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第2章 猟犬-2

 帰るなりどっと疲れが出てそのままベッドに潜り込んだが、そのくせなかなか寝付けず、結局殆ど眠れないまま朝を迎えてしまった。


 目を閉じると、昨夜の出来事――「罪鬼」と呼ばれる生ける死者たち、その罪鬼どもを巨大な剣を振るって切り裂いていく謎の美少女・カーネの姿がしきりにフラッシュバックする。

 おまけにカーネの顔が(瞳の色や魔法のような力を別にすれば)失踪した麻美に瓜二つだったことから、日下司朗たちとの一件を始め、思い出したくもない忌まわしい記憶ばかりが次から次へと蘇ってきた。


 ふと枕元の時計に目をやると、朝の八時。

 こんな状態なら、多少眠くても起きていた方がまだマシだ。


(そういや、今日から昼型の生活に切替えるんだったな……)


 ゆうべは夜食を食いっぱぐれたこともあり、腹も減っている。

 のそのそと布団から這いだし、汗だくの下着を脱いで普段着のジーンズとTシャツに着替えた。


「あら、裕太? お、おはよう……早いのね、今朝は」


 階段を降りると、一階のリビングでパート出勤の支度をしていた母親が、驚いたような顔で声をかけてきた。

 朝だから起きてくるのが当然なのだが、近頃では息子のコウモリのような夜型生活に慣れてしまったのだろう。裕太にしても、昼間はパートで働く母親や会社員である父親の顔など、ここ半年ほどろくに見ていないような気がする。


「今日から、この時間に起きることにする……やっぱり、昼夜逆って身体によくないし」

「そ、そう……そうよね。母さんもそう思うわ……で、でもごめんなさい。朝ご飯はもう片付けちゃって……その、母さんこれから仕事だし」

「いいよ。あるもので適当に済ませるから」


 キッチンの棚に置いてある湿気防止のタッパーから食パンを2枚取り出し、トースターへと放り込む。

 パンが焼けている間に冷蔵庫からマーガリンを出し、ついでにマグカップにインスタントコーヒーを入れた。


「でも、嬉しいわ……裕太が自分から生活態度を改めてくれるなんて……帰ったらお父さんにも報告しなきゃ」


 焼き上がったトーストをボソボソ囓る裕太の傍らに立ち、母親がそっと涙を拭う。


(いや、別に泣くほどのことじゃ……)


 妙にこそばゆい気分になり、何かフォローしようかと思ったが、これまで長いこと両親とまともに会話を交わしてこなかったせいか、何をいってもぎこちなくなってしまいそうな気がしてうまく言葉が出ない。


「ところで、ゆうべもどこか出かけてたの?」


 危うく、口に含んだコーヒーを吹くところだった。


「べ、別に……ちょっとコンビニに行ってただけだよ? な、何でさ?」

「なら、いいけど……最近、このへんも何かと物騒だから」

「物騒って?」

「TVで見なかった? 一昨日の夜、隣町で人が殺されたのよ。何でも、人食い熊にでも襲われたみたいにひどい死体だったって」


 初耳だった。

 裕太の部屋にもTVはあるが、最近は専らゲーム機や映画のDVDを観るためのモニターと化していたからだ。


「通り魔っていうのかしら? 近頃似たような事件が立て続けに起きてるし……母さん、もう怖くって」

(……!)


 一瞬、剣を振りかざしたカーネの姿が脳裏を過ぎる。


(違うな……性格はちょっと高飛車だけど、見境なく人を殺すような子には見えなかった)


 だいいち、カーネの仕業なら死体はあの大剣で一刀両断されているはずだ。

 だとすれば、犯人はおそらく「罪鬼」。

 カーネが退治していた、あの怪物どもだ。


(「この界隈はいまちょっとヤバいから――」)


 少女の言葉が思い出される。


(そもそも罪鬼って何なんだろう……それに、そいつらと一人で闘ってるあの子はいったい何者なんだ?)


