第2章 猟犬-1
どんな人間にも、いつか「終わり」は来る。
老若男女分け隔てなく。
富める者にも、貧しい者にも。
賢い者にも、愚かな者にも。
そして、人としての善悪にも一切関係無しに。
裕太がそれを思い知ったのは、一度は幼なじみの笠倉麻美がいなくなったとき。
そして二度目は、中学時代に一年上の先輩だった日下司朗が死んだときだった。
先輩といっても、別に同じ部活に属していたわけでもなく、中学時代の裕太と司朗の間に個人的なつきあいといえるものは皆無だった。
――表向きは、そういうことになっている。
そもそも学年でもトップクラスの成績を誇り、美形と呼んでいい甘いマスクと人見知りしない外向的な性格、加えて卓越したリーダーシップで在学時代は生徒会長として信望を集め、まさに「学園のスター」「優等生の鑑」と呼んでもおかしくない司朗は、もとより裕太にとって縁遠い存在だった。
失踪した麻美も優等生だったが、司朗の場合彼女と決定的に異なるのは、彼が世間に知られないもう一つの「顔」を持っていたことだ。
関東一円に勢力を誇る広域暴力団「扶桑会」組長の息子。
といっても組長が愛人に生ませたいわゆる庶出子で、学校では母方の姓を名乗り、日頃の品行方正な振る舞いは「ヤクザの息子」などという雰囲気を微塵も感じさせないものだった。
そのため学校側も人権問題に配慮し、司朗の出自については一部の教師を除き厳重な機密事項とされていたほどだ。
しかし扶桑会組長の正妻には子どもがいないため、将来司朗が組の後継者になるのはほぼ確実とも噂されていた。
司朗自身もその立場を巧みに利用し、表面で非の打ち所がない「優等生」を演じる一方で、陰では地元の主立った不良グループや暴走族、さらには扶桑会系列の末端暴力団にまで積極的に人脈を広げていたといわれる。
将来、己が扶桑会の実権を握ったときに与える便宜という、このうえもない「果実」を餌にして。
「別にヤクザの息子だからって、そんな理由だけで差別する気はないけど……あの日下って先輩はかなりの食わせモノよ」
麻美からその話を聞いたのは、まだ中学に進学して間もない頃。
たまたま帰り道で一緒になり、ちょっと寄り道して近所の河原に並んで腰掛け、穏やかな春の陽射しにきらめく川面を眺めながら、互いの新しいクラスや部活の話などしていたときのことだった。
「ほら、大人の世界だって本当に悪いヤツって、案外パリっと高級スーツなんか着ちゃって、表向きは大企業の社長や政治家なんてやってるもんじゃない……ちょうど、あーいうタイプね。クラスの友だちには『憧れのセンパイ』なんていって携帯の写真を待ち受け画像にしちゃってる子たちもいるけど……あたしは大っ嫌い。ユウ君も、あまり関わり合いにならない方がいいよ」
それまでクラスメートや合気道部の活動について朗らかに話していた麻美が、そのときだけは妙に真顔で忠告してきたことを、今でもよく憶えている。
父親が県警の幹部だけに、裕太にさえあからさまに話せないような「それ以上」の情報も色々と知っていたのかもしれない。
しかしすぐにまた笑い出し、
「……ま、ユウ君は心配ないか。小心者だし、そういうのとは一番縁のないタイプだもんねー」
「ちぇっ。小心者だけ余計だよ」
「それでいーのよ。みんな中学に上がると、急に大人になったつもりで不良っぽいカッコしたり夜遊び始めたりするけど……無理に背伸びしていきがったって、ロクなことないからね。ユウ君はいまのユウ君のままでいーんだよ、ウン」
陽気に笑いながら、隣に座った裕太の背中をポンポン叩く。
「ちぇっ。何だよ、それ……」
褒められてるのか、バカにされてるのかさっぱり分からない。
もっとも、裕太の方も別段腹は立たなかったが。
幼なじみの友人に指摘されるまでもなく、己が小心者であることはよく分かっていたし、何より暴力団だの上級生の不良グループだの、そんなのは自分と別世界の話題だと思いながら聞いていたからだ。
