◾️雪村萌香 コンタクト
翌日も発熱が下がらずに会社を休んだ。とはいえ、昨日よりはだいぶマシになっていて体温計で計測したところ、37.5度だった。明日には下がっていそうだと安心すると同時に、体調の方も、昨日に比べたらよっぽど身体が楽になっていた。
ベッドから這い上がり、お茶漬けのような消化に良いものぐらいは食べられるようになり、良かったと胸を撫で下ろす。
ご飯を食べながら、昨日の午前中ぶりにメールフォルダを開いた。
新着メールはいつ登録したのかも忘れた懸賞サイトのお知らせメールや、広告プロモーションばかりだ。キラノベからのメールも、新しいものは来ていない。返信をしていないのだから当然と言えば当然だろう。
それにしても……と、キラノベで起こっている一連の事件について考えてしまう。
最初は「69,」の単なるいたずらかと思っていた。だが、調査に乗り出した編集部員が一人失踪しているとなれば、話は一気に事件性を帯びてくる。警察沙汰になるのだろうか。そうなれば、今後キラノベで活動ができなくなるかもしれないな……。
そこまで思い至った時、私はふとあることを思い出す。
そうだ、キラノベと言えば彼も投稿をしているんじゃなかったっけ。
ある人物のことを頭の中に思い浮かべてはっとする。
最近は忙しくてめっきり連絡を取ることができていなかった。私が、というよりは、彼の方が仕事が詰まっているのだ。なんとなく他愛もないことで連絡を入れるのが申し訳なくて、世間話をしたいと思っても遠慮していたのだけれど。
「事が事だし、彼にも共有してみようかな」
思い立ったが吉日、とでも言おうか。
私は、実に3ヶ月ぶりに彼——神谷結人に連絡を入れることにした。
SNSの連絡先を開くと、彼のアカウントはトーク画面の中ほどより下のほうにあった。プロフィール画像は夏の海の写真で、ここ数年更新されていない。彼とのトーク画面を開くと、前回話したのは5月の半ば頃になっている。ちょうど私の誕生日に、彼がメッセージをくれた時だ。
『お久しぶりです。仕事は順調? 実はキラノベのことで相談があって連絡しました。時間がある時に返信をくれたら嬉しいです』
それだけのシンプルな文面を、思い切って送信する。「既読」はすぐにつかない。
忙しい人だから気長に待とう——そう思っていた。
ここで、彼について少しご紹介を。
彼、神谷結人は私が地元福岡に住んでいた頃に知り合った、高校時代・大学時代の友人である。大学まで同じ京都の国立大学に入れたのは幸運だった。私たちは7年もの間、学び舎を共にしていた。
神谷結人というのはペンネームだ。彼は6年前に光風社という大手出版社が主催する某有名小説新人賞の大賞を受賞し、華々しくデビューした。その後も様々な著書を出版し、今ではベストセラー作家と呼ばれている。
私は彼と高校の同級生であるが、その時からペンネームの下の名前で彼のことを呼んでいた。高校時代、同じ文芸部に所属していたこともあり、お互いに遊び感覚でペンネーム呼びをしていたのが定着してしまったのだ。だから、彼の方も私のことを「萌生」と呼ぶ。幸い、二人ともあの頃からペンネームを変えずに活動しているので、呼び方を変更する必要もない。——まあ、私の方は結人から「萌生」と呼ばれるのが嬉しくて、ペンネームを変更しなかったんだけど。そんなこと、恥ずかしくてとても本人の前で口にすることはできなかった。
そんな友人の彼だが、今は東京の墨田区で専業作家として暮らしている。
光風社をはじめ、出版社の多くは東京に本社を構えている。何かと東京に暮らすのが便利だということだが、本人としては本当は大学時代を過ごした京都に住み続けたかったと、常日頃からぼやいている。私だって同じだ。京都は学生の街と呼ばれるほど学生が多く、住み心地がとても良かった。京都市内を南北に流れる鴨川の景色も最高だし、京都という古く良き日本を代表する街の中で執筆活動をするということ自体、価値のあることだった。
だから、私も彼も仕事の関係で京都を離れざるを得なかったことは今でも悔いている。仕事をリタイアしたらまた京都で互いに生活しよう、なんていつ実現するかも分からない話を今でもしているほどだ。結人なんて、京都に別荘を買おうとしているほど、京都狂いだった。3ヶ月に一回ほどは気晴らしに京都にやって来るというので、時々私は京都で彼と落ち合っている。実を言うと、高校生の頃から彼のことが気になっていたのだけれど、彼はどう思っているのだろう。小説と結婚しているような男だから、私を女として見てくれている可能性は低いように思われた。
