くノ一の術
くノ一、というと色っぽい衣装を着た女忍者が華麗なアクションをして活躍、色仕掛けで大名や商人を籠絡して情報を得る……といった姿が思い浮かぶ方が多いと思われるが、実際のところはどうなのでしょう?
そもそも「くノ一」という奇妙な名称が、なぜ女忍者のことなのか?
「女」という文字を三つに分解すると、平仮名の「く」、片仮名の「ノ」、漢字の「一」となる。これが女性忍者の名の由来である。ちなみに「男」の場合は「田」と「力」で、タジカラというが有名ではないですね……
小説で有名になったのは山田風太郎氏が1960年から翌年にかけて「講談倶楽部」に連載した「くノ一忍法帖」といわれています。そのため、「くノ一」は山田風太郎氏の造語である、と断じている忍者関係の書物もありますね。
しかし、そもそもは江戸時代に書かれた忍術秘伝書、「万川集海」や「正忍記」などに「久ノ一の術」として紹介された文書を参考にしたのではとされています。
それらによれば、「くノ一の術」とは「陽忍法遠入りの術」のひとつとされ、情報をさぐる武家屋敷に女中や下女として奉公させて、献身的に仕事をして信頼させ、見聞きして集めた情報を仲間に連絡させることである。
女中などの奉公人はときどき休みをもらって、親もとへ里帰り、宿下りなどをっせてくれる風習があり、この時に育て親、もしくは身元引受人にまとめて情報を連絡する。
また、京都などの美人の多い国で、美女に産まれた子供をもら受けたり、買い取ったりなどをして女児を育てあて、美しい娘に成長すると敵国の大名に側女に奉公させて、上記と同じように情報収集したという。
なお、スパイとして潜りこませた女忍者が敵と情を通わせる場合があり、味方を裏切る可能性があるので男の忍者を身近に奉公させて見張らせたともいう。
また、そんな女忍者を城内に潜入させたあとで、他の忍者を潜入させる「隠れ蓑の術」というものがある。
女中となった女忍者は敵将かその奥方に、「宿元にあずけた衣類などを届けてもらいたい」などと口実をつくり、大きな木櫃を取り寄せる。門番などが木櫃のフタをとって改めると中に衣類がぎっしりと畳まれて詰め込まれている。改め役が型通りに調べて通過させる。
が、この木櫃は二重底になっていて、下部に男の忍者がひそみ、警戒厳重な城中にまんまと侵入が成功するというものである。
最後に実在の女忍者を紹介する。武田信玄は「三つ者」や富士山の御師などをスパイにした忍者使いとして、徳川家康、毛利元就と並ぶ戦国の三大忍者使いであるが、女忍者の組織も持っていた。
「歩き巫女」をスパイにした忍者組織である。
巫女には神社につかえる巫女のほかに、歩き巫女があった。歩き巫女は、梓巫女、口寄せ、市子、県語り、白湯文字、旅女郎、笹帚き、とも呼ばれる。
歩き巫女は全国津々浦々を旅して歩き、民のなかに入って生きた。頼まれれば、神がかり状態となり、生霊や死霊を招いたり、神託を受けとったり、弓弦を鳴らして祈祷や呪法をおこない、病気を治癒したり、予言や易占もおこなった。
武田信玄は歩き巫女の特殊性に目をつけ、信濃国の望月盛時(信玄の甥)が川中島で戦死してから、未亡人である望月千代女を、甲斐国と信濃国の巫女頭に任命した。
望月千代女は信濃国小県群(現在の上田市)の禰津村古御館に居をかまえ、歩き巫女を養成した。もちろん女忍者である。
これらの忍者組織をいくつもかかえた武田信玄は館にすわったまま、日本全国の情報に通じていたので、信玄を「足長坊主」と渾名した。




