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第1章 罪鬼-1

 冷たい地面にへたりこんだまま、磯狩裕太いそかり・ゆうたは自分が悪夢を見ているのだと思った。

 

 ここは自宅からそう遠くない児童公園。

 昼間こそ幼い子どもたちの遊び場、およびその母親たちの「社交場」としてにぎわう場所でもあるが、最寄り駅からバスで約三十分の住宅地ということもあってか、深夜の二時過ぎともなれば殆ど人通りはなくなる。


 裕太自身も、別に公園に用があったわけではない。

 ついさっきまで、近所にある二四時間営業のコンビニで小一時間ほどコミック雑誌を立ち読みしたあと夜食を買い、ちょうど近道にあたるこの公園を通り抜けて自宅に帰る途中だった。


 トレーナーの上にパーカーをはおり、スニーカーをつっかけただけの軽装。

 短くカットした地味な髪型と、まだあどけなさを残す顔つきからよく中学生に間違われるが、これでもいちおう十六歳の若者だ。


 一年前に高校受験に失敗してからというもの、就職するでもなく、日中はただぼんやりとひきこもり同然の生活を続けている。

 そんな裕太にとって、夜ごとのコンビニ通いはもはや「習慣」と呼んでも差し支えない行為であったが、その晩は何かが違っていた。


 最初の異変に気づいたのは、まず街路樹の並ぶ遊歩道を通って公園に近づいたとき。

 前方から何やら人の争うような怒鳴り声が聞こえてくる。

 声の様子からして、二人や三人という人数ではない。


(何だろう、こんな時間に……酔っぱらいの喧嘩かな?)


 思えば、このときに引き返して公園を迂回していれば、その後の運命もだいぶ違ったものとなったに違いない。

 だが騒いでいる人数が妙に多いこと、声の中に明らかに人間とは違う、獣のようなうなり声まで混じっていることが、少年の好奇心を刺激した。


(動物園から猛獣でも逃げたとか……ひょっとして、明日ニュースになるみたいな大事件だったりして……?)


 中学卒業以来、高校にも行かずブラブラしている負い目から普段は近所の人付き合いさえ避けている裕太ではあるが、将来の見えないひきこもり生活で鬱屈した日常を忘れさせてくれる「お祭り騒ぎ」を密かに期待するような好奇心には抗えず、街路樹の陰に身を隠すようにしてこっそり公園をのぞき込んでみた。


 青白い街灯の光に照らされ、十名以上の人影が公園内をせわしくなく走り回っている。

 彼らが互いに争っているというよりは、何か共通の「敵」から逃れるため、死にものぐるいで身を隠す場所を捜している――少なくとも、裕太の目にはそんな風に映った。


(何やってるんだ? あいつら……)


 もう少し状況を確かめようと、街路樹から身を乗り出そうとした、その瞬間。


「ゲェシャアアアアアッ!」


 人とも獣ともつかぬ悲鳴と共に、何か黒い大きな塊が裕太の脇をかすめて吹っ飛んできた。

 わずかに場所がずれていたら、危うく激突して大ケガをしているところだ。


「うわぁ! な、なんだよ!?」


 樹の根元に腰を抜かした裕太の鼻に、腐った肉のような臭いが突き刺さる。


 グルルル……。


 ついさっき聞いた獣のようなうなり声をあげつつ、「それ」は苦しげに肩を揺すりつつ身を起こした。

 姿形は一見ボロボロの衣服をまとった男性のようでもあるが、明らかにまともな「ヒト」ではない。

 青黒く乾いた皮膚。醜悪に膨れあがった顔。

 そしてぽっかりと穴をうがったように瞳孔の開いた両眼。


(し、死体? でも動いてる……ゾンビかよ、こいつ!?)


