は三メートル、高さが四メートルくらいです」

「なかなか大きいわね。Aランクくらいかしら」

 Aランクと言えば今回の対象もAランクだった。

「はい、Aランクだそうです。でも、壁を出しているときは息を止めないといけないですし、さっきのように『た』の件もありますし…」

 なるほど強い力はより強い反動を受けるとは聞いていたが、それは正しいらしい。

「なるほどね。じゃあ、乙は私たちと一緒に行動する?」

「ふえ?」

 奈々の急な提案に困惑する乙。

「あなた一人なんでしょ?いくら後方支援とはいっても任務中に一人きりは危ないわ」

 ふと、くろのときの任務を思い出す凛太郎。

「こないだの僕はいいんですか!?思いっきり一人きりでしたよ?」

「うん、分かってる。それにね乙、あなたちょっと抜けてるところがありそうだから心配でならないの」

 凛太郎のことは完全スルーして乙を勧誘し続ける奈々。凛太郎は諦めてことの成り行きを見守ることにした。

「奈々さん、私は…乙は奈々さんの班に同行させてもらいたいです!」

 乙は悩みに悩んで奈々に従うことにした。

「賢明ね。そういう素直な子は好きよ」

「ふええ。す、好きって…」

 奈々は凛太郎と言平、所長などの親しい関係の人以外の前では無意識的にとても男前であり、姉御肌になる。ようは親しくない人には自然と猫を被ってしまうのである。

 そのため、キザっぽいセリフを言ったり自分のわがままを押し付けたりする。凛太郎が初めて会った時の奈々がいい例だ。

 その結果奈々は一部の女隊員の間でレズだと噂されてしまっている。奈々が背の高いショートカットの姿になった年は奈々は年がら年中黄色い声援に包まれていたらしい。(これも噂だが)

「もちろん恋愛的な好きじゃないけどね」

 外行き顔の奈々は一応そう付け加えた。

「…奈々お姉さま…」

 乙が不穏な単語を呟いた。

「奈々お姉さまとお呼びしてもいいですか?」

 今度は強くはっきりと要求を述べる。が、奈々は別段驚きもしなかった。

「ええ、呼び方なんて人それぞれ。乙がそう呼びたいのであればそうしなさい」

 奈々は人に惹かれやすい性格なのだろうか、また一人が餌食となった。

「はい、ありがとうございます。奈々お姉さま!」

 乙がいつぞやの凛太郎みたく奈々の本性に心を折られる日はそう遠くはない。

「じゃあ、任務開始までもう少し交流を深めておきましょ。私たちの能力も知ってた方がいいでしょうし」

 奈々が振り返り、凛太郎と言平に提案する。

「まあ、それもそうですね。じゃあ…」

 そうして新たな仲間を加え任務に向けて小作戦会議が始まった。とはいえ、ほとんどお互いの能力の把握をしただけだったが。

 ところで脱線すると、凛太郎はあの猫被りのイケメン奈々があまり好きではない。昔こそ惹かれたものの、今となっては本当の奈々の方がいいと思っている。暴力的だが、自然体で無理をしていないように感じるからだ。数少ない本当の奈々に接してもらえる人の頭数に入っていることは嬉しいのだ。


――つまるところ凛太郎は奈々のことが好きなのである。


 初めは猫奈々に親しみを寄せていた。それは家族のような温かみを感じたから。でも、だんだんと出てきた本当の奈々と触れ合う内に今度は違う親しみを感じるようになった。好意である。奈々を異性として好きになったのである。凛太郎は奈々に年相応に恋をした。

 今からはそんな凛太郎をどうか応援してやって欲しい。そして、奈々の気持ちも追々分かってくるとは思うが、その辺も楽しんでほしい。脱線ではあるが、唐突のカミングアウトをここに終えよう。


――そんなこんなで約束の五時が近づく。

『あー、今からAランク(仮)の超人類捕獲作戦の全体集会を始める。駐車場に朝礼台を用意したからの。そこに集合じゃ。それと姉ヶ崎班はその横にあるテントにきてくれ』

 と、放送で所長が全体に指示を出す。

「っと、お呼ばれのようね。じゃあ、他の人が集まってくる前にさっさと行きましょ」

 奈々の一声で姉ヶ崎班、三人プラス一人が足早にテントに向かった。

「お、来たわいの」

 テントに着くと所長がテントの前で待っていた。

「ささ、入れ入れ」

「失礼します」

 四人は言われるままにテントの中に入る。そこには長机と椅子が四つ並んでいた。

「ん?一人多いの。乙、奈々に誘われでもしたかの?」

 所長と乙は顔見知りらしく所長が乙に話しかける。

「はい。お姉さまと一緒に行動することにしました」

 乙のお姉さま発言に?マークを出しつつ所長は四人目を受け入れた。

「まあ、班員が増えることはいいことじゃ。それに手間が省けたしの。しかしそれでは椅子が足りんの」

 確かに4-5=-1である。

「ここは私が立っ「野崎君が立っておきなさい、男の子なんだから」ます」

 言平の言葉に被せて奈々が凛太郎に立っておくように促す。

「まあ、そうなりますよね…。それで、何か話があるんですか?」

 椅子に腰かける所長に立つ凛太郎が訊ねる。

「ん、まあの。まずは奈々、先に謝らせてくれ」

 所長は奈々に謝罪する。とはいえさすがに頭は下げず、すまんと詫びをいれる。

 なぜ謝られたのかが分からない奈々に理由を続ける。

「結局、国の奴らがうるさくて今回の任務に特殊部隊が少数付いてくることになったのじゃ」

「そんな…特殊部隊なんかが来たらもっとややこしくなるじゃないですか!!」

 特殊部隊の介入がよほど気に入らなかったのか奈々が声を強くする。

「ひう…」

 奈々が急に大声を出したため乙が縮こまってしまった。

「ああ、ごめんなさいね。でも、なんでそんな頑なに介入してくるんですか?」

「たしかに…こんなよくある一任務になんでわざわざ国は特殊部隊を派遣するのです?相手が超人類である以上特殊部隊が機能しないのは明白ではないですか」

 奈々と凛太郎は互いに国に対して疑問を抱く。しかし、たしかに国の対応はおかしい。

国に対する不信感はどの国でもまたどの時代でもあるものだ。が、今の日本は超人類の誕生で様々な弊害が出ているため、その対応に迫られ国が…政府が機能していないこともまた事実である。機能していなければ信用ないし支持はされない。そう、今の日本は歴史上もっとも国に対して不満が多い時代であろう。

 その不満の中心であり国から見放され過酷な生活を余儀なくされているのが第零区なのである。なにも東京だけが国の被害、言い換えると国から何も与えられていない地区は多くある。しかし、東京の第零区は他の地域の中でもっとも国の無関心を与えられているのである。

 と、ここまでが国と第零区の関係性の基盤である。話を戻そう。

「うむ、そこはわしにもよう分からんのじゃ。名目上この国超は国の管理下にあるため、逆らうこともできんでな…。すまんが、今回の任務は少し荒れるかもしれん」

「そんな…所長が謝らなくても…。決まってしまったことは仕方ないですし。ね、野崎君?」

「ええ、むしろ事前に知れてよかったですよ。向こうで鉢合わせなんてよっぽど嫌ですし」

 申し訳なさそうにする所長に奈々も凛太郎もそれ以上は何も聞けなかった。

 それを感じ取った所長は最後の締めとして注意を促す。

「みなも知っての通り第零区の国嫌いは折り紙付きじゃ。特殊部隊の介入による騒ぎは覚悟していてほしい」

 四人が承諾の代わりにこくりと頷く。

「うむ、すまんがちと頑張ってくれ。代わりと言ってはなんじゃが、サポートはしっかりさせてもらうからの。オペレイターを増員してみなの安全を確保するのでの」

 所長が胸を叩きふんぞり返った。国超による支援は心配なさそうだ。

「それは心強いです。それで、他には何かありますか?」

 奈々が質問する。外の方がざわざわして人が集まってきたみたいだ。

「ん、ほんとはもうひとつあったのじゃがそちらはもう解決したからよい。奈々、助かったぞ。礼を言う」

「えっ?えっ?私何かしましたっけ?」

 奈々は突然褒められたことに動揺を隠せない。

「わしが頼もうとしとったことを先にするとはさすがじゃの。つまり、わしは乙をお主の班に入れるように頼むつもりじゃったのじゃよ」

「そうだったんですか…さすがに所長が一人きりの人をそのままにすることはしないとは思ってはいましたが」

 よもや、こんな面で奈々の猫被りが役に立とうとは誰も予想できなかった。

「乙はこちらの手違いで招集してしまっての。せっかくきたのじゃから、実戦経験を持たせるのもよいかと思うての。すまんが、よろしく頼むぞい」

 所長に言われずもがな、もとより奈々にぞっこんな乙をこのまま任務に連れていくことは明白に決定していた。

「して、乙よ」

 所長が乙の方に顔を向け話しかける。

「は、はいい」

「アスタロスとの仲は変わらずかの?」

 アスタロス…乙が同じ単語を言っていたような。それにしても、外国人か何かなのだろうか。

「はい、この子は相変わらずです。い…ずらばっかりです。もう、またです。さっきも奈々お姉さまに迷惑をかけてしまいましたし…」

 乙が右上の空間を見ながら呆れたように所長に返事をする。

「アスタロスって誰なんです?さっきも早乙女が言ってたと思うんですけど」

 凛太郎はたまらず二人に質問してしまった。乙はどう答えてよいか分からないようであたふたしていたため、所長が答えた。

「ふむ、誰というよりは何というべきか…まあ、凛にもいつか分かるときが来るのでのう。そのときを楽しみに待っておくがよい」

「はあ…今は教えない、時を待てってことですか?それと人の名前を勝手に略さないでください」

 質問に答えてもらえず名前まできちんと呼ばれないもなると後味は悪い。

「簡単に言えばそうじゃの、その日はそんなに遠くはないと思うぞい。名前はどうでもええじゃろ、いつまでも野崎ではかわいそうじゃしの。のう、奈々よ?」

ひょうひょうと凛太郎の小さな怒りをかわしつつ今度は奈々に矛先を向ける。

「え?あ、そ、そうですよね。いつまでも上の名前じゃダメですよね…うん」

 奈々が所長にそそのかされ、何かを決意したように凛太郎の方を向く。

「り、りりりんた……ろう…くん…」

 いつもの威勢はどこにやら、奈々はか細い声で凛太郎と呼んだ。下を向きながら、もじもじしながら、顔を赤くしながら。

だがしかし、悲しいかなここでも凛太郎の鈍感スキルが発動してしまった。もはや能力の反動としか思えないほど鮮やかな鈍感っぷりである。

「へ?なにか言いましたか?」

 聞こえていればそれはもうどちらにとっても喜ばしいことであったが、一方通行は悲しい結果しか生まない。

「な、なんでもないわよ。…ばか」

 さすがにもう一度は言う勇気がなかったのか、奈々は一世一代の大仕事に失敗してしまった。

「奈々も相変わらず凛が絡むとだめじゃのう。…んん、では話も済んだことじゃしそろそろ全体集会を始めるでの、ここはお開きとしよう」

 収集者の解散の指示により姉ヶ崎班はぞろぞろとテントの外に出ていく。

「凛、ちょっといいかの?」

 最後まで他の皆が出るのを見守っていた凛太郎に所長が声をかける。

「?まだ何かありましたか?」

「今日は色々と大変な目に遭うと思うが、しっかりと自分を強く持つのじゃぞ」

 凛太郎の目を見て感情を込めて忠告した所長。

「?ええ、まあ任務ですし気は抜かないようにはしますけど…そういえば同じようなことを昨日寧々さんにも言われた気がしますね。それほど心配されてるんですね…今回は気を引き締めて頑張ります!」

 所長の少し意味深な忠告を真面目に受け止め、任務に向け気を張る凛太郎であった。

「……本当に自分を強くの…それにわしも覚悟を決めておかんとの」

 お辞儀をして出て行った凛太郎を見届けた所長はそう呟いた。

「遅いわよ、り…野崎君」

「すみません。所長から直々に忠告をいただきまして…」

 テントを出ると三人が待っていた。

「よほど、信頼されてないのね…」

「足手まといにはならないでくださいよ、このカス太郎め」

「えっと…が、頑張りましょうね。野崎さん」

 三人各々が凛太郎に声をかけ、テントからすぐ横にある朝礼台の前に集まった。

――数十秒後、朝礼台に所長が登壇した。

『あー、今日はよく集まってくれた。みなも知っての通り今回の捕獲対象はAランクと推定される。まだ、力を隠しておるかもしれんから注意することじゃ。それに今回は第零区での戦闘になる。第零区の住民には損害が出ぬように細心の注意を払ってほしい。それと、第零区の住民から襲撃されないとは言い切れん。もしかしたら今回の対象が徒党を組んでおるかもしれん。そこにも十分注意してほしい。では、各自用意したトラックもしくは自分達の車に乗ってくれ。第零区からちょっと離れた場所まで移動してもらう。着き次第さらに指示を出す。それでは、任務を開始する。各自被害は最小限に留めるよう心掛けよ』

 所長の任務開始の合図とともに集まっていた数十人がざわざわとトラックに乗り込む。

「私たちも行くわよ」

姉ヶ崎班は言平の車に乗り込んだ。いつものメンバーに加え乙を乗せた車は国超を後にした。

 国超から第零区までは車で二時間はかかる。現在午前五時二十分。予想到着時刻は午前七時三十分。そこから、対象の潜伏する場所まで歩いて移動する。実質の任務開始予定時刻は午前八時とされる。

「いい?最終確認よ。今回は任務で私たちは中心班と言っても、他にも任務に参加している人たちは多くいるわ。まずは連携をすること。他の人たちとはもちろんだけど、まずは私たち四人が連携できないと話にならないわ。そのためにも連絡は密に取り合うこと、いいわね?」

 奈々が班長らしく三人に指示を出す。

「はい、もちろんです」

 運転している言平だけが奈々に返事をし、助手席の凛太郎と奈々の隣にいる乙は頷いただけだった。

「ちょっと、野崎君?返事がないわよ?連携が必要って言ったのにもう和を乱す気なの?それに乙もよ?緊張するのは分かるけど、任務中はせめて私の声だけにはちゃんと反応してくれなきゃ心配するわよ?」

 奈々は返事がなかったことよりも緊張していることを気にかけた…乙にだけは。

「僕には言葉が厳しくないですか?それ、差別っていうんですよ?いくら早乙女がかわいいからってひどくないですか?」

 凛太郎は乙と自分との対応の差に不平不満を述べる。

「ええ、差別するに決まってるじゃない。だって、かわいい子とそうでない子には天と地ほどの差があるのは事実ですもの」

 あっさりと差別を肯定しやがった!!!と言わんばかりに口をぱくぱくする凛太郎。

 しかも、かわいい子とそうでない子で分けるとか男に不便な分け方である。美少年しか生きていけないではないか。

「いやいや、判断基準がかわいいかそうでないかとかどこのイケメンですかっ!?そんな人は碧陽○園にいる人で十分ですよ」

「??訳の分からないことを…私は中○黒君を受け入れる分まだましよ!」

 いや、分かってるじゃないか…。ってか、やっぱり美少年はいいんだ…。

 なんだかんだで、戦地に向かっていてもいつものノリになってしまうのが奈々と凛太郎であった。

 話においてけぼりになっていた乙はというと、奈々の横で頬を膨らませ両頬に風船を作っていた。そして、わいわいぎゃあぎゃあと騒いでるの声で風船が割れたように勢いよく言葉を吐き出した。

