第15話 ヒント
数日前血まみれだったフィッティングルームは何事もなかったかのように以前の状態に戻っていた。と言っても、和彦も寿々菜たちも以前の状態を知らないのだが、あの現場を見ていなければとてもではないがここであんな事件があったとは思えないほど綺麗だ。
「もう使ってるんですね」
和彦がそう言うと、小杉は申し訳なさそうに頷いた。
「はい。すみません」
「どうして謝るんですか?ちゃんと警察の許可も取ってるんでしょう?」
「はい、もちろんです。でも、」
「岩城様には申し訳がありません」
後ろから別の声が小杉の言葉を続けた。振り向くと、いつの間にか衣裳部屋に倉屋宗太郎が入ってきている。
「岩城様がいらっしゃってると聞いて、参りました」
宗太郎が頭を下げる。
「まだあの事件が解決していないのにここを普通に使用することは、岩城様にとって不愉快なのは百も承知です。ですが、お式の近いお客様もいらっしゃいますし、ウエディングドレスのフィッティングルームはここしかありません。申し訳ありませんがお許しください」
「そんなことは別に構いません。それにしても随分綺麗になってますね」
小次郎が死んだ時、宗太郎と小杉には既に素を見せている和彦だが、こんな場所できちんとした態度を取られると、思わずKAZUモードになってしまう。自分でもなんだか気持ちが悪い。
「壁紙は張り替えました。床はフローリングなので掃除しただけですが」
「犬の毛がたくさんあって大変だったんじゃないですか?」
「いえ、大体は警察の方が掃除して下さったので、毛は落ちていませんでした」
武上の眉がピクッと動いた。しかし和彦は武上に構わず続ける。
「小次郎さんが亡くなった部屋ももう使ってるんですか?」
「はい。小次郎は自殺の可能性が高いということで、あの部屋の使用許可は翌日に出ました。特に汚れたりしていませんでしたので、掃除だけして使っています」
「じゃあお客さんはあの部屋で自殺があったなんてことは知らずに泊まってるんですね」
「それはまあ・・・そうです。それは仕方のない事です。何かあった部屋をいちいち使用禁止にしていたら、日本中のどのホテルも経営が成り立ちません」
「それもそうですね」
和彦は笑顔でそう言うと、フィッティングルームを出て、そのまま衣裳部屋も出た。そして廊下で宗太郎に振り返る。
「あの部屋も見せてもらっていいですか?」
「今はお客様が宿泊されています」
「じゃあ、同じタイプの部屋を」
「かしこまりました」
宗太郎は受付の中に立っているベルボーイに声をかけようとしたが、それより先に和彦は栄子を見ていたあのベルボーイがロビーに入って来るのを見つけ、その腕を掴んだ。
「おい。小次郎が死んだのと同じタイプの部屋に案内してくれ」
「え、そんな・・・勝手にそんなことはできません」
「総支配人様がいいって言ってんだよ。さっさとしろ」
ベルボーイは、自分の腕を掴んでいるのが誰なのかようやく分かり、青くなった。
「あ・・・あの時の・・・KAZU・・・」
「いーから早くしろ」
宗太郎が頷いて見せると、ベルボーイは「かしこまりました」と姿勢を正し、若干頼りない足取りで先頭を歩き出した。和彦・武上・寿々菜・山崎、そして宗太郎・小杉とその後に続く。
「こちらです」
案内された部屋は小次郎が死んだ部屋の3つ右隣の部屋だった。入ってみると、左右対称ではあるが確かに小次郎が死んだ部屋と同じタイプの部屋である。もちろん風呂場に死体はないが。
「寿々菜」
「はい」
和彦が寿々菜を部屋の中央に呼ぶ。ただ、中央と言っても部屋のほとんどがベッドなので寿々菜はベッドの目の前に立つ形になった。
「何か違和感、感じるか?」
「え?ここでですか?」
寿々菜は辺りを見回した。確かに小次郎が死んだのと同じタイプの部屋ではあるが、そうは言っても違う部屋だし綺麗に掃除もされている。ここで何か感じるかと言われても困ってしまう。
寿々菜は取り敢えずユニットバスを見に行ってみたが何も感じず、再び部屋の中央に戻ってきてもう一度部屋全体を見回した。
「何も感じません」
「じゃあヒントだ。ベッドをよく見てみろ」
言われた通り、目の前のシングルベッドをじっと見てみる。確か小次郎が死んだ時も、部屋は綺麗でベッドもきちんとベッドメイクされたままで・・・
「あれ」
「なんか感じるか?」
「・・・はい。でも分かりません。前のベッドと何かが違う気はするんですけど。なんか、この辺が・・・」
寿々菜はベッドの下半分を指で円を書くようにさした。
「武上。あの時の部屋の写真、あるか?」
「倉屋小次郎の写真は持ってるが、ベッドの写真なんかいちいち持ち歩いてる訳ないだろう」
「使えねーなあ」
和彦はため息をついてベッドにドカッと座った。安い部屋だとは言っても一流ホテルだ、座り心地は悪くない。
「でも、だいぶ分かってきたぜ」
「何が?」
「誰が何のために何をしたのか」
意味深な和彦の言葉に、それぞれがそれぞれの顔を見る。
「聞きたいか?」
和彦がニヤッと笑って武上に訊ねた。正直、武上は聞きたいと思っている。しかし刑事のプライドにかけてそれを素直に言葉には出したくない。特に和彦に対しては!
「私は聞きたいです!」
「僕もです」
和彦ファンの寿々菜と山崎が武上に代わって素直にそう言う。武上は「ふん」と鼻を鳴らしたが、内心ホッとしていた。和彦もそれを分かっているのかニヤニヤして足を組む。
「よしよし、じゃあ聞かせてやろう。まずは犬殺しの件だ。おい、武上」
和彦が武上に呼びかける。武上もそれだけで和彦の意図していることが分かってしまうのだから、自分で自分が情けない。それでも和彦の思い通りにやるしかない。これはどちらにしろ警察の仕事だ。
「倉屋さん。先ほどあなたは、和彦が『犬の毛がたくさんあって大変だったんじゃないですか?』と聞いた時、『いえ、大体は警察の方が掃除して下さったので、毛は落ちていませんでした』と言いましたね?」
「はい」
「どうして犬のことを知ってるんですか?」
「・・・え?」
「あの事件は世間には公表されていませんし、血が人間の物ではなく犬の物だということを知っているのは警察と和彦たちだけです。混乱を避けるためにホテル関係者にも話していない。あなたが知っているはずがないんです」
「・・・」
宗太郎は黙ったままじっと武上の顔を見た。