 ゆうべはあまりの唐突さと恐怖に半ば神経が麻痺していたが、一夜明けて落ち着いて考えてみると、当然の疑問が次々と湧いてきた。


 何より「失踪当時の麻美とカーネが瓜二つ」という件がどうしても気になる。


(もう一度会えたら訊いてみようか……いやダメか。下手に怒らせたら、今度こそあのでっかい剣に真っ二つにされそうだしなあ)

「それでね、スーパーの店長さんとも相談したんだけど……母さん仕事の時間を少しずらして、会社帰りのお父さんに車で拾ってもらおうかと……ちょっと裕太、聞いてる?」

「へ? あ、うん……」


 心配そうな母親の声に、ぼんやり物思いにふけっていた裕太は慌てて生返事で応えた。


「分かってるよ……ぼくも、当分夜の外出は控えるから」

「本当に気をつけてね。戸締まりはしっかりして、何かあったらすぐ一一〇番に……」


 とそこまでいいかけ、ふいに母親がパン! と手を打った。


「そうそう! 言い忘れてたけど――お隣の家、ようやく買い手が決まったそうよ」

「お隣って……まさか笠倉さんとこ?」

「ええ。あんなことがあって、ずっと空き家になってたけど……今日にでも新しい人が越してくるんだって。こんな時期だし、ご近所さんが増えるのは心強いわぁ。もしご挨拶に見えたら、よろしくいっておいてね」

「……」


 隣家の長女、すなわち笠倉麻美が中学からの帰宅途中に突然の失踪を遂げたのは、今からおよそ三年前のこと。


 彼女の父親が県警幹部、しかも難関の国家公務員試験をパスし将来の出世コースを約束されたいわゆる「キャリア組」であることから、当初は営利誘拐、あるいは過激派によるテロの可能性さえ想定された。

 そのため、この事実は約一ヶ月の間マスコミでも一切報道されず、学校側からは「笠倉さんは急病のため療養中」と説明される一方で、彼女のクラスメートや同じ合気道部の部員、さらには学年・クラスを問わず普段から親しかったと思われる一部の生徒たちに対して密かに私服捜査員が接触、内々に事情聴取を行うという異例の捜査方法が取られた。


 だが一ヶ月を過ぎても「犯人」と思しき人物からのからのコンタクトは一切なく、事件性を裏付けるめぼしい証言も得られない。

 いつしか現場の捜査陣から「誘拐」ではなく、彼女自身の意志による「家出」ではないのか? という意見が浮上してきた。


 当初は公安まで乗り出し、のべ百名以上の人員が投入された極秘捜査も徐々に縮小され、数ヶ月後には「失踪事件」から単なる「家出人捜査」へと格下げされたのも、ある意味で当然の成り行きであったろう。


 そして三年が経つも、未だに麻美の行方は杳として知れない。


 麻美の父は心労からか、あるいは警察組織に迷惑を及ぼした自責の念に駆られてか、自ら県警を辞職。夫人とも離婚し、その後どこか遠くの街で警備会社に再就職したともいわれるが、詳細は不明。

 エリート警官の父親、美しく上品な母親、そして利発で優等生の一人娘――近所からも羨まれる幸福な一家だった笠倉家はあっけなく崩壊した。


 主を失った家屋は売りに出されたが、やはりいわくつきの物件ということもあってか次の買い手も見つからないまま、長らく空き家として放置されていたのだ。


「あれから、もう三年になるのよねえ……麻美ちゃん、いったいどこにいるのかしら? せめて元気でいてくれればいいんだけど」

「知らないよ……あのときもいったけど、ぼくと麻美は……中二になってからは、ろくに口もきかなかったんだから」

「! そ、そうだったわよね……ごめんなさい、嫌なこと思い出させちゃって」


 裕太の機嫌を損ねたと思ったのか、母親は狼狽したように詫びの言葉を並べ、やがてそそくさとパート先のスーパーへと出勤していった。


 コーヒーを飲み終え、後回しにしていた洗顔も済ませると、あとはこれといってやることもなかった。

 リビングに置いてあった今朝の朝刊を開くと、母親の言葉通り社会面と地域版にここ半月ほどの間頻発している無差別連続殺人事件について、かなり紙面を割いて報道されていた。