「わっ!私は…乙はかわいくなんかありませんっっ!!」

 そのライトサイドポニーを揺らしながらいきなり乙が叫んだものだから、うるさかった二人も驚いて静かになった。

「いくたら奈々お姉さまや野崎さたんにかわいいと言われ…からってかっかわいくなんてないんですからーーっ」

 うるさかった二人が静まった分車内に乙の声が響き渡った。「た」が抜けたり入ったりで大変そうだった。

「ど、どうしたの乙。いきなり叫んじゃって…びっくりしたじゃない」

 乙を落ち着かせるようにゆっくりと話しかける奈々。

「は、はぅ……すみません。かわいいなんて言われたことがなくて、つい…」

 どうやら、長年かわいいと言われなかった人がかわいいと言われると大癇癪を起こすらしい。

「い、いえ。わざとじゃないならいいのよ…私たちのも非があるし。かわ…ごほん、もうあんなこと言わないから、ね?」

「そ、そうだぞ。かわい…ごほんごほん、なんて言わないからな、落ち着いて」

 奈々と凛太郎はかわいいがNGワードだと察知しこれ以上乙を刺激しないように留意しながら落ち着かせようとする。

「そうですよ、乙様。そんなにかわいらしいのにかわいいと言われて照れるなんてかわいいですね」

 ここぞと言わんばかりに言平が話に乱入、おもしろがっている横顔が凛太郎の横目に映った。短い間にかわいいを三コンボくらった乙は無事なのだろうか。

「っっっっかわいくなんか………(以下略)」

 無事ではなかったことが確認された。さきほどの二割増しの声量で叫ぶ。さながら貨物列車が目の前を通過したようだった。

 ――ィィィンと、余韻が残る車内で乙は顔を真っ赤にして息切れしたようで酸素を体が欲している。

「言平!!さすがに今のはふざけすぎだろ?あんなにかわいいなんて連呼されたら…あっ……」

 失敗失敗。\(^o^)/オワタ。


――以下略――

「か、重ね重ねすみません。で、でもなんだか緊張がとけたみ…いです」

 乙は言っていた通り緊張が解けたからかそれとも大声を出したからか、すっきりした顔をしている。

「そう?それなら、結果オーライってことでよしとしましょう」

 鼓膜にそこそこのダメージは負ったが、それで乙の緊張が解けたなら本望と言わんばかりに奈々は乙の一件を完結させた。

 国超を出発して三十分が経過。

「んーと、それで何の話をしてたんだっけ?」

 一悶着あり、何を話していたのかを忘れてしまった奈々。

「連携の話でしたよ、奈々様」

 すかさず言平が奈々にフォローを入れる。こういうところは抜かりのないやつだ。

「ああ、そうだったわね。で、基本私たち四人は離れることがないように行動しましょう」

「えっ?でも、奈々さんと言平は前衛で僕と早乙女は後衛なんじゃないんですか?」

 奈々の離れず固まっての作戦に疑問を持つ凛太郎。

 たしかに全体の作戦としては前の方で主だって戦う者と後ろの方で前で戦う者を支援する者の二つに分けて任務に当たる作戦のはずだ。

「いまさら、そんなのどうだっていいのよ。野崎君が後ろにいたとして安心できないし、乙を後ろの人に任せるのも癪だし」

 いまさら、ときましたか。言ってることが暴君じみていることは奈々だから仕方ないのかもしれない。

「でも、そんなことしたら他の人に迷惑がかかるんじゃ…奈々さんもさっき、他の人とも連携するように言ってましたよね?」

 が、ここに暴君ナナニンティウスに立ち向かう男がいた、タロウである。

「んー、あれは無し。どうせ今回の対象は一人なんでしょ?それなら、私たち四人だけでも余裕余裕よ」

「……」

 暴君と一般市民では次元が一つか二つ違うみたいだ。話が噛み合わない。そもそも他者の意見すら聞こうとしない。

「で、でも…」

「あーーもう、うるさいわね。私の言うことには、はいでいいの。素直に言うことを聞いていればいいの。…私のいないところで二人にけがでもあったら、私が嫌なの」

 凛太郎のあまりのしつこさに暴君の本音がぽろり。暴君も人の子であったようだ。

「奈々さん…最初から素直にそう言えばよかったんですよ。皆が心配だから離れたくないって」

 暴君が人の位まで落ちたことで初めて人と人との対話が可能となった。凛太郎は奈々が案外思ったよりも班員のことを気にかけてくれていることを嬉しく思った。

「べ、別に心配なんかしてないわよ。野崎君にけががあったら、私がお仕置きできなくなるから…よ」

 指をもじもじさせながら言葉をひねり出す。このもじもじはたいてい照れ隠しのときに現れる奈々のくせであった。

「はいはい、そういうことにしておきましょうか」

 奈々の照れ隠しの言い訳をここは受け入れてあげる凛太郎であった。

 一連の奈々の様子を見ていた乙は少し放心状態であった。無理もない。かっこいい奈々はどこに行ったのやら。そこにいたのは花も恥じらう乙女の奈々であったからだ。

「…お、お姉さま?」

 右の乙からの力のない声に奈々がはっとしたようにぎぎぎとゆっくり乙の方に顔を向けた。

「お、乙?…あ、あのね…」

 すっかり乙がいることを忘れて素の奈々をさらけ出してしまったことを弁明しようとするが、言葉が見つからない様子である。

「きゃーーーー。さっきのお姉さますごくかわいかったです。あの照れ隠し、あのテレ顔、あのテレ仕草…。ほんとにもう、愛おしいです。奈々お姉ちゃんって呼んでもいいですかっ?」

 サイドポニーをぶんぶん振り回し、とても興奮したように奈々を褒めちらかす乙。いきなりの暴風雨並みの言葉の雨と声の強さに車がびりびりと共鳴した。

 乙も乙で本性を隠していたみたいだ。かわいいと言われるのは嫌なのにかわいいものが好き。それと、かなりの声量の持ち主であった。人見知りが一皮剥けると出てきたのはかわいいものに目がない妹属性の女の子だった。

「お、お姉ちゃん?それにかわいい?…あなた、キャラ変わってるわよ」

 褒められたことよりも乙の豹変ぶりに驚きを隠せない奈々。

「キャラが初めと違うのはお姉ちゃんだって一緒じゃないですか?乙だってキャラが違っても何も問題はありません。…それに当初とキャラが違うということがお姉ちゃんと一緒…くふふ」

 初めとは違った方向のやばさで奈々にドはまりした乙。その豹変ぶりはあの奈々に引けを取らないほど強烈である。

 イケメンから独裁者、はたまた姉御肌からツンデレ女子。奈々も散々ではある。が、乙ほどしゃべる量と大きさは変わらないためか、その分乙がインパクトは大きかった。

「ああ、お姉ちゃん。…乙を乙にもっとかわいい姿を見せてください」

 いきなり奈々に抱き着く乙。後部座席が一気に騒がしくなった。車が揺れるのなんの。

「すごい、変わりようだな。なあ言平?」

 「たすっ…助けて、のざ…」という奈々の声を遠くに置いて前の二人は前で会話を始めた。「くふふ…逃げ場はありませんよ」と奈々を襲う乙も放っておく。

「ええ、たしかにこの衝撃は奈々様以来のものですね。奈々様の豹変ぶりもそれはもう衝撃的でしたから」

「そうだったなあ、たしかに奈々さんもすごかった」

 二人とも回想の世界に入り込んで奈々がある地点を境に暴君と化したときのことを懐かしんでいる。その奈々は後ろの方で着ている服を脱がされかかっている。

「でも、お前ってたしか僕が奈々さんと会う前から奈々さんに仕えていたんだよな?」

「ええ、そうですね…あの頃の奈々様はお選びになる姿がどれも大人の女性でございました。ですから、私もお会いした当初は大人の女性らしい奈々様にある種の憧れを抱いておりました」

 凛太郎も奈々と初めて会った日のことを思い出す。

「たしかにあの時の奈々さんは大人って感じだったな。それで、その後どうなったんだ?」

「ここから先は有料コンテンツになりますが、よろしかったですか?」

 有料…ワンクリック詐欺ならぬワンリッスン詐欺かよ。

「何?奈々さんの過去って聞くのに金がかかるの?」

 やはり凛太郎も聞くだけで金がかかる過去というものは聞いたことがなかった。実際もし聞いたことがあるとすれば、金を払ったということになる。

「ええ、一応。グロさ的にR-15指定ですから」

 R-15!?グロさ的に!?ゾンビかなにかでも出てくるのだろうか。

「あーー。そういうことね。なんとなく想像できるな…」

 さすがは奈々の一番の被害者凛太郎。奈々のことをよく理解している。

「つまり昔の奈々さんは今よりも症状がひどかったのか?」

「ご名答です。それはもう昔の奈々様はご乱心が多くありまして…」

 言平が遠い目をしている。それほどまでに昔の奈々は暴力がお盛んだったのである。で、今の奈々はというと…

「ちょっと、乙!!やめなさいって、こら!きゃっ。どこ触ってるの!?」

「くふふ…お姉ちゃんの全てを乙に見せてください。くふ…ここですね、ここがいいのですね」

 すっかり変態と化した乙が奈々のわき腹をまさぐる。

「きゃっ…あはは…ちょ、ちょっと、ストップ。ダメ、んっ…くすぐったい」

「くふふふう…喘いでるお姉ちゃんもかわいい!もっともっと乙にかわいい姿を見せて…」

 ……おおう。あの強気な奈々が押し負けるとは。いと珍しきことである。

「くふ、くふふ…」

 それにしても、乙はみごとに一皮剥けたようだ。ポジティブに捉えると、仲が深まったということになる。…特に奈々と。ネガティブだと…奈々が危ない。

「んっ…んん…はぁ、んっ…。ちょ、ちょっと、見てないで助けなさいよ」

 奈々はもう勘弁とばかりに凛太郎に助けを求める。

 さすがにこれ以上はまずいと思ったのか、凛太郎は乙の制止を試みる。

「なあ早乙女、もうそのくらいでやめにしないか?」

「くふ?なぜです?奈々お姉ちゃんと乙の邪魔をしないでください」

 すっかりお姉ちゃん呼びが定着している乙は犬がしっぽを振って威嚇するかのようにサイドポニーを振って凛太郎を威嚇する。

「いや、二人で楽しんでいるのならいいけど、奈々さんは苦しそうだぞ?」

「くふ?そんなことはありえません。お姉ちゃんはとても楽しんでいます。ねえお姉ちゃん?」

 何を勘違いしているのやら、乙は奈々が楽しんでいると思い込んでいるようだ。

「楽しい訳ないでしょーー!うう、任務前にお嫁にいけない体にされちゃった…」

 それほどまでに乙にくふられたのだろうか。くふられる、とは乙にかわいがられること。つまり乙に襲われること。

「大丈夫ですよ、奈々さん…」

 涙目になっている奈々に凛太郎が優しい声をかける。

「野崎君…こんな私でもお嫁にいけるかな?もしかして野崎君が?」

「そうなったときは乙に嫁いでください。きっと幸せになれますよ」

 凛太郎は奈々が好きではあるが、素直にそう言えないのと弱弱しい奈々をついついいじめたくなってしまい乙とのより深い関係を提案する。

「野崎さん…くふ、それ名案ですね。早乙女奈々…くふふいい響きです」

 乙のくふふと発言に前身の鳥肌が一気に逆立つ奈々。

「ま、待って。私は女の子よ?あなたも女の子。結婚なんてできないし、できても嫁つぐわけないわ!!」

 くふ状態の乙を真っ向から否定する奈々。さすがに乙は落ち込んだのかと思いきや…

「またま……た、それも照れ隠しなんでしょ?乙には分かっちゃうんですから」

「そんなわけないでしょっ。あなた女の子にしか興味ないの?」

 奈々は正当防衛といわんばかりに乙に牙を剥く。

「乙はただの人間には興味ありません。この世の中にかわいい女の子、かわいい女の子、かわいい女の子がいたら乙のところに来てくださいです」

 どこかの憂鬱な少女のセリフのように聞こえるが、幻聴だろう。

「「かわいくても女の子はだめだろ(でしょ)」」

 奈々と凛太郎は乙の仰天発言に同時につっこんだ。すでに国超を出発して小一時間が経過している。

「二人して乙を全否定ですか…」

 二人につっこまれてさすがに落ち込んだ様子の乙。

「そうですよね、乙は変態百合野郎でド底辺な女です…なんなりと罵ってくださいです」

 乙はころころとテンションが変わる系の女の子らしい。はたまたこの自傷発言を計算して言っているのかもしれない。

「そ、そんなことはないと思うぞ」

「ええ、そうよ。だからね、自分をそんな風に悲観しないで」

 さすがに乙の発言に二人は乙を励ますことしかできなかった。

「ほんとですか?奈々お姉ちゃんは乙のこと嫌いになったりしてませんか?」

「たしかに少し驚きはしたけど、あなたの好きなものを私がどうこう言うのは良いこととは言えないわよ。それにかわいい後輩を嫌いになんてなれないわ」

 奈々がうっかり乙にかわいいと言ったため凛太郎は来るべき嵐に備え耳をふさぐ。

「…………」

 が、乙は黙り込んでしまった。

「乙?どうかしたの?」

「……」

 奈々の問いかけにも反応を示さない。

 耳をふさいでいた凛太郎も耳から手を放す。――その瞬間。

「くふきゃーーーーお姉ちゃんにかわいいって言われた、かわいいって言われた。でれたお姉ちゃんかわいいーー。くふ、それに好きって言われちゃった。もう、相思相愛??お姉ちゃん結婚しましょう!!」

 何をとち狂ったのか奈々のあの発言をデレと捉えあたかも奈々が乙を好きであるかのように勘違いし暴走する乙。シートベルトをはずし奈々に抱き着く乙。

 乙にかわいいと言ったら必ず耳に大量高濃度な情報が流れ込んできてしまう。教訓・乙にかわいいと言わないようにしよう。自らの唇を奈々のそれにくっつけようとする乙。

 そんな乙の顔を両手で押し返しながら奈々は反論する。

「たしかに嫌いじゃないとは言ったけど、好きなんて私は一言も言ってないわよ?」

「くふ?でも、嫌いじゃないイコール好きってことですよね?」

 乙の脳みそは単純にできているらしい。ものごとには相反する二つの状態しかないと思っているのだ。今回は好き⇔嫌いの関係。だから、嫌いじゃなければ必然的に好きになるのである。

「嫌いじゃなければ好きってことにはならないと思うぞ?…おーい」

 凛太郎の指摘ももはや乙の耳には届いていない。

「くふふ、お姉ちゃん大好き、大好き。愛してる。…さっきからうるさいな、黙っててよアスタロス。さあ、お姉ちゃん!!乙といっぱいラブラブしましょうね」

 乙の暴走列車は留まるところを知らず、どこまでも突き進んでいく。誰かも分からないアスタロスとやらも途中乗車させて。

「だーかーらー、ラブラブなんてしないわよ!!乙のことは嫌いじゃないけど、今の乙は好きじゃないわ!!」

 奈々がとうとうくふ状態の乙を敵と認識し言霊ことだまによる攻撃を開始した。

「くふ、お姉ちゃん!!乙のことが好きだなんてもう、乙…乙変になっちゃいます!」

 !?奈々のあの発言のどこに乙が好きという内容が盛り込まれていたのだろうか?

 『だーかーらー、ラブラブなんてしないわよ!!乙のことは嫌いじゃないけど、今の乙は好きじゃないわ!!』

 波線だけが聞こえていたのだとすれば話は通じるが、それ以外が聞こえていないとすると乙の耳は逆に高性能である。

「「今の発言のどこにそんな内容が!?」」

 またまた二人同時にツッコミをいれる奈々と凛太郎。なんだかんだで仲の良い二人である。

「くふふ、ダメです…乙もう、自分で自分を制御できません。お姉ちゃん、お姉ちゃん、お姉ちゃん!!」

 そのほとばしる思いを奈々の四肢にすべてぶつけようとする乙。…だったが、

「く…くふ…」

 急に気を失ってしまった。意識をなくしたその体は奈々にもたれかかった。

「な、何?何が起きたの?」

 ことの状況が把握できない奈々は乙を横の席に戻し、状況説明を求める。

「僭越ながら、この七篠めが一役買わせてもらいました」

 そう言って左手を奈々のすぐ横に出現させた言平。

「ああ、なるほど。ありがとね、言平。正直助かったわ」

「いえいえ、奈々様の危機でございましたので」

「そういう割には長い間傍観していたけどな…っ、なんでもないなんでもない」

 凛太郎の言平への指摘も言平のにらみで制止された。

 ついでに種明かしをすると奈々が今にも乙にその唇を奪われそうになったときに言平がその左手を移動させ乙の首後ろに水平チョップをくらわせたのである。それで乙はノックアウト、意識を失ったのである。