 日頃ホラー映画やゲームのCGなどでリアルなゾンビのビジュアルには見慣れているが、そいつが全身から放つ異様な雰囲気、何よりめまいさえしてくる強烈な死臭は、それら「作り物」の怪物とは明らかに一線を画すものだった。

 見れば、むっくり起き上がった「生ける屍」は、文字通り死んだ魚のような目で自分を睨みつけ、四つんばいのままズルズルと這い寄ってくる。


「わぁああああ!!」


 下世話な好奇心や野次馬根性など一瞬で消し飛んでいた。

 コンビニの買い物袋を放り出し、立ち木の間を縫って公園の方角へと逃げ出す。


 確かあっちの方には大勢の人間の気配があったはずだ。

 もはや相手が酔っぱらいだろうがヤクザだろうが、助けてくれるのなら誰でもよかった。


 が、命からがら公園へ逃げ込んだ裕太の目に映ったのは、さらに想像を絶する非現実的な光景だった。


 たった今目撃したゾンビと同類の醜いヒト型の怪物が十数体、そう広くない公園内にひしめき合っている。

 半ば腐乱した死体そのものもいれば、中には身体が膨張して不気味に変形し、もはやヒトとすら呼べないモンスターと化しているやつもいた。


「……!」


 自分の置かれている状況が理解できず、裕太はそのまま地面にへたりこんだ。


(夢だ……こんなの悪い夢に決まってる!)


 そのとき、目の前を一陣の風のように緑色の影が過ぎった。


「キシィイイイイイッ!!」


 ちょうど左斜め前にいた怪物の一匹が、黒板を爪でひっかくように不快な悲鳴を上げてどうっと地面に倒れる。

 ぴしゃっ! 噴水のように吹き上がる黒い血しぶきが、裕太の頬にかかった。


「ひいっ!?」


 生暖かい液体の感触と、耐え難い腐臭が少年を強引に現実へと引き戻す。

 と同時に、怪物を一瞬で倒した小柄な人物が、片膝をついて地面に降り立った。


 怪物ではない。


 むしろ悪夢のごとき光景のまっただ中には全く似つかわしくない、まだ若い女性だ。

 新体操選手のようにほっそりとした、それでいて逞しくしなやかそうな肢体。

 身につけた衣服は、緑色のレオタード風ボディスーツの上に、透けるほど薄い若草色のミニドレス。

 足回りは膝まであるロングブーツで固めている。

 動きやすさはともかく、およそ戦闘向けとは言い難い華やかで際どいコスチュームから、すらりと伸びた両足の艶めかしいラインが、夜目にも白く裕太の目に映った。


 暗闇の中で細かい容貌までは判別できないが、解けば腰までありそうな長い髪を鳥の翼に象った大きな髪飾りでまとめた少女がか細い両手に握りしめているのは、実に風変わりな「武器」であった。 


 彼女自身の身長とほぼ同じ刃渡りを持つそれが「剣」であろうことは、すぐに察しがついた。

 ただしその柄に施された異様な彫刻、さらに柄と刀身がほぼ一体となった無骨なフォルムは、裕太の知っている日本刀や洋剣とはまったく違う。

 いったいどれほどの重量になるのか見当もつかぬ長大な刃物をあたかもテニスラケットのごとく軽々と振るい、少女は生ける屍たちを一体、また一体と確実に仕留めていく。


 彼女の剣に斬られた怪物は黒い血を迸らせつつ大地に倒れ伏すが、まもなく全身から白い煙を上げて肉体そのものが消滅していった。


「歯ごたえないなぁ……こいつら、まだ罪鬼に化身したてのザコばっかね」


 少女の口から初めて言葉がもれた。

 別に裕太に対していったのではなく、単なる独り言のようだ。


「でも、感謝なさいよ。今すぐ『向こう』へ戻れば、まだ罪は軽いんだから!」


(ザイキ? それに『向こう』だの『罪』だのって……何のことだ?)


