四章 天への道
「はぁっ……はっ……!」
最上階へのエレベーターは故障で動かず、二階から外に設置された非常階段を使って昇り始める。私が息を切らせて駆け上がる間にも生物の巨大化は止まらず、目的の口は一向に目視出来ない。
「イスラ、少し休もう。このままだと君の体力が保たない」
「いえ、大丈夫です……早く終わらせないと、下の皆に顔向け出来ません」
体力はとっくに限界を突破していた。今の私を動かしているのは四天使としての使命、それだけだ。
「にしても酷い……」
眼下の街は度重なる地震と爆破で、塔を中心に半分以上倒壊していた。灰色の瓦礫の端々で豆粒大の茶色生物が動き回っているのが見える。
力を振り絞ろうと、またチョコレートを一欠け口に放り込む。甘苦い味が一杯に広がる。もう少し歩けそうだ。
「行きます」
再び錆びかけた階段を昇り始める。取れかけた赤いペンキが疲れた目に痛い。
カン、カン、カン……。
幾ら血糖値を上げても、脚が重い。それでも止めれば全てが終わりだ。一段一段確実に上がるしかない。
「あの自衛官に気兼ねしているのかい?」
「いいえ」
「なら何故!?君は一般人でただの大学生だ。こんな危険な任務をする必要は」
「……ジプリールの贖罪は私にしか出来ません。彼女をあそこまで追い詰めてしまったのです。私は望んで義務を負います」
ミユビシキは小さな首を横に振る。「理解出来ない。彼女は僕達の敵だった」
「違うのですジュード様。彼女程敬虔で愛に満ちた天使を、私は他に知りません」別の世界の話だが。
「天使だって?嫉妬深い悪魔の間違いだろう?君の方が余程信心深い、しかも清らかで穢れを知らない」
カンッカンッカンッ!!突然下方から複数の激しい足音が響いてきた。
「!?イスラ、奴等だ!」
手摺りから身を乗り出し、昇ってきたばかりの階段を覗き込んだ。十数体の赤い生物が押し合いへし合いしつつこちらに向かって来ている。
「拙い!あの数をハンドガンで倒すのは無理だ!」
私はまだ遥か遠くの頂上を見遣る。あの速度、昇り切る前に捕まるのは必至だ。
(塔内部に入ってやり過ごそうにも、施設部分は先程通過してしまった。あの照明に飛び移る?いや、翼の無い今の私の跳躍力では……)
考えている間にも、群れは激しい音を立てて駆け上がってきている。あと踊り場四つ分、階にして二階分の距離しか、
ドオオォォンッッ!!
下からの弾丸が階段を直撃し、生物の短い足の先の数段を吹き飛ばした。もーもー!!?勢いの付いた赤い群衆は、突然出現した穴に吸い込まれるように次々落ちていく。
ドンドンドスンッ!
