プロローグ
表紙イラスト/南野 心
(万引き……!)
文庫本コーナーの前に立ち、平積みに置かれた色とりどりの表紙の中からお気に入り作家の新刊を捜していた笠倉麻美は、ふと目に入った光景を見て直感した。
数メートル離れた同じ店内のコミックコーナー。
黒い学生服姿の男子グループ四名が、たむろしつつ何やら大声で談笑している。
年齢的にはまだ子どもといっていい中学生の集団だが、それで格好をつけているつもりなのかだらしなくずり下げたダボダボの学生ズボン、金や茶に染めた髪とピアス、周囲の客におかまいなく粗野な笑い声を上げる様子は、高校生の不良グループといっても通用しそうだ。
それだけでも充分に迷惑行為だが、まあ店員でない麻美に公然と注意する権利もない。
とはいえ彼らの制服が自分と同じ中学のものであり、中にはクラスこそ違うが同学年の見知った顔さえあることが麻美にとって気に食わなかった。
(ったく、無神経な連中ね……我が校の恥だわ)
そんな風に苦々しく思いながら、知らないふりを装いつつ時折横目で眺めていたのだが、そのとき偶然目撃してしまったのだ。
グループの一人が、立ち読み防止のためラップ包装された漫画本の一冊を本棚から抜き取り、素早く足下のスポーツバッグに放り込む瞬間を。
近頃では万引き防止のため店内に監視カメラや電子タグ、あるいは専門の私服警備員まで常駐させている店も少なくない。
だが大手ブックチェーン店の進出に押され、経営も苦しい昔ながらの小さな書店では、そこまでセキュリティにお金を掛けるわけにもいかないのだろう。
カウンターにいる店主は気づいていない。
というよりも、他の仲間三名がぐるりと囲むように立ち、巧みに店員や他の客の視線から遮っているのだ。
その手慣れたやり口は、とても初犯とは思えない。
(グルでやってるのね。何て奴ら……!)
麻美の頭にカッと血が上った。
生来の気性なのか、それとも父親が警察官という血筋のためか、子供の頃から正義感の強い少女だった。
最近、同じ中学の一部生徒の間でゲーム感覚の万引きが流行っているという噂はそれとなく耳にしていたが、こうもはっきり「現場」を目撃しては黙っていられない。
(大声を出してやろうかしら?)
一瞬そこまで考えたが、それは思いとどまる。
万引きという犯罪は、商品をレジで購入せず、店外へ持ち出した時点で初めて成立するからだ。
この場で注意したところで、盗んだ本をすかさず鞄から出され「これからレジに持って行くつもりだった」と言い張られてしまえばどうしようもない。
引き続き本を捜すふりをしながらさりげなくチェックしていると、実行役の少年はますます大胆になり、二冊目、三冊目と次々バッグに放り込んでいく。
人気漫画の新刊ばかり狙っているところから見て、おおかたラップを剥いだあと古本屋に持ち込んで小遣い稼ぎにしようというハラだろう。
結局、十冊近いコミック本をバッグに詰め込み、万引きグループは何事もなかったかのようにレジを素通りして店外へと出て行った。
(やっぱり……!)
