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 微かに後ろを窺い見た彬は、何度目かになる角を曲がった。案の定同じ角を曲がって来た人物に、勢いよく振り返る。

「テメェーはストーカーかぁ! ケーサツ呼ぶぞ!」

 秀行と別れた辺りから、その気配は続いていた。何度も何度も「偶然同じ道筋なんだ」と自分に言い聞かせ、それを証明しようと目についた角は全て曲がった。

 しかしその結果、明らかに自分を尾行()けていると判明した男をグッと睨みつける。

「俺をつける理由があんなら今すぐ言え! それが出来ねぇなら、背中向けてどっか行け! 両方、三秒以内だッ」

 目の前の男を指差し叫んだ彬は、その手に拳を握った。

 このまま三秒以上、無言で無表情なまま突っ立っててみやがれ、殴ってやる。

 ――一、二、三ッ!

 少々早いカウントを心の中で唱えた彬は、「よしっ!」と足を一歩踏み出した。

 彬の脳細胞は、何度も俊介を思い出させ、尚且つすぐに記憶の中から抹消したいと思っている人物が目の前にいるというだけで、殴るには充分な理由と判断した。

「話が――あるんだ」

「ぁ…ああ?」

 間延びしたような男の声に、殴る対象を失った拳がプルプルと震える。それをもう一方の手でなんとか押し留めた彬は、唸るように言葉を吐き出した。

「なんだ、話って」

 どこまでもマイペースな男は、イラついた彬の態度などお構いなしでのんびりとした声を出す。

「俺の名前は相沢隆哉」

「だーッ! 自己紹介なんかどーでもいい。ってか、知ってるし! ハ・ナ・シ・ってのは、何だっつってんだよ!」

 もう限界! と振り上げられた拳に、相沢の視線が移動した。フイと首を傾げ、考え込むように顎に手をあてる。

「…んー。交換条件ってのも、有りかもしれない。――うん。そうするか……」

 無表情のままポンと手を打った相沢は、視線を彬へと戻した。

「俺の事殴ってもいいから、俺の質問に嘘偽りなく答えるってのはどう?」

 ――どうって? 何が、どう?

