第7話 試着
「申し訳ありませんが、こちらは内科です。心療科は3階になります」
看護婦に素っ気無くそう言われて寿々菜は鼻をすすった。
「私もう生きていけません!」
「先生、精神科に行って頂きましょうか?」
「そうだね」
「そんなぁ~!!!」
「次の方、どうぞ」
看護婦は診察室の扉を開いて寿々菜に言った。
「お帰りはこちらです」
「ひどいー」
・・・そう、ここは言うまでもなく病院である。
ただ、寿々菜はどこか悪いわけではなく(敢えて言うなら頭が悪い)、ひょんなことから知り合ったここに勤めるエリート医師・坂井と看護婦の高井戸薫に「お悩み相談」に来たのである。
全くもって迷惑な話だ。
KAZUファンの坂井さんと薫さんなら、私の気持ちを分かってくれると思ったのに!
ところが坂井は、
「まあファンと言っても僕は男だからね。KAZUが誰と結婚しようとそんなことはどうでもいいよ。僕はKAZUがドラマに出てればいいんだ」
という次第。一方、KAZUの為に脱・地味女を果たした薫は、
「そりゃあショックよ。でも私は本当にKAZUさんを好きだから、KAZUさんが幸せなら温かく見守るわ」
と、優等生なご回答。
薫さんてば前に、「KAZUさんの一ファンであることをやめたんです」とか言ってたくせに・・・
温かく見守るなんて絶対嘘よ。
薫さんみたいな人に限って、栄子さんにこっそり毒を注射したりするんだから。
和彦の結婚のせいで、若干荒れ気味の寿々菜である。
「でも!これはショックですよね!」
寿々菜はさっき駅で買ってきた週刊誌を薫に突きつけた。
そこには「KAZU 噂の婚約者と挙式を行うホテルに婚前お泊り!」という文字と共に、2人が朝日の中(に寿々菜には見える)並んでホテルから出てきている写真が掲載されている。
「これが何か?」
薫はじーっとそれを見た後、首を傾げた。
「結婚前なのに、こんなこといけませんよね!」
「・・・」
「ね!」
「おこちゃま」
「!!!」
「さ、お譲ちゃん、小児科は2階ですからね。1人で行けるかな?」
「行けます!」
おいおい、行くのか。
こうして寿々菜は戦友を得ることなく、病院を後にしたのだった。
その頃、「噂の婚約者」である栄子は1人でTホテルを訪れていた。ここで結婚式の打ち合わせをする時は必ず和彦と一緒だったが、今日はウエディングドレスの試着だけだし和彦もそうそう仕事を休めないという訳で、今日は1人である。
とうとうここまで来ちゃったな・・・
ズラリと並べられた純白のドレスを前に栄子は小さくため息をついた。
「どちらからご試着なさいますか?」
小杉が分厚いカタログを栄子の前に広げた。ハンガーに掛けられているドレスを見るより、カタログの中でモデルが着ているドレスを見る方がイメージが沸きやすいとかで、まずはカタログを見て試着するドレスを決めるらしい。
「オーソドックスなA型もよろしいかと思いますが、新婦様は背が高くてスタイルも良ろしいのでマーメイド型もお似合いだと思います」
「はあ・・・」
小杉お勧めのタイトなマーメイド型ドレスを着ている自分と、その右隣でタキシードを着ている和彦を想像してみる。
確かにお似合いだ。それこそまるでカタログから抜け出してきたように。
でも・・・
「こっちを着てみます」
栄子が選んだのは、腰から下が大きく広がったA型のウエディングドレスだった。大人っぽい栄子が着るには少々可愛らしすぎる、と小杉は思ったが、そこは客の好みだ。小杉は笑顔で「かしこまりました」と言って、栄子が所望したドレスをハンガーから取ってきた。
「こちらのフィッティングルームをお使い下さい」
そう言って小杉がカーテンを引いた奥には、フィッティングルームと呼ぶには広すぎる空間が広がっていた。奥の壁に取り付けられている鏡も、普通の大きさではない。
「うわあ、広い」
栄子が思わず感嘆の声を上げる。
「ウエディングドレスはかさ張りますから着替えるにはこれくらいの広さが必要なんです。上の階にこちらと似たタイプのドレスのご用意もありますので、取って参ります。お1人でお着替えになれますか?」
「あ、はい」
正直、ボリュームたっぷりのドレスを1人で着る自信などないのだが、いい大人が着替えを手伝ってもらうというのも気が引ける。
栄子は何とかなるだろうと思い、1人で着替えることにした。
カーテンを閉じスカートのホックを外していると、カーテンの向こうから小杉の声が聞こえてきた。
「ヒールも持ってまいります。サイズはおいくつですか?」
「24センチです」
「ヒールの高さはどういたしましょう?岩城様は背がお高いので、何センチの物を履いても岩城様より高くなることはないと思います」
「えっと・・・いえ、あまり高くない物でお願いします」
「かしこまりました」
そこで小杉の声は途切れ、足音が遠ざかって行った。部屋から出て行ったらしい。
栄子はまたため息をつくと、大きな鏡に映った自分の姿を見つめた。
一方小杉は栄子と話している時、フィッティングルームの前に綺麗に並べられた栄子の靴を見ていた。ヒールの高い靴だ。
小杉は、ヒールは背の高い女性が履いてこそ美しいと思っている。栄子もそう思っているかどうかは分からないが、ヒールが嫌いではないらしい。
ウエディングドレスを着ると足元は見えないけど、ヒールの高い靴を履いた方が足がより長く見えていいのに・・・
小杉は釈然としないまま、部屋を後にした。
そして小杉がエレベーターの中に消えるのを待っていたかのように、1つの人影が部屋の中に滑り込んでいったのだった。
「おめでとう、結婚するらしいじゃない」
嫌味たっぷりに和彦に話しかけてきたのは、年齢不詳の女プロデューサー・Kである。
名前はまだない。
・・・じゃなくて、和彦は名前を思い出せなかった。が、顔を合わせる度に口説かれていたので好きな人間ではないということは覚えている。
和彦は「ええ、まあ」と生返事をした。
「お相手はどんな方?」
「一般ですよ」
「それは知ってるけど。業界人でもないの?仕事は?」
しつこいなー。うぜー。
和彦は台本を読む振りをして顔を伏せた。
今日は単発ドラマの撮影の為に東京を遠く離れた山奥に来ている。この仕事はだいぶ以前から決まっていたのでKはここでまた和彦を口説くつもりだったのだろうが、先日の和彦の結婚報道のお陰であまり機嫌が良くないらしい。
和彦もプロデューサーを怒らせるのは得策でない事くらいは分かっているので、イライラしながらもなんとか笑顔で顔を上げた。
「業界人じゃないですけど、出版社に勤めています」
「へえ~。その関係で知り合ったの?」
てめーに関係ないだろ!!!
「いえ、昔からの知り合いなんです。再会したのは仕事の関係でですけど」
「へえ~」
和彦は、早く休憩が終わって撮影が再開してくれないかな、などと今まで思ったこともないようなことを思った。
いっそ早く結婚しちまえば、こいつにこんなネチネチ言われなくて済むのかもな。
・・・いや、それじゃこの結婚の意味がないか。
和彦がうんざりしながらKの嫌味を右から左に聞き流していると、和彦の携帯が鳴った。電話だ。和彦は渡りに船とばかりに携帯に出た。今なら武上からの電話でも、優しく応対できそうな気がする。
ところが。
和彦の耳に飛び込んできたのはとんでもない言葉だった。




