第11話 仮説
武上が警視庁内の待合室にいる和彦のところに戻ってきたのは、ちょうど和彦が待合室の外の廊下に設置されてある、今となっては化石のような公衆電話を切った時だった。
武上は首を傾げた。
「なんでそんな物、使ってるんだ?」
「あいつに携帯で電話かけまくってたら、こっちの電源が切れちまった。だから公衆電話で事務所に連絡入れてたんだ。それよりなんか分かったか?」
「分かったような、分からないような、だ」
「は?」
和彦は武上に促されて部屋の中に戻った。部屋では寿々菜が悲壮な面持ちで・・・眠っていた。
「寿々菜さん」
「・・・あ・・・あ~あ・・・あ。お疲れ様です、武上さん」
寿々菜は大欠伸をした。なんとも色気のないヒロインである。
「いえ、鑑識に行ってきただけですから。今から栄子さんを探しに行きますが、その前に山崎さんが言っていた犬の毛の件をお伝えしようと思って」
「どうだった?」
直接栄子へ繋がる手がかりではないかもしれないが、やはり気になるのか和彦は真剣な表情だ。
「それがよく分からないんだ。確かにフィッティングルームから犬の毛は発見された。まだ種類は特定できていないが、長い毛だ。でもその量が微妙なところで・・・外で殺して血だけ持ち込んだとしたら、血に毛が多少混じることはあるだろうけど、発見された毛はそんな少ない量じゃないんだ。でも、フィッティングルームで殺したとしたら、もっと毛が大量に見つかるはずだ。もちろん薬か何かで眠らせて連れ込んでるだろうから、暴れて毛が飛び散ることはないだろうが、それにしても少ない」
「つまり、外で殺されたとしても中で殺されたとしても、説明のつかない中途半端な量ってことか」
「いや、1つだけ納得のいく仮説はある」
「え?」
寿々菜は目を擦った。
「なんなんですか、その仮説って」
「外で切り裂いた犬をフィッティングルームに持ち込んで、血をばら撒いた、という仮説です」
一気に目の覚める仮説だ。寿々菜はその場面を想像して気分が悪くなってきた。
「ただこの仮説には1つ筋の通らないところがあります」
「何故犯人は犬の死体を持ち帰ったか、ってことだな?」
武上は和彦に頷いて見せた。
「わざわざ血だけでなく死体ごとホテルに持ち込んでおきながら、死体を持ち帰っている。そんなことをする理由が分からない。犬の死体が犯人に繋がるのなら、最初から血だけ持ち込めばいいはずだし、そっちの方がずっと楽だ。水筒か何かに入れれば怪しまれないしな」
「す、水筒・・・」
確かに液体である血を持ち運ぶには水筒が便利に違いない。
でも、だからって水筒・・・。これから水筒、使えない。
寿々菜はますます気分が悪くなった。が、武上は職業上、和彦は性格上、全くもって平気らしく、会話は淡々と進んで行く。
「死体を持ち帰った、か。まあ、筋は通らないけど有り得ない話じゃねーな」
「だが帰りは栄子さんもいる。犬の死体と栄子さんの両方となると、犯人は複数かもしれない。和彦のファンが犯人だとしたら女集団の可能性が高い」
「女が犬を殺して血をばら撒いたのか?こわいねー。犬の死体が出てきたら、何か手がかりが出るかもな」
「そんなこと、言われなくても分かってる。今、栄子さん班と犬班の2つに分けて捜索をしている」
「犬班か。なんか面白いな、それ。武上も犬班に入れよ」
「笑い事じゃないぞ、全く」
だがまあ和彦が元気になってきたのはいいことだ。
武上は和彦に言われたからという訳ではないが、犬班に合流すべく警視庁を後にした。
「そんなことになってたのね」
看護婦の高井戸薫は1つずつ滅菌され袋詰めにされている注射器を丁寧にトレーに並べながら眉を寄せた。
「酷いことをするファンもいたもんね」
「薫さんも人のことは言えないと思いますけど」
寿々菜はクルクル回る椅子に腰かけ、クルクルと回りながら薫を睨んだ。が、薫も負けてはいない。
「わざわざご報告ありがとう。さ、帰って。土曜日でスゥちゃんは学校が休みかもしれないけど、病院は休みじゃないんだから」
「休みじゃないんですか?土曜は診察ないじゃないですか」
「病院が休みだったらどうして私がここにいるのよ」
ごもっともである。
「外来はなくても、入院患者さんはいるから24時間体制よ。KAZUさんが入院した時だって、いつでも誰かがいたでしょう?」
「そっかー。大変ですね、看護婦さんも」
「そうよ。24時間働いてるのは芸能人だけじゃないんだから。まあスゥちゃんは1時間も働いてないみたいだけど」
「・・・」
これまたごもっともで、反論のしようがない。
そしてそれ故にこうして寿々菜は病院に栄子の事件のことを「ご報告」に来れているのである。
「と、とにかく最近怪我をした犬が運び込まれたりしてませんか!?」
「ここ、動物病院じゃないから」
「じゃあ、犬に噛まれた人とか!」
「それなら外科ね。外科は違う病棟だから、エレベーターで一旦外に出てちょうだい」
「薫さ~ん」
「第一、そんなこと部外者である私に簡単に話しちゃっていいの?テレビでもそんなニュース流れてないじゃない」
うっ、と寿々菜は詰まった。確かに事件のことは口外しないよう社長からも警察からも強く言われている。騒ぎが大きくなると犯人を刺激する可能性があるし、事務所としてもKAZUの名前に傷がつくようなことは避けたい。ましてやこれがKAZUファンの犯行となると・・・
「それ、本当にKAZUのファンの犯行なのかな」
回診から戻ってきた坂井医師が会話に入ってくる。坂井は薫と違って寿々菜を追い返したりしないので、寿々菜は大歓迎だ。
「どういうことですか?」
「僕は男だから女性ファンの心理は分からないけど、いくらKAZUが好きでも、犬を殺してホテルを血で汚し、婚約者を連れ去るなんて事やるかな?」
「それは・・・ファンって色んな人がいますから・・・」
現に和彦に毒入りチョコレートを食べさせ、この病院に入院させたのも和彦のファンだった。過激なことをするファンがいてもおかしくはない。が、実はそう言う寿々菜自身も、今回のことは少々行き過ぎている気がしていた。
「じゃあ、そのファンの子達はどうやってあの日、KAZUの婚約者がホテルでウエディングドレスの試着をしてると知っていたんだろう」
「え?」
「犬殺しはともかく、人を1人さらうには相当綿密な計画が必要だ。犯人は当然事前にあの日あそこにKAZUの婚約者がいたことを知っていたはずだよ」
「それってつまり、ホテル内の誰かが情報を流したってことですか?」
「もしくはホテル内の人間が犯行に関わっているかもしれない」
「!」
自分はともかく、和彦や武上もどうしてその可能性に気付かなかったのか、と寿々菜は驚いた。おそらく総支配人である倉屋宗太郎の人柄のせいで、「Tホテルの人間は全員いい人」という先入観があったためだろう。
だが、確かにホテル内の人間が関わっていれば、犯行はかなりやりやすくなる。
それに「全員いい人」と言いつつ、小次郎のような不思議人間もいる。
「そうだとしたら、栄子さんはTホテルの中で監禁されてるかもしれませんね!」
「うん。灯台下暗しってやつだ」
「ありがとうございます!早速武上さんに話してみます!」
寿々菜は背中から聞こえてくる、薫の「あの子、何しに来たのかしら」という声は無視し、来た時より遥かに勇ましい足取りで土曜日の病院を出て行ったのだった。