 『殴ってもいいから』と不気味に意味不明な台詞を吐く相手に、体の力が抜けていく。拳を力無く下ろした彬は、情けない瞳を相沢に向けた。

「何? 質問って。出来れば簡潔に頼むよ。俺、また倒れるかもしんないし」

 何を考えてるのか解らない奴の相手が、こんなに疲れるとは思わなかった。

 肩を落とす彬に、顔を覗き込んだ相沢が問いかけてくる。

「もしかして。すごく重い病気にかかってるとか?」

 声からも心が窺えないこの男が、本気で言ってるのか冗談半分のつもりなのか、彬には見当すらつかなかった。仕方がないので、こちらも当り障りのない答えを返しておく。

「重い病の奴が体育なんかすると思うか? 今日はちょっと、体調がワリィだけだよ」

「そっか。倒れた時の顔も大丈夫だったし。そうだよな」

 独り言のように呟く相沢の台詞に、やっぱり本気だったのかと視線を逸らす。

 ――よかった。ノリで「そう俺、心臓病なの」とか言わなくて。

「でもそれ。酷い顔だね。いつ頃から?」

 指を差しながら続くまたもや意味不明の問いかけに、律儀にも「生まれつき」と答えながら、俺こいつに何か恨みを買うような事したかなと記憶を反芻する。

「やっぱり。さっきの友達が原因かな」

 意味不明な言葉を延々と聞かされる理由なんて、思い当たる事は一つしかない。足を絡めて転んだ事ぐらいだ。

 額に手をあて、頭が痛くなる程考え抜いた挙句に出た結論がそれだった。

「あー、言っとくけどな。ありゃ事故だぜ。ワザとじゃない。それに、ケガしたのはこっちなんだから、根に持つ程の事じゃないだろ」

「さっきのあの友達。彼には近付かない方がいいね」

「聞いてんのか? あいつには関係ねぇだろ」

「学校も休んだ方がいいかも」

「なんでよ」

 噛み合う事のない会話に、ブチッと何かが切れる。

「だって命にかかわ――」

「なんだそりゃ! 脅しのつもりかぁ!」

 カッと目を見開きブチ切れた彬に、それでも動じない男があっさりと首を振る。

「脅し? 違うよ」

 マイペースな男の声音には、悪意も嫌味もない。ただ真実を言ってるだけ、という感じを受けた。

「じゃあ、なんだ。そういや、質問があるとかって言ってなかったか? 今のがその質問か?」

「違うよ」

 即答する相沢に、相性の悪さを実感する。

 ――俺。こいつとは絶対、友達になんかなれねぇや。

 はーっと、長く溜め息を吐く。

「質問っていうのは、何故サッカーをやめたのかって事なんだけど」

 相沢の台詞にピクリと反応した彬は、怪訝な顔を相手に向けた。

「なんだそりゃ。答えなきゃなんないのか? お前には関係ないだろ」

 アホか、と一蹴に付す。

「それが、一概にそうとは言えないんだよね」

「答える気はない。じゃな」

 クルリと背を向け歩き出した彬を、相沢が追う。

「中学時代は、全国に行くメンバーに選ばれた程なんだろ?」

「うるさいよ、帰れ」

「何か、キッカケがあった筈だ」

 『キッカケ』という言葉に、無意識にあの事故の記憶が脳裏をよ過ぎる。

 ――ほんと、こいつは嫌な事ばかり思い出させやがって……。

「誰から中学時代の事を聞いたのかは知らないが、理由なんて」

 ピタリと足を止めた彬は、振り返らずに声を発した。

「なら、俺からも質問だ」

 両手に拳を握る。

「お前もサッカー、やってたのか?」

 これで「やってた」という言葉が返ってきたのなら、無理矢理にでも納得してやる。

 あの、他の奴には真似出来ないと言われた俊介の足さばきをやってのけた事も、俺から一瞬にしろボールを奪った事も。

 少々無理のある条件だったが、彬は兎に角自分を納得させたかった。

 しかし相手の答えは、それを完全に拒絶してくれる。

「俺はやってなかったけど。それより」

 さらりと言い放った相沢に、勢いよく振り返る。まだ何かを続けようとしていたが、彬は腕を一振りしてその言葉を遮った。

「おかしいだろ! なんでやってなかったお前にあんな動きが出来るんだ! どっかのマンガにでも出てくる天才か、お前は! 俺からボールを取るなんて、そんじょそこらの奴に出来る事じゃねぇんだよ! それに――」

「それに?」

 ――あの、ボールを舞い踊らせる動き。どこかおどけたような、足さばきは……。

 俊、介…の……。

 顔を歪ませ続く言葉を失った彬に、相沢が問い返す。

「それに、何?」

 彬の言葉に初めて執着を持った男が、重ねて尋ねた。

「言ってみて。その続き」

 ジリジリと追い込むように足を進めてくる。そして彬も、同じ速度で後退した。

 ――『みんな、気味悪がってる』

 耳に蘇った秀行の声に、「同感だ」と心の中で返事を返す。

 いや、気味悪いのレベルじゃねぇかも。知ってか知らずか、痛いトコばっか突いてくるし。

 弱気になりかけた彬は、「ふんっ」と足を踏ん張りなんとか相沢を睨み付けた。拳を握り、前へと突き出す。

 その拳でトンッと相沢の肩を小突くと、途端にクルリと向きを変えて駆け出した。

「お前に教える事なんか、一コもねぇよ!」

 片手を振り上げながら叫ぶ。肩越しに自分を見送る男を目の端で捉えた彬は、あっかんべと舌を突き出してみせた。


 夕陽を正面に受けて歩いていた相沢隆哉は、不意に足を止めると、路地の塀に背を預けながらズリズリと腰を下ろした。無感情な瞳を、目の前の地面へと向ける。

「中々手強いね、あんたの親友」

 その視線の先には、制服姿の男がうつ伏せに横たわっている。隆哉の台詞に肩を揺らして笑った男は、顔は地面につけたまま目線を上げて隆哉を見遣った。

「だろうな。あいつはお墨付きの、頑固者だから」

 ハァハァと苦しげな息を吐き出しながら、それでも笑顔を浮かべる。

「素直に俺の事、言ってみれば?」

 その提案に唸り声をあげた隆哉は、膝に肘をついて顎を支えた。視線をゆっくりと宙に漂わせる。

「今までの『経験』から言うと、あまり名案だとは言えない。大体は気味悪がって口を噤む。それに何故かあの高橋、あいつは既に俺の事を警戒してるから。俺の顔見ただけで臨戦態勢って感じ。――なんであんな性格なの?」

「頑固な上、喧嘩っぱやいってか」

 フーッと力無く息を吐き出した隆哉に、男が問いかける。

「ショックか? 会ったばかりのあいつから、いきなり敵対視されて」

 ゆっくりと隆哉の視線が下りてきて、男に注がれる。

「ショックっていうか、面倒くさいな……」

 それが本音。

 隆哉にとっては自分に関係ない人物から嫌われようが、ケンカを売られようが、なんの問題もなかった。好かれようとは思わないし、ケンカを買う気もない。殴りたいと言うのなら、殴らせてやるだけだ。

 しかし今回は、相手が悪い。なんとしてでも相手から本心を聞き出さなくてはならないし、ゆっくりと時間をかけている場合でもない。

 ――『面倒くさい』

 まさにピッタリとくる感情だったが、それすらも隆哉にとっては他人の思いのように、どこか遠くで感じる感覚でしかなかった。

「ねえ。苦しくないの? そんな血だらけで」

 止めどなく血の流れる男の額に指先で触れる。それで何が楽になる訳でもない。この男の苦痛を取り除くには、『方法』は一つしかないのだから。

「ハハ。苦しいに決まってんだろ。こうやってお前と話すだけでも、気が狂いそうなんだぜ。少しはお前にも解るだろう? この痛み」

「それでもここから、動かないワケ? (みち)なら俺が、示してやれるのに」

「……そうだな。まだ動けない」

 弱い笑みを浮かべた男に、自分の左太腿を擦りながら隆哉は呟いた。

「俺には解らないよ。俺に解るのは、最初に受けた車の衝撃だけ」

 この男はずっと、ここで死の瞬間の苦しみを繰り返している。たった一人の、その気持ちを知りたいが為だけに――。

「高橋が、あんたの事故の事を引き摺ってるのは確かだ。サッカーをやめたのもその所為だろうから。その線から攻めようと思ったのに、やたらとガードが堅いんだ。少しも心を開かない」

「まずはあいつを、納得させるべきだな。じゃないと何もしゃべらない。ヘタな嘘は逆効果だ。変に勘がいいから、すぐに見破られる」

「んー」

「まあ、日数かけてやってみな。今までずっと待ってたんだ。多少延びても構わない」

「こっちはね」

 のんびりと言葉を継いだ隆哉に、男の目がゆっくりと眇められる。

「……どういう意味だ?」

 低く声を出し、重そうに頭を擡げる。それに対し真っ直ぐな視線を向けた隆哉は、表情も薄く言ってのけた。

「だって、死期が近いもん。あいつ」

「…なん…だと?」

 隆哉の言葉に目を剥いた男の上を、車が無造作に走り抜けて行った。

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