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二章 電波塔内部



 まどろむ私の耳に、主の呼ぶ声が聞こえる。


―――目を覚ましてくれイスラフィール。治療が終わったのに何故起きてくれない?


 良かった。矢張りあの奇妙な世界は夢だったのだ。覚醒する先は水晶宮で、私の背にはミユビシキ入りの汚れたデイパックではなく、見慣れた純白の翼がある。あの茶色い生物も、ジプリールの裏切りも、現実には決して訪れない。


―――頼む。お前がいないと僕はまた……暗い悪夢に囚われてしまう。


 ああ、呼ばれている。早く目覚め主を宥めよう、必要なら精神安定剤も飲ませて。この様子では実務も恐らく手に付いていないだろうから、寝かせてチェックもしなければ。一体何日眠っていたかは分からないが、取り返しの付かない歪みが生じていない事を祈るしかない。クランベリーの様子も……水晶宮を守る抜け殻達の点検もしておかないと。

 数日気絶していた件で、ミーカール達にはまた馬鹿にされるだろう。しかしその方が、見知らぬ世界で得体の知れない生物やジプリールと戦うよりは何倍もいい。

 訪れる透明な天井を想像し、瞼をゆっくりと開いた。




 だが僅かな期待も虚しく、目の前に広がるのは透過率ゼロの灰色だった。


「イスラフィール!良かった、起きたんだな」


「大父神様!?何処にいらっしゃるのです!?」

 声はすれども姿は見えず。私はベッドを降り、キョロキョロと部屋を探し回る。

「主よ!私を試されているのですか!?」

「ここだ。お前の足元にいる」

 そう言われても、いるのは包帯を巻いたミユビシキだけ……まさか。

「主、なのですか……?」小鳥を両手で抱え上げ、瞳を覗き込む。

「ああ。出来ればいつものように名前で呼んでくれ」

「はい……ジュード、様。これで宜しいでしょうか?」

 私は低頭して謝罪した。

「申し訳ありません。従者ともあろう者が今の今まで全くその存在に気付かず、あまつさえ汚らしい鞄に入れてしまい……四天使失格です」

 キッキッ。

「?何を言っているんだイスラ。従者だなんて、僕達は大学の同期じゃないか。頭を上げてくれ、頼むよ」

 ミユビシキは嘴を開けたまま喋っていた。鳥は人語を操れない。声帯は一体どうなっているのだろう?

「確かに君は天使のように穢れ無く綺麗だけど、僕が神様と言うのはいただけない冗談だな」

「そんな!」

 まさか自ら万能の存在を否定されるとは。信じられなかった。

「科学万能の資本主義社会に移行し、世界の名立たる宗教は年々衰退の一途を辿っている。今や人類にとっての神は、進歩し続けて誰一人完全に把握し切れないテクノロジーか、アンプレラのような行き過ぎた巨大企業が生み出す巨万の富の二者択一だ。少なくとも僕はそのどちらでもない」

 何もかもが違い過ぎる。私達は皆人間で、神も天使も信仰も、僅かな祈りさえ存在しない世界。

「だから君の傍にいると心が和むよ、とても……」

 羽毛に覆われた身体を掌に擦り寄せる。鳥の体温は熱く、少し驚いた。

「イスラ、ミユビシキの鳥言葉を知っているかい?」

「鳥言葉?」

「花言葉みたいな物さ。――逆境に負けない精神、だそうだ。こんな小さな鳥でも、冬には大陸を渡って数千キロ南へ飛ぶ。僕もそんな風に自由で力強くありたいな」

 神でも人間でも、鳥になっても主は変わらない。無用な程自らの限界、弱さに恐怖している。元々不完全な私には理解出来ない感情。主が数百年間不全感を抱き続けるのは、矢張り妹の才が大き過ぎるせいなのか?被創造物と言う事を差し引いても、主は悪夢に耐えてひたすら堅実に宇宙を守っている。クランベリーと比べても決して負けはしない。むしろひたむきな努力は、怠け者の彼女の最も苦手とする所だ。

(?そもそもこの世界にクランベリーは存在しているのか?)