 現在までのところ、死者六名。

 被害は裕太の住む町を含む、比較的狭い地域に集中している。

 奇妙なのは、これだけの人死にが出ながら、また時には同日に複数箇所で被害が発生しているのにもかかわらず、犯人に関する目撃情報が全くといっていいほど寄せられていないことだった。


(そういえば、あの子……「関わった一般人の記憶は必ず消す」ともいってたな)


 闘っているのが彼女一人なのか、それとも他に仲間がいるのかは分からない。

 自分を助けてくれたのだから悪者ではないのだろうが、もし最初自分にそうしたように関わった人間の記憶を全て消しているとすれば、警察の捜査を故意に妨害しているとも考えられ、百パーセント「人間の味方」と信じていいかどうか疑問符も付く。

 とはいえ、カーネ本人との約束もあり、自分が警察に名乗り出て事情を説明するわけにもいかないだろう。


(言ったところで、まず信じてもらえないだろうし……逆にぼくの頭が変になったと思われるのがオチだろうな)


 結局、今のところ自分にできることなど何もない。

 彼女にいわれたとおり「悪い夢」と思って忘れるのが一番だろう。

 そう結論が出たところで新聞を閉じ、裕太は二階にある自室へと引き返した。


 部屋に戻ったところで、手持ちぶさたなことに変わりない。

 TVとゲーム機の電源を立ち上げ、やりかけのゲームデータをローディングして続きをプレイしてみたが――。


「……うっ!?」


 運が悪いことに、そのゲームは「街中に溢れたゾンビたちをピストルやマシンガンで次々に倒していく」という設定のスプラッタ風シューティングゲームだった。

 つい昨日まではひきこもり生活の憂さ晴らしにはうってつけの一本だったはずだが、今となってはなまじ3DCGでリアルに描写されたゾンビの映像がゆうべの体験と重なり、五分も経たないうちに吐き気がこみあげてきて慌ててプレイを打ち切った。


「ふーっ、まいったなぁ……レンタル店で、DVDでも借りてくるか」


 むろんホラー映画は却下。なるべく現実を忘れさせてくれるような、脳天気なコメディかアクションものあたりがいいだろう。

 そんなことを思いながら立ち上がったとき、ふと外で物音が聞こえたような気がして、裕太は壁際のシングルベッドの上、東向きの大きな窓を見やった。


「……?」


 ベッドの上に膝立ちで登り、普段は閉じっぱなしの分厚いカーテンをわずかに開き、その隙間から外を覗いてみる。


 向かい側にあるのは、今朝がた母親との会話にも出た旧笠倉家の二階だ。


 ガタン……ガタガタッ……


 笠倉の家族が引っ越して以来、固く閉ざされた雨戸の向こうから、確かに何か重い物を運ぶような音が響いてくる。


(もう引越して来たのか……朝っぱらから、気が早いなあ)


 久しぶりの新しい「隣人」に何となく興味が湧き、裕太は久しぶりにカーテンを引き、ついでに窓も開いてもっとよく観察してみた。

 向かい合った隣家の窓との間隔は、およそ二メートルほど。


(子どもの頃は……よく麻美と糸電話で話したり、紙飛行機なんか飛ばし合って遊んだっけ……)


 半ば懐かしく、半ばもの哀しい気分で昔の思い出に浸りかけた、そのとき。

 唐突に雨戸が開き、窓の奥からまさにその麻美が上半身を乗り出してきた。

 しかも、失踪当時の中学制服のままで。


(……!)