「けっ!ざまあみやがれ異星人共が!!」
「一階分しか落ちてないよミーカール。うわ、こっちに来た!」
取り返したグレネードランチャーを構え、氷弾を続け様に発射する。動きを止めた所をショットガンの追撃で片端から地表へ叩き落としていく。もーもー…………ドスンドスン。
「二人共!無事だったんですか!?」
「当たり前だろノロマ!俺を誰だと思ってやが……う」下腹部よりやや下を押さえ、傷の痛みに耐える。
「さっきからどうしたんだい君?生理でも来たのかい?」
「んな訳あるか!これはあれだ、女を相手し過ぎた使い溜めだ」
ブッ!!ウーリーエールが不謹慎なぐらい盛大に噴き出す。
「そりゃあ凄い!是非僕にも紹介してくれよ、そのオカズ」
「てっめえ!オカズじゃねえよ!リアルの女だ、Dカップ!美人でボンキュッボンのな!」
ショットガンの銃口を向け、巫山戯んなよ!と追い打ちをかける。対し相手は腹を抱えて大笑い。
「浮気は良くないなあ君。幾ら日頃無視されててもね、何も風俗に走る事は無いだろうよ」
「手前の頭の中は一体どうなってやがる!?一回脳味噌ブッ飛ばしてやろうか!」
「いや、風俗嬢だって逃げ出すか。君の悪名は、この街どころか近隣にまで轟き渡っているから。歴戦のヤクザでさえ目を合わそうとしないって噂だ」
ニヤニヤニヤ。真っ赤になった仲間を実に面白げに見る。
「そんな態度貫くから彼女に余計嫌われるんだよ。その乱暴な言葉遣いさえ出さなきゃ、少しは振り向いてもらえるだろうに」
「あいつはただの居候の従妹だ!変な誤解を生む言い方は止めろ!」
「まぁねえ……彼女だって、前にも後ろにも余分に穴の開いた男なんて願い下げだろうがね」
ブチッ!数メートル離れていても、血管の切れる音がハッキリ聞こえた。
「イスラ、先を急ごう」ミユビシキが嘴で髪を引く。「流れ弾に当たったら大変だ」
「はい」
再び階段を昇り始めて数秒後、激しい銃撃音が響き渡った。
「全く、奴等は助けに来たのか喧嘩しに来たのか分からないな」呆れ気味な声色。
幸いショットガンはすぐに弾切れを起こし、殴り合いへ変更したようだ。ミーカールが一方的に追い掛け回しているだけだが。と、そうだ。
「ミーカール!!」
「何だ!?」ウーリーエールの服の袖を掴み、拳で頬を叩く寸前で手を止めた。殺気立った目に本能的な恐怖を感じつつ、私は人形の怪我の事を話す。
「あなたのお陰でこの階段からの追っ手はもう無いでしょう。早く行ってあげて下さい」
「手前……!!」
バンッ!同胞の身体を手摺りに叩き付ける。
「いちいち言うのが遅えんだよこのノロマ!!おい手前ノビてんじゃねえ!行くぞ!!」
「自分でやっといてよく言うよ……いてて」
言葉の割に案外ダメージは無いようだ。落としたグレネードランチャーを拾い上げる。
「あー、まだ下に赤い連中が結構いるよ。さっきの馬鹿騒ぎで弾、撃ち尽くしただろ?僕もあと二発、手榴弾も三つしかない」
「あぁ?あんな奴等に弾なんて使えるかよ」引き金から指を離し、ショットガンをブンッ!と振り回す。「援護しろ」
「やっぱり最後は肉弾戦か、如何にも君らしいね」
一足先に階段を駆け降りた仲間に肩を竦めつつ、首を曲げて私達を見上げる。
「まだいたのかいイスラ。行きなよ。生きてたらまた会おう」
「ええ」
「待てウーリーエール」
突然主が呼び掛けた。
「イスラに謝れ。お前、塔の中で怪物に向けて突き飛ばしただろう?はっきり覚えているぞ僕は」
ああ、そう言えばそんな事も。色々あり過ぎてすっかり忘れていた。
「ジュード、君喋れたのか」
「フン」
肩に留まったミユビシキが首を反らし威厳あるポーズを作る。鳥に身を窶しても神、流石だ。
「成程。鈍臭いイスラがここまで来られたのも、君の助力のせいか」
「僕は何もしていない。全て彼自身の力だ。――うちの会社にハッキングを掛けた時、ファイルを盗んだだろう?」
「コピーしてダウンロードしただけだよ。――おや、もしかして『あの』フォルダの事かい?よくやるねえ君も。でも実家とは言え、企業ネットワークに隠すのは頂けないなあ。僕みたいな興味本位のクラッカーがハッキングしたら大変だよ?」
「命令だ。データを消せ」