 騒音の元凶の乙が落ちたことで一気に静かになる車内。

「それにしても、早乙女はすごかったですね…」

 静寂を切り裂き凛太郎は乙の壮絶さを話題として提示する。

「野崎君…今は乙のことは忘れさせて……」

 疲れた顔をした奈々に提示した話題を即刻切り上げるように暗示されてしまった。

 奈々をここまで疲労させるとは…乙、色んな意味で恐るべし。

「あ、はい。すみません…」

 奈々の心労を察知し乙の話を切り上げる凛太郎。

「………」

「………」

 そのまま、また静寂に包まれる車内。ここで姉ヶ崎班を乗せた車は第零区の目前に広がる壁の前に到着した。車をその壁の前に停める言平。

『…あー、…聞こえるかの?』

 ここでガガッという音をときおり混ぜながら備え付きの通信機から所長の声が聞こえてきた。

「はい聞こえます。こちらはたった今壁の前に到着したところです」

 言平が所長に受け答えする。

『おお、そうか。まあそのくらいのタイミングを見計らったのじゃが、ちょうどよかったの。では今から、その壁を越えていってもらう』

「超えると言ってもそうとう高いですよ?」

 所長の壁を超えろという指示に困惑する言平。

『ああ、すまん。超えろとは言うたがそれは他のメンバーの能力で超えるのじゃ。まあ、待っとれ。今からそやつに指示をだすからの』

 所長がそう言うとぷつんと通信機は切れた。

「初めて見ましたけどこの壁ってこんなに高いんですね」

「ええ、そうね。遠目には見ていたけれど間近で見るとすごい高さね」

 車から降りた凛太郎と奈々は目の前の壁の高さに圧巻される。目視でも二十メートルはありそうだ。

右を見ても左を見ても見えるのは高くそびえたつ壁、壁、壁。その壁に見降ろされながら、多くの人が車もしくはトラックから降りてきた。

「そろそろ、鉱物操作の人が壁に階段を創ってくれるそうです。それと、これを」

 そう言って、車から降りてきた言平に小型の通信機を渡された。耳にはめるタイプのものだ。

「これで私たち四人はもちろん、所長とも通信ができます」

 三人はそれぞれ通信機を耳にはめ込んだ。

『それで、さっきから乙の声がしないのじゃがどこにいるのじゃ?』

「「「………」」」

 通信機をはめると同時に聞こえてきた所長の質問に誰も答えようとはしない。

『なるほどの、奈々か言平かは知らんが災難じゃったの…』

 三人の無言から導き出された答えを知り、何があったのかを判断した所長は慰めの言葉をかける。

「ええ、大変でした…」

 遠くを見る奈々の目はどこか哀愁を漂わせていた。

「んん、ここは?乙はいつのまに寝ていたのですか?」

 車の中で目覚め三人がいないことに気が付いて車の中から出てきた乙。奈々はその声を聞くとすぐに凛太郎の後ろに姿を隠した。

「乙はたしか、お姉ちゃんとキスをしていたはず…。あれは夢だったのですかっ!?」

「夢に決まってるじゃない!キスなんてしてないわ」

 凛太郎の影に隠れ猫のごとくしゃーと威嚇しながら声を張り上げる奈々。

「そんなっ…お姉ちゃんひどい!!乙とお姉ちゃんは運命で結ばれたお似合いのカップルですよねっ?」

「ええ、別れる運命のね」

 奈々はとことん乙を受け入れはしないようだ。

「うえーん、ひどいですぅ。お姉ちゃん…」

『奈々の声しか聞こえんがどうやら乙の餌食になったのは奈々のようじゃの』

 奈々と乙の会話から奈々が悲惨な目に遭ったことを感じ取った所長。

「あれ?でも、早乙女のあの状態を知ってるということはもしかして所長も?」

 ここで凛太郎が所長に関する一つの可能性を示唆した。

『凛…それ以上わしのことを詮索したらお主を殺してわしも死ぬことになるじゃろう』

「…なんでもありません」

『賢明な判断じゃ』

 所長も乙の毒牙にかかったのだろう。しかしそうだとすれば、仮にでも自らの身を置く施設の長に手をかけるとは…。乙、やはり恐るべし。

『そんなことよりも早く乙にも通信機を渡さんか』

 所長に指示され、地面に手をつき泣きじゃくっている乙に言平が通信機を渡す。

「すん、何ですか?乙は今お姉ちゃんとの愛を確かめ合ってい…のですが」

 明らかにふてくされている乙は不機嫌な声を発する。

「確かめ合えてはないわよ。むしろ相反してることが確かめられたわ」

 奈々の言う通り乙の言うことと奈々の言うことは真逆と言っていいほど噛み合ってはいなかった。

『ふむ。乙よ、今からは任務が始まるでの…その邪な気持ちはしばし抑え込んでもらおうかの?』

 ここは所長らしく所長が乙に命令する。見渡す限りここまで騒いでいる人たちはいない。正直姉ヶ崎班は浮いていた。

「……はい、今からは任務に集中することにします」

 そんな周りの空気を読み取ったのか、乙はすんなりと言うことを聞いた。

『いい子じゃ。では、そろそろ階段ができあがるみたいじゃからそちらの方へ行ってくれ』

 騒いでる姉ヶ崎班を横目に鉱物操作の人が壁に階段を創る作業は進んでいたようだ。

 高さ二十数メートル、マンション約八階分くらいの高さまで階段が創られた。

『うむ、完成したようじゃの。ではお主等は騒いどった罰として最後に階段を上るのじゃ』

「…はい」

 奈々がしょんぼりしながら頷いた。奈々の今日という日は災難続きである。このまま任務に向かうのは心配だ。

「…じゃあ、皆行ったみたいだし私たちも行こうか」

 他の人たちが上っていくのを見届けて姉ヶ崎班ほ階段を上ろうとした。

「あれ?でも、待ってください。あそこに一人残ってますよ?」

 そう言って凛太郎は見えた人影を指さす。紫色の髪を腰まで伸ばしたきれいな女性だった。

「ああ、彼女は反動で動けないから放っておいていいわよ」

 奈々は凛太郎が指さした女性を一瞥してそう言った。

「反動?じゃあ、あの人がこの階段を創った人なんですね?」

「ええ、そうよ。でも反動として鉱物を操作した時間分石のように固くなって動けなくなるらしいわ」

 どうりでさっきからぴくりとも動かないわけだ。

「じゃあ…」

 と、言って奈々が階段に足をかけようとした瞬間…

『何をしておるのじゃ?お主等は最後に上れと言ったはずじゃが?』

 と、所長が威圧のこもった言葉を発した。

「え?じゃあ、あの人を待たなくてはいけないってことですか?」

『当たり前じゃろ?なにをアホなことを言っておるのじゃ?』

 こうして姉ヶ崎班は石女が動けるようになるまで待つことになった。階段が創られるまでにかかった時間は約十分。あと、十分待たなくてはならない。

「それで、この人は誰なんです?」

 待っている間の暇つぶしの話題として妥当なものを凛太郎は持ち出す。

「こいつは橘春風たちばな はるか。春に風と書いてはるかよ。あとは特になし」

「特になしって、それじゃあ名前しか分からないじゃないですか…」

 奈々のざっくりとした説明に納得がいかない凛太郎。さらなる説明を求めた。

「何?野崎君はこいつのことがそんなに気になるの?」

 むすっとして凛太郎をにらむ奈々、凛太郎が橘に興味を持つことを嫌がっているようだ。

「いえ、そういうわけではないのですが…一応これから一緒に任務をする上で何かしらの情報は知っていて損にはならないでしょうし、待ってる間だけでもいいじゃないですか」

「……ふんっ」

 凛太郎の正論にも頑として答えない奈々、すると言平が近寄ってきて…

「奈々様は橘様のことをあまりよく思っていないのです。色々といざこざがございまして」

 と、凛太郎に耳打ちした。

「いざこざ?」

 当然凛太郎は奈々と橘の間になにがあったのかが気になる。

「ええ。理由は分かりませんが橘様は奈々様とお会いすると必ずと言っていいほど奈々様にちょっかいを出すのです」

「必ずと言っていいほどではないわ。必ずよ!」

 即座に訂正する奈々。さらに、

「それと理由だってはっきりしてるわ。私をバカにしたいのよ」

 と付け加えた。結局奈々が説明する感じになってしまった。

「ふん、ちょっと自分がお嬢様だからって調子に乗ってるのよ」

「お嬢様?」

 凛太郎の耳はある単語に反応を示した。

「はい、この方は橘重機の社長令嬢さんなんですよ。野崎さんも名前くらいは聞いたことがあるんじゃないですか?」

 奈々の代わりに乙が奈々の後ろからひょこっと顔を出して答えた。

「ええ、まあ…」

 橘重機…超人類が出現してから機械を使わなくても様々なことができるようになり、重機を扱う会社がどんどん廃れていく中で唯一その激しい生存競争に生き残った会社。

「でも、なんでその会社の令嬢さんが超人類として活動しているんですか?」

 超人類によって倒産の危機にさらされたのに大事な娘を超人類として国超に所属させるのはどうもおかしい気がする。

 ちなみにここで国超のルールというか規則を説明しておこう。

 国超は基本的には超人類を管理、監視、統制するための機関である。が、国超に超人類として登録されるのと国超に所属するのは訳が違う。

 前者は国超に名前だけが保管され、その能力に危険性がないかつまり暴走したりしないかを検査され安全であればそのまま普通の生活を送ってもよい。暴走してしまいそうだったら訓練を受け、安全領域にまで達したらお役御免である。しかし、こちらの人々は日常において能力を使うことは許されない。破れば場合によっては重罪となる。

 後者は国超に名前その他すべての情報が保管される。そして名目上は国超軍として国超に登録される。この場合、超人類だけではなく普通の人間も国超に所属できる。こちらの人々はいわば国超の下で働くということになる。今回のように任務に駆り出されたり、国からの雑用をこなしたり、多方面に活動している。こちらの人々は日常生活において必要に応じて能力の行使が行える。

 さらに多くのルールはあるが、ひとまずは今必要なものを抽出させてもらった。

 話を戻すと超人類は必ずしも国超に所属せねばならないわけではない、だから橘重機のように超人類に恨みすら覚えている会社が橘を超人類として国超に送り出すのは腑に落ちない。

 この説明の間に乙は奈々の右腕に両手を滑らせる→奈々の腕に顔をすりすりする→奈々に殴られる→大の字になって地面に倒れる、の動作を終えていた。

「奈々お姉ちゃぁぁぁぁん…」

 亡者のごとくほふく前進で奈々に近付く乙。

「ん、ここは同情してやってもいいのだけど…こいつはね超人類になった瞬間に親に勘当されたのよ。お金の工面だけはしてもらってるみたいだけどね」

 奈々は乙のことを避けながら凛太郎に答える。

 恨んでいるからこそ、たとえ娘であれ超人類になってしまえば恨みの対象にされてしまったのである。

「そうなんですか…大変なんですね。この人も…」

「ええ、そうね…」

 つらい過去を聞いてしまい気持ちが滅入る凛太郎、下を向くと奈々に踏みつけられた乙がいた。ただそれだけだった。

「んんっ、やっと解けましたわ。動けなくなるというのも不便ですわね。おや?」

 ここで反動が解けたのか橘が背伸びをしながら動き出した。そして凛太郎たちの方に近寄ってきた。

 乙は初対面の人は苦手らしく言平の後ろに隠れた。

「なにか声がすると思いましたら、あなた達でしたのね。噂の野崎凛太郎と七篠言平、そしてそちらに隠れているのは早乙女乙ですわね」

 明らかに奈々に目を遣っておきながら、奈々を空気扱いした。

「なんで…なんで私は入ってないのかしら?」

「あら?いましたの?姉ヶ崎…えーっとナス?」

 怒る奈々にそれでもからかう橘。今の姿を見る限り、同情は誘えない。

「誰がナスよっ!!どこがナスなのよ?どう見たって人間でしょ?」

「いえ、あなたのそのまっ平らな胸部を見ていたらナスという言葉が頭に浮かんできましたの…つるぺたっぷりがそっくりですわね」

 聞いていた以上に橘は奈々を小バカにしている。さすがに仲裁に入らずにはいられない凛太郎。

「待って…」

『あーもーーー奈々というか、奈々と橘じゃの。うるさいわ!!今は任務の途中なのじゃ、気を抜くなと言ったじゃろ』

凛太郎の声が届く前に所長からのおしかり。しかもそのおしかりは当事者のうち奈々にしか聞こえない。

 一方の橘は凛太郎が声をかけておいて急に黙ったり、あれだけうるさかった奈々がしずかになったのを不思議そうに眺めていた。

「ちょっと、なんですの?このわたくしを差し置いて変なことでもたくらんでいますの?」

 明らかに状況が把握できていない様子の橘。そんな橘に子型通信機を渡すよう言平に指示する所長。

「??なんですの?これをどうすればいいのですの?」

所長の言うとおりに橘に通信機を渡す言平。しかし、ハテナマークが四つくらい出ているように見える橘はその通信機をどうすればよいのかが分からないようだ。

 そんな橘に自分の耳を指差して耳にはめるように伝える言平。

「?っあっ!?そ、そういうことですのね。ふふん、わたくしにかかればこんなもの。…で?これがどうしましたの?」

 強がる橘に所長の怒りのお説教が下されたのはいうまでもあるまい。

―――奈々と橘の騒動から即座に階段を上り始めた姉ヶ崎班プラス橘。先頭を当たり前だが奈々が行き、最後尾をこれまた当たり前だが凛太郎が担当した。

「ひっ、ぐすっ…ずすっ…ひ…」

 所長の説教がよほど効いたのか橘は先刻から泣きっぱなしだ。そして、他の四人も沈黙を守っている。

「…なあ、橘さん?そんなに所長の説教が怖かったのか?僕にはそんなに怖くは感じなかったのですが…」

 凛太郎が静寂を破って最後尾から前の方にいる橘に声をかける…が、

『ほう、いい度胸をしておるの。わしに聞こえとることを承知の上でわしを怖くないもの発言とはの…』

 凛太郎が橘に質問したところで所長が侵入してきた。…まあ、内容的に仕方ないのだが。久しぶりの凛太郎の一言多いスキルの硬貨が現れたようだ。

「ちょっと、所長が出てきたら余計面倒なことになりそうだからここは僕に任せてくださいよ」

 凛太郎は珍しく策ありと言わんばかりにはりきって言った。

『ほお?それはそれで見ものじゃのう。では、しばらくは黙っておくかの』

 これで邪魔者はいなくなった。さあ、それでは凛太郎のこの場を上手くまとめる策とやらをご覧いただきたい。

「そ、それで橘さんはどうしてそんなに泣いているの?」

「気安く話しかけないでください。姉ヶ崎の僕の分際で」

 倒置法で話しかけるのを拒否された。会話終了…。

「そ、そんなこと言わないで…ほら、いつまでも泣かれていたら心配になるでしょ?」

 が、凛太郎は諦めない。奈々の敵(?)である橘だが、場をまとめるためには泣き止んでもらい奈々と和解してもらわなくてはならない。

 …と、ここまでは建前でしかなく凛太郎には本音があった。それは橘を慰めることで橘の信頼を得、橘から奈々の弱みなどの情報を聞き出すというものである。結果が楽しみである。

「ふ、ふんっ。あなたごときに心配されたところで嬉しくもなんともありませんわ」

 相変わらず凛太郎…というよりは奈々の関係者を拒む橘。

「で、でも…どうしてもというのであればっ、そ、そのっあなたごときの心配でも受けて差し上げてもいいですのよ」

 ば、ばかな…今のでデレた…だと。こ、この女ちょろい!に近い感情を凛太郎が抱いたことをナレーションでは隠しようもない。

「くふっ、ちょろアマ系のお嬢様…くふふ」

 早くもくふ状態におちいる乙。そんな乙を横目に凛太郎はちょろばな否、橘に言い寄る。

「僕はあなたが泣いている理由が聞きたいんですっ!」

 ここで凛太郎の計画の続きを話しておこう。途中脱線があったが、橘が泣いている理由を突き止める。どうせ、所長が怖かったとかなんとかだろう。理由を解明したところで一発、

『所長が怖かったのはあんたが奈々さんをバカにしたからだろ。奈々さんは何も悪くはないのに…。でも、それはあんたが素直になれていない証拠さ。俺はあんたの全てを受け入れる。だからさ、素直になってみろよ』

と(自称)かっこいいセリフ(笑)を浴びせて、奈々の評価も得つつ橘の信頼も勝ち取るつもりなのだ。

 言わせてもらおう、何もかっこよくねーよ!!なんだよこれ、どこの国の人だよ?もはや、中二病だよ!!っと、ナレーションが出しゃばった真似を…。しかし、他の誰でも同じような感想を持つだろう。

 これで成功させるつもりなのだから凛太郎はおもしろいのだ。

 さあ橘よ、凛太郎の敷いたレールを渡るがよい。結末は神のみぞ知ることにしておこう。

「わたくし…」

 凛太郎に泣いている理由を聞かれ口を開く橘。

「わたくし…姉ヶ崎が所長様と親密になさっていることが嫌ですの。所長様と同じ姿なのも気にくわないですわ。あの女は邪魔なのですわ。それに所長様にし、下の名前で呼んでもらえているなんて…地球がこなごなになっても許せませんわ」

 わーい、ここはどこだー?あっ、お花畑が見えるぞー。誰かが手招きしているー。よし、行ってみよう。

 はっ!?!?し、しまった。あまりに突拍子もなくて意識がとんでしまった。凛太郎は対応できているのか…。

 口を開け、歩みを止め、腕はだらんとぶらさがり、目には生気が宿っていない。だ、だめだこいつ…はやくなんとかしないと…(凛太郎があっちの世界に云ってしまう)