 裕太にとっては意味不明のセリフをつぶやきつつ、また一体、逃げようとする「罪鬼」を背後から一刀両断する。

 いくら相手がゾンビもどきの怪物とはいえ、あまりに非情ともいえる闘いぶりだ。


「……」


 不意に少女が動きを止め、クルっと裕太の方へ振り向いた。

 街灯の灯りの下、初めて「彼女」の顔が露わになる。


 驚いたことに裕太よりいくらか年下、まだ中学生といってもおかしくない、あどけなささえ残る娘だった。


 身の丈は一六〇センチに届かぬほど小柄だが、今は地面に腰を抜かした裕太を上から見下ろす格好となっている。

 細面の顔に凜とした目鼻立ち。

 かなりの美少女といっていいが、相当に向こう気の強そうな顔つきでもある。


(あれ? この子、どこかで……)


 人間かどうかさえ定かでない、初対面の少女――。


 にもかかわらず、奇妙な既視感が裕太の記憶を刺激する。

 ピンぼけ写真のごとく漠然と浮き上がったその面影が、胸の裡で焦点を結んだとき、裕太は思わずアッと声を上げそうになっていた。


(似ている……でも、そんな……まさか!)


 そのとき、初めて少女が裕太に話しかけた。


「信じらんない……また、あんたぁ?」


 半ば怒り、半ば呆れたような口調だ。


「……え?」

「邪魔よ! ちょっとどいて!」

「???」


 訳の分からぬまま、ともかくいわれたとおり、裕太は跳ね起きるように右側へと飛び退いた


「てやぁ――っ!」

「ボォギャアア――ッッ!」


 ほぼ同時に凄まじい悲鳴が上がり、最初に公園から飛び出してきたあの亡者が、少女の大剣によって唐竹割に切り伏せられた。

 公園での闘いに気を取られて気づかなかったが、奴はいつの間にかすぐ背後まで忍び寄っていたのだ。


 とりあえず危機一髪のところを救われた……らしい。


 見れば、公園の中にいた生き残りのゾンビたち――いや少女の言葉を借りれば「罪鬼」たちが何を思ったか、一斉にジャングルジムを目指して走り寄っていく。


「ハン! 一匹じゃ敵わないから群体になろうってわけね。望むとこだわ!」


 少女は不適な笑いを浮かべ、裕太のことなど忘れたようにきびすを返した。

 そうこうしている間にも、ジャングルジムに飛びついた十体近い罪鬼がジムもろともグニャリと変形し――。


「ゴガァーッ!」


 数秒の後には、人体と鉄骨が融合し絡み合ったまま、巨大な蜘蛛を思わせるグロテスクな怪物へと変貌を遂げていた。


「なかなかアジなマネするじゃないの? な~んて、褒めたげたいトコだけどぉ……」


 やはりジムの鉄骨を変形させたものだろうか。怪物が飛ばしてくる鋭い鉄の槍を手にした大剣で難なく弾き飛ばしながら、少女が大地を蹴る。


「束になってくれたおかげで、こっちの手間が省けたわよーっ!」


 一瞬、裕太の目には少女の姿が緑色の稲妻と化したように映った。

 それほどまでに素早い動きで跳躍し、怪物のちょうど真上に舞い上がった彼女の剣から、無数の放電光を束ねたような青白い閃光が降り注ぐ。


 バシュウ――ッ!


 水蒸気爆発のような白煙が濛々と立ち上り、ついさっきまでジャングルジムを構成していた鉄筋が、焼けこげた鉄屑となって大地に散らばる。

 魔法なのか超能力なのかは知らないが、何か人智を超えたとてつもない「力」が怪物どもを地上から消し去った――裕太の頭で理解できたのは、せいぜいそれくらいだった。


 これで闘いは終わったらしい。


 深夜の公園に普段どおりの静けさが戻り、その場に立っているのは少女と裕太の二人だけとなっていた。


「あ、あの……これって……」

「このバカっ! いったい何考えてんのよ!?」

「……え?」


 いくら命の恩人とはいえ、初対面の、しかも年下の少女からいきなり罵声を浴びせられ裕太は面食らった。


「この前忠告したでしょ?『この界隈はいまちょっとヤバいから、夜になったら出歩くな』って……何でノコノコ出てくんのよ!? あんた学習能力ないのぉ?」


 話が見えない。


「この前……って、どういう意味? き、君とは、今初めて会ったばかりで……」

「……ん?」


 当惑する裕太の表情に何か思い当たったのか、少女も眉根を寄せて一瞬考え込み。


 やがて、ややバツの悪そうにペロっと舌を出した。


「あ、そっか~。『あの時』の記憶は消しちゃったんだっけ……それじゃー無理もないわね。アハハ~、ごめん、ごめん」

(あの時? 記憶を消した……?)