「あの、ジュード様。あなたの妹は」

「妹?クランの事なら君も知っているだろう。あの不肖の姫君は数年前から音沙汰無しだ。偶に寄越す手紙の様子では元気らしいけど、一体何処で何をしているのやら」

 首を微かに震わせて笑う。

(心配するだけ無駄だな)

 一部を除き低知能な生物も、流石に彼女だけは手を出すまい。

「クランは捉え所の無い、身内の僕でさえよく分からない子だ。ひょっとしたら戻って来ているかもしれないけれど……そろそろ鞄に戻してくれないか。何時までも抱えていては疲れるだろう?」

「宜しいのですか?」

「構わないさ。胸ポケットに入れるぐらい小さければ、そっちの方が良かったけど」

「分かりました。ジュード様の、仰せのままに」

 ベッド脇に置かれたデイパックに、苦しくないよう慎重に御身を納める。ミユビシキは首だけ器用に出してキッキッと鳴いた。

「しかし、この部屋は一体」


「起きたか」ガチャッ。


 生物の被り物を脱ぎ、やや草臥れた迷彩服に身を包んだ人形の手にはアルミ製のトレー。その上にはオレンジジュースとサンドイッチ。

「相当な時間何も口にしていないのだろう?食え。先程のように低糖で倒れられては大変だ」

「一体何時間気を失っていました?」

「約四半日と言った所だ。一応確認するが外傷は無いな?」

 服の上から全身を確かめる。痛みは無かった。

「ええ。しかし人形、何故ウイルスに感染したあなたは平静を保っていられるのです?」

 ミーカールの訓練のせいか?

「それは誤解だ。私は彼等の注射を受けていない。市街地に戻らなかったので、大方あの男が勝手に勘違いしたのだろう」

「では、今まで一体何を」

「助力です」

 人形の後ろから衛兵生物が顔を出す。

「捕まってウイルスを注入されかけた所、彼が止めてくれたのだ」

「女王陛下の命です。彼女は強いのでこき使……いえ、是非協力させよと」

「ああ。それで間違って襲われないために被り物を貸与され、この数日再出発の手伝いをしていた訳だ。しかし……どうやらこれまでの妨害工作は、全て彼女の仕業らしい」

「僕達の内在菌と新薬の複合効果については、床下で拝聴しました。世界征服のため、今しばらく僕達に脱出されると困るのでしょう。尤も、既に菌を入手しているでしょうが。後は培養にさえ成功すれば、心置きなく薬と混合して世界中にばら撒くはずです」

 既知とは言え、何と恐ろしい計画だろう。慈悲に溢れたジプリールが考えたとはとても思えない。

「もーもー!」

 衛兵の足元へ、生物と犬のラフ・コリーを合わせたような茶色が四つん這いで擦り寄って来た。

「また女王様に食事を抜かれた?仕方ないですね。ハビー、ドッグフードをあげますからこちらへ。お二人もどうぞ、コーヒーでも淹れます」

 どうやらこのフロアは休憩所のようだ。ドアが開いたままの空き部屋にもベッドが置かれている。壁の案内板を指差しながら衛兵生物が、身体の汚れが気になるようでしたら、シャワー室やリネン室を自由に使って下さい、と提案してくれた。

 彼はリラクゼーションルーム、と書かれたプレートの扉を開く。


 バンバンバンバン!


 そこには、何故かうつ伏せで床を激しく叩く茶色の生物が一匹。頭には金銀で作られたティアラが乗っている。笑いを堪える仕草がやけに人間臭い。

「女王様、まだ笑っていらっしゃっるのですか?」衛兵生物が困り気に震える肩を叩く。「幾ら何でも不謹慎です、御家族の前でそこまで笑い転げて」

「どうした?」

 人形が尋ねる。

「どうやらあなたの養父様の怪我が、甚く女王様のツボに嵌ってしまったようです。滅多に無い事ですが、こうなると自然に飽きるまで放っておくしかありません」ペコペコ。「申し訳ありません。お身内の不幸を笑ってしまって」

「構わないさ。それに肉親でも何でもない、ただの従兄弟だ。好きなだけ笑うといい。奴には良い薬だ」

 一向に治まる気配が無いのを見てか、衛兵生物は女王の両足を掴んでずるずる隣室へ引き摺っていった。バタバタバタ――バタン。

「お見苦しい所を、済みません」

 扉の向こうからは尚も床を叩く音が断続的に聞こえてくる。と、反対の数センチ開いた扉からくぐもった呻き声。

「もしかして、あそこにはミーカールが?」

「ああ。今は治療を終えて休ませている」

「正気だったのなら何故攻撃を?」

 すると人形は顎に手を当てた。

「貴殿も見ていただろう。あれは完全な正当防衛だ。戦意満々でショットガンを発砲する相手に、味方だと宣言しても蜂の巣にされるのが関の山だ。まして奴は頭に血が昇り、正常な判断力を欠いていたしな。まぁ、普段でも完璧かと言われれば酷く疑問だが」