「どうしよっかな……このままマスコミと情報料天秤に掛けてもいいけど。うーん、報酬は?」
「ふっかけるつもりか?警察に通報するぞ」
「なら僕はネットに情報を洗い浚いアップするね。世界的大企業のスキャンダルだ。きっととんでもない騒ぎになる」
怒りを堪えて聞いた後、主は舌打ちした。
「お前、確かまだ就職先が決まっていなかったな。……アンプレラのシステム部門の椅子を用意してやる。どうだ?」
「感謝します、御曹司様」一礼。「流石分かっていらっしゃる方は違う」
二人のやりとりで今更だが、人間は職業に就かなければならないと言う事を思い出す。あの怠け者のクランベリーでさえ一国の主が務まっているのだ。頭脳派で戦闘能力も高いウーリーエールなら幾らでも仕事はあるだろう。現実世界でも、偵察任務の一環で大学教師とやらをしている。
「交渉成立だな。万が一コピーを取っていたら、どうなるか分かっているな?さあ謝れ」
「それとこれとは話が別だ」約束を反故にして会心の笑みを浮かべる。
「貴様……!!」
「ジュード様、構いません」とうとう堪らず主を制止した。「私は気にしていません。それより今は」
会話の最中も黒い生物はむくむくと膨張を続け、一旦見えかけた昏い口は更に上空へ行ってしまった。今私達がいる場所は脇と大体同じ高さだ。
「……そうだな」
丁度下から彼を呼ぶ怒鳴り声がした。生物を片っ端からバコバコ叩いている音が響く。
「はいはい、今行くよー。じゃあ精々頑張ってね、救世主様?」
「帰って来たら必ず土下座させてやる。今の内に謝罪の言葉を考えておくんだな」
返事をせず階段を降りて行く彼に、主は一層鋭い舌打ちをする。人の姿なら私のハンドガンを奪って撃ちかねなかった。
階段の終点、最上階だ。展望台の天井部、夜間ライト以外は特に目を引く物の無い殺風景な場所。
「しまった……!」
巨大化は一段落付いていたものの、ここからでは顎?しか狙えない。もっと早く辿り着いていれば……。
「斜め上部に撃てば入りませんか?」
「無理だ。この距離では弾が途中で失速する。少なくとも目標より高い位置取りが必要だ」
一応まだ塔の最高位置ではない。広場の中央から直径十メートル程度の鉄塔が天に向けて伸びてはいる。先端に銀色の受信用アンテナ、だがその途中には階段も梯子も無い。これ以上昇る事は不可能なのか?
(いえ)
重要なアンテナがある以上、あそこまで行く手段が無いはずがない。天使のように空を自在に飛べるのでもない限り。
私は鉄塔に近付き、周囲を観察しながら歩き始める。機械類の知識は無いが、怪しい物は物知りな主に訊ねればいい。
半周した所で、武骨な鉄骨の外に人一人分の金網の床を見つけた。床に連結した手摺り、脇にはボタンが見える。
「工事用の簡易エレベーターか。安全性は……嫌な予感がするな。動かしてみるまで分からないが、あ!イスラ!」
「これで上へ行けるのですね!」
金網の上に乗り、ボタンを押す。こここ……微かな金属音を立て、ゆっくり床が上が、
「もー!!」
ドンッ!左側から何かが脹脛にぶつかって止まる。その衝撃でエレベーターが大きく傾く。
「わっ!」
手摺りを掴んだ拍子に迷惑な闖入者の虚と目が合う。
「あなたは……ハビー、でしたか?」
「もーもー!!」
犬型生物は後ろを向いた。尻尾部分に先程まで無かった金属製の箱のような物が貼り付けられている。中央に赤い数字が浮かび上がり、一秒毎に数字が減っているようだ。
「!?時限爆弾だ!イスラ、早くそいつを下に落とせ!」
主が叫ぶ間にも数字は百四十二、百四十一……着実に減っていっている。と、眼下に女王がいるのが見えた。
「も、も、も!」
彼女は短い両手で三角形、いや放物線を描くジェスチャーをひたすら繰り返している。
「早く!爆発するぞ!」
「待って下さい!もしかして……」
私はハビーをベルトに巻き込んで固定し、ロケットランチャーを右手に持つ。
(予想が正しければ恐らく)
エレベーターの上昇が止まる。矢張り、あと数メートルが足りない。
出来るだけ巨大生物に近付き、彼女の動作を頭の中で再確認する。
(チャンスは一度だけだ)
左手でハンドガンを抜き、生物に向けて数発威嚇発砲した。
も……も、もおおおぉぉっっっ!!