手にしていた文庫本を棚に戻し、麻美は足早にそのあとを追った。
◇
相手は男子だけに、思っていたより逃げ足も速い。
ようやく追いついたのは本屋から二百メートル近く離れた、人通りもまばらな裏道の一角だった。
「ちょっと、あんたたち!」
麻美の鋭い声に、四人の男子生徒は滑稽なほど怯えた表情で振り返った。
裏通りに逃げ込んで、無事万引き成功――と安堵した瞬間に不意打ちを食らったのだから無理もなかろう。
しかし相手が店員ではなく同じ中学の女子生徒と分かると、少年たちは一転して威嚇するような態度で怒声を浴びせてきた。
「あんだぁ、てめーは?」
「なんか用かよ?」
「見てたわよ……本、万引きしたでしょ?」
実行犯として漫画本を盗んでいた男子が、ぎょっとしたように「戦利品」の詰まったスポーツバッグを抱え込む。
ワルを気取ったところで所詮は中学生だ。
内心、罪を犯しているという後ろめたさはあるのだろう。
他の三人はといえば「たかが女ひとり」と侮ってか、口々に恫喝の言葉を並べ始めた。
「ざけんなぁ! 妙な難癖つけっと、女でもタダじゃすまさねーぞ!」
「ちゃーんと金は払ったぜ。ま、レシートはいらねえから捨てちまったけどな」
「悪いけど、初めから終わりまでちゃーんと見てたんだからね。店の外に出なければ万引きにはならないから黙ってただけで。そうそう、証拠として携帯の写真も撮ってあるんだから。言い逃れはきかないわよ!」
携帯云々ははったりだが、そこまでいわなければこの連中は「証拠があんのかよぉ!?」とゴネだすに決まっている。
「ゴチャゴチャうるせーアマだな! てめぇにゃ関係ねーからさっさと消えな! でなけりゃ……」
グループの一人、中学生にしてはえらく体格のいい男子が麻美の肩をつかもうと手を伸ばしてきた。
彼女の携帯を力ずくで奪うつもりだろう。
不用意に伸ばされてきた相手の太い腕を逆に両手で取ると、
「――はっ!」
麻美はすかさず腰を落とし、自分より二回りは大きい男子を地面に投げ倒した。
長い黒髪がフワリと宙を舞う。
俯せにしたところで、そのまま肘の関節をがっちりねじり上げた。
「ぎゃっ!? いてぇーっ!」
目鼻立ちの整った少女の顔が凜とした怒りに引き締まる。
小学生の頃から修行している合気道には、少しばかり自信があるのだ。
「な、何なんだよ、この女!?」
「まさか――おまえ、2Cの笠倉かっ!」
万引きの実行犯、おそらく四人のうちでは一番年下で「パシリ役」と思しき少年が、驚いたように叫んだ。
「あ~ら、憶えていてくれて嬉しいわ。そういうあなたは、A組の高田君でしょ?」
「高田ぁ、おめーのダチか?」
「ダチってほどじゃないスけど……ヤベーよ。こいつの親父、警官だ……しかもけっこう偉いヤツ」
「なんだとぉ!?」
四人の顔色が一斉に変わった。
(はぁ……別に父さんのことは関係ないんだけどね)
こんなときに県警の幹部警官である父親の肩書きを持ち出されると、まるで自分が虎の威を借る狐みたいで面白くなかったが、それで連中がおとなしくなってくれるというなら、それに越したことはない。
「な、なぁ……頼むから見逃してくれよ。別に悪気はなかったんだ。ちょっとお遊びのつもりでさぁ……」
先ほどまでの居丈高な態度から一転、不良たちの言葉は卑屈なまでの猫なで声に変わった。
「あんたたちにはほんのお遊びでもね、あの店をやってるご夫婦が、最近どれだけ万引きの被害で困ってるか知ってるの? 実際、万引きが原因で潰れる本屋さんだってあるのよ!」
麻美は男子の腕を放し、油断なく立ち上がった。
「まだ警察には通報してないわ。今すぐ引き返して、店の人にきちんと謝って本の代金を支払うこと。もう二度とこんな真似はしないと誓うこと……それだけ約束してくれれば、今回は学校にも黙っていてあげる。あの店のご主人とは子どもの頃からの顔なじみだし、あたしが何とか話をつけてあげるわよ」
「分かった、分かった……俺たちが悪かったよ」
四人組のリーダー格らしい男子が、降参したように両手を挙げた。
残りの連中も、不承不承といった感じでうなずいている。
「分かればいいのよ。なら、さっそくお店に戻ること!」
麻美は表通りに続く狭い路地をピシっと指さした。
連中を先に行かせ、逃げ出さないよう後ろから見張るつもりでいたのだ。
さえない表情の少年たちがぞろぞろと麻美の傍らを通り過ぎていく。
「……ところで、店の親父にこのことは?」
最後尾にいたリーダー格が、ふと立ち止まり尋ねてきた。
「まだよ。だから、それはあんたたちが自分の口から――」
「そうかい。ありがとよ」
その瞬間、麻美は鳩尾付近に鈍い衝撃を感じた。
「な……!?」
両足から力が抜け、へなへなと地面に膝をつく。
「も、森川さん!? ヤバイっすよぉ!」
「うっせーな。サツの娘だからって、ビビるこたぁーねえ!」
一瞬の隙をついて当て身を食らったらしい。
最初に突っかかってきたガタイだけの奴とは違い、この森川という男子には、何か武道の心得があるのだろう。
(ちくしょう! 油断した……!)
そんな歯ぎしりするほどの悔しさも、ほんの刹那のこと。
叫びを上げようにも声さえ出せず、為す術もなく麻美の意識は遠のいていった。