「くふっ!?嫉妬に燃えるやきもち女かよっ。じゅる…こいつは今夜の飯が美味いぜ…」

 だ、だめだこいつ…はやくなんとかしないと…。

状況はカオスだった。凛太郎の計画は神により失敗に終わり、乙はくふ状態を超えもはやおやじになっている、言平にいたっては見に徹してしまっている。

「何?あんたじゃあ、所長のことが好きなの??」

今の状況の中で一番ましな奈々が口を開いた。

「好いているか、いないかで言われましたらもちろん好いておりますわ」

 なぜか、奈々の質問に答える橘。とても興奮しておられる様子だ。

「そんな理由で私をいじめてたの?」

「ええ、もちろんですわ。まあ、もともと姉ヶ崎は気にくわなかったのですわ」

「へえ?そんなの私何も悪くないじゃん??あんたが所長と仲良くできないからって私のせいにするんだ?」

奈々は戦闘態勢に入る。

「そんなの姉ヶ崎がいなければわたくしが所長様と親身になれていましたのよ?どう考えてもあの女が悪いですわ」

 戦闘のゴングは鳴らされた。地上十メートルの戦いが今始まろうとした。

『っお主等ーー…』

 奈々の拳が橘に当たりそうになったところで本日何度目かの所長のがち説教が炸裂した。

―――結果、壁を登りきった一行の内奈々と乙と橘は大泣き、凛太郎は放心状態、言平は無表情、という先ほどよりもカオスな一行が出来上がってしまった。しかも、他の人たちは橘が創っていた降りる用の階段を使って降り始めていて、もうほとんどいなかった。

「あれ?いつの間に上についてたんだ??それに泣いてる声が増えているような…」

 処理落ちしていた凛太郎の脳がやっと復帰した。

「脳無し様…実は」

 やっとここで言平が働いた。凛太郎に会ったことを伝える。

「そんな…僕の計画が…」

「計画?」

 計画の失敗を知る凛太郎とそれを不審に思う言平。

「いや、なんでもない。それより早くあいつらを落ち着かせないと…せめて橘だけでも泣き止ませてもとの班に戻してあげないと」

「?それはそうですね、では所長にお願いしましょうか」

 凛太郎の話題転換に乗ってくれた言平。

『なんじゃ?怒るのもわしで、慰めるのもわしか?』

 話をふられ、会話に参加する所長。怒って泣かせた相手を今度は泣き止ませろというのはどうもおかしい話である。

「はい、お願いします」

『しかし…』

「私とこのあほに慰めることができるとお思いなのですか??」

 しぶる所長に言平の会心の一言。

「おいおい、僕にだって慰めることくらいは…」

『たしかにの…あんだけ大口を叩いておったのに失敗したあほとさらにとどめを刺しそうな執事には任せられん。わしがやるしかない』

 凛太郎は反論できない星の下に生まれたのだろう。今回も途中で所長に遮られてしまった。

『おい、奈々と乙と橘よ』

 三人に話しかける所長。

『すまんかったの、少し怒鳴りすぎたかもしれん。しかし、騒いでおったお主等が悪いことには変わりはない。…わしはのお主等には特に無事に帰ってきてほしいと思っておる。じゃから、気を抜かんでほしいのじゃ。分かってくれるかの?』

 怒った子どもに優しく真意を伝える母親のように所長は三人に自分の思いを伝える。

「「「所長…」」」

 三人とも涙をぬぐって笑顔になった。少女のような晴れ晴れとしたいい笑顔だった。

『うむ、見えはせんがいい顔じゃの。頑張って任務に励むがよい』

 三人の様子から泣き止んだと判断して最後の声をかける所長。やっぱりなんだかんだで国超の長であるから部下を励ますのには長けているようだ。

「意外だけどすごいな…」

「ええ、私には真似はできそうにありません」

 心から所長を褒める二人。一気に五人すべての心をつかんだ所長。さすがだ、感服である。

「えー、ごほん。じゃあ、これから本格的に任務にあたることになるのだけど、最後に一つ」

 気を取り直してとばかりに奈々が前に出て四人に告げる。四人?

「ん?橘、あんた何でまだいるの??」

 橘はまだ姉ヶ崎班にくっついていた。

「だって、わたくしの班がもう行ってしまいましたの」

 オイテケボリをくらったようだ。班員においてかれるとは、よほど人望がないんだな…と、涙を流さずにはいられない。

「くふ…ぼっちお嬢様も…くふふ」

「そう?それはご愁傷さまね…一人でも頑張って。じゃあ…」

 さらにオイテケボリにされそうになる橘。

「ままま待ってくださいまし。えっ?今なんとおっしゃいました?まさか、こんなわたくしをひとりぼっちになんかしませんわよね?」

「は?そう言ったのよ?何?日本語も分からないの?」

 奈々がいままでの仕返しとして橘を追い詰める。

「ひ、ひどいですわ。鬼、悪魔!」

「あっ、デジャブ…」

 凛太郎は今の橘の姿がいつぞやの自分の姿とデジャブった。デジャブが正しければ、この後橘は奈々にぼっこぼっこにされるだろう。

「ふんっ、これで私の気持ちがわかったでしょ?だから少しはいじり方を考えることね」

 なんと意外や意外。奈々は奈々で橘を改心させる計画を立てていたようである。

「ふえ?つまりなんですの?さっきのは嘘だったってことですの?」

 対する橘は奈々の言っていることに頭が追い付いていないようだ。

「そうよ。嘘よ。そんなことより私が言ったことは分かったの?」

「え、ええ。もちろんですわ。少しは考えますわ」

「少し?まあ、いいわ。じゃあ、注意点だけ言うわね。とにかく無事でいること!生きていたらあとはどうにでもなるわ。だからどんなことがあっても絶対に生き残ること!分かった?」

 奈々は橘のまだ強気な態度にムッとしながらも最後通達として四人に命大事に、と命じた。

「「「はい」」」

「ええ、あなたに言われなくても分かっておりますわ」

 息の合った三人と一人言葉の多い橘が返事をする。が、それが橘春風である。しかし、なんとも個性的な五人組となったものだ。任務が上手くいくことを祈るばかりだ。

「ところで、所長はなぜ他のメンバーを先に行かせたのですか?」普通任務であれば皆で行動するのがいいと思うのですが」

 ここで奈々が所長にごもっともな意見を出す。

『そんなこと言っといてどーせ奈々は他のやつらとは行動する気ないのじゃろ?』

 ばさり。奈々の正論を一刀両断。さすがは所長。奈々のことはお見通しである。

「うっ…た、たしかにそう思っていましたけど…しかし…」

 パァァァン…。

 奈々の反論を横切り下の方から銃声が聞こえてきた。そう遠くはない。

『奈々!!』

「ええ、分かってます。それじゃあ皆行くわよ。…任務開始」

 奈々の掛け声に四人がこくんと頷き、一斉に下り用の階段を駆け下りていく。


第五章『燃え盛る』

―――螺旋状の階段をおりているときに五人が遠目に見たものは宙を飛び回る大きな火の玉だった。枯れ木が生い茂っている上を魚のようにすいすいと泳いでいるようにあっちに行ったりこっちに行ったりしていた。

「なんですの、あれは…」

「分からないわ…はやく降りて確かめないと」

 ようやく階段を降り終え、上空の火の玉を目標に走り出した五人。

「こ、これは…!?」

 異変に気が付いたのは先頭を走っていた奈々であった。

「奈々さん…これは一体…」

 立ち止まった奈々の後ろにいた四人も異変を察知し足を止める。

 そんな五人の前に広がっていたのは冬の冷たい大地に突っ伏して倒れている人々。ざっと三十人は倒れている。その光景を構成していたのは国超のメンバーや特殊部隊らしき人々。その光景は例の火の玉に近付けば近づくほど規模を増していった。

「脈はあるので死んではいないようです」

 すぐさま近くに転がっていた一人の生死を確認し報告する言平。この光景に動じず一番に行動できるのはさすがである。

「ええ、こっちの人も脈はあるわ…全員がそうなのかしらね…」

 奈々も近くにいた人を確認し、他の人達もそうであることを推測する。

「きゃあ、お前たち何があったんですの?」

 橘が自分の班の人達が倒れているのを発見し、近くに駆け寄った。

「う…た、橘なのか?」

 そのうちの一人は意識がまだあったらしく、橘の声に反応する。

「うぅ……気を付けろ…この敵は…あ、明らかにSランク…だ」

 と、橘に警告したところで意識を失った。…たしかにこんな光景を一人で作り出したのであれば間違いなくSランクであろう。未だ奥の方では銃声が鳴り響いている。戦闘は続いているようだ。

「…所長!!今回の対象はSランクと推定されます。このまま私達だけで任務を続行してもいいのでしょうか?」

 奈々が今現在の状況を所長に伝達する。しかし、

『…………』

 いくら待っても所長からの返事はなかった。代わりに聞こえてきたのはピー、ザザッといった機械音のみ。

「所長!!所長!!!」

 奈々がいくら声を張り上げても所長からの反応はない。

「奈々さん…」

「お姉さま…」

 凛太郎と乙は不安げに奈々に意見を求める。

「今こうしているうちにも戦いは進んでいるわ。これ以上被害を増やさないためにも私は行くべきだと思う。でも、他のみんなのがこうもやられてしまっているのを見る限りとても危険なことは明白…。だから、覚悟のある人だけついてきて。無理強いはしないわ…野崎君は強制参加だけど」

 シリアスな空気を出しつつさらっと凛太郎には危ない橋を渡らせようとする奈々。

「強制ですか…」

 奈々の方に歩きながらぽそりと呟く凛太郎。

「なによ、嫌なわけ?」

「別に…言われなくても任務は最後まで放棄するつもりはありませんし…」

「そこは素直に私のことが心配だったからって言えばいいのに」

「なっ、誰がそんな…」

「ふふ、冗談よ冗談」

 こんなときまで凛太郎と奈々はいつも通りだった。

「お、乙も一緒に行かせてください!」

 おどけながらも乙が同行を願い出る。

「いいの?危険なのは分かっているでしょう?」

 奈々が釘を刺す。

「はい、怖いのは山々です…。でも、それでも…乙は少しでも奈々お姉さまの力になりたいんです」

 はっきりと強い目で奈々を見つめる乙。その目には恐怖こそあれ迷いはなかった。

「うん、後ろは任せるわよ?」

「はいっ!!」

 これで三人…

「もちろん私もお供いたします」

 電光石化の速さで言平が名乗り出る。これで四人。

「それであんたはどうするの?」

 残る一人に声をかける奈々。

「わ、わたくしは…わたくしは…」

 言葉につまる橘。無理もない、彼女の能力はもっぱら戦闘には向いていないのだから。それにお嬢様なだけあって今の今まで戦闘状況に介入したことは一度もなかったのだ。

「まあいいわ…無理強いはしないって言ったし、それにあんたは一番にやられちゃいそうだし」

 あ、今どう考えても橘を挑発した。そんなことすれば…

「い、いいいいまなんておっしゃいました?わたくしが役立たずだとでも?」

 ほら、こんな見え見えの挑発に乗ってしまうではないか。

「ええ、そう言ったのよ。だから、あんたはそこで縮こまっていればいいのよ」

「奈々さん、いくらなんでもそれは…」

 凛太郎が奈々を制止しようとするとそれを言平に制止された。しばらく様子を窺えと言わんばかりだ。

「い、言わせておけば…わたくしはあなたほどちっこくもないですし、能力だってあなたよりも使い勝手はいいですわ!あなたになんか負けない!!わたくしも連れて行きなさい」

 結局奈々の挑発に乗せられて橘もこのまま任務を続行することになった。

「ふん、最初からそう言えばいいのよ…」

 口ではああは言ったものの奈々はやはり橘にも来てほしかったのだろう。これで五人全員が揃った。

「じゃあ、改めて命だけは守るように!!行くわよ」

「「「「はい!!」」」」

 急なチームとなってしまった五人であったがここにきて心が一つになったように感じた。

 目指すはもう数十メートル先に見える火の玉。とはいえ、ここまで近づいたためそれは球状でないことは判明した。どうやら人の形をしているようだ。情報通りであればそれが今回の任務対象なのであろう。

 五人は覚悟を決めて火の人間目掛けて歩を進める。

――数分後、五人はようやく今回の任務の中核にたどり着いた。

 その光景を少しばかり説明しておこう。

 まずは人の形をしていた炎についてだが、これは予想通り今回の任務対象であった。見た目は三十代の男で髪は目と耳が隠れる程度に長い黒い髪。煙草を咥えていて長身である。手のひらを地面に向けそこから炎を放射することで宙に浮いているようだ。聞いていたように炎を操る能力のようだ。

 そしてその男を取り囲むように辺りの枯れ木の陰に国超のメンバーや特殊部隊は身を潜めている。不思議なことにみな枯れ木には直接触れないようにしているように見える。

今は膠着状態が進行しているみたいだ。

「みんなはそこらへんの木に隠れてて」

 そう言って奈々は四人を置いて一人、近くにいた国超のメンバーに話を聞きに行った。

「今はどういう状況なの?」

「今はやつの行動を窺っている状態ですね。さっきまでは手当たり次第に仲間たちを気絶させていましたが、今はただ上空を漂っているだけです。あ、危ないですから木には触れない方がいいですよ」

 適切に今の状況を落ち着いて話し、なおかつ奈々に注意を促せるこの男は国超でも指折りの実力者であり奈々の古い友人でもある者だが今はそれどころではない。

「それはどういうこと?」

「はい、やつはどうやら炎の能力の他に振動の能力を持ち合わせているようで振動を使って人の三半規管を刺激し、気絶させているようです。実際僕も右腕に食らっちゃって痺れて使い物になりません」

 そう言って左腕で右腕を持ち上げてみせる男。

「なるほど、木にも振動は伝わるものね…分かったわ、ありがとう。こっちでも対策を考えてみるわ」

「ええ、お願いします。あと、やつは二つの能力を同時に使えますからそこも頭の中に入れておいてください」

 基本二重能力を持っていても一度に使えるのは一つの能力だけに限られる。

「…それはやっかいね。重ねて了解したわ、それじゃそっちも気を付けてね」

 男の話から有益な情報を得て奈々は凛太郎達のもとに返る。そして、聞いたままの話を四人に伝える。

「振動の能力ですか…やっかいですね」

「そうですね、今までは気絶で済ませていたのかもしれませんがその気になったら人を殺せそうです…」

 二重能力持ちの超人類の出現に戸惑う五人。

「奈々さん…どうします?」

 凛太郎が奈々にそう聞いた時だった。

「はっはー、やーと本丸のお出ましか…おい来たんだろ?姉ヶ崎奈々ぁ?」

 上空の男が奈々に対して呼びかけを行った。いかにも悪役っぽい口調にいやに挑発的な声色。しかし、どうして奈々が来たことに気が付いたのだろうか。奈々は炎の男からは一番遠くにいたし、あちらからは奈々の姿は見えないはずだ。

「なっ、どうして…」

 奈々が驚愕に満ちた顔で声を殺しながらも声を発してしまう。

「なんでって、さっきそこの男に聞いたんだろ?声も振動の内に入るんだよ」

 どうやら振動の能力を使って凛太郎が奈々と呼んだ声の振動を拾ったようだ。

「それで、この俺をどうやって倒すってんだ?ぜひとも作戦とやらを聞かせてもらいたいもんだぁ」

 今までとは打って変わってぺちゃくちゃと話し出す男。奈々に対してこうも悪態づけるのはこのように奈々のことを知らない人間だけだ。

「……………」

 奈々はまだこれといった作戦を思いついていない上にこうも一方的に話を進められたためか黙り込んでしまった。

「おいおい、だんまりかよ。いいぜそっちがその気なら…ほいっと」

 男がそう言ったかと思うと先ほど奈々と話していた男の体がぐらつき、その場に倒れてしまった。

「なっ、なんてことを…」

「ほらほら、このままだとお前のせいで仲間が傷ついちまうぜぇ?ひゃーはっは」

 甲高く笑う男に凛太郎と橘は怒りを顕わにし立ち上がった。が、すぐさま奈々が右手を広げて二人を止める。

「なんで止めるんですか奈々さん」

「そうですわ。わたくしああいう男が一番嫌いですの」

「いいから、冷静になって。あの男は私が目当てらしいから私が行くわ」

 そう言って奈々は二人を後ろに押しやり自分が枯れ木から体を出し、数歩前に進んだ。

「奈々さんっ!!」

 凛太郎は奈々についていこうとするが言平と乙に体を引っ張られ進めない。

「っどうして…」

「奈々様がなんの考えもなく行動するはずがありません。見守っておきましょう」

「お、乙もそうした方がいいと思います」

 二人とも不安そうな顔をしているが奈々を信じているのは確かだ。凛太郎も二人の意見を受け入れ木に身を潜めておくことにした。それに凛太郎がついていったところで能力を使う前に気絶させられてしまうだけだ。

