第17話 再登場?
「小杉。これ、なんて言うか知ってるか?」
和彦はそう言って、ベッドの上からある物を持ち上げた。
ベッドの下半分、寝転がった時にちょうど足の部分になる場所に掛けられている、帯状の布だ。
「・・・知りません」
「倉屋さんは?」
「はあ。フットスローです。お客様が靴のままベッドに寝転がった時、ベッドが汚れないよう掛けている物です」
「さすがだな。俺も知らなかったから調べたけど、その通りだ。汚れ防止だけじゃなく、飾りとしても使われている。知ってたか?武上」
「知るか」
フットスローはあってもなくても良い物なので、それなりに質の高いホテルでしかお目にかかることはない。武上のような普通の刑事が知らないのも当然だ。
もちろん、言うまでもなく寿々菜はその存在すら知らない。が、ようやく先ほど感じた違和感の正体が分かった。
「小次郎さんが死んでた部屋のフットスローは、変な場所に掛けてありました!」
「お、良く思い出したな。そうだ、あの時、フットスローはベッドの真ん中に掛けてあった。俺も最初それを見た時『変だな』と思ったけど、フットスローの役割が分からなかったから、真ん中でもいいのかもしれないと思って何も言わなかったんだ。武上、後で写真確認しとけよ」
武上が憮然として頷く。
「何故あの時、フットスローが間違った場所に掛けてあったのか?多分フットスローは一度床に落ちたんだろうな。それを誰かが間違った位置に戻した」
部屋中が沈黙する。
「誰が?小次郎が?そうかもしれないな。あのおっさんなら、ホテルマンのくせしてフットスローを知らない可能性もある。でも、部屋を出る時ならともかく、フットスローをわざわざ丁寧に元に戻すとも考えにくい。寝る時は取る物だし、あのおっさんの性格からして、部屋を綺麗に使おうなんて思わないだろ」
寿々菜と山崎が「うん、うん」と頷く。武上は心の中だけで頷くことにした。
「他に考えられるのは、部屋に他に誰かがいて、そいつが戻したって可能性だ。でもそいつもフットスローのことは知らなかったみたいだな。倉屋さんが言う通り、ブライダル専門じゃ仕方がないか」
全員の視線が小杉に集まった。
「もしこれを戻したのが倉屋さんなら、こんな間違った場所に戻したりはしない。そうだろ?」
「・・・はい」
小杉が小さな声で言う。
「部屋を綺麗にしておこうなんて気を回したのが仇になったな」
「・・・」
「待ってください、小次郎を殺したのは、」
宗太郎が慌てて会話に割って入る。
「倉屋さん。警察が捜している犬の死体を隠してたことだけでも、罪になるかもしれないんだ。これ以上余計なことは言わない方がいいと思うぜ?」
「しかし、」
「宗太郎さん、もういいです」
小杉が宗太郎を止める。そして和彦と武上に向かってこう言った。
「岩城様のおっしゃる通り、小次郎さんを殺したのは私です。殺した方法とあの部屋を選んだ理由は、さっき宗太郎さんがおっしゃった通りです。私が宗太郎さんにそう言ったんですから」
「小次郎を殺したのは、あの犬の件が原因か?」
「小次郎さんは以前から宗太郎さんに迷惑ばかりかけていました。挙句の果てに、結婚前の新婦様方用のフィッティングルームにあんなことを・・・」
小杉が声を震わせる。
「あの血が犬の物であることや、小次郎さんが岩城様のご婚約者様をつれさったのではないようだということは、宗太郎さんから聞きました。それでも許せなかったんです」
「それで小次郎を誘った」
「はい。一度ベッドに押し倒された時にそのフットスローが落ちました。なんとか小次郎さんをなだめて先にお風呂に入らせている間に、なんとなくベッドの凹みを直して、フットスローを戻したんですが・・・何も考えずにベッドの中央に掛けてしまいました」
「そうだな。フットスローの用途を知らなかったら真ん中に掛けちまうだろうな」
武上が小杉に訊ねる。
「あなたは最初から小次郎さんを殺すつもりで部屋に呼んだんですか?あなたが、宗太郎さんのホテルを殺人現場に選ぶのは不自然な気がします」
「違います。最初は小次郎さんと話し合うだけのつもりでした。でもお風呂で眠っている小次郎さんを見ているうちに・・・自殺に見せかけられると思ったんです」
「殺した後、すぐに部屋を出ましたか?」
「はい」
「間違いありませんね」
「はい」
「フットスローを戻したのも、殺す前ですね?殺そうと決めてから戻した訳じゃありませんね?」
「・・・?はい」
小杉は何故武上がこんなことに念を押すのか分からないようだが、和彦には分かった。殺した後にフットスローを戻したとなると、隠蔽工作になる。罪の重さが変わってくるのだ。
「では、今のお話を僕と一緒に警察に行ってして下さい。自首扱いにできると思います」
「はい・・・」
小杉は武上に頭を下げた後、視線を床に落としたまま宗太郎の方を向いた。
「宗太郎さん。色々とご迷惑をお掛けして申し訳ありませんでした」
「いや・・・僕の方こそ、せっかく君が正直に全部話してくれたのに、結局何の力にもなれなかった。申し訳ない」
「そんな・・・」
「これからどういう風になるのか分からないけど、僕はもちろん君を訴えたりしない。待ってるよ」
小杉が顔を上げる。その瞳からポロポロと涙がこぼれた。