 慌ててここ数日の出来事を思い返してみるが、変わったことなど何もない。


 昼間は自室にこもってぼんやり洋画やアニメのDVDを見たりゲームをしたりして過ごし、夜になり腹が減ったら家族の目を避けるように部屋を出て、散歩がてらいつものコンビニへ行く……「ごく普通」とはいえないが、少なくとも裕太自身にとってはいつも通りの毎日だ。


「あんた、この道はよく通るの?」

「うん。近所のコンビニに行く近道だし……」

「ふうん……だとすれば困ったわねえ。いくら記憶を消しても、習慣でここを通るんじゃまた同じことの繰り返しだし……」

「その……つまりこういうこと? ぼくは憶えてないけど、前にもこの場所で同じ怪物に襲われて、そのとき君と……」

「……」


 少女の顔から照れ隠しの笑いが消え、にわかに険しい目つきで裕太を睨み上げた。


(だったら、どうだっていうの?)

 

 ――そういわんばかりの態度だ。


 あの「罪鬼」とか呼ばれる怪物どもにも驚かされたが、あいつらをたった一人でいともたやすく全滅させたこの少女も、やはり尋常の人間とは言い難い。

 触らぬ神に祟りなし。

 好奇心が湧かないといえば嘘になるが、ここは下手に詮索して彼女を怒らせない方が賢明なように思えた。


「……あんた、口は堅い方?」


 おもむろに、少女の方から問いただしてきた。


「え? ま、まあ……」

「なら、こうしましょ。当分の間、夜中にこの界隈をフラフラ出歩かないこと。それともうひとつ、今夜ここで見たことは、全部悪い夢と思って忘れる……約束できる?」

「つまり、他言無用ってこと? わ、分かったよ……どうせこんなこと、人に話したって信じてもらえないだろうし」

「OK。それなら、今回は記憶消去を勘弁してあげるわ。ちょっと『ルール違反』になるけど……ま、同じこと何度も繰り返すのも面倒だしね」

「何だか事情はよく分からないけど……まあ、それで家に帰してもらえるのなら……ぼくだって、これ以上厄介事に巻き込まれるのはごめんだし」


 少女の言葉を信じる限り、つい最近、自分は今夜と同じようにこの公園で怪物どもに出くわし、彼女に命を救われたらしい。

 つまり、この少女と会うのは今夜で二度目ということになる。


(でも、本当にそれだけなんだろうか……?)


 街灯の明かりで彼女の顔をはっきり見てしまってから、明らかな既視感……遙か以前からよく知っている一人の少女の面影が、裕太をますます混乱させていた。


「取引成立ね。じゃあ話は済んだから、もう帰っていーわよ……と、その前に」


 何を思い出したのか、少女は裕太の背後に回ると長い剣の切っ先で公園の植え込みをガサガサまさぐり――ややあって、白いコンビニ袋をすくい上げると裕太の鼻先に突き出した。

 ついさっき、裕太自身が放り出した夜食のレジ袋だ。


「ホラ、落とし物。袋はちょっと汚れちゃったけど、中身は無事よ……たぶん」


 行きつけのコンビニのロゴマークが入った白いレジ袋は、少女が斬り倒した怪物の黒い体液がベットリこびりついている。

 やつらの肉体は消滅したが、飛び散った血だけは消えずに残っていたらしい。


(無事……っていわれても……)


 たとえ中身が無傷であろうと、とても持ち帰って食べる気にはなれなかった。


「いらないの? もったいな~い。なら、あたしがもらうからね?」


 少女はスキップするような足取りで公園の片隅にあるベンチへと移動すると、手にした大剣を傍らに立てかけ、袋の中から無造作に缶コーヒーとパックのサンドイッチを取り出した。