「そうそう、いい判断だ。それでこそ班の長ってこったぁ。それにいい部下たちを持ったもんだなぁ、おい」

 もちろんさきほどの会話を全て聞いていた男は高度はそのままで奈々の方に近付いてきた。

「ふん、あんたには関係のないことね。それで私に何か用でもあるの?名前を知っているくらいなんだから何かあるんでしょ?」

 男は奈々がはっきり見える位置まで移動してきた。

「もちろん。お前…いや、お前の姿に用があるのさ」

「私の姿?」

「ああ、こうやって近くで見るとお前はほんとにお前んとこの所長に瓜二つだなぁ」

 男は奈々が所長の姿をしていることにこそ意味があるような言動をする。

「ん?アスタロス?何?…所長の姿が…えっ、奈々お姉さま!!気を付けて!そいつの目的は…」

 乙が男の目的に気付き(というよりはアスタロスとやらに教えてもらい)奈々に向かって警告を出す。

「ああ、うるせえガキは嫌いなんだよ」

 奈々の方に歩み出した乙が電池の切れたロボットのように急にその場にぐしゃりところげ、動かなくなった。

「乙!!あんた…うちの子に何してんのよ!」

「あー怖い怖い。仕方ないだろ。うるさかったもんだからつい…大丈夫気絶させただけだからさ。それと今のガキみたいにちょっとでも動いたやつはあのガキと同じ目に遭うことになるから気を付けるこったぁ」

 奈々の怒りをひらりとかわし、さらに凛太郎たちに脅しをかける男。能力さながら男自体もまた面倒である。

「まあ、俺がこうやって二つの能力を同時に出してればあの野崎でも何もできないだろうがね。ひゃはっ」

 凛太郎のことも調べているらしくその能力についても男はよくしっているようだ。

 凛太郎の能力は一度に一つの能力しか奪ったり消したりできないのだ。今回だったら炎の方を消しても振動で気絶させられるし、振動の方を消しても炎が残っていれば相手は逃げることは容易だろう。それに能力を使うためには一度例の翼を出現させなければならない。その力の割には隙が大きい能力である。

「さて、それじゃあ本題に移ろうか」

 男がいつまでもこの場の主導権を握ったままで話が進められる。

「お前が所長の姿をしているのはとても好都合なのさ。本物よりは簡単に捕まえることができるからなぁ」

「私を捕まえてどうするつもり?」

「ああん?そんなの決まってんだろ。公開処刑さ。所長の姿のお前を処刑する動画を撮るのさ」

 男は所長の代わりとして所長の姿をした奈々を殺すと言っているのだ。

「そんなことして何になるっていうの?」

「知っての通り第零区は国を大層憎んでいる。でもな、国に対して反抗しようとしてもそれは不可能だ。なぜならお前たち国超がいるからなぁ。俺らの反乱は必ずお前らに止められる。いくらうちで超人類が多く生まれてもお前らには敵わない。しかし、その国超の長が死んだらどうだ?まあ、本当に殺せたら苦労はしないがな。そこでだ。所長の姿であるお前を殺した動画を撮影し、それを零区のみんなに見せるとどうなる?」

 つまり、第零区の人々に所長を殺したと思わせ士気を上げるとともにそのまま国を侵略しようという算段らしい。

「あんた、国を乗っ取るつもりなの?」

「ああ、こんな腐った国は俺たちが正してやる。ついでだがお前の処刑場所はもう用意してある。所長と連絡が取れなくて不安だったろ?お前らの通信を妨害しジャックして、嘘の情報を流し、所長は他の場所に呼び出した。今、国超はもぬけの殻だなぁ?ひゃーは」

 この男は奈々を国超で処刑すると言ったのだ。

「本当にそんなことができると思っているの?失敗したらあなたたちの命はないわよ?」

「そんなことは百も承知だよ。こんなクソみたいな世界で生きていくくらいなら失敗して死んでもいいさ。成功しても失敗してもこんな世界とはおさらばできるってわけだ」

 この男にとっては事態がどちらに転んでも構わないと見える。自分が生きて世界を変えるか、自分が死んで世界と別れるか。どちらにせよこの男にとっては吉なのである。命は惜しくないのであろう。

「そんなことさせるわけにはいかないですわ!」

 橘がその能力を発現し、宙に浮かんでいる男の足元の土を操作し土製の縄のようなものを男の足に絡みつかせた。そこからまるでヘチマのツルのように足から腰へ、腕へ伸びて行きついには男の体を束縛した。とっさのことで男も反応に遅れたように見えた。

「油断しすぎですわよ。こんな簡単にお縄にかかってもらえるとは思いませんでしたわ」

 橘は勝ち誇ったかのように、しかし気を抜くこともできないためか軽く男に悪態をつくのみだった。いまだ男の体に這う土を操作しているため動けなくはなっていない。

「こんな程度で捕まえたつもりか?国超のレベルも落ちたものだなぁ。こんなものただの紙切れ以下でしかないぜぇ」

 橘の支配下にあった土が男の言葉と共にパラパラと空に舞う雪のように地に落ちていった。雪とは実に季節通りだが、砂粒の雪とはこれまた一興である。

「なっ、そんなわたくしの…」

 強制的に能力を破られた橘は男が自由になっていく反面動かなくなってしまった。

「こんなもの振動させてしまえば振り落とすことなど造作もない」

 男は振動の能力を使い橘の土を払い落したのである。

「しかし、本当に国超のレベルってのは低いなぁ。チームワークもまるでなっちゃいない。野崎凛太郎!!てめぇの能力を使えばお仲間さんの苦労も水の泡にならずに済んだかもしれないのになぁ?」

 たしかに凛太郎の能力を使えば奪って使うことはできなくても一定時間は相手の能力を無効化することはできる。先ほどはその能力を使うにはうってつけの機会であったのかもしれない。鈍感というのはこんな場面でも足を引っ張ってしまう。

「お前のせいで姉ヶ崎を守る算段が崩れちまったなぁ?そこの女がかわいそうだなぁ?」

 男はここぞとばかりに凛太郎を言葉攻めにする。

「あ…ぼ、僕は…奈々さん…」

 凛太郎は自分のせいで奈々を助けることができなくなってしまったことに動揺してしまっている。

「野崎君、やつの口車に乗せられないで!あなたが能力を無効化していたところでやつが宙にいる限り私達には手が出せないわ」

 凛太郎は男の言葉を全て鵜呑みにしてしまっていたが、奈々は冷静だった。

 男は先ほど近づいてきてはいたが凛太郎達の遥か上空にいることは変わらない。上空で身動きが取れなくても言平の能力でも届かないし、凛太郎が奪える時間も限られている。だから結局奪おうが奪わまいが関係はなかったのである。

「ふん、こんな状況なのにてめえは冷静なんだな。野崎の心を折れなかったのは残念だが、どうせこの後で絶望の底に叩き落してやるからよ。まあ、今はいいさ」

 この後とはつまり奈々の処刑のことを言っているのだろう。

 しかし、状況は最悪である。気絶した乙と動かなくなった橘…能力が通じない相手…。奈々はこのままでは殺されてしまうことは明白だ。

「ほら、何か遺言でもあったら言っておいた方がいいぜ?」

 男は奈々に遺言を残すように勧める。やはり奈々を殺すことは男のなかでは決定事項のようだ。

 と、そのときパパパパという音が響き男が体を少しぐらつかせた。

「ちっ、くそなんだよ?まだやる気のあるやつがあったのかぁ?」

 見ると特殊部隊の服装を身にまとった人が持っていたサブマシンガンで男に向かって発砲していた。そして男の右足からは血がしたたり落ちている。銃弾は右足にヒットしたようだ。

「やっぱり国の連中はろくでもないみたいだなぁ?ちょっとお仕置きだなぁ?」

 男はそのまま自分目掛けて発砲した特殊部隊員の右足の骨を振動により粉砕した。その特殊部隊員は右足の力を失い、横向きに倒れていってしまった。そして鳴り響く特殊部隊員の阿鼻叫喚。

「と、いうわけでだ…気が変わった。遺言の時間はなしだ。恨むならあいつを恨むんだな」

 遺言残しを撤回する男の足から流れていた血が地面にぽたぽたと落ち、土と混じって地面に赤い斑点模様を描き出す。

 そして奈々の方に手を向けたかと思うと男は能力を使い、奈々を気絶させた。

「の、の…ざ……く……」

「奈々さん!!」

「奈々様!!」

 目の前で地面に倒れてしまった奈々を見て凛太郎と言平が同時に声を発する。そして、能力を発動しようとして翼を出現させた。

「ちっ、面倒だなぁ。おい!そこの二人を縛っといてくれ!ついでに能力阻害パワーキャンセルもやっといてくれ」

 男がそう合図したかと思うと凛太郎と言平を目には見えない何かが縛り付け、凛太郎の翼が消えた。男の言ったように対象を縛る超人類と能力阻害者パワーキャンセラーの超人類が男の仲間として付近に潜んでいたようだ。

「よしよし、これで心置きなく処刑を実行できるな」

 男が倒れた奈々に近付き、地面に着地し奈々を拾い上げた。そして小柄な奈々を脇に抱えたままもう一度空へと返っていく。

「奈々さん!!奈々さん!!」

 凛太郎の呼びかけもむなしく奈々は気絶したままである。

「ひゃーはっは。それじゃあ、あばよ。そこで俺たちが国を変えるのを見ているんだな」

 そしてそのまま国超の方向に飛んでいく男。

「奈々さん…奈々さん…奈々さん…奈々…さ…ん…」

 凛太郎はまるでお気に入りのおもちゃを取り上げられた子どものように奈々の名前を呼び続ける。

しばらくすると二人の体を縛り付けていたものが消え、二人は前のめりに倒れそうになったが足に力を入れ踏ん張った。

「おい、言平!!あいつを追いかけるぞ。早くしないと奈々さんが…」

 凛太郎の怒りと焦りと悲しみに満ちた強い口調に言平はただ頷くだけだった。

 二人は来た道を全速力で走る。そして、五分後に例の壁に突き当たった。

「階段なんか上ってる暇なんかない!言平!!お前の力で俺を向こうに送ってくれ。ぎりぎり射程内だろう?」

 先ほど壁のてっぺんにいたが、本当に厚さ的には言平の射程ぎり圏内くらいだ。

「え、ええ。でも、ほんとにぎりぎりですよ?もしかしたら…」

 下手したら凛太郎の足か背中が壁に瞬間移動してしまい、同化してしまうかもしれない。

「それでもいい!早くしてくれ!!じゃないと奈々さんが!」

 凛太郎がせかすため、言平も思考を捨てた。

「それではいきますよ。できるだけ壁に近付いてください」

 言平に言われるままに凛太郎は壁に体を密着させた。言平が凛太郎の背中に触れ、能力を使う。

「…奈々様をよろしくお願いします」

 凛太郎が目を開けるとそこには壁の内側に停めてあった車が見えた。気持ちがはやり体が自然と前に進む。が、足が何かに引っかかり進めない。見ると左足のかかとが壁と一体化していた。

 凛太郎は自分の足自体は同化しておらず、くつのかかと部分だけが同化していることに気が付くと何の迷いもなく、くつから足を抜く。そのまま歩き言平の車に乗る。ペーパードライバーであるが、免許はもしものために取っておいたのである。

 法定速度を守ることなく車を走らせる。二時間かかる道のりを一時間二十分で国超に着いたのであるからその速さが分かる。

 国超の正門に車を停めた凛太郎。さて、ここから最終章に入っていくわけだがナレーションはしばらく休憩を取ってここからは凛太郎視点で物語を進行していこう。


第六章『天と地からの遣い』

 な、なんだここは…。本当に国超なのか…。硝煙のにおいがする…戦闘が起きたのは間違いなさそうだ。やつはどこだ。さすがにあいつでも一人じゃ勝てないだろう。

 っ、これは…どうしてみんな倒れているんだ?あいつ一人にやられたのか…。

 それなら奈々さんは…。

「や、やめなさい!!こんなことして何になるっていうの!!」

 この声は…奈々さん!!…駐車場の方だ。奈々さん奈々さん…奈々さん…。

「おっと、ずいぶんと遅い到着だなぁ」

「野崎君っ!」

 なっ、どうしてお前が…。

「どうしたもこうしたも、ここのやつらは骨がなくて退屈してたところよ」

 そんな…お前みたいなやつにみんなやられたのか?

「同じことを何回も言わせるんじゃねぇよ。所長がいなけりゃお前のお仲間さんなんてカスも同然だぁ、ひゃーはっは」

「野崎君…逃げて、こいつは…異常よ…」

「つれないこと言ってくれんなよ、仲良くしようぜっ」

 や、やめろ…何してんだ!!

「あぁん?いちいち説明しなきゃ分かんねぇのかよ?お前の大切な大切な奈々さんの首を絞めてんのさぁ」

「の、のざき…くん…の、ざき…」

 奈々さん…奈々さん。やめろ、やめろ…やめろやめろーーー。

「ひゃーはっはは…見ろよ!愛しの奈々さんがお前に手を伸ばしてるぜぇ。届きっこねぇのになぁ!」

 黙れだまれだまれだまれだまれうるさい…だまれだまれだまれだまれ。

「うるさいのはどっちだよ。もう少しで終わるからそこでおとなしく見てるんだなぁ」

「あ、ああっ、の…ざ、き…くん……」

 奈々さん!!

「ひゃー、やぁっと死んでくれたぜ。ほれ、コレはもういらないからお前にやるよ」

 奈々さん…嘘でしょ?嘘だと言ってくださいよ。いつもみたいに笑って俺を怒ってくださいよ。奈々さんどうして返事をしてくれないんですか…。奈々さん!目を開けてください。奈々さん!!

「いいぜぇ、その顔その表情。絶望にまみれた人ってのはどうしてこんなにも美しいんどろうなぁ」

 奈々さん…奈々さん…うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁ。

 俺に…俺にもっと力が…奈々さんを守ることができる力があれば…。

「――ならば与えてやろう」

 えっ?うわっ…ここは…どこだ…白い、部屋?

「――ここは己の心の中とでも思えばよい」

 白い翼?…誰だ、お前は?

「――ん?わしか?わしはゼンと言う。見た通りのしがないじじいじゃよ。そして、お前さんに『大樹から生まれし生命』(ベビーバース)の力を与えとるものじゃよ」

 ベビーバース??なんだそれ?

「――ああ、たしかにそれじゃ通人わいの。お前さんが『黒き翼の強欲者』と呼んどる力の半分、片割れじゃよ」

 半分…あれは一つの能力じゃなかったのかよ?というか与えてるってどういうことだよ?それに心の中って…もう訳が分かんねえよ…。

「――まあまあ落ち着きなさい」

 これが落ち着いていられるかよ!!

「――ったく、うっせーな。オレは寝てんだよ、もうちょいしずかにできやしねえのか?仮にでもこのオレの主であるならもうちょっとれいぎってもんを知っといて欲しいぜ、ったくよー」

 さっきまで真っ白だったのに半分だけ黒くなった…それにこの男?女?の黒い翼…今度は誰なんだよ?

「――こやつはアクと言っての、少々「――なあ、ゼン。お前もお前だよ。もうちょっとほんのすこーしでいいからもっと直接てきにどかんといってやればいいだろ?ほら、いっちまえよ、奈々は…もがっ」」

 おお、一瞬でアクというやつの口を押えたぞ。なんでもありだな。

「――まあそうせかすな、アクよ。すまんの凛太郎、こやつは少々難儀なやつでの」

「――ぷはっ、なにがなんぎだよ!オレはせいろんをいってると思うぜ?そもそもお前!!」

 お、俺か?

「――お前いがいに誰がいるってんだ?だーかーら、お前はほんっとうになあんにも知らないんだな?オレとゼンのこと、お前の置かれているじょうきょう、てきが誰なのかすら分かっちゃいねえ。ダメダメだな。お前はオレたちにふさわしいのか?ああ?おい、ゼンよお、お前はどう思ってるんだ?」

 ふさわしいかって言われても…。俺は…。

「――うるせえ。お前には聞いちゃいねえんだよ!」

 うっ、ごめん。

「――ふむ、まあこやつのケースは仕方あるまい。何も知らされていないのは事実だからの。それに今ここで全てを話すわけにもいかんわいの。ここはわしにまかせておれ」

 お、お前が今の状況を教えてくれるってことでいいんだな。アクってやつは騒がしくて苦手だ…。

「――まあ、そう言ってやるな。あれがアクじゃからの。さて、まずはアクについて詳細を言っておこうかの。アクはお前さんに『王の前では全てが無』(ノーチャンス)の力を与えておって、わしとアクとで『黒き翼の強欲者』となるわけじゃの」

 じゃあ、なんだ?俺の能力は二重能力だったってことか?