と、少し紹介するどころか彼のこととなると口が達者になってしまい、お恥ずかしい。
とにかく彼に、誕生日ぶりに連絡を入れたのだが、「既読」がつき、返信が来たのはそれから3時間後、午後1時のことだった。
『おー久しぶり。仕事はまあ、ぼちぼちかな。それよりどうした? キラノベのことで相談って』
相変わらずフランクな口調で返信が送られて来る。
ちなみに彼はキラノベで別名義で活動をしている。商業作家としての彼は主に京都を舞台にしたヒューマンドラマやミステリー、大人の恋愛小説を得意としているのだが、キラノベではレーベルカラーにあった青春恋愛小説を書いているのだ。名義も神谷結人ではなく、榊しのぶという名だ。「しのぶ」という名前が中性的で、小説の内容が青春恋愛なので、読者からは女性だと思われている節がある。榊しのぶ=神谷結人だということを知っているのは、おそらく私ぐらいじゃないだろうか。
榊しのぶとして、キラノベでの人気はそこそこ、といったところだろうか。キラノベで定期的に開催されている短編コンテストで時々入賞はしているが、コモレビ出版から書籍化まではされていない。知っている人は知っている、という程度の作家だった。
キラノベ編集部の方も、榊しのぶが神谷結人だということは知らないのではないだろうか。少なくとも、彼自身が編集部に告げない限りは、今のところ分からないだろう。
彼の返信の様子から察するに、どうやらキラノベで起こっている不可解な感想コメント騒動について、彼は知らないみたいだ。商業作家としての活動に忙しくて、それどころではないのだろう。榊しのぶはともかく、神谷結人はベストセラー作家だ。次から次に仕事が舞い込んできていてもおかしくはない。
私は彼とのトーク画面に、相談内容を打ち込んだ。
『最近、キラノベで「69,」っていうユーザーから不審な感想コメントが来ているの。私の作品だけじゃなくて、同じような青春系の作品を書いている人に、つけられているみたい。でも、明らかに私個人を攻撃するような内容もあって……編集部に、対応を頼んでる最中なんだけど……』
そこで私は一旦文面を切り、彼にあの件について伝えるか迷った。
キラノベ編集部の調査担当者である吉岡さんが行方不明になったこと。この件については、公の場では口外しない約束になっているが、結人にならばこっそり伝えても大丈夫じゃないだろうか。彼は、秘密を言いふらすような人ではないし、二人だけの話にとどめてくれるだろう。そう考えた私は、吉岡さんの件についても話した。
『キラノベ編集部が「69,」からのコメントを制限したり、制限しても何度も復活する「69,」のアカウントについて調査したりしてくれることになってたんだけど。その調査担当の代表だった吉岡さんっていう編集部の方が、行方不明になってしまったようなの。それで今、調査は中止中。不快なコメントは随時パトロールして削除してくれるようだけど、これからも「69,」からのコメントが来ると思うと怖くて……。結人の小説にはコメント、来てない?』
この1ヶ月の間に起こった、一連のコメント騒動について詳細に語ってみせた。
「既読」がついてからしばらくの間、彼から返信はなかった。私が送ったメッセージの内容について深く考え込んでいるのだろう。一度考え出すと止まらない人だから、彼がスマホのトーク画面とにらめっこして考えあぐねている姿が想像できた。
やがて、ピロロンという通知音が聞こえる。
私は彼からの返信に目をやった。
『なあ萌生、今から通話できる?』
「え、通話?」
思いもよらない返信の内容だったので、多少面食らう私。すぐに心臓がドキドキと鳴っていることに気づいた。
結人と、電話か。
決して楽しい話をするのではないにしろ、気になる人と通話をするというハプニングに、不覚にも胸が躍ってしまう。いけない、いけない。深刻な話をするのに、ドキドキしてどうすんの。私は、なんとか心を落ち着けて『いいよ』と送った。
それからすぐに着信が鳴った。アプリの電話ではなく、通常の電話だった。通話ボタンを押すと、久しぶりに聞いた彼の息遣いに、やっぱり胸が高鳴ってしまう。
『えっと、電話、久しぶりだな。急にごめん』
「いや、大丈夫。文面で話すより電話で話す方が手っ取り早くて楽だもんね」
『そうそう。込み入った話の時は電話派かな。それより大丈夫か? 鼻声みたいだけど』
「ああ、実は昨日ちょっと熱があって、今日もまだ微熱なんだけど。でもしんどくはないから大丈夫」
『そうか。それは大変だな。あまり長くならないようにするわ』