「ラッキー♪ ひと仕事済ませて、ちょうどお腹が空いてたの☆」


 数分前とはうって変わった上機嫌で、缶コーヒーのプルトップを開け旨そうに喉に流し込む様子は、昼休みのランチを楽しむそのへんの女子中学生と何ら変わらない。

 つい先刻まで大剣を振るい、逃げまどう「罪鬼」たちを無慈悲に切り伏せていた、あの修羅のごとき姿が嘘のように思えてくる。


(あんな気色悪い連中と闘ったあとで、よく夜食なんか食うする気になれるなぁ……ん? そういえば――)


 裕太はふと思い出した。

 つい数日前の深夜、いつものようにコンビニに出かけて帰ってみたら、店で買ったはずのお握り三つとウーロン茶のミニペットボトルがレジ袋ごと消えていたことを。

 あの時は帰り道で落としたのかと思い、買い置きしてあったカップラーメンで夜食を済ませたのでさして気にも留めなかったが、もしかしたら今夜と全く同じシチュエーションで、この謎の少女の腹に収まっていたのかも知れない。


(やっぱり人間なのかな? この子……)


 だとしたら、食事中は気分が和んで多少は話もしやすいはずだ。

 意を決した裕太は、努めてさりげなくベンチに歩み寄り、恐る恐る少女の隣に腰掛けてみた。


「なによ。話は済んだっていったでしょ? まだ何か用?」

「い、いや……用ってほどでもないけど……」

「いっとくけど、今の闘いについて何か訊かれたって答えないわよ。本来、この件にちょっとでも関わった一般人は、記憶を消してきれいサッパリ忘れて貰うのが『ルール』なんだから」

「いや、訊きたいのはそんなことじゃなくて……君とぼくがこうして出会うのって、これで何度目なのかな?」

「はぁ? ……変なこと気にする人間ねえ。てっきり『おまえは誰だ?』とか『あのバケモノは何だ?』とか質問攻めに会うかと思ったけど」


 小首を傾げてわずかに思案してから、


「ま、これくらいなら教えても構わないか……これで二度目よ。もっとも一度目の記憶は消しちゃったから、事実上今回が『初対面』ってことになるけど」

「君、ひょっとして……麻美?」

「……?」


 ぐいっと一口コーヒーを飲み、少女はまじまじと裕太を見つめてきた。


「確か、前にもいってたわね……その名前」

「そうだっけ? いや、その……昔の友だちにあんまり似てるもんだから、つい……」

「人違いよ。あたしはこの町に来たのも、あんたに会ったのも初めてなんだから」


 にべもない返答である。


「あたしはカーネ。……ま、別に憶えなくていーけどね」

「カーネ……外国の人かい?」

「さあ? 少なくとも『こっち』の生まれじゃないことは確かね。そうそう、あんたたちと違って名字なんてモノはないから」

(姓がない? じゃあ、どこの国から来た子なんだ?)


 そう思ってよくよく見れば、顔かたちこそ裕太の知っている麻美に生き写しというものの、エメラルドのように緑がかった少女の瞳は、明らかに日本人のものではない。

 あるいはハーフなのかもしれないが、さすがにそれ以上踏み込んで尋ねるのは憚られた。


「それはともかく、アサミっていったい誰?」


 照り焼きチキンサンドを頬ぼった口をモゴモゴさせながら、カーネが聞き返す。


「その……幼なじみの女の子だよ。中学まで一緒だった……」

「てことは、あんたと同い年の子? な~んだ。そんなら、今は成長して顔だって変わってるでしょうに。見間違える方がどうかしてるわよ」

「うん、確かにそうなんだけど……」


 気まずそうに、裕太は地面に視線を落とした。


「彼女、今から三年前……中二のときに失踪して……それきり行方しれずなんだ。君が、ちょうどその頃の麻美にそっくりだったから、つい……」

「ふーん。何やらワケありって感じねえ……ま、いずれにせよ別人でしょ? 失踪とか家出人の類なら、そっちの世界の警察に任せることね。あたしらとは関係ないわ」

(そっちの世界?)