「――まあ、そういうことになるわいの」

「――っち、ごたくはいいからさっさとほんだいに入ろうぜ?ほんとゼンはそーゆーまわりくどいところが…」

 おい、勝手に話し出したけどいいのか?

「――ふう…まあ、放っておけばそのうち静かになろう。さて、お前さんは先ほどもっと力が欲しいと強く願ったわいの?その願いを叶えてやろうと思うてな」

 さっき?おい!!奈々さんは?奈々さんはどうなったんだ??

「――あーったく、あーいえば騒ぎ、こーいえば騒ぐ。ほんとにうるさいやつだなあ。そもそもオレは…」

「――奈々か…。その話はまた後でしてやるから、の?今はわしの話を聞いてはくれんかの?」

 そんなの聞いてられるか!奈々さんが死…死んだのかも…ぐすっ、しれないんだぞ?

「――騒いだかと思えば今度は泣くのかよ?おいおい、こどもじゃないんだからさ、しっかりしてくれよ?だいたい、ゼンが…」

「――ふむ、困ったの。こやつは奈々のこととなると必死になるからの…。仕方あるまい…奈々は生きとるよ。だからお前さんはお前さんの状況を把握することに集中するんだわいの」

 奈々さんが生きてる…それは本当なんだな?

「――嘘をつく必要があるかの?間違いなく奈々は生きておるよ」

 奈々さん…よかった…。ありがとう。

「――これでお前さんが落ち着いてくれるならそれでいいのじゃよ。さて、話を戻そうかの。お前さんがもっと力が欲しいと言うからにはわし等からお前さんに更なる力を与えようと思っとるのじゃ」

 更なる力?どういうことだ?お前らは一人一つの能力しか持ってないんじゃないのか?

「――誰がそう言ったかの?別にそうとは限られてはおらん」

 そうなのか…。でもなぜお前はそこまでしてくれるんだ?俺はお前らにしてあげれることなんか何もないのに。

「――いい質問じゃの。凛太郎よ、人には『心』というものが…つまり喜び、悲しみ、怒り…その他様々な感情があるじゃろ?その『心』が強く表れるのがその人の『願い』なのじゃよ」

 その『願い』とお前たちが力を与えることに何の関係があるんだ?

「――ふむふむ、またしてもいい質問じゃ。では、お前さんはどう思う?何か関係があると思うか?」

 え?うーん…じゃあ、お前らはその人間の『心』を食べて生きているってのはどうだ?

「――大間違えじゃ」

「――ぜんぜんあってねえよ」

 そんな二人して否定しなくても…。

「――まあ、しかし案外的を得とるのかもしれんな」

 は?なら、そんな否定しなくてもよかったのに。

「――はは、すまんすまん。まあ、簡潔に言うとお前さんが言った通りだわいの。もう少し詳しく言うなら、わしらにはその『心』がないのでの人間の『願い』を聞き力を与え心に住み着くことでその人間の『心』を学んでおる、といった感じかの」

 心に住み着く?じゃあ、他の超人類にもお前らみたいなのが憑りついているってことか?

「――憑りつくとは言葉が悪いが…まあ、そうじゃの。しかし、ほとんどの人はわしらがいることには気づかん。今回のお前さんのようにこうして更なる力を与えるときになって初めてわしらを知るのじゃ。あの乙とか言う娘はあの年ですでにその段階にいっておる。あの娘にはアスタロスがついておるのじゃな」

 乙のあの妄想は妄想じゃなかったんだな…あとで謝っておかないと。

「――おい、ゼン。お前がもたもたしてるから時間がなくなったじゃないか。やっぱりオレに任せとけばよかったんだ。だからお前は…」

 お、おい…なんか体が光始めたぞ?どうなってるんだ?

「――ふむ、確かに少しゆっくりしすぎたかの。どれ、凛太郎よ、目をつむれい」

 あ、ああ。うわっ、なんか触られたぞ?

「――静かにせい。今、力を渡しておる最中じゃ」

 そうか、じゃあこれはゼンの手ってことだな。

「――よしよし、もう目を開けてもいいぞ」

 そうして凛太郎が目を開けるとそこは凛太郎の心の部屋に入る前の世界だった。

 そして凛太郎が現世に復活したとともにナレーションも復活。

「ここは…戻ってきたのか…」

 凛太郎は奈々を抱きかかえていた。

「奈々さん!!返事してください!生きているんでしょ?」

 が、返事はない。ただのモノのようだ。

「そんな、奈々さん!!奈々さん!奈々さん!奈々さん…」

「――ったく、外に出てもうるせえな。だからお前は…」

 奈々のことで取り乱していた凛太郎にどこからともなくアクが文句を言う。

「なっ、どこから?いや、奈々さんが生きてるなんて嘘じゃないか!!どうして嘘なんかついたんだ!」

 アクの文句よりもつかれた嘘に怒りを向ける凛太郎。

「――だから、嘘じゃねえっつてんだろ?あたらしい力を使ってみれば分かることだ。左目だけ閉じてそのにせもんの奈々を『見』てみろ」

「偽物?どういうことだ?」

 アクの言う偽物の意味が理解できない凛太郎。

「――そんなことはどうでもいいから『見』ろってんだ!!」

 アクの強い口調には慣れてしまったが、言うとおりにしないとめんどくさいことになりそうだったから凛太郎はアクのいうように右目だけで抱いているモノを『見』た。

 すると、凛太郎の右目に翼のようなものが浮かび上がり、目の色が燃え盛る火のように赤く染まった。

「な、なんだよこれ…」

 凛太郎がその右目で『見』た奈々は半透明になり、その右側にまるで説明書きをするかのように『幻術』という二単語が浮かび上がっていた。

 次いで凛太郎がそのまま目線を上に上げるとあの高笑いしているやつにも同様に『幻術』の文字が浮かんでいた。

「――つまりそういうことだな。お前の周りにはこんな大掛かりなげんじゅつを扱うにんげんが一人いるはずだぜ」

 アクはヒントを出しながら凛太郎にこの状況を作り出している人物を導き出させる。

「まさか…所長が??」

「――そうそう、よくできました。んじゃ、次のステップだ。ほれ、左手を前に構えろ」

 凛太郎は奈々の死体が幻術であったことに安心し、アクの言うとおりにする。

「――あとは今までといっしょだ。いつものうりょくを使っているように力を込めるんだな」

 アクに従い、『黒き翼の強欲者』を使用するときのように左手に力を込める。すると左手から小さく光る白い球が現れ、それが少しずつ大きくなっていき最後に弾けた。それと同時に無数の白い羽が球から舞い、凛太郎の視界を覆った。そして視界が晴れたときには抱きかかえていた奈々が消え、壊れていた国超の各施設、あの敵…凛太郎が目にしていた全てのマイナスな光景はきれいさっぱりなくなっていた。

「――これにて、いっけんらくちゃくってな。んじゃまあ、あとはほんにんからネタバレがあるだろうからオレは寝る!なんかあればゼンが答えてくれるだろうから…んじゃ、またな」

 アクはあくびをしたかのような声を出し、その後声を発することはなくなった。凛太郎の心の中で眠りについたのだろう。

「ありがとな…」

 凛太郎はそう言って、安堵の表情を浮かべてその場に座り込んだ。

 しばらくすると遠くの方から凛太郎を呼ぶ声が聞こえてきた。まぎれもない奈々の声である。

 座ったままの凛太郎の目には涙が浮かんでいた。奈々の足音が近づいてくる。

「野崎ぐんっ」

 凛太郎の背中に衝撃が走る。どうやら奈々背中に飛びついてきたようだ。しかもその声はガラガラの涙交じりの声だった。

「よかった…奈々さん、奈々さん…」

 凛太郎は奈々のぬくもりをその背中で感じながら、念のため腰に回されている奈々の腕を右目だけで『見』る。半透明でもなく、変な説明書きも出てこない…本物の奈々だ。ここで凛太郎は初めて本当に安堵した。惜しみなく流れ出すその涙がそれを語っている。

「奈々さん…俺…俺は…奈々さんが無事で本当によかったです…」

「のざきっぐん、ごべんね…ほんとごべんね…」

 奈々は凛太郎を騙していたことを謝っているのだろうが泣いているせいで上手く話せないようだ。

 と、ここでさらに凛太郎に二つの足音が迫ってきた。

「野崎には酷なことをしていまったのう。すまんかった」

 そのうちの一つの足音は所長のものであった。

「ほんとですよ…何が狙いだったんですか?」

 凛太郎は奈々を背中に抱いたまま声の聞こえた方に体を向けた。

「っなぜお前が…」

 所長の隣にいた人物を見るや否や凛太郎は立ち上がり、後ずさりをした。

「ん?ああ、重ねてすまんの。こいつはもともとわしの部下みたいなもんでの、ほれ自己紹介せんか」

 所長にそう言われて一歩前に出てきたのは先ほどまで凛太郎が対峙していた男、今回の任務対象であった。

「まずは騙すようなことをしてすみませんでした。自分は寺園切彦てらぞのきりひこといいます。以後お見知りおきを」

 先ほどまでとは打って変わって落ち着きのある男であった。凛太郎はそのあまりの豹変っぷりに唖然としてしまった。

「ん?ああ、切彦は能力を使っている時だけその反動で性格が反転するんじゃよ。そのせいであだ名はジキルと言われての、名前の寺と切をとって寺切ジキルじゃ」

「はあ、まあそんなことはどうでもいいんですが…なぜこんなことをしたんですか?それと本物の所長はどこですか?」

「えっ?」

 凛太郎の二つ目の言葉に奈々と寺園はぎょっとした。

「やれやれ、ばれてしもうたか。その右目やっかいじゃのう」

 凛太郎は寺切のキャラの変わりようを疑いその右目に宿る能力を使いその真偽を得ようとしたのだが、思わぬ結果を生んでしまった。

「ええ、まあ…幻覚にはもうこりごりですけどね…」

 それが、今三人が目にしている所長が幻覚であるという結果だ。しかし、幸か不幸か先ほどまで唐突という唐突を味わってきた凛太郎はこの件に関して柔軟に対処できてしまっていた。

「はは、それもそうじゃの。しかし、ばれてしまったのでは仕方あるまい。…しばし待っておれ。すぐにわしの本体から説明があるじゃろう」

 そう言って国超の所長であった幻覚とやらは姿を消した。

「なななななな…そんな、あの所長は幻覚だったの!?!?今まで私が目標としてきた人は幻覚だったの??そんな…」

 奈々は自分の上司が偽物だった事実よりはその偽物に憧れて姿まで変えてしまったことに驚嘆していた。

「いやはや、これは驚きましたね。まさかこの自分をずっと騙してきていたとは…。まあ、あの人のことですから何か理由はあるみたいですけど」

 寺切は所長とずいぶん信頼関係が深いらしい。

「寺園さんと所長はどんな関係なんですか?」

 凛太郎は素朴な疑問を投げかける。

「ん?まあ、簡潔に言えば昔の職場の上司と部下ですよ。自分が部下の方ですけどね」

「昔の職場ですか…何の仕事をやってらしたんですか?」

 凛太郎は寺切にぐいぐいと質問をぶつけていく。

「君たちが今日会った国の特殊部隊だよ。先輩はそこでの成果を認められてこの国超の管理を任されたのさ」

 そして寺切も凛太郎には事実を知る権利があると考え質問に答えていく。

「国?所長は国のもとで仕事をしていたんですか?」

 ここで奈々も教えて寺切先生!の授業に参加してきた。

「ええ、先輩はかなり昔から国の直属の部隊のリーダーとして国に重宝されていましたよ。でも、ある時から国に不信感を持ち始めたようで自ら国超の建設を持ち掛けそして現在に至る、というわけです。そして、そのある時というのがですね…」

 寺切がもったいぶって溜めを作っていたところで、

「おい、ジキル!わしのおらんところでわしの昔話をするとはいい度胸じゃのう?」

 突然消えたはずの幻覚所長が現れ寺切をしかりだした。

「ひ、すすみません、先輩」

「まあよい、それより今から話すことはお主には聞いてほしくないから少し席を外してくれんかの?と、いうよりお主の仕事はもうないから帰ってもよいぞ?」

「え?あ、はい。そうですか…じゃ、じゃあ…」

 寺切は肩を落とししょんぼりした様子で凛太郎と奈々に謝罪と別れの言葉を口にした。

「すまんの、お主にもいつか全てを話すつもりじゃ。それまで待っておいてくれ。今日は無理を言って悪かったの、また今度飲みにでもいこうの!」

「は、はい!」

 仕事の上司と部下はこんな関係なんだなと感慨を込めて凛太郎は二人のやりとりを見ていた。

 そうして寺切が遠くに行ってしまうのを見届けた三人。

「さて、二人には今回の件と今まで騙しておった件そしてもう一つ大事な話をしようと思っておる。まずはわしの本体というかわしのご主人を紹介せねばなるまい」

 幻覚所長が話を始める。それとほぼ同タイミングで二人の前にある人物が姿を見せた。


最終章『種明かし』

「……寧々」

 それは所長室への道の門番であり先日奈々と大喧嘩をしていた、そして凛太郎の頬にキスをした寧々であった。

「凛太郎くん、奈々…今まで騙しててごめんね。改めて自己紹介させてもらうわ。私がこの国立超人類研究および訓練指導・指令発達所の所長である野崎寧々よ」

 寧々は少し後ろめたい気持ちを顕わにしながらも偽ることなく自己紹介をする。

「「野崎??」」

 凛太郎も奈々も寧々が所長であったことよりも野崎というその名字に気を持っていかれた。

「ええ、そうよ。私は野崎寧々、野崎凛太郎の実の母親よ」

「「えっえええええええええええええ!!」」

 凛太郎と奈々は息をそろえて驚きの声を駐車場に響かせる。木に積もっていた雪が落ちるくらいの声量であったからその驚きようが窺える。

「そんな大事なことをこうもあっさり言っちゃうんですか!?」

「そもそも寧々って何歳なの?同年代だと思ってたのに」

「ってか俺、孤児院で育ったんですけど…あなたがママ??」

「えっえっ、寧々じゃなくて寧々さん??私の憧れだった所長は??お義母さん??」

 凛太郎と奈々の衝撃はその言動に表れている。どちらもとんでもないことを口走っている。

「あ、ちなみに奈々と凛太郎くんはきょうだいだから!」

 もひとつ爆弾が投下された。

「「えええええええええええええええええっ」」

 本日二度目の大絶叫。

「奈々さんがお姉さん…?」

「野崎君が弟…??」

「え、待ってください。ということは奈々さんも所長の子ども…」

「えっ??えっ…野崎君は寧々の子どもで私のお母さんで、寧々は弟??」

 二人は見つめ合い、指をさし合い差し出された事実にお互いの耳を疑う。そして、脳みそはパンク寸前のようだ。

「ん?違うよ??凛太郎くんが兄で奈々が妹だよ?でも、戸籍上は奈々が姉で凛太郎くんが弟ってことになってるわ。もちろん姉ヶ崎なんてのは偽名よ」

 もう何が何だか分からない…カオスだ。

「「…………………」」

 凛太郎と奈々もついに脳の処理が追い付かなくなり、口は大きく開き目は虚ろになってしまった。

 ここで悲しいお知らせをすることになる。寧々が正しければ凛太郎はなんと実の妹に恋心を抱いてしまっていたのである。知らぬが仏とはまさにこのことである。

「おーい!大丈夫?細かいことは話を聞いてくれたら分かると思うよ。そういうことでまずは話を聞いてくれるかな?」

「そ、そうですね…まずは話を聞いてみないとですね…ねえ、奈々さん?」

「へっ?そ、そうね…ひとまず話を聞くことは大切よね、うん」

 二人の態度が妙によそよそしいのは先ほどの兄妹宣言のせいであろうことは間違いない。

「ありがとう。…私が国の特殊部隊にいたことはジキルから聞いたわよね?」

「はい、でもどうして寧々…さんは国になんか仕えていたんですか?」

 所長あらため寧々は奈々ほどではないが国に対して不信感は抱いていた。

「呼び方が難しいなら、寧々のままでいいよ。もちろんお母さんでも可!!むしろ推奨するわ」

「じゃ、じゃあ寧々でいいわ」

「あらそう?残念…この話を聞いたらもうお母さんとは呼んでもらえないと思うのにな…まあいいわ、話を戻しましょう」

 寧々は意味ありげな言葉を口にし、話を続ける。

「あの頃私が国に仕えていたのはそうでもしないと超人類は生きていけない世の中だったからよ。まだあの頃は超人類が出現しはじめたばかりだったから私たちは恐れられていたわ。でも、国のお偉いさんたちは私たちの力に目を付け国に従うものには寛容に従わないものには厳重な取り締まりをしていたの。だから仕方なく国に仕えることにしたの」