何故かまた寿々菜も泣いている。この2人、どうも涙ポイントが同じらしい。
そして武上はこういう時、雰囲気を壊すのが苦手だ。なんだか自分がとても悪者になった気がしてしまう。特に寿々菜がこうでは・・・。だが、武上も刑事だ。苦手でもやるべきことはやらなくてはならない。
「小杉さん、行きましょうか」
「はい・・・あの、岩城様」
「ん?」
小杉が涙を拭きながら、和彦に話す。
「新婦様のご無事を祈っております。こんなことを言える立場ではありませんが、もしよろしければこのままこのホテルで結婚式を挙げて頂けると嬉しいです」
「儲かるから?」
「いえ・・・いいえ、そうですね。儲かるからです。私が宗太郎さんに掛けたご迷惑を少しでも取り返したいんです。どうか、よろしくお願いします」
「もちろんよ」
突然後ろから声がし、全員が驚いて振り返った。驚いていないのはただ1人だけだ。
「お、グッドタイミング。早かったじゃん」
「だって、やっと部屋を出ていいって言うから、嬉しくって。はー、やっぱり外はいいわね」
「外じゃないだろ。ホテルの中なんだから」
「そういう意味じゃないわよ」
寿々菜・武上・山崎そして宗太郎と小杉の頭の上を通り越して言葉がやりとりされる。その度に全員が右を見たり左を見たりと忙しい。
「え、栄子、さん?」
「お久しぶり、スゥちゃん。皆さんも」
「・・・今までどこにいたんですか?」
「和彦の家よ」
「和彦さんの・・・」
寿々菜はいまいち状況についていけていないが、武上と山崎は慣れと言おうかなんと言おうか、すぐに状況を理解した。
「和彦!!!」
「和彦さん!!!」
「まーまー怒るなよ、二人とも。俺としてもかわいい婚約者が泣きながら『ドレスを試着しようと思ったら、フィッティングルームに犬の死体があるの!』って電話してきたら『とにかくその場から離れて俺の家にいろ』って言うのも当然だろ?」
武上は和彦が栄子と最後に電話したのが試着直前だと言っていたのを思い出した。
「じゃあ、あの電話って言うのが・・・」
「そうそう。泣きながらかけてきた電話。な、俺、嘘ついてないだろ?」
「泣いてないけどね」
栄子が補足する。
「驚いただけよ。てっきり和彦のファンの悪戯だと思ったから和彦に報告したの」
「それは・・・どういうタイミングで?」
武上が和彦にというか、栄子にというか、目をキョロキョロさせながら訊ねる。
「小杉さんが出て行った後、私、試着の前にトイレに行ったんです。トイレの場所が分からなくて少し迷って遅く帰ってきたら、フィッティングルームに犬の死体がありました」
「で、俺に電話をかけてきた。俺もファンの悪戯だと思ったから、まだそのファンが近くにいたら危ないと思ってその場を離れろって言ったんだ」
「それは宗太郎さんがフィッティングルームに最初に来る前か?」
「だろうな」
和彦が宗太郎を見る。宗太郎は記憶を辿るようにして話した。
「確かに私は、小次郎がフィッティングルームを出てきた後、小次郎の後をつけるために少しの間フィッティングルームから離れていました。戻った時には誰もいませんでした」
「じゃあその間に栄子さんがフィッティングルームに戻ってきて出て行ったのか!」
武上はグシャグシャと頭をかいた。
なんてタイミングが悪いんだ!!!
「和彦!なんでもっと早く本当のことを言わなかったんだ!警察がどれだけ人を動員して栄子さんを捜してたと思ってる!」
「俺のファンの悪戯かも、くらいの理由じゃ警察はこいつを保護してくれないだろ。だったら犯人が捕まるまで自分の手元にこっそり置いておく方が安全だと思ったんだよ。犯人が警察内の俺のファンだなんてこともあるかもしれねーし」
武上の脳を、和彦のファンの婦人警官・鳥居の顔がよぎる。もちろん鳥居はそんなことは絶対にしないが、最近の警察の不祥事が武上を「うっ」と詰まらせた。
「そうこうしてるうちに、容疑者の小次郎が自殺だか他殺だか分かんねー死に方するし、警察に本当のことを話そうにも話せなかったんだよ」
「嘘つけ・・・お前、警察がてんやわんやしてるのを見て面白がってただろ」
「まさかー」
「・・・」
全く信用ならない男である。
そう言えば以前和彦は公衆電話を使っていた。あれは自分の自宅に電話をかけて栄子と話していたのだろう。携帯からかければ携帯会社に履歴が残るから、用心したに違いない。
「お前は・・・本当に・・・」
武上は腹立たしいやら気付かなかった自分が情けないやらで地団太を踏んだ。
「まーまー、解決したんだからいいじゃん」
「よくない!上になんて報告したらいいんだ!」
「一時的な記憶喪失で街を彷徨ってたけど突然記憶が戻ってホテルに現れた、とでも言っとけ」
「むちゃくちゃ言うな!」
しかし和彦はいつも通りどこ吹く風だ。
そんな2人を見ている内に、小杉の涙も自然と止まっていた。
「小杉さん」
栄子が小杉に歩み寄った。小杉が頭を下げる。
「ご無事で何よりです」
「ええ・・・。残念だわ、あなたのプロディースで式を挙げたかったのに」
「申し訳ありません・・・」
「でも、あなたの希望通り、私はここで結婚式を挙げるわ。だから安心して」
「はい・・・ありがとうございます」
小杉の顔にようやく笑顔が戻った。