 カーネが不用意に漏らした言葉を、裕太の耳は聞き逃さなかった。


「それじゃやっぱり……君、この世界の人間じゃないんだね? エイリアンとか、異次元人とか――」


 ブホッ! 缶コーヒーがむせたらしく、カーネが唐突に咳き込んだ。


「だ、大丈夫かい?」


 慌てて背中をさすってやる。


「げほっげほっ……あー、ありがと……って、あんたいったい何いわせんのよ!」


 裕太の手を払いのけ、何が気に障ったのか急に怒り出す。


「なにげに誘導尋問して、あたしから何か聞き出そうって魂胆?」

「誘導も何も……さっきから君が勝手に喋ってるんじゃないか。自分の名前まで……」

「うっ……」


 気まずそうに口ごもり、あらぬ方向へ視線をそらすカーネ。

 怪物どもの群れを一掃した強大な力、いかにも勝ち気そうな性格とは裏腹に、案外自意識過剰でおっちょこちょいな一面もあるらしい。


(そういや、こんなところがあったよな……麻美にも)


 裕太は思ったが、あえて口には出さなかった。


「と、とにかく……もうこれ以上、話すことなんか何もないわよ!」


 カーネが無造作に手を振り、コーヒーの空き缶とレジ袋を投げ捨てる。

 放り出されたゴミはそのままフワフワと宙を移動し、公園内の片隅に設置された空き缶用と一般用の屑籠へと、きちんと分別されて収まった。


「へえ、すごいや……これって超能力? それとも魔法みたいなモノ?」

「どーだっていいでしょ!? さ、あたしはそろそろ退散するから、あんたもさっさと家に帰んなさいよ。また罪鬼どもに襲われたって、今度は面倒見切れないからね!」

「分かったよ……」


 ともかく本人が「別人」と言い張る以上、裕太もそれ以上追求したり詮索するつもりはない。


(当然だよな……麻美は、もう……いないんだから)


 三年の歳月をかけて、ようやく己自身に納得させてきたのだ。


 それに比べれば、今夜出会った「カーネ」なる少女が宇宙人だろうが異世界の戦士だろうが、裕太にとってはどうでもいい、些細な問題とさえいえた。


「じゃあ、これで……とにかく助けてくれてありがとう」


 カーネに礼を述べ、一足先に裕太はベンチを立った。


「あ、ちょっと! まだあんたの名前聞いてないじゃない。いちおう教えてよ」

「ぼく? ぼくは磯狩裕太……でも、聞いてどうするの? もう二度と会わないんだろ?」

「そ、そりゃまあ……あたしもつい本名教えちゃったし、そっちが名乗らないのは不公平じゃない」

「そんなモノかなぁ?」

「それよか、他言無用の約束はくれぐれも忘れないでよ!」


 大剣の切っ先を突きつけ、厳しい口調でカーネが念を押す。

 長大な刃物が街灯の照り返しでギラリと輝くのを見た瞬間、裕太の背筋にゾクっと冷たいものが走った。


「もし破ったら……タダじゃすまさないからね」


 年下の女の子、加えてかつての幼なじみに瓜二つの容貌だったことからつい気安く会話を交わしていたが、「彼女」がどこか別の世界から来た存在、しかも敵を斬殺することもいとわない生粋の「戦士」であることに間違いない。

 平和で安全な現代日本に生きている裕太とは、根本的な倫理観からして違うのだろう。


 もっとも、今のこの国が本当に「平和で安全」といっていいのか、裕太にも正直確信はないのだが。


(まあいいか……もう会うこともないんだし)


 ともあれ、明日から当分深夜の買い出しはできそうもない。

 生活を昼型に変えなくちゃいけないな――そんな場違いなことを考えつつ、裕太は悪夢のような一幕を体験した公園を後にした。


 そう、ただ一夜の悪夢で終わるはずだと思っていたのだ。

 まだそのときは。

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