 寧々は重々しく昔話を語り始める。

「なるほど…だからずっとそっち(幻覚)の姿でいたんですね」

「そうよ、さすが私の子ども…頭が働くわね」

 寧々は自分のこともちゃっかり褒めながら凛太郎を褒める。

「え?どういうこと?」

 奈々はいまいちピンときていないようだ。

「つまりね、国が私たちの力だけが目的である以上本当の姿を知られるのは避けておきたかったの。いつ手のひらを返して襲ってくるか分からないからね」

「ああ、なるほど…ようは予防線ってことね」

 奈々もやっと理解したようでこくこくと頷いた。

「そういうこと。そして色々色々あって、あなた達の父親と巡り合い二人を生んだというわけ」

 途中の色々色々は気になるが今回は関係のない話のようなのでスルーしておくのがいいだろう。

「それでどうして僕は孤児院に預けられたんですか?」

 凛太郎は切り込んだ質問をする。今まで身寄りがないと思ってきた凛太郎にとって肉親の登場は喜ばしい限りのことなのだが、ならばなぜ自分が孤児院で育ったのかが腑に落ちない。

「そうね…そのことを話す前にまずはあなた達に謝っておかないといけないわね…ごめんなさい!あなた達にはいくら謝っても許されないことをしたわ。今回の件もだし、あなた達が超人類となったきっかけを作ったのも私たちなの、本当にごめんなさい」

 寧々は二人に頭を下げ真に謝罪する。

「…たしかに今回のことは褒められたことではないですし、今まで僕たちを見捨てていたことは許されることではないのかもしれません…でも何か理由があるのだと思います。とりあえず話をしてくれませんか?」

 まだ他人行儀だが、凛太郎は寧々の謝罪を受け入れ訳を聞こうとする。寧々が奈々の方を向くと奈々がこくんと頷いたから気持ちは凛太郎と同じなのであろう。

「ごめんね、ありがとう。じゃあ、聞いてくれるかな。それが私のできる精一杯の罪滅ぼしだから。私が第一子、つまり凛太郎くんを生んだときに悲劇は起きたの。国の連中が生まれた子どもを超人類にしろって命令してきたの。逆らえば一家もろとも殺すって脅されたわ…」

 寧々はその時のことを思い出してか、表情をこわばらせた。

「そんな…」

「ひどい」

 凛太郎と奈々は自分と関係しかない話であるため、まさに親身になって話を聞く。

「その日からは工作の毎日だったわ。まずは凛太郎くんを奈々として、女として戸籍に登録させたの。昔は女の方が超人類になりやすいって考えられていたからね。そして国の目から離すためにストレスを与えすぎて死んでしまったことにして孤児院に預け、そこで様子を見ていつか迎えにいこうと思っていた…でも凛太郎くんが孤児院にいることがなぜか国にばれて凛太郎くんに魔の手が伸びた。だから私たちは仕方なく凛太郎に大きなストレスを与え超人類にさせたの」

 寧々は凛太郎を超人類にしたあらましを神妙な顔で語る。

「うっ…頭が…いたい…」

 凛太郎は寧々の話を聞き、昔の記憶が頭痛を伴ってよみがえってきたのか頭をかかえる。

「ちょっと、大丈夫??」

 そして心配そうに奈々が凛太郎の背中に手を回す。

「…覚えていないならわざわざどんなことをしたのかは言わなくてもいいわね。むしろ知らない方が気分は楽になるわ」

「い、いえ…話してください。自分のことですし、話を全て聞くって決めたんです」

 苦しみながらも強いまなざしで寧々を見つめる凛太郎。その意思は強い。

「…分かったわ。凛太郎くんには孤児院の仲間が侵入してきた男の殺人鬼に殺される、という幻覚を見せたの」

 寧々の話を聞いた瞬間、凛太郎の頭の中にある場面がフラッシュバックした。

 ナイフを持った男に次々とめった刺しにされていく孤児院の子どもたち、自分に向けられたナイフの輝き、そして暗転。

「こ、これが…僕が超人類になったきっかけ…うっ」

 凛太郎は鮮明に思い出したその記憶に耐えられず嘔吐しそうになったが、それを必死に飲み込み肩で息をする。

「凛太郎くんは能力が暴走しちゃって制御が効かなくなったみたいでね…気を失わせるのにだいぶてこずっちゃたよ」

「寧々…あんたそれでも野崎君の親なの?いくらなんでもひどいわ」

 今の凛太郎の状況、昔の凛太郎の気持ちを推し量った奈々は寧々に怒りを向ける。

「あのときは凛太郎くんを殺させまいと必死だったの!あの時はもうああするしか考えられなかったの…仕方ないじゃない…」

 寧々も当時の切迫感を思い、最善とは言えないが凛太郎を守るために必死だったことをアピールする。

「…奈々さん、いいんです。所長は僕を守るためにしてくれたことなんですから…」

 当の凛太郎に諭され奈々は落ち着きを取り戻す。

「所長…寧々さんも、僕のためにありがとうございました」

「いいのよ、私のやり方も人道的とは言えない訳だし…あなたには酷なことをしたわ。ごめんなさいね」

 凛太郎は謝礼のために、寧々は謝罪のために二人はお互いに頭を下げる。

「じゃあ、続き…と言っても凛太郎くんのその後は奈々の方が詳しいと思うわ。気絶させた後、二人は出会って現在に至るわけだから」

 寧々が暴走した凛太郎を気絶させた後の話は冒頭の話につながっているようだ。ここで読み返すも読み返さないも人の自由だ。

「…僕の話は分かったんですが…ちなみに僕と奈々さんは年はいくつ離れているんですか?」

「年子だから…一つ違いね。それがどうかしたの??」

「…い、いえ…じゃあ、あの時の奈々さんは十一歳だったのか…年下にしかも妹に憧れを抱いてしまうとは…」

 しかし、ある面に関してはこの二人は兄妹であると言えるのかもしれない。それは憧れる人に関して見る目がないということだ。奈々は母親の幻覚に憧れ、凛太郎は実の妹に憧れる…この点だけはさすが兄妹だと太鼓判を押そう。

「妹かぁ…」

 凛太郎と奈々がはじめましてのときに凛太郎は奈々をそのときの姿のせいもあるが母として慕ってしまっていた。それだけでなく、妹に慰められ自分の弱さをさらけ出してしまっていた。

 そして、妹を好きになってしまった。この気持ちだけが凛太郎には整理しきれていない。

「な、何?どうしたの??いまさら私が年下なのが気になるの?」

 奈々の憶測とは別の意味で凛太郎は奈々を見つめていたのだが、奈々に指摘された以上答えを返さなくてはいけない。

「…気にならないと言ったら嘘になりなすけど、たしかにいまさら年はどうでもいいかもしれないですね…年は…」

 年のことだけは気にしないと、つまり年以外のことを気にしていると遠回しに凛太郎は伝えるが奈々には届かなかったようで、

「そうよ。もうこの際、奈々って呼んでもいいわよ。ね?凛お兄ちゃん?」

 凛太郎のことをお兄ちゃんと呼びからかってくる奈々。事態を飲み込み受け入れる力はたいしたものだ。

「ちょちょっと、奈々さん…これ以上頭をこんがらさせないでくださいよ…」

「ごめんごめん。ちょっとでも私が妹だってことを受け入れやすくしてあげようと思ったんだけど…それにしても、兄か…」

 奈々も凛太郎のことを気にかけてくれているみたいである。やはりまだ上司と部下としての関係の方が強そうである。

「そろそろいいかしら?整理はできた?」

 今まで黙って二人を見ていた寧々が頃合いを見て話を切り込む。

「まだしきれてはいませんけど…やっぱり全部聞いてから一つずつ処理していくのがいいと思いますので」

「ん、私も野崎君に同じく。それに次は私の昔話よね?」

 凛太郎も奈々も唐突な出来事の連続の中にいてもしっかりと我を保てているのは賛美であろう。

「二人とも…立派に育って…私は嬉しいわ…」

ここで寧々が母親らしい一面を見せる。

「じゃあ、奈々の話をしていきましょうか。凛太郎くんを孤児院に預けてから数か月して奈々は生まれたわ。後々のことを考えて奈々は凛太郎くんとして戸籍に登録、凛太郎くんを迎えに行ったときに男の子の戸籍がないとなにかと不便になりそうだったからね。そして、案の定奈々も超人類にしろという命令が下ったわ。凛太郎くんは一応死んだことになっていたから今度は失敗は許されないって…奈々を殺したらお前らも殺すって、前より厳しくなっちゃったの。だから、奈々を死んだことにすることはできなくて、奈々が六歳のときに…」

 奈々の過去を語る寧々の目にはうっすらと涙が浮かんでいた。寧々も母親として大きな苦しみに襲われていたことは言うまでもない。

「そう、私が六歳の時に…」

 寧々に代わって奈々が自分の過去を語り出す。どうやら奈々は自分が超人類になったきっかけを覚えているようだ。

「私一人で留守番中にいきなり男が家に入り込んできて、私を殺そうとしたわ…。私は必死に抵抗してなんとか、殺されずには済んだの。でも、それはその男を殺してしまったから…。人を殺してしまって、血で染まった手を見たときにこんな姿は嫌だ!って願ったの。そして、超人類になったってわけね。そして、人を殺めたことが怖くなって逃げた。で、その途中で所長に保護された。でも、今までの感じからするとこれも…」

 奈々は淡々と自分の身に起きたことを語る。それはある確信があったからだ。奈々は寧々を見つめ答えを待っている。

「ええ、全て私が仕組んだことよ。幻覚で男に襲わせ、男を殺させることで超人類にさせた。そして、まさか逃げ出すとは思わなかったけど保護して国超の一員にすることまでが計画だったわ」

「やっぱりね…あーあ、今まで悩んでたのがバカみたい…結局は寧々の手のひらの上で踊らされていたのね…」

 奈々はこの話を聞くまでは正当防衛とはいえ人を殺したことを日々悩んでいた。そして、だからこそあんなにも仲間の死を恐れていたのである。

「奈々、ごめんねごめんね…」

 寧々は奈々に抱きつき我慢していた涙を惜しみなく流す。

「ふんっ、いまさら謝ったって遅いんだから…私が…どれだけ…」

 奈々も今までの悩みや苦しみや自分は人殺しだという負い目感から解放され、寧々の涙につられて泣き始めた。

「私…私…人殺しじゃなかったよー!!!ずっとずっとずっと悩んでた…でも、ほんとうによかった…ぐすっ」

「ごめんね…ごめんね、奈々」

 奈々と寧々は自然と抱き合っていた。これが親子愛の形なのだろうと凛太郎はその光景を温かい目で見守っていた。

「それで結局今回の件は何が目的で実行されたんですか?」

 数分後、涙が引いてきた寧々に凛太郎が本題を切り出す。

「それは…凛太郎くんの能力を覚醒させるためよ」

「覚醒…ですか?」

 凛太郎は聞き慣れない言葉に首をかしげる。

「ええ、そうよ。あなた達は知らないみたいだけど能力はある条件でさらに強くなるの」

「ある条件…今回みたいに大きなストレスを与えることですか?」

 凛太郎は冷静に今回起きたことの条件となりうる場面を切り取る。当事者であるのにこんなにも冷静になれるものかと少し驚かされる。それとは別に凛太郎の成長は喜ばしい限りだ。

「驚いた…いやに冷静ね…そして、言ってることもだいたい合ってるわ」

 寧々も凛太郎の冷静さに驚いているようだ。奈々に至ってはなだ涙を流しているためしばらく会話には参加できそうもない。

「いえ、まあ…あんな色んな事に突如襲われたので…もう一周回って変に落ち着いてしまったというか…。それよりもだいたい合ってるってなんですか?」

 凛太郎の冷静さは成長なんかではなくて、この状況が作り出した仮の感情だった。

「そっ、そうなの…なんというか…ごめんね?」

「もういいですって。だから、だいたいってなんなんですか?」

 こんなときでも凛太郎とそれをとりまく関係者のぐうたらさは変わらない。相変わらず話が脱線しやすい。

「あ、えっとね…つまりストレスを与えてさらなる『願い』を引き出すことが必要だったの。その『願い』によって今回のようにさらに能力が強くなったり追加されたりするの。それが能力の覚醒ってことよ」

 凛太郎が経験したように奈々が殺されるというストレスを与えられ、そのときにもっと強くなりたいと願ったことで能力が覚醒した、ということである。

「そして、能力の覚醒の時にはその身に宿っているモノと出会ってるはずなんだけど…どう?」

「ああ、あいつらですね…会いましたよ。たしかゼンとアクって名前でしたよ」

 凛太郎はあの落ち着いたゼンとせわしないアクを思い出していた。

「ゼンとアクね…うん、そいつらが凛太郎くんのなかにいる悪魔ってことね」

「え?」

「ん?どうかした?」

 凛太郎は寧々の言った単語に疑問を持つ。

「悪魔ってどういうことですか?」

「え?そのことを聞いてないの?」

「ええ、聞いてないですよ。それにアクはたしかに悪魔っぽかったですけど、ゼンは対比させるなら天使っぽかったですよ?」

 凛太郎は自分が見て感じたことを率直に述べる。

「え?天使??そんなことはないと…思うんだけど。あのね、悪魔たちは私たちの『心』を知るためにリスクつきで能力を貸しているの。それが私たちが能力を使った時の反動ってこと」

「はあ、『心』を知りたいっていうのはなんとなく聞きましたけど…そんなからくりがあったんですね」

「ん?でも…もしかして能力のことについてなにか言われた?」

「ええ、なんか今までの能力は一つじゃなくて二つのものだったって言われました」

「なるほどね…つまり、奪って使うが一つの工程じゃなくて奪ってから使うみたいに別々のことだったってことね。凛太郎くん…今まで反動って一回しかなかったの?」

「ええ、相手のトラウマが見えるっていう反動しかなかったですよ」

「おかしいわね…一つの能力に一つの反動だから、反動は二つないといけないのに…」

 寧々が凛太郎の持つ能力のおかしさに悩まされていると、

「――仕方あるまい…ここはわしが直々に説明してやろう」

 凛太郎の口から意思とは関係なく言葉が紡ぎ出された。

「だ、誰?」

 寧々は戸惑っている凛太郎に向けて問いただす。

「へ?僕は何も言ってませんよ?――これ、お前さんは黙っておらんか。わしはゼン。話題に出ていたものじゃよ」

 凛太郎という主を口止めし、ゼンは寧々に答える。

「あなたがゼンなのね。じゃあ、聞いていたとは思うけどあなたは悪魔ではないのね?」

「――ふむ、いかにもわしは悪魔ではなく天使じゃ」

「天使が人に憑りつくなんて初めて聞いたけど間違いないのよね?」

「――まあの、基本天使は人間には無関心じゃからのう。わしが特別じゃと思うぞ」

「ふうん、それなら簡単なんだけど。で、どう?凛太郎くんは?」

「――いうまでもなく愉快じゃの。こやつほどこ『心』がよく動く人間はおらんじゃろう」

「そっ。それにしても、天使っていうのはいやに寛大なのね。能力を無償で貸し与えるなんて」

「――まあのう。わしらは悪魔ほど強欲ではないしの。――てめえ、オレが強欲だって言いてえのか?」

 今まで質問攻めしていた寧々はいきなりのアクの登場に体をびくっとさせた。

「いまのがアク?」

「――そうじゃが無視の方向で頼む。わしが口を押さえおくのでの」

「え、ええ。でも、別にもうこれといって聞きたいこともないから大丈夫よ」

「――む?そうか、ならここらでお別れじゃの」

「あ、待って。…その……うちの凛太郎くんのことこれからもよろしくお願いね」

 寧々は保護者として最後にゼンに声をかける」。

「――ふん、言われなくともそうするわい。お主もこれからは凛太郎のことをしっかりと育てるんじゃぞ?」

 ゼンもある意味で寧々よりも長い間凛太郎とともに生きてきた保護者として寧々に返事をする。

「ええ、もちろんよ!これからは親らしく子に恥じないように生きるわ」

「――うむ。凛太郎、もうよいぞ。では、またの」

 ゼンはそれまで律儀に黙っていた凛太郎の任を解き、静かになった。

「うんうん。すっきりした…にしても天使だなんて凛太郎くんすごいね!!」

 寧々は自分の疑問が解け、満足げに凛太郎に話しかける。

「それはよかったんですけど、本題は?」

「うえっ。そ、そうね本題本題…えっと、どこまではなしたっけ?」

 寧々はやはり奈々の親だ。こうやって自分のことに集中して本題を忘れるところなんか奈々にそっくり。

「能力の覚醒について話していたところです。もう…しっかりしてください」

「ごめんね、天使だなんて初めてだったから。まあ、今回起こったことは全部知ってると思うから舞台裏の説明だけするわね」

「はい、お願いします」

 寧々は遠い昔のことを思い出すように空を見上げた。

「えっとね、まず凛太郎くんはその能力の強さもあってか前から国に配属してくれって言われていたの。でも、どんな危ないことをされるか分からないからずっと断り続けていたの。そしたら実力行使で凛太郎くんをどうこうしようって動きがみられるようになったわ。それだけじゃなくて凛太郎くんを危険因子として排除しようって輩も出てきたの」

