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そのタイトルを禁句にします。  作者: 葉方萌生
第四章 人気作家を取り巻く一連の事件

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◾️雪村萌香 違和感

 8月19日月曜日。

 英生会では10日ほどあった長いお盆休みが明けた。

 とはいえ、昨日と一昨日は中学3年生の夏季合宿があったので、職員のお盆は一昨日から明けていることになる。私も合宿に出席していたので、今日が月曜日という感覚がなかった。

 ちなみに夏季合宿は無事に予定通りに遂行することができた。余興の花火大会も盛り上がったし、去年のような不祥事は起こらなかった。きっと先生たちはみな、心の中でほっとしていたに違いない。新人の私は、去年のことなど何も事情を知らないふりを装っていたけれど。


「立花先生、今日もお休みなんですね」


 お昼頃に集まった面々を見て、私はひとり呟く。

 立花先生はお盆前、私が体調不良で早退をしたあたりから体調を崩していて、今もまだ治っていないらしい。昨日、一昨日の合宿も休んでいた。10日以上も風邪が長引いているとは思い難いし、季節外れの感染症ではないかとみんな疑っている。が、当の本人から合宿の前に「体調不良で合宿を休みます」という連絡しかなかったので、今どんな様子なのか、分からない。体調が悪いときにあまり頻繁に連絡をするのも憚られるということで、昨日も彼女にコンタクトをとった先生はいなかった。


「今日は代講立てないとなー」


 青木塾長が困った顔で言う。講師が一人休むと、その先生が請け負っているクラスの授業ができなくなる。代わりに空きコマになっている先生が授業を行うしかないのだが、あいにく今日は空きコマになっている先生がいなかった。


「雪村さん、できひんよね?」


「え、私ですか?」


 青木先生の視線が私にじーっと向けられる。いや、さすがに授業は……と断ろうとしたところで、彼は「冗談やって」と続けた。


「今日は仕方ないから、他のクラスと合同でやるわ」


「はあ。分かりました」


 大きな教室で、立花先生のクラスと他の先生のクラスを合併させると聞いてほっとする。講師一人が抜けた穴は大きい。立花先生はいつ戻ってこられるのだろうか。最後に彼女と会った日、彼女の様子が少しおかしかったのを思い出す。正確には彼女がある本のタイトルを口にした場面だけだが。去年、合宿で生徒が一時的に行方不明になり、合宿中に失くしたと言っていた本のタイトル。それを語った時の彼女の口調がどうも変で、結局本のタイトルが何なのか分からなかった。

 自分の体調が悪かったので単なる聞き間違いかと思ったけれど、二回聞いて二回とも上手く聞き取れなかった。あれは一体何だったんだろう。


「雪村さんは大丈夫? 前にちょっと体調悪いって言うてたみたいやけど」


「え、ええ。私は今のところ大丈夫です」


 本当はまだ、本調子ではなかった。軽い頭痛や息苦しさが時々襲ってくることがある。だが、感染症や重い病気の類ではないことは分かっている。一度病院にもかかったが、日頃の疲れが原因でしょうと曖昧な診断を受けた。


「そうか。まあこの暑さやし、気いつけてな」


「ありがとうございます」


 なんだかんだ、部下の体調には気を配ってくれる青木先生は優しい人だ。頭を下げていつもの事務仕事に取り掛かる。立花先生のいない事務所は、なんだかふわふわとして自分の居場所がないように感じられた。



***


 立花先生が休みだったこともあり、イレギュラーなことが多かった今日、私は普段より二時間長く仕事をしていた。いわゆる残業である。事務職で残業をすることはあまりないが、時々こういった事態が発生する。立花先生には日頃からお世話になっているので仕方ないと思いつつ、やはり仕事が終わった頃にはどっと疲れが押し寄せていた。


 帰宅してまずは晩ご飯を作る。身体はクタクタだったけれど、食材も余っていたのでなんとか肉じゃがを作った。肉じゃがを口に運びながら、Xを開く。DMが一件。案の定、美月からのDMだった。前回彼女とやりとりをしたのが7月29日なので、久しぶりだ。



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萌生さん


こんばんは。

DMお久しぶりです。あれからどうですか?

私の方には変わらず、時々変なコメントがつきます……。

運営の方で翌日には削除してもらっていますが、ちょっとだけ作品を更新するのが憂鬱になっている自分がいて、ダメですね。

あ、決して萌生さんが悪いわけではないので、勘違いしないでくださいね。


すみません、ちょっと最近プライベートの方でもあんまり上手くいかないことが多くて。

お付き合いしていた彼が浮気をしてたことが発覚して、情緒不安定になってるみたいなんです。こんなこと、萌生さんに言うことじゃないって分かってるんですけれど、どうしても誰かに吐き出したくて、本当にすみません><


「69,」からのコメントと、プライベートの件は全然関係ないって分かってるんですけど、なんだか全部あのコメントに結びつけて考えちゃってる自分がいて。


馬鹿ですよね。彼の浮気のことは、私と彼の問題なのに。彼とは多分、別れると思います。大好きだったんですけどね……。今でも大好きなんです。でも、浮気はやっぱり許せないし、これからも自分が傷つけられるかもしれないって思うと、そっちの方が怖くて。だからもう終わりにしようかと。


萌生さんの方は最近どうですか?