敵の存在を察知して黒い生物がドスドスドス!!反転を開始する。よし、そのままこちらを向け!
ドオオオンッッッ!!
巨大生物の口が真正面に来たのと、ハビーの臀部の爆弾が破裂したのは同時だった。凄まじい推進力、私ごと撃ち上げられる。
「もー!!」「ぎゃあーっ!!」
擬似的とは言え空中を舞う感覚は素直に心地良い。身体中を吹きつける風は冷たく、どこか工業的な臭いがした。
もおぉ?
想定外の方法で接近する者を、生物は口をあんぐり開けて虚ろな目で追う。
「これで」
この距離なら如何な私でも外さない。ロケットランチャーの銃口を巨大な闇に構えた。
「最後です!!」
発射。私の両腕より太く長い弾丸が吸い込まれるように落ちて、内部で爆発した。
もおおおおおぉぉぉぉっっっっ!!!!!?
ロケットランチャーを空中に手放した私は、急速に縮小し始めた生物の皮膚を滑り落ちていく。突起物等で吹き飛ばされたら一巻の終わりだ、と思いつつデイパックとハビーを胸の前で力一杯抱える。
「イスラ!」
「大丈夫ですジュード様。仮令世界が異なろうと、あなたは守護天使である私がお守りします」
ザザーッ!!
「もーもー!」ハビーが四つ足をバタバタさせ恐怖を顕わにする。爆弾の付いていた部分がまだ熱かった。あの女王は私達を見物しながら、今頃悠々と塔を降りているだろう。大欠伸でも掻きつつ。
「もー!」
と思ったら、目の前を虹色のパラグライダーで悠々通過していった。飼い犬の尻毛をチリチリにした人物とは考えられない程優雅で余裕たっぷりに。
「っ!しまっ!?」
彼女の軌道に気を取られ、縮みかけの段差に足裏が引っ掛かった。身体が宙に投げ出される。
「神よ!!」目を閉じ二匹を抱く腕に力を込め、あちらの世界の主に祈った。――駄目だ、灰色の地面が、
ぽーん!
予想とは真逆の柔らかな感触が背中に当たる。何度かバウンドする内、それが茶色い生物達が取り囲んで持つ真っ白な布だと分かった。
もーもーもー!!
嬉しそうな鳴き声。その遥か後方で、すっかり元のサイズまで縮んだ黒い生物が、大勢の同族から短い手足でパコパコ制裁されていた。
「御無事ですか天使様!?」
群れを掻き分け、皆がこちらへ向かって来る。
ガバッ!
「良かった……」
自衛官の服を脱ぎ上半身に包帯を巻いたラントは、火傷の痛みも構わず私を強く抱き締めた。私も片手で彼の頭を撫でる。
「ええ。あなたの篤い信仰心のお陰で帰って来られました。ありがとうございます、ラント」
「そんな……本官は何も。全ては神と、天使様御自身の御加護です」
「離れろ三等兵如きが」
「わぁっ!も、申し訳ありません!!」
慌てて離れる自衛官を「フン」睨みつける。信者の蔑ろにする態度に、しかし言葉に出来ずまた一人傷付いた。何故こんなにも素晴らしい精神を持つ彼を嫌うのか、主の考えには到底理解が及ばない。
彼の代わりに差し伸べられた人形の腕を取り、私はようやく平和になった大地に降り立った。