「ぼ、僕の知らないところでそんな恐ろしいことが起きていたんですね…」

「ええ。そうなのよ…でもまあ、そのおかげで凛太郎くんに関して国の中で意見が一致しないから凛太郎くんには手を出せていないのだけどね」

 どうやら凛太郎の超人類相手なら無類の強さを誇る能力は国にとっては欲しいものだし、かといって野放しにするのは危険だ、ということなのだろう。

「それで今回、そんな凛太郎くんがいつ襲われるか分からないから凛太郎くん自身を強化しようってことであんなことをしたの。もちろん死者は出してないし、特殊部隊も細かい事情は話していないけど私の味方よ」

 寧々は淡々と自分たちの状況だけを説明した。まるである事実を避けるかのように。

「あ、そうなんですか…。じゃなくてですね!どうして幻覚でも奈々さんを殺すようなことをしたんですか?」

 凛太郎にそう指摘され、ぎくっとしたように体をびくつかせ明後日の方を向く寧々。

「な、なんのことかなー?私にはさっぱりわかんないやー」

「しらばっくれてもだめですよ!ちゃんと全部話すって言ったじゃないですか」

 こうなった凛太郎はもう後には引かないことを所長としてよく知っている寧々はきちんと凛太郎の目を見て言い訳を始める…のかと思いきや、

「だって、凛太郎くんは奈々のことが好きなんでしょ?」

 ここにきて寧々はどかんと一発大きな花火を上げた。まあ、凛太郎が奈々のことが好きなことは凛太郎の言動を見れば誰にでも分かることだが。

「なななななななんて?というか、なんで??」

 凛太郎は変なキノコでも食べたかのように体がおもしろいくらいに震えている。

「凛太郎くんを見てたら親じゃなくても気付くわよ??でもいいじゃない?奈々だって凛太郎くんのこと好きなのよ?」

 …寧々は一流の花火師にも劣らず花火を打ち上げるのが上手いらしい。度肝を抜かれる情報である。…当事者は、というと

「なななななななんて?えっ?…なんで?」

 他人によるまさかのカミングアウトに涙も引っ込み、凛太郎と同じようなリアクションをとる。

「いやあ、親の勘?」

 いや、そこは勘なのかよ!!と、いもしないツッコミ役を請け負いはしたが凛太郎達には届きはしない。

「…………」

「…………」

 まるでお見合いをしているかのように文字通り顔を赤くしながら見つめ合って素直に言葉にできない二人。

「まあまあ、所長としては二人がこれでこれまでよりももっと良い仲になってくれたらいいな」

 じゃあ、親としては?と聞きたくなるが聞くことができる二人はご覧のとおりである。

「…でもまあ、親としては許さないけどね?」

 誰が質問したわけではないが勝手に答えてくれる寧々。しかし、親ならばやはり子ども同士がお付き合いなど許せないらしい。

「…なんちゃって!!二人ともお似合いだから付き合っちゃえ!私は許可するよ?恋愛は自由だ!!」

 さすが凛太郎と奈々の親なだけはある。どこの世界に兄と妹に、しかも自らの子どもに付き合うことを勧める親がいるだろうか。

「ええっ!?許可しちゃっていいんですか?」

 凛太郎は常識をこの中では一番持ち合わせているから、寧々にツッコミを入れることができた。

「うん。だって兄妹とは名ばかりで今までずっと他人として暮らしていたわけだし?今まで不自由な生活をさせてしまっていた分二人には幸せになってもらいたいし?」

 だからといって限度があると思うが。

「だからといって限度というものがあると思うのですが…。奈々さんも何か言ってくださいよ?」

 凛太郎も同じように寧々につっこみ、奈々に助けを求める。

「え?うん。付き合っちゃおうか、私達…」

 頬をぽっと紅く染め凛太郎に寄り添う奈々。この場の常識は次元がずれているのかもしれない。

「な、奈々さん!!奈々さんまでなんてことを言っているんですか!?僕たち兄妹なんですよ?」

 頑張れ凛太郎(通常世界の常識)。

「兄妹だなんて私はいまさら気にしないわよ。寧々もああ言ってるし、ね??」

「いや、ね?じゃなくてですね?常識的におかしいじゃないですか」

 通常世界の常識と次元がずれた世界の常識が今対峙した。今世紀最大の大勝負である。

「じゃあ、野崎君は私のこと嫌いなの?」

「いや、嫌いではないですけど…でも、」

「でもじゃなくて、嫌いじゃないってことは好きなんでしょ?」

 奈々の常識が優勢か。

「す、好きではありますけど…」

「けどじゃなくて、私も野崎君…いえ、凛太郎のことが好き!両想いの男女が付き合う…これっておかしい?」

 どうでもいいが、奈々は男らしすぎる。逆に凛太郎は女々しい。戸籍通りの性別の方が正しいのかもしれない。

「いや、男女って兄妹ですよ?おかしいです!」

「じゃあ、凛はそんな理由で私を嫌いになれる?」

 これまたどうでもいいことなのだが、奈々の凛太郎の呼び方がどんどんラフになっていく。

「たしかにそんな理由では嫌いになれないですけど…」

「じゃあ、私と付き合いなさい!!私は凛と一緒に幸せになりたいの!!」

 このセリフを血縁関係のない女の子に言われたらどんなに嬉しいことか…。そう、血縁関係さえなければ…。

 何はともあれ奈々は仁王立ちになって凛太郎に命令とも嘆願ともとれるセリフを吐いた。

「ええっ!?それは嬉しいことなんですが…」

「何?まだ迷ってるの?いいから私と付き合いましょう。絶対に今以上に凛を夢中にさせてあげるから」

 奈々が男だったら世の女の子はどんなに喜ぶことか…。まあ、これはこれで女の子には需要がありそうだが。

「ぷっ…あはは。奈々さんはこんなときでも奈々さんなんですね」

「もちろんじゃない。私は私よ!」

「分かりました。こうなった奈々さんはてこでも動きませんからね…。奈々さん、僕と付き合ってください」

 凛太郎が折れ、常識が白旗を挙げてしまった。そして、恥じらいながら奈々に告白する。

「ええ、よろしくね。凛兄!ふふっ」

「奈々さん!恥ずかしいからやめてください…てか呼び方は凛になるんですか?」

「うん!もちろんじゃない」

 ここに新たなリア充が誕生した。素直におめでとうと言えないのはリア充という存在のせいかはたまたそのリア充を構成する二人の関係の特別さのせいかは伏せておこう。

 にしても、どこかのブラコン妹とシスコン兄に聞かせてあげたい話である。

「うんうん。おめでとう!!よかったね。これで私も心置きなく自分のことに専念できるよ」

 事の次第を見守っていた寧々は二人を祝福する。

「親に褒められるっていうのは複雑だな…まあそんなことより自分のことってなんですか?」

 凛太郎は妹と付き合うことになったことを母親に祝福されることにある種の異常さを感じつつも寧々の話に反応する。

「私がやりたいのは今の国を変えることだよ、りんりん」

 勇気の鈴が鳴りそうな、もしくはどこかの笹を食べる生物の名前のような呼び方をされる凛太郎。

「さすがにりんりんはやめてくださいよ…」

 さすが、この三人は話を脱線させるのが上手である。

「まあまあ、そこは置いといて…私はあなた達のお父さんと力を合わせて国をいい方に変えたいの」

 やっと父親の存在が明かされた。遅すぎる登場となった。

「はっ!今まで忘れていたんですが、お父さんってどこにいるんですか?」

 もはや凛太郎にも忘れられる始末。

「第零区だよ。そこで国を変えるために有志を集めたり作戦を考えたりしているんだよ。だからこそ私は第零区に物資を送っていたし、今回の件の舞台をそこに選んだわけなの」

「なるほどね、これでだいたいのことは聞けたのかな?」

 リア充の片割れ、奈々が内容からして寧々の話はだいたい済んだのかと判断し寧々に訊ねる。

「ええ、話したいことは終わったわ。それでね、私はあなた達にも国を変える作戦に参加してもらいたいのだけど…そのことは私が許されたらにしましょうか…」

 寧々は全てを話した…子どもにどんなことをしたのかを白状した。あとは凛太郎と奈々がそれを受け入れ許すのかどうかの話になった。

 そこで寧々は二人が話を切り出しやすいように話を振った。結果が心配そうに二人を見つめる。

「そうね…もちろん全てが許されることでもないし褒められたことでもないのは百も承知よね?だけど、それは私たちを守るため…なら、私は許すわ。でも、一発…一発だけ寧々を殴らせてもらうわ。それでもうチャラにしてあげる」

 奈々は寧々の事情を考え、自分らしい答えに至る。そして、寧々の方に近付いていく。

 寧々も奈々の答えを受け入れ目を閉じて来たる攻撃を待つ。

 パァァァン…。奈々が寧々の頬をビンタした音が響き渡る。寧々はそのビンタの強さによろめき目には涙を浮かべた。が、次の瞬間体が温かいものに包まれた。

 奈々が抱きついていたのである。

「奈々…」

「あなたがどれだけの意思を持ってあんな行動をしたのかは分からない。でもつらかったのは間違いないわ。私たちのためにありがとね…お母さん」

「奈々…」

 奈々は宣言通り寧々を殴って全てをなかったことにまではしなかったが許しはした。そうして涙を頬につたわせながら寧々の体に自分の体を押し付ける。

「僕も…奈々さんと同じで僕たちを守ってくれた所長に感謝します。そして、奈々さんが僕の分まで殴ってくれたみたいなのでそれで許します」

 凛太郎はそう言って奈々の上から寧々を優しく抱擁した。

「今までありがとね、お母さん」

 ここで三人は家族の姿を取り戻し、愛を感じあえたのだった。三人の涙腺はとめどなく涙を放出し、顔は涙と鼻水でびちゃびちゃだ。しかし、今の三人にはとても似合っている。泣きながらも笑顔が輝き幸せな時間が流れる。

 数分後、泣き疲れたのと恥ずかしくなってきた凛太郎が二人から離れたのをきっかけに三人は次第に落ち着いていった。

「それじゃあ、国を変える作戦には参加してもらえるかな?」

 寧々は今一度凛太郎と奈々に自らの目標の達成の手助けを求める。

「「はい。もちろんです!」」

 凛太郎と奈々は悩むことなく返事をする。

「ありがと、とはいってもしばらくは今までの生活が続くと思っておいてね」

 寧々は軽くウインクを飛ばす。

「はい、ところで今回の件のことを知っている人はどのくらいいるんですか?」

「んーと、全てを知ってるのは私達夫婦とあなた達、それと言平くらいかしらね…」

「えっ?寧々言平にも話したの?」

 主である奈々が執事が自分たちのことを知っていることに驚きを隠せない。

「いや、言平はたしかあなた達に盗聴器を仕掛けていたわよね?」

「「あ…」」

 言平は凛太郎達の過去だけでなく先ほどの話を全て聞いていたのである。もちろん二人が付き合っていることも。

「しまった…そのことをすっかり忘れてたわ…」

「次から言平とどんな顔して会えばいいか分からない…」

 ここにまた一つ悩みの種が増えたが、最後の最後まで凛太郎と奈々らしい。

 その後、言平達と再会しみんなの無事を確かめた後付き合っているという事実だけを三人に伝えた凛太郎と奈々。

「そんたなー、お姉さまぁぁ…」

「つ、つつ付き合うだなんてけっけ汚らわしい…で、でも一応おめでとうですわ。い、一応ですからね」

「へー、二人はお付き合いされるようになったんですねー。それはそれはとても喜ばしいことでございますねー」

 凛太郎を嫉妬の目で見つめる乙、腕組みをしながら他所を向いて祝福する橘、あたかも初めて知ったかのように振る舞うが薄ら笑いを浮かべている言平。三人それぞれがそれぞれらしく反応を示した。

 今回の件は国との特殊合同訓練と言う形で他のみんなには伝えられた。

 寧々は今まで通り所長と門番の一人二役の仕事に戻り、凛太郎と奈々も今まで通りの生活を送る。ただ、「いつの日か三人で暮らせたらいいね」などという幸せな会話をしながら家族として接することは増えた。

 そんなこんなで国超に平穏な日常が返ってきた。

「ねえ、凛―。次はどんな姿にしたらいいかな?凛の好みを聞きたいなー?」

 奈々は凛太郎の左腕にしがみつき上目遣いで凛太郎を見つめる。なんというあざとさ。付き合う前の奈々とはまるで別人だ。すっかり国超の名物カップルとなった二人は国超の中でも会話もといイチャイチャする。

「僕はどんな姿でもいいかな」

「ひどい!やけに冷たいじゃない」

「だってどんな姿でも奈々さんは奈々さんですし、僕はどんな姿の奈々さんでも好きですよ?」

「きゃ、もう凛ったらー。でもそろそろ奈々さんって言うのやめて欲しいな。奈々って呼んでみてよ!」

 こんなにイチャイチャするもんだから国超にはこの二人を敵視する(嫉妬と羨ましさの目で見る)ものがいる。

「奈々様、少々お顔が近すぎるかと…少し離れてみてはどうです?」

 言平もその一人であった。奈々と凛太郎を離そうと必死に二人の間に入ろうとする。言平は凛太郎が誰かと付き合うことに嫉妬しているようだ。

「そ、そうですよ!!お姉さま!!さ、離れてください」

 そして乙もその一人。奈々を凛太郎から離そうと奈々を引っ張る。

「そうですわ!そんなにくっついてふけつですわ!離れなさい」

 さらに橘もその一人。凛太郎を奈々から離そうと凛太郎を引っ張る。

 こうしてこの五人はいつもてんやわんやしている。凛太郎からしてみれば楽しくて仕方がないのだが、周りの浮かない男子にとっては凛太郎はハーレム状態のうらやま人間であった。こうして、一日また一日と恋に関して敵を増やしていく毎日を送る。

「こ、こら!三人が離れてよ!!私の幸せな時間を奪わないで!」

 奈々は三人に付きまとわれるのは嫌ではないが不快ではある。凛太郎との時間を阻害されてしまうから。

「まあまあ、こうして五人でいるのが普通になってきたんですからできるだけ一緒にいましょうよ。僕もその方が楽しいですし…その、奈々とは国超以外でも会えるわけだし、ね?」

 凛太郎は今の五人の関係を続けていきたいと思っているようだ。なんだかんだで一つのチームとなったこの五人の仲はチームワークと共に国超ではトップと言われるくらいになのだから。

「そ、そうね。もっと色んなとこに二人で行こうね!!そんなわけだから、国超では凛の心の深さに感謝して五人でいましょうね」

 凛太郎からのデートのお誘いに奈々は興奮し赤面する。

「もちろん言われなくても私はいつでも奈々様とシス太郎のそばにお仕えしますから」

 いつも通りポーカーフェイスで爆弾発言をする言平。シスコン凛太郎でシス太郎なのであろう。奈々と凛太郎はドキッとしたが、乙と橘は別段気にしたような素振りは見せなかったので安心した。

 しかし、奈々は言平を横目でにらみつけておいた。見て見ぬふりをされたが。

「お姉さまーー。乙とも色んなところに行きましょうよー」

 奈々をつかんだ手をぶんぶん振る乙。

「わたくしだってあなた達がいかがわしいことをしないか見張るためにもできるだけ一緒にいますわ!け、決してこの五人でいるのが楽しいからではないですからね!」

 乙も橘も五人でいることには反対はしないようだ。

「よーし、んじゃあ今日もちゃっちゃとこの任務を終わらせてご飯でも食べに行きましょうか」

 奈々がリーダーらしく四人をまとめる。あの件以来奈々は前にも増して明るくなった。

――こうして姉ヶ崎チームはいつしか国超一のチームになり、寧々の国改革作戦に大きな貢献をするのだが、それはまた別の話で…。

さて、ヒューマンビーアンビシャス第1話の内容はいかがだったでしょうか??ほとんど自己満で書いた作品ではありますので、自分としてはとても楽しい内容だったと思います。

ただ、わたくしが兄妹LOVEであると勘違いが生じているようであればそこは誤解を解いておきたいところであります。しかし、嫌いであるとは断言はしません。

この小説は好き嫌いがはっきりと分かれるものであると自信をもって言えますので正直な感想をお持ちになってほしいです。

では、また2話以降もお付き合いいただけたら幸いでございます!

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