 もの珍しそうにキョロキョロ辺りを見回していた少女だが、すぐ真向かいにいる裕太の姿に気づき、脳天気な笑顔で大きく両手を振ってきた。


「ヤッホー! 元気してたぁ~?」

「ぎゃあああああっ!」


 家の外まで響く悲鳴を上げ、裕太は弾かれたように窓から飛び退いた。

 そのまま勢いでベッドから転げ落ち、したたかに後頭部を打ち付ける。


「あいたたた……」

「ちょ、ちょっとぉ……大丈夫?」


 心配そうに声を上げると、制服姿の少女は窓から飛び出し、驚いたことにこちら側の部屋へと乗り移ってきた。

 窓と窓の間、約二メートルの空間を、彼女はフワリと宙を舞うようにして難なく飛び移ってきたのだ。

 その瞬間を近所の人間や通行人に見られなかったのは、幸いとしかいいようがない。


「なにビビリまくってんの? あたしよ、あたし」

「か……カーネ?」


 後頭部のコブを押さえながら、裕太はかろうじて身を起こした。

 確かに――仮に失踪した麻美が生きていたとしても、当時のままの姿ということはあり得ないから、目の前の少女はカーネ以外に考えられないだろう。

 それによくよく見れば、少女の瞳の色は麻美と似て異なるあのグリーン・アイだ。


「どういうつもりだよ? ゆうべは『別人』だなんてとぼけておいて、わざわざ麻美が昔着てた制服で押しかけてくるなんて……やっぱり、君は彼女と何か関係あるのか!?」

「ああ、セイフクっていうんだ? コレ」


 平然といいながら、カーネは自らが履いているスカートの裾をチラっとつまみあげた。

 夏服らしく、清潔感のある白い半袖ブラウスに、涼しげな水色チェック柄の膝丈スカートである。


「あの家のクローゼットに残ってたのよ。ちょっとカビ臭かったけど、サイズがぴったりだから魔力でキレイにして拝借したんだけど……何かまずかったの?」

「あそこは……昔、麻美が両親と住んでいた家なんだ。だから、それはきっと麻美の制服だ……」


 警察を辞め、夫人との離婚が成立して間もなく、麻美の父親は失意のうちに遠くの街へと去っていった。

 近所の目を気にしてか、まるで夜逃げのように慌ただしい転居。

 残された家の中に、麻美の私物が残されていたとしても不思議はない。


 そういえば、麻美が失踪したのは冬のことだった。

 夏用制服の方がそのまま置き去りにされていたのだろう。


「あ、なーるほど……それで、あんなに驚いてたんだ」


 納得したようにうなずいた後、少女はふとすまなそうな上目遣いで裕太を見やった。


「別に悪気はなかったんだけど……気を悪くしたんなら、着替えてこようか?」

「いや、いいよ……麻美が戻ってきたかと思って、ちょっとびっくりしただけで……」


 その様子を見る限り、カーネ自身に裕太を驚かそうという意図はなかったらしい。

 状況が把握できたことで、裕太自身もある程度冷静さを取り戻すことができた。

 しかし昨夜はあれだけ自分の存在を隠したがっていた彼女が、なぜ白昼堂々と自分の前に現れたのか?

 謎は深まるばかりだ。


「それはともかく、いったい何しに来たんだよ? ぼくらはもう二度と会わないはずじゃなかったのか?」

「んー、あれからちょっとばかり状況が変わってねー。ユウタにも、あたしらの『狩り』を手伝ってもらうことになったの。よろしくね♪」

「か、狩り? それに手伝えって、いったい何を……」

「そーせかさないでってば。そのへんは、これから順を追って説明するから」

「だいいち、君のことは他人には絶対秘密なんだろ? だから目撃者の記憶は全部消すって……」

「いつもならね。ただ今回の『狩り』はちょっと特殊なケースで……あとどれだけ現世に留まるか分かんないし、とりあえずあたしや仲間たちが滞在できるアジトを確保する必要が出てきたのよ。あと人間側の『協力者』もね」

「昨日の今日で、いきなりそんなこといわれたって……」

「もちろん、無理強いはしないわ。とりあえず話だけでも聞いて、それからあなた自身の意志で決めてくれればいいの」


 あくまで「麻美と別人」であることをアピールするつもりか、カーネはポケットから取り出したあの翼型の髪飾りを取り出し、長い髪を器用にまとめながらニッコリ笑った。


「まずは、基本的なことを知っといてもらわないとね。あたしたち『ヴェルトロ』が何者なのか。何のために現世に来て闘っているのかを……」

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