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忍者・忍術の研究ノート  作者: 辻風一
忍者について
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忍者の名称

 忍者、忍びの者とは昭和になって小説家がつくりだした言葉である。

 明治・大正時代は「忍術遣い」と呼ばれたそうです。


 仮にあなたが江戸時代にタイムスリップして、江戸時代の人間に「忍者」といっても通じません。

また、「忍び」といえば、「ドロボウ」の意味に受け取られる。


 では、忍者にあたる人々はその昔、なんと呼ばれていたのであろうか?


○古代日本


『日本書紀』の「巻第二十五(孝徳天皇)」の章の二年(646)の項に、“斥候うかみ”という文字があり、同じく「巻第二十二(推古天皇)」の章には「新羅しらぎ間諜者うかみひと迦摩多かまた、対馬に到れり」とある。“間諜者”と“斥候”が同じウカミと呼ばれていた。


 斥候せっこうとは敵軍の地形や動静を探る少数の兵士の意味で、間諜かんちょうはひそかに敵の様子を探るスパイのことで、だいだい同じような意味だ。しかしこれはまだ忍者というより軍隊の一部兵士の印象が強い。専門家でも意見がわかれるところです。


 本邦最初の忍者としてよくいわれるのは聖徳太子がつかった大伴細人おおとものさびとであると言われています。

「萬川集海」などの忍術伝書によると、聖徳太子は伊賀国の大伴細人を「志能便しのび」もしくは「志能備しのび」と名づけてつかっていた。そのため、後世、「細人」、「細作」と書いて“シノビ”と読むようになったと言われている。

志能便しのび」の意味については忍術研究家の奥平兵七郎氏が「主人によき便り、牒報ちょうほうをもたらすべく志す者の意」と解釈し、のちの忍びの者、忍者の語源となったと語る。


 しかし、この聖徳太子がはっきりと「志能便」(忍者)をつかったという記録は「日本書紀」などの朝廷や藤原氏など公の書物には掲載してません。

 斥候、間諜者イコール忍者なのかどうか?


「萬川集海」、「忍術奥義書」などの忍術伝書は江戸時代に書かれたものです。水蜘蛛などの空想的な記述もありますので、一級史料の認定はされておらず、信憑性が高いとはいえません。悪く言えば筆者たちが忍者の地位を格上けするための空想話だった……という可能性もあります……


 しかし、聖徳太子のいた奈良と伊賀、甲賀は近い土地柄で、甲賀市の油日神社は聖徳太子が建立したそうで、他にも関わりがあります。

 忍術伝書の「志能便」説は土地に伝わる伊賀や甲賀の古い言い伝えなどから得た知識なのかもしれません。真偽のほどはいかに?

 ここは新史料の発掘に期待しましょう。


○戦国時代


 江戸時代に書かれた『武家名目抄ぶけみょうもくしょう』は武家の辞典である。ここには武家政権の確立した平安時代末期から江戸時代までの武家の故実が調べあげられている。

そのなかの忍者の項目には、関東では乱波らっぱ(破)、甲斐かい国より以西では透波すっぱ(破)と呼ばれたとある。また、


「常に忍びを役するものの名称にして、一種の賤民なり」


 と、身分は足軽あしがる以下に軽んじられていた。合戦で命をかけて挑んでいたのに、である。


 戦国時代は暴力の時代である。国取くにとり明け暮れ、たくさんの人命が奪われた。戦国大名のなかでも合戦を有利にするために他国の情報を得ることは大事なファクターである。

 そのため戦国大名たちはこぞって伊賀忍者や甲賀忍者を雇いいれて諜報活動につかった。また、地元の修験者や盗賊を忍びに使った大名もいる。

 

 北条氏政に仕えた三浦浄心は江戸時代初期に「北条五代記」を執筆し、そのなかで乱波(忍者)とは、盗人ぬすひとにて、また盗人にあらざる者。心かしこくけなげにて、横道おうどうなる者。と、書いている。


 つまり、忍者は盗賊であるから掠奪りゃくだつをするが、気が利いて、忠実で乱暴者だという。彼等は夜の闇に隠れてスパイ活動や奇襲をおこなった。

 忍者とドロボウが混同されるのもやむをえないかもしれない……


 忍術伝書で有名な「萬川集海」にしてから、


「忍者はそもそも、ほぼ盗賊の術に近し」


と、書かれています。


 加賀藩では忍び組を”偸組ぬすみぐみ”と呼んだ――あんまりな呼び名であるが、忍者に限らず武士のお偉方は下級武士に対して酷い扱いをしていたようです……


○江戸時代


 平和な時代となり、武士も官僚化していく。忍者は仕事を失い、下級藩士となるか、帰農し、旅芸人になるものもいた。


 武士の剣術が合戦における殺人術から、人を活かせる剣・活人剣となり、やがて武道としての剣道に変わっていったように、忍術もまた武芸のひとつに変化していった。武芸十八番には“忍術”も含まれる。


隠密おんみつ」、「御庭番おにわばん」は戦国の忍者とはまた違うもののようです。

 これらについては、のちに語ろうと思います。


○近代


 明治以降、日本は日中、日露、太平洋戦争に突入していく。日本軍は陸軍中野学校というスパイ養成所で戦国時代の忍術についても学ばせたが、もはや“忍者”ではなく間諜、スパイというのが正しい存在でしょう。


○まとめ

 

 忍者は狭い意味では、戦国時代に活躍した伊賀・甲賀などんの集団を差すといって良いでしょう。

 忍者は広い意味では、軍隊における斥候、スパイも範疇に入るとは思います。

 この区切りは歴史学者や時代作家でもマチマチの意見があり悩ましい課題です……


 最後にさまざまな文献に掲載された各地方・時代によってことなる忍者の名称を記載しておく。


 志能便しのび志能備しのび観者うかみ、細人、細作、かん間諜かんちょう間者かんじゃ、諜者、かまり、軒猿のきざる、三ツ者、風間かざま風魔ふうま、せっぱ、すっぱ(透波、水波、素波)、乱波らっぱ突破とっぱ、廻し者、物見、夜盗、饗談きょうだん、ヒキ猿、くさ、などなど……


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