◾️雪村萌香 混乱
返信を打ちながら、ずっと嫌な汗が背中を伝っていた。昨日も同じだったが、背後から誰かにスマホの画面を覗かれているような感覚に陥り、恐ろしくなる。一人暮らしの部屋ということも相まって、一層気味が悪く感じられた。
「よく知りもしない人からの攻撃に負けちゃダメだよね」
誰もいない部屋でそっと呟く。
不快な感想コメントに振り回されているが、相手は顔の見えない人物だ。単なる愉快犯の可能性もある。私がこうして狼狽えているのを見て楽しんでいるだけなのかもしれない。そう思うと、「69,」の術中にはまって、身動きが取れなくなるのは相手の思う壺だと思う。私は何も後ろめたいことなどしていないのだから、堂々と投稿していればいい——そう強く感じた。
決意を胸に刻むために、Xを開き「新規投稿」ボタンをタップする。
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葉方萌生@Hakatamei 1m
キラノベ内で不可解なコメントが来ている件ですが、
私の方からも編集部の方に問い合わせを入れています。
私の個人名を入れて直接攻撃するようなことが書かれていたこともあり、正直怖いです。
が、これに屈して投稿をやめたくないので、
今後も続けようと思っています。
みなさんも、お気をつけください。
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Xでの投稿に対して、すぐさま「いいね」がついていく。同じキラノベで活動している創作仲間たちからの反応が早かった。「いいね」をしてくれた人の中には「69,」からのコメントの被害に遭った人たちも含まれているんだろう。私のせいで申し訳ないな、という気持ちと、一緒に闘いたいという気持ちが膨れ上がる。
投稿に対してリプをくれる人もいた。
「実は私も萌生さんがおっしゃってる不可解なコメントにびびっていて……。でも、編集部も対応してくださっていることだし、考えすぎないようにしました」と前向きなコメントが来たのでほっとした。良かった。あんな不愉快なコメントが原因で誰かが筆を折るようなことがあれば、たまったもんじゃない。みんな、強い人ばかりで安心していた。
だが、そんな私の安心も、6日後には潰えてしまうことになる——。
8月5日月曜日、塾での仕事を終えて帰宅した私は、スマホの画面に現れたXでのとある投稿が目に飛び込んできた。
それは、キラノベのXでの公式アカウントがポストした声明文だった。Xでは140字までしか投稿ができないため、文書ファイルに記載した内容を画像として貼り付けている。画像をタップして内容を確認してみた。
「<キラノベをご利用くださっている皆様へ重要なお知らせ>
先日から、小説投稿サイト「キラノベ」内で、特定の個人を攻撃するような感想、また作品の名誉を著しく毀損するような感想コメントが届いているという問い合わせが増えたことから、編集部内で調査をしております。
感想を残したユーザーの特定、アカウントの利用停止の処置を取らせていただきましたが、再発を繰り返している状況です。
現在、原因を追究しているところでしたが、諸事情があり、一時調査を中断させていただくことになりました。
引き続き不適切なコメントの削除等の対処は行わせていただきますが、原因の特定が遅れてしまうことをお詫び申し上げます。
ユーザーの皆様には大変なご不便をおかけしまして、誠に申し訳ございません。
何卒ご理解、ご了承のほどよろしくお願い申し上げます。」
「一時調査を中断……?」
文書の中に示された、まさかの対応に、私は頭の中が混乱していた。
6日前に届いた編集部の吉岡さんからのメールによると、対策本部を立ち上げて調査に乗り出したということだった。文面からも、編集部のみなさんが誠意を持ってこの件に対応してくださっていることが窺えたので、安心していたのだが。その調査を、一時中断するとはどういうことだろうか?
キラノベ公式アカウントからのお知らせは瞬く間に拡散されていった。引用ポストを見ると、「大変ですね」とか、「お疲れ様です」とか、編集部の方を労う言葉が見受けられる。それは確かにそう思うのだが、調査を中断していることを疑問に思っているのは私だけだろうか。「諸事情があり」と簡単に書かれているが、事情って何? 何か、不測の事態が起きたことだけは想像がつく。でもその内容が全く分からないので、対処を後回しにされたようにも感じてしまい、気持ちがざわざわと揺れた。
私はすぐさま、メールフォルダを開く。もしかしたら、吉岡さんから何かメッセージが来ているかもしれない——そう思ったのだが、メールフォルダは見事に空。どうでもいいレストランの宣伝プロモーションばかりが溜まっていた。
この件について、そのまま見過ごすわけにはいかない。
致し方ない事情があるというのは先ほどXに流れて来た「お知らせ」を見れば分かるのだが、当事者である私にとっては今後の創作生活に関わる死活問題だ。
編集部の方も混乱している中申し訳ないと思いつつ、勇気を出して「新規メール作成」のボタンを押した。
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2024/8/5 18:15
From: hakatamei@******
To:support.koranove@*******
【不適切コメントの件につきまして】
キラノベ編集部
吉岡直樹様
お世話になっております。
度々ご連絡を差し上げ失礼いたします。
本日Xの方で、キラノベ公式アカウントより、<キラノベをご利用くださっている皆様へ重要なお知らせ>が投稿されたかと存じます。私も先ほど拝見いたしました。
様々なご事情がある中、あのようなお知らせを出されたのだと推測します。
いちキラノベユーザーである私には分かりかねることがあるかと思いますので、ご事情は承知いたしました。
ですが、調査を中断された件については、少々納得のいかないところがあります。
正直、今後も「69,」からの攻撃が止まないかもしれないと思うと、安心して作品を投稿することができないので……。
……そちらでの決定事項に口出しをしてしまい、申し訳ございません。
もし差し支えなければ、このメールでだけでも、ご事情をご教示願えないでしょうか?
もちろん、教えていただいたことは公の場で口外することはいたしません。
ご検討いただけますと幸いです。
よろしくお願い申し上げます。
葉方萌生
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コモレビ出版が会社を挙げて決定した件に関してこうして意見をするのが失礼であることは重々承知していた。だが、やはりこのままでは「69,」を駆逐する根本対策は見つからないままだろう。そうなると私だけでなく、他のユーザーたちもまた不快な思いをすることになる。せめて調査を中断するほどの納得のいく理由を知りたい——その一心で文面を綴った。
十分に文章を見直したあと、意を決して「送信」ボタンを押した。
普段ならば一日ほどで返信が来るのだが、今回はどうだろう。
吉岡さんにも他の仕事があるだろうから、問い合わせばかりには構っていられないとは思う。けれど、どうにかしてあの不愉快な感想コメントをする行為を禁止してほしい——そう願わずにはいられなかった。
キラノベから返信が来たのは、それから3日後のことだ。
これまでのように翌日に返信がなかったのはやはり、今回の出来事が編集部の中でも混乱を極めている証拠だろう。私以外の人間からの問い合わせも増えていたのかもしれない。とにかく、普段よりは返信が遅く、待っている間ずっと気が気でなかった。今日まで小説の投稿も控えていて、アフター5の楽しみを味わうこともできない。X上でも様々な憶測が飛び交っていて、「おかしな感想が来るのが怖くて投稿できない」という声も上がっていた。
メールが来た時、時刻は午前11時半で、仕事真っ最中の時間だった。けれど、さすがにメールの内容が気になってしまい、周囲を見回し、誰にも見られていないことを確認してメールを開いた。そこに書かれていたことはまさに、私の想像を絶する内容だった。
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2024/8/8 11:28
From:support.kiranove@*******
To:hakatamei@******
Re:【不適切コメントの件につきまして】
葉方萌生様
いつもお世話になっております。
この度は、私どもの不手際により、ご迷惑をおかけしてしまい誠に申し訳ございません。
葉方様よりいただいたメールにつきまして、事実をお伝えするべきかどうか、慎重に協議をしておりました。その結果、ご返信が遅れてしまったことを、お詫び申し上げます。
結論から申し上げますと、葉方様からご指摘をいただいた感想コメントの件で調査担当をしておりました吉岡の所在が、現在分からない状態となっております。
そのため、当社の方でも吉岡の身の安全を確保することを最優先事項とさせていただき、調査の方は一時中断せざるを得ない状況となりました。
葉方様をはじめ、ユーザーの方には大変心苦しく存じますが、何卒ご理解いただけないでしょうか。
吉岡の件はくれぐれもご内密していただくよう、お願い申し上げます。
また事態が進展いたしましたら、葉方様の方にご連絡差し上げます。
重ね重ね、ご迷惑をおかけして申し訳ございません。
よろしくお願い申し上げます。
キラノベ編集部
鈴木啓太
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【小説サイトキラノベ】https://kiranove******【コモレビ出版文庫 byキラノベ】https://kiranove******
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メールを読んだ私は、頭をガツンと鈍器で殴られたような衝撃を覚えた。
まさか、吉岡さんが……?
所在が分からない——つまり、行方不明ということ?
一体いつからそんなことに……。
彼から連絡をもらったのは7月30日のことだ。それからはXであのお知らせ文書を見た後、吉岡さんにメールを送ったものの、返信は彼からではなく鈴木という人物から送られて来た。つまり、7月30日から今日までの間に——もっと言えば、7月30日からお知らせ文書が出た8月5日までの間に、吉岡さんは行方をくらませたということになる。
大の大人が行方不明になった——そこに、彼自身の意思が働いていると考えるのが自然だが、「69,」についての調査担当になり、途中で仕事を投げ出して失踪するなんて考えづらい。いや、私は吉岡さんに関してほとんど何も知らないのだが、責務を最初から投げ出すような人が、この件に関して調査担当になるとは思えなかった。
吉岡さんは、編集部の中でも信頼される立場にあったのではないだろうか。
そうでなければ、この不可解な現象の対策本部の代表に選ばれるはずがない。
だとすれば、彼は自らの意思で失踪するようなことはなく、別の誰かの手によって、姿を消されたことになる。
「一体誰が……」
デスクの前でそう呟いた時、隣の席の事務職の板倉さんが、「どうかしましたか?」と話しかけてきてハッとする。
いけない。仕事中であることを忘れるところだった。
デスクのパソコンの画面に映し出された英生会への問い合わせメールを目にしながら、画面がチカチカと点滅しているような錯覚に陥り、思わず目を瞑った。
「大丈夫ですか」
「は、はい……すみません」
そう取り繕ったものの、再びパソコンを見ると、やはりどうしても目が眩んでしまう。それに、気のせいかもしれないが少し動悸がする。息苦しい、という表現が一番しっくりくるような症状だった。
「どこか悪いの? だったら今日は早退してもらって大丈夫ですよ」
気遣いの言葉をかけくれる板倉さんに対して、私は素直に「はい」と頷いていた。夏バテだろうか。こんな時に体調を崩すなんて、まるで自分が精神的に追い込まれているような気がして嫌だった。
これではやっぱり「69,」の思う壺かもしれない……。
精神的なストレスが身体にも影響してしまうなんてザラにあることだが、投稿サイトに書かれたコメント一つで自分がこうも脆くなってしまうことがショックだった。
「すみませんが、お先に失礼します」
「はい。お大事に」
簡単な引き継ぎを済ませた後、同僚たちにへこへこと頭を下げて事務所を後にした。仲良しの立花先生が心配そうな表情で私を見つめていたのを見て、心配をかけることへの罪悪感が込み上げてくる。体調が良くなったらみなさんにお詫びを入れておこう、と思った。




