◾️雪村萌香 去年の夏季合宿
いつの間にか、朝蝉の大合唱を聞いて目を覚ますようになった。7月半ばに差し掛かり、当然のように気温がどんどん上昇して、30度を超える日が連日続いている。事務所の冷房の設定温度が一度、また一度と低くなる度に、8月の夏季合宿のことが頭にちらつくから落ち着かなかった。
「夏季合宿の企画ですが、合宿所に問い合わせたところ近所の公園で手持ち花火ができるそうなので、花火にしようと思います」
「お、花火、ええな! 企画ありがとう」
数学科の前原先生が会議の場で企画についてそう宣言した。塾長の青木先生がパッと拍手をする。以前、青木先生から私を企画立案の担当から外す話を聞いてから、企画の話は事務所で出ていなかった。私はめげずに他の企画を考えていたところだったので、前原先生からの突然の宣言に、驚いてしまう。
「すみません、ちょっと待ってもらえませんか? 私もいくつか案を考えていたところなんです。花火は事故が起きる可能性もありますし、他にも色々な案を比較検討した方が……」
全員の顔が視線が一気にこちらに向けられた。
私が自ら手を挙げて発言をしたことに、誰もが驚きを隠せない様子だった。いい感じに企画が決まりかけたのに面倒なことを言いやがって、とでも言いたげな顔をしている人もいる。私は、刺すようなみんなの視線に負けじと発言を続ける。
「そもそも、ホラーがダメな理由はなんでしたっけ? どうしてもホラー企画がしたいというわけではないんですが、今後の企画立案の際の参考に、教えていただきたくて。あと、私的には他にもカラオケ大会やビンゴ大会なんかも考えていました。生徒の自主性を重んじるということなら、生徒たちによる出し物なんかも面白いと思うのですが。その辺に関してはいかがでしょう?」
新人が横からうるせえよ、という幻聴が聞こえてきそうになった。だが、最初に企画立案を任された身としては、こうして自分の意見が蔑ろにされてあっさりと他の人の意見に決まってしまうのが、どうしても納得いかない。
まとまりかけた意見に口を出すのは確かに勇気がいることだった。全員が私の意見を聞いて何か言いたげな顔で沈黙している。背中に少しの汗が伝う。冷房をガンガンに入れているのに汗が垂れる経験は初めてだ。
「雪村さん、悪いけど企画の担当は前原先生になってん。納得いかん気持ちは分かるけど、合宿の本来の目的は勉強やし、これ以上議論する暇もないねん。カラオケもビンゴも過去に何回かやったことあるしな。それと、ホラー企画については俺の方からはなんとも、ねえ……」
青木先生が周囲の先生を見ながら何やら目配せをする。みんな、ホラー企画については自分の口からは何も言いたくない、という気持ちが見え隠れしていた。
なんだろう……この感じ。
まるで自分だけがのけ者にされているかのような感覚に、背中がゾクリと震えた。
「