 尤もな意見だ。

「ではあの注射器は?」

「件の偽物用痺れ薬だ、彼等に借りた。奴に有効と思われる強力な銃器が無かったのでな」

 人形の言う通り、通常の茶色い生物をいとも容易く蹴散らした強力な銃が、青い変異体には全く通用していなかった。……ウーリーエールは無事なのだろうか?まさかもうジプリールに殺されて。

「つまり一方的な誤解だった、と」

「ああ」

 確かに。あの時のミーカールは人形への親愛の余り、彼女と戦う事しか眼中に無かった。絶え間無い緊張感と、何より離別の痛みが彼をそうさせたのだ。天使にあるまじき思慮不足、しかし私に責める資格は無い。

「怪我の具合は?」

「命に別状は無い。針が刺さった時、身体を妙な方向に捩っていたせいで先端がインノウを貫通したぐらいだ。他の臓器も特に問題無い」


「どこがだ……!」まるで地底から響いてくるような重い声。


「フン。応急手当はした、後は知らん」

「手っ前……!!」

 バンバンバン!二人のやりとりに呼応して女王の叩打音が大きくなる。

「どうせ使いもしない物だろうに、何を怒る事がある?」

「勝手に言い切るな!」

「相手もいないのにか?」

「ぐっ………!」

「大体お前は粗暴が過ぎる。好かれる要素が無い。普段会話する女性も、私とジプリール殿ぐらいではないか」

 一体何を揉めている?インノウとは、もしや人間の生殖器の事か?私達天使に生殖は不要だ。性交しても受精しない。私がそう言うと、こいつが天使?貴殿にしては面白い冗談を言う、人形が面白がって返答した。

「しかし子作りの必要が無いと言うのは同感だ。生まれた子供が哀れ過ぎる」

「手前ぇっ!!痛ててっ………!」

「まだ起き上がらない方がいいぞ。縫合した傷が開く」珍しく意地悪気な笑みを浮かべて「そんな汚物にもう一度触るのは御免だ」

 地鳴りがする程悔しげな歯軋りがドアの隙間から漏れる。だが流石に痛むようで、反論しようと出てきはしなかった。

「僕にはミーカールの気持ちが分かるよ」主が首を伸ばし、耳元で囁く。「あれは男性にとって一種のアイデンティティだ。仮令片方だろうと、僕でもショックを受けるな」

「はぁ」

 私が知っている主とミユビシキは、性格の基本的な所は同じだがどうも違う。人間だからか考え方が大分俗世的だ。普段の彼ならばこのような非常事態、仮令身体が鳥になろうと即座に私達へ指示を出し、全身全霊で解決に当たるだろう。生殖器の事など眼中にしない。

「君は相変わらずだな」クスッ。「こんな身体でさえなかったら……」

「?」

「何でもない」

 主は今、何を言おうとしたのだろう?

「皆さん、どうぞ椅子に掛けてゆっくりして下さい」

 衛兵生物が三つのカップの乗ったトレー、人形が先程の食事を私の前のテーブルに置いた。食器棚の下では、ハビーが皿一杯の餌にむしゃぶりついている。

 私と人形が向かい合わせ、衛兵生物は斜め前に座った。空いた椅子にデイパックを降ろし、新しい皿を借り、餌を開けて主の御身を傍に乗せる。

「さて」ずず……器用に黒い穴に苦い液体を流し込んでいく。「あなた方の友人であるジプリールさんですが」そこで何故かブルブル震えた。「彼女は現在この塔の最下層、製薬研究所に潜伏しているようです。あなた方の仲間と、僕達の同胞と共に」