Xでの投稿が前より減っているみたいなので、少し心配で。

自分のことばかり書いてしまいましたが、「69,」のコメントの件に関しては萌生さんが一番お心を病んでいらっしゃるかと思って。


私にできることがあれば、いつでも相談してくださいね。


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 美月からのメッセージを読み終えると、胸がチクリと痛くなるのを感じた。彼女から恋愛話を聞いたのは初めてだ。もともと創作仲間として知り合ったこともあり、お互いのプライベートのことは詮索することもなかった。けれど、こうして彼女から恋人の話を聞くと、画面の向こうにいる彼女も生身の人間なんだということを肌で実感することができる。


 私は関西に、美月は東海に住んでいるというので会うことはできないが、まるで学生時代の友人から話を聞いているような感覚に陥っていた。


 美月のDMにもあるが、私は最近Xで投稿をしていない。主な原因は体調不良だった。が、やっぱり「69,」のことが大きく関係していた。

 キラノベで広がっている「69,」のコメントの件が、私のせいかもしれないと思ってから、あまりこの件について触れない方が良いかと思ったのだ。吉岡さんが失踪してしまったという件も、心に棘が刺さってみたいにずっと引っかかっていた。白々しく作品の宣伝をするのも憚られる。それに私の作品には、今も「69,」からのコメントがついている。毎日運営が削除してくれているので、もう確認すらできていない。でも感想が届いたことを知らせるあの赤文字が目に飛び込んできた瞬間、心臓がドキドキと鳴ってしまうのを止められなかった。キラノベを開くこと自体、美月と同じように憂鬱になってしまっていた。


 私は、そんな素直な気持ちを美月へのDMに書き綴る。



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美月さん


DMありがとうございます。

色々と心配をかけてしまってごめんなさい。

私の作品にも、いまだに「69,」から感想コメントが届いています。

最近は感想コメントを開くのも億劫になってしまって、内容は見ていません。きっとまた私や私の作品に対する誹謗中傷が書かれているだけだと思うと、ゾッとします。こんなふうに美月さんに弱音を吐いてしまって、情けないです……。

すべての元凶が自分かもしれないと思うと、やっぱり作品の更新もできなくて、Xもご無沙汰していました。ご心配おかけしてすみません。


あのコメントのことを除けば、少し体調を崩してしまったぐらいで、私の方は大丈夫なのですが。

美月さんは、プライベートでも大変なことが重なっているようで、心中お察しします。

浮気は辛いですよね……。

でも、浮気を見過ごさない選択をした美月さんは、強い方だと思います。

……って、赤の他人である私が上から目線で言うことではないですけど……!


とにかく、本当にその彼氏さんのことが好きだったことが伝わってきました。その気持ちが美月さんのピュアな作品に表れていたんですね。だからこそ、裏切られてさぞお辛いかと思います。

吐き出したいことがあれば、私でよければいつでも聞きますので!

どうか、これ以上しんどくなる前に、また心のうちを話してくださいね。


私にはお付き合いしている人はいないのですが、気になる男性がいて。その人、作家の神谷結人って人です。高校、大学の同級生なんです。

まあ、遠距離なので叶わない恋だとは自覚しています。

そういえばその彼もキラノベで活動をしているのですが——あ、榊しのぶってペンネームの人なんですけど、もしかして知ってますか?

彼の作品にも「69,」から感想がたくさんきていました。なんだかすごく奇妙な内容で……きっともう消されていると思いますが、思い出すだけで怖くなっちゃいます。


彼と、10日前に連絡したんですけれど、また連絡してみようかなあ。

すみません、美月さんがお辛いのに惚気みたいなことを。


久しぶりにご連絡いただけて嬉しかったです。

また何かあれば、いつでもご連絡くださいね。


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 自分よがりな文章になってしまったかな、と思ったけれど、優しい彼女なら受け入れてくれるだろうと信じて、「送信」ボタンを押した。キラノベでの投稿やXでの投稿を控えている今、美月とのDMだけが心の拠り所になっているような気がする。

 先方も同じだったのか、すぐに既読マークがついた。

 それから10分もしないうちに返信が来る。




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萌生さん


ご返信ありがとうございます!

やはり、萌生さんも、「69,」からのコメントのせいで投稿を控えていらっしゃったんですね。

決して萌生さんのせいじゃありませんよ!

すべて、「69,」が悪いんです。

どうかご自身を責めないでください。


それから、私の心配をしてくださってありがとうございます。

自分で吐き出しておいて、余計なことを言ってしまったかもとちょっぴり後悔していたので、優しい言葉をかけてくださってほっとしました。

自分の経験を作品に反映させてしまうのは、もうどうしようもないですね(笑)

彼とは上手くいかなかったですけれど、これからもっと素敵な人に出会えるよう、頑張ります!


萌生さんは気になる男性がいらっしゃるんですね。

(あ、こういう恋愛ネタは大好きなので、いつでもウェルカムですよ♡)

しかも、キラノベで活動されてる方! 榊しのぶさん、私一度その方の作品を拝読したことがあります。

というか、男性だったんですね。中性的なお名前なのでどっちかな、って思ってたんです。作品を拝見して、なんとなく女性かと思っていたので男性なのは少し驚きですね。


『十年越しのこの愛にさよならを』——今連載されている彼の作品、最新話まで読んでいます。ここ1ヶ月半ぐらい、更新はされてないみたいなのでちょっと残念だなーって思ってたところです。


この作品、登場人物に既視感があるなって思ってたら、『莠ャ驛ス蟄ヲ逕滓オェ貍ォ』に出てくる人たちだったんですね。『莠ャ驛ス蟄ヲ逕滓オェ貍ォ』の二次創作かと思ってたんですけど、作者、ご本人だったんですね。私、『莠ャ驛ス蟄ヲ逕滓オェ貍ォ』が大好きだったので、榊さんの『十年越しのこの愛にさよならを』にもすっと入り込めたんでしょうね。でも『莠ャ驛ス蟄ヲ逕滓オェ貍ォ』が絶版になってしまったのは残念でした……。もっとたくさんの人に読んでもらいたい作品だったので、今でも悔しいです。


あ、すみません、今母から電話がかかってきました。

そろそろ終わりますね。

こちらこそ、何かあればまたお話聞かせてください!


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 美月からの返信を見て、私は素直に驚いた。

 彼女が榊しのぶの存在を知っていたこともそうだが、彼の『十年越しのこの愛にさよならを』を読んで、結人の作品と結びつけていたなんて。


「にしてもなんでタイトルのとこ、文字化けしてるんだろ」


 彼女から送られてきたDMの一部が文字化けしていることに違和感を覚えた。

 文字化け解析ツールを使って変換してみると、ちゃんと彼の絶版してしまったデビュー作のタイトルに直された。


 DMのタイトルの部分だけが文字化けしてしまうことに、薄ら寒さを覚えて後ろを振り返る。結人のキラノベでの最新作『十年越しのこの愛にさよならを』に届いていた20件の感想コメントが瞬時にフラッシュバックした。


「結人……」


 ドクン、ドクン、となぜだか猛烈な胸騒ぎを覚えて、美月とのDMのやりとりの画面を閉じる。代わりに結人の連絡先の画面を開いた。


 最後に彼と連絡したのは8月9日のことだったから、彼とのトーク画面はメッセージ履歴の比較的上の方に表示されていた。メッセージは私との通話の履歴を最後に途切れている。この間連絡をしたときは、新刊本の準備で忙しいと言っていた。おそらくお盆休みの間もずっと仕事をしていたんだろう。今はちょっとだけ落ち着いたかな? 彼の仕事の状況は分からなかったが、どうしても今彼に連絡をしなければならないような気がして、私は「最近どう?」とメッセージを送った。


「既読」はすぐにはつかなかった。

もともと返信はマメな方だが、仕事が忙しい時にプライベートの連絡を後回しにしてしまうのは、誰にでもあることだ。逸る気持ちをなんとかなだめて、彼からの返信を待った。


 しかし、待てど暮らせど、返信はこない。

 夕飯を終えてお風呂に入り、寝る前の読書をしている時間も、Xのタイムラインをぼんやりと眺めている時間も、時々結人ともトーク画面を確認していたが、やっぱり連絡はなかった。ついでに「既読」すらついていないことも分かった。


「よっぽど忙しいのね」


 マメな結人が未読スルーをしてしまうほど忙しいのだから、きっと今日はもう返信もこないだろう。仕事が詰まっている時に連絡して申し訳なかったな、という罪悪感を覚える。それからやっぱり心のどこかで、片想いをしている相手から興味を持たれてもいないのかもしれないという自分本位な淋しさが胸を襲った。


 まったく、私はいつもこう。

 自分のことばっかりだから、いまだに気になる彼に振り向いてももらえないのよ。

 高校生の頃から、結人のこと、好きだったのにな——……。


 キラノベでのことや、職場で立花先生が休んでいることなど、いろんな不安が重なって、心がぐらついていた。落ち着かない。こんな日にせめて仲の良い友達の一人でもそばにいてくれたらどうってことないのかもしれない。遠くに暮らしている美月のことを思って、彼女に会ってみたいな、なんてまた自分よがりなことを考えていた。



 この日、結局午前0時を回り、自然にやってきた睡魔に襲われるまで、結人からの返信はなかった。

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