ちなみに麻美とはガールフレンドとか恋人とか、そういう類の関係ではない。
たまたま家が隣同士ということから、幼稚園時代から家族ぐるみのつきあいの中、兄妹同様にして育ってきた仲だ。
いや、成長するごとに麻美の性格が男勝りに強くなっていったから、いつの間にか立場が逆転して姉弟みたいな関係となってしまったが。
小学校も高学年に上がり、互いに同性の友人が増え始めてからはさすがに二人きりで遊ぶことは滅多になくなったが、それでもたまに帰りが一緒になったときなど、昔よく遊んだ河原や神社の境内に寄り、こんな風に他愛もない噂話や近況報告を語り合ったものだ。
互いに異性を意識し始める年頃だけに、却って性別を気にせず気軽に話せる異性の友人というのは、それはそれで貴重な存在だったのかもしれない。
裕太としては別にそれで構わなかったし、これから先もずっと、麻美とはそんな形でのつきあいが続くものと思っていた。
(でも、考えてみれば……あれが最後だったんだよな。麻美と、友だちらしく話ができたのって……)
そのとき麻美から「関わらない方がいい」といわれた日下司朗と、裕太は関わりを持ってしまった。
実際に会って話したのはほんの数回というところだが、その程度の「関わり」が、その後の裕太の人生を決定的に歪めてしまった。
人間の「縁」はただ直に付き合った時間や回数だけでは計れないのだ。
とはいえ、その司朗も今はこの世の人ではない。
およそ一年前、中学時代の元クラスメートから電話で知らされたのは、同期の卒業生である高田浩二が交通事故で亡くなったという訃報だった。
浩二はやはり同じ中学のOB四人とワゴン車に乗って山中をドライブしていたが、その際にドライバーが運転を誤り、崖から下に転落して全員即死だったという。
問題は、同乗していた他の四人の中に、あの日下司朗の名があったことだ。
「日下さんが死んだ!? そ、それ……本当かい?」
うわずった声で問い返した裕太の動揺ぶりに、むしろ電話をしてきた元級友の方が戸惑ったことだろう。
死亡した司朗と浩二の他、関根一、小森和孝、そしてワゴン車を運転していた森川展也。
森川は地元でも名の知れた暴走族のヘッドであり、十八になって間もなく自動車免許も取っていたという。
「高田のヤツが上級生のワルとつるんでたのは知ってたけど……日下先輩まで一緒だったなんて意外だよなぁ。あのひと中学時代は優等生の生徒会長で、高校も県で一番の進学校だったのに……」
電話の向こうで不思議がる元級友の声は、そのまま裕太の耳を素通りしていった。
(みんな……あのときの連中だ)
背筋が凍るような恐怖と、肩から荷が下りたような安堵。
相反する二つの感情に覆い尽くされ、裕太の意識は暫く真っ白になった。
その後、どんな会話を交わして電話を切ったのか、全く記憶にない。
葬儀には行かなかったが、翌日のTVのワイドショーでは(未成年者のため実名こそ伏せられていたものの)「抗争の巻き添えか? 扶桑会組長の息子、不審な事故死!」という内容で派手に報道され、ともかく日下司朗が本当に死んだことは確認できた。
おそらくただのドライブなどではない。
司朗を頭として、よりによって麻美の失踪に深く関わる「あのメンバー」が一堂に会して何処へ行き、何をするつもりだったのか?
裕太には見当もつかなかったが、全員死んでしまったというのなら、いずれにせよ真相は永遠に闇の中だろう。
自分にとっては生涯忘れることのできない、あの笠倉麻美失踪事件も含めて。
どんな人間にも、いつか必ず「終わり」は来る。
それが麻美のように明朗活発で正義感に溢れた少女でも、対照的に人の皮を被った悪魔のごとく狡猾で底知れぬ悪のカリスマをまとった司朗であっても。
むろん遅かれ早かれ、自分のような平凡で小心な人間にも「その時」は来るのだろうが。
当時高校受験に失敗したばかりの裕太は、担任教師から勧められた別の私立高の二次募集も断り、その後ますます人付き合いを避けひきこもり同然の生活を始めることになる。