「地下……貴殿等のロケットが落下した辺りか」

「はい。大気圏突入の勢いで、あそこには十五メートル近い穴を開けてしまいました。この星の人達に何とお詫びしていいか」

「気にするな。電波塔が倒れなかっただけマシだ。今は受信のみとは言え、あれが壊れていたら外部の様子も分からない所だった」

「街の外?」ジュースとサンドイッチを口に運びながら尋ねる。

「ああ。どうやらこの国の政府は、着々とここを攻撃する準備を進めているようだ」

「!?何故攻撃など!異星人はともかく、まだ私達が残っているのに」

「僕達が降り立って丸五日。内部からの連絡が無ければ全滅と思われても仕方ないです」衛兵生物が項垂れてそう言った。「せめて救難信号を送れれば良かったのですが……不時着の際に発信アンテナが折れてしまったようです。重ね重ね御迷惑を……」

「通信インフラの不備だ。責任は国の行政にある」人形がコーヒーを啜りながら言う。「アンテナ一本で無線電話すら繋がらないとは、最新技術が聞いて呆れる」

「その攻撃は何時、どのような手段で行われるのです?」

 主や自力で動けないミーカール、所在不明のウーリーエールを安全な場所に避難させなければ。――出来れば敵となったジプリールも共に。

「ニュースではミサイル攻撃も視野に入れると言っていたが……向こうも内部の状況は分からないはずだ。本格的な掃討の前に、普通ならまずは自衛隊を派遣して偵察を行うだろう。いい加減街に入ってきていてもおかしくはない頃合だ」

「僕達の方では今の所それらしい目撃情報はありません。あくまで彼等の言う事ですから、全幅の信用は置けませんが」

 食後のコーヒーの苦みが私を段々覚醒させる。餌を食べ終えたミユビシキが、私の腕を伝ってデイパックへ戻っていった。

「しかし本拠地に攻め込み世界征服を阻止しようにも、私も彼もハンドガンしか所持していないぞ。注射器の痺れ薬も在庫がもう無い」人形は腕組みして難しげな顔をし、ガリガリガリ……断続的に地面を揺らすドアに視線を動かす。「あいつ等の銃は彼女が回収済みだろうしな。かと言って来ているかどうか分からぬ自衛隊を探すのも」

「確か以前直接武器が欲しいと仰っていましたよね?」

「ああ。入手出来たのか?」

「ええ。もしもの防衛戦を考え、さっき街のアーミーショップで探してきました」地下を通り掛かったのはそこへ行くためだったのか。「こちらに保管してあります、どうぞ」

 先程女王を押し込んだ部屋に入り、ドアを閉める。隙間から、まだ彼女が部屋の隅でじたばた転げ回り笑っているのが見えた。流石に目に余ったのか、衛兵生物が槍で臀部辺りをつんつん突く。


 バタン。


「――ジプリールの新薬に関して、ウーリーエールが言いそびれていた事がある」

 嘴が項に触れる。

「止めて下さい、くすぐったいです」

「ああ、済まない」

 ミユビシキは素直に謝り、腕を降りて正面に立った。

「そうですね、途中で……社会的抹殺、とはどう言う意味でしょうか?」

 普通の毒薬ではなさそうだが。そう言うと、まだ気付いていないのかいイスラ?、主は微笑ましげに言った。

「?」

 彼は耳元に寄り、僕みたいになるって事さ、そう囁いた。

「ミユビシキ、に……?」

「僕は偶々この姿になっただけだ。彼女の作り出した薬は、僕達の人種の遺伝子情報を変異させ、鳥類に変えてしまう恐ろしい物なのさ」

「で、ではそのお姿のまま一生……」

 私が衝撃を受けていると、主は優しく仰った。

「そうショックを受けないでおくれ。あの薬さえ手に入れられれば、すぐにアンプレラの技術で特効薬を作れる。流石に鳥のまま生きるなんて真っ平御免だよ」

「なら良かった……」

 本物の大父神様でないとは言え、平穏無事に過ごして欲しい感情に一切の欺瞞は無い。

「イスラ、元に戻ったら……」また言葉が途切れる。

「?ジュード様?」

「いや、この話は街に平和を取り戻してからにしよう。今言った所で君を困らせるだけだ」

数分後。満足気な様子で二人は戻って来た。人形の手にはどういう訳かいつものハルバードが握られている。この世界でも一般的な武器なのだろうか?

「素晴らしい獲物だな。初めて持ったとは思えない程手にしっくりくる。何故こんな物がアーミーショップにあったかはともかく」

 本来の姿を取り戻した彼女は、嬉しそうに一度大きく振った。




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