「お気遣いありがとう」
結人とならば、どんなに長く電話をしていても平気なのだけれど、気遣ってくれた手前、さすがにご厚意を無碍にするわけにはいかない。また元気になってから思う存分電話をしようと、密かに決意した。
『さっきの話の続きなんだけど、キラノベで不審なコメントか……。実はここ何週間か、新刊の準備の方が忙しくて、キラノベでの執筆があんまりできてなくてさ、サイトも見てなかったんだ。しばらくマイページも開いてなかったから、ちょっと待ってな。今確認するわ』
結人がそう言うと、パソコンのキーボードをカタカタと打ち込む音がした。どうやらパソコンでキラノベを開いているらしい。少しすると、「まじかよ……」と彼が呟く声が聞こえてきた。
「結人、どうかした……?」
恐る恐る尋ねてみる。
結人はしばらく言葉を失っていたが、やがて「来てる」と返事をしてくれた。
『「69,」からのコメント、俺の作品にも来てるわ。昨日から今日にかけて。内容は——』
そこで電話の声が途切れた。どうしたんだろう、と訝しがっていると、彼は「……なあ、萌生の方でもキラノベで確認してもらえないか? コメント全部読み上げるの、なんか大変そうだ。『十年越しのこの愛にさよならを』っていう最新作に感想が来てる。この作品、俺のデビュー作の続きみたいなもんなんだけど。あの作品には思い入れがあったから、別名義でまた書いてみようと思って」と言った。
私は彼の指示通り、スマホでキラノベを開く。「榊しのぶ」という作家名を検索して、彼の最新作をタップした。最終更新日は7月頭になっている。感想欄を見ると——なんとそこには、20件もの感想が書き込まれていた。
「——え?」
20件?
感想コメントが投稿された日付を見ると、彼の言う通り昨日と今日にすべて書き込まれたものだった。
【ねえ、まだみてくれてないかな?】
2024/08/08/09:03
【でもへいき。あなたがきづいてくれるまで、ここでかきこみをつづけるからね】
2024/08/08/11:34
【きのうのコメント、もうけされちゃってるね】
2024/08/08/12:41
【なんかいけしたっていみないのに】
2024/08/08/14:09
【あなたはわたしのものだし】
2024/08/08/16:16
【ほかのやつらがかくれんあいしょうせつなんて、うすっぺらくてきらい】
2024/08/08/18:56
【とくにあのおんなの……せいかくのわるさがにじみでてるよねえ】
2024/08/08/19:10
【ひとのおとこをとっておいて、よくへいきでじゅんあいしょうせつなんかかけるね】
2024/08/08/21:33
【あいつのしょうせつ、わたしとあなたとあいつのことがかかれてた】
2024/08/08/23:45
【ゆるせないゆるせない】
2024/08/09/03:04
【あなたはわたしのものなのに、あいつのしょうせつではちがっていた】
2024/08/09/04:52
【あいつのしょうせつでは、あなたはあいつのものだってことになってて】
2024/08/09/05:21
【ゆるせないよね。ね、あなたもそうおもうでしょ?】
2024/08/09/06:38
【だって、あなたがあいしているのはこのわたしだけじゃない】
2024/08/09/07:01
【それを、よこからうばうなんて、しょうわるおんなすぎるよね】
2024/08/09/08:29
【わたしとあなたのこいをじゃましてくるあいつがにくい】
2024/08/09/09:17
【このさくひんでは、ちゃんとあいつのことこらしめてくれるよね?】
2024/08/09/09:36
【しゅやくはあなたとわたし】
2024/08/09/10:08
【わたしたちのじゅんあいストーリーだよね】
2024/08/09/10:44
【あなたと、あなたのさくひんだけをあいしてる】
2024/08/09/11:05
20件並んだコメントに目を通し、鳥肌が立った。
コメントに頻繁に出てくる「私」「あいつ」「あなた」という三人の人物が何を意味しているのか考えた時、思い切り吐き気が込み上げた。
「ううっ……」
『萌生、大丈夫か?』
心配そうな結人の声も心なしか震えているように聞こえる。
「69,」からの感想コメントは昨日から今日にかけて、しかも夜中の間もずっと書き込まれている。最新のコメントなんて、つい10分前に書かれたものだ。それらの情報が意味するところを考えると、とてもじゃないが正気を保っていられない。
この人は……結人のストーカーではないのか……?
あるいは、榊しのぶの。
いや、どっちだっていい。どちらにせよ、はっきりと彼に対して執着心を持っていることは明らかだ。さらに、私に対してもなんらかの敵愾心を抱いている。そうでなければ、美月の作品の感想コメントに「葉方萌生」なんて名前は出てこないだろう。
編集部によると私が先月問い合わせた時からここ1ヶ月の間、ずっと「69,」から届いた不審なコメントは削除してもらっているはずだ。昨日と今日だけで20件もコメントを残すぐらいなのだから、それ以前も結人の作品に対して、「69,」が感想を残していた可能性は高い。単に彼がキラノベにアクセスせずに気づかなかっただけで、「69,」のコメントは榊しのぶの最新作に書かれ続けていたのではないだろうか。昨日と今日の分に関しては、まだ編集部の対応が追いついていないだけ——そう考えると、全身の震えが止まらなかった。
結人が心配してくれているのに返事もできないまま、榊しのぶの最新作に残されたコメント欄から目が離せずにいると、その場で感想欄が一つ更新された。
「ひっ」
思わず口から悲鳴が漏れる。
見たくないのに、最新のコメントが画面に映し出されていた。
【あ、やっとみてくれたんだね】
2024/08/09/11:16
「やっ……」
やめて、と言いたかった。
キラノベのHP上に映し出される感想コメントが、もはや常人からのものではないと確信してしまう。この人は……「69,」は一体何者なの!? 百歩譲って、一日中コメントを書き続けることだけならば、徹夜でキラノベを張っていれば可能だろう。でも、これだけはおかしい。「やっと見てくれた」なんて、まるで今私や結人の行動をそばで見ているとしか思えない発言だ。これには結人も二の句が継げなくなった様子で「なんだよ……」と呟いたまま押し黙ってしまった。
カチ、カチ、カチ、と時計の秒針の音だけがいやに響いて聞こえる。
結人と私の息遣いが、だんだんと荒くなっていた。
『園子……』
その名前を彼が呟いた時、私はふっと意識が朦朧とし始めた。キィンという耳鳴りが聞こえて咄嗟に両耳を塞ぐ。頭がぐらぐらと回転するように痛い。治りかけていた体調不良が一気に悪化したような気がした。
「園子って、三浦園子のこと? 高校生の時同じクラスだった」
三浦園子——彼女は、私と結人の高校時代のクラスメイトだった女の子だ。結人と園子は出身中学校も一緒だと聞いている。私は園子とそこまで接点があったわけではない。三人で一緒に遊ぶようなこともなかった。私はあくまで結人と仲良くしていただけで、園子とは性格も趣味も違っていたので、仲良くつるむこともなかった。単なるクラスメイトで、知り合い程度——友達と呼べるかさえも、分からない存在だ。大学は私と結人が同じ京都で、園子は地元の大学に進学したはずだ。そこまでは知っている。だが、彼女に対してそれ以上のことは知らなかった。
だから、なぜ結人がこの時彼女の名前を出してきたのか、私には分からなかったのだ。
『あ、ああ。いや、でもそんなこと、ありえない……』
先ほどまでしっかりとした話し口調だった彼が、突然震え声になったのに気づいていた。何かに怯えている。普段、しっかり者の彼が見せない反応に、私は戸惑った。
「結人、大丈夫? どうかした? 園子と何かあったの?」
咄嗟に彼にそう問いかける。が、彼は「違う」「ありえない」「おかしい」「だって園子は」と、ブツブツと独り言を呟くだけで、私の質問に答えてはくれなかった。いよいよ様子がおかしいと思った私は、「ねえ!」と大きな声を出した。だがそれでも、彼の反応は変わらなかった。そのうち私の方に彼の恐怖心が移ったような心地がして、体調も酷くなる一方だった。
「ごめん結人、ちょっと体調が悪いから今日はもう切るね……。あんまり思い詰めないで。きっと編集部の人たちがこのコメントも消してくれるだろうから……」
それだけ伝えるのが精一杯で、その後に彼からの返答を聞くこともできなかった。
全身を駆け抜ける悪寒が止まらない。震える指をなんとか動かして、通話終了ボタンを押す。彼からその後、メッセージは何も来なくて。私はスマホを握りしめたまま、ベッドに突っ伏していた。
神谷結人と連絡が取れなくなったのは、それから10日が経ち、お盆休みが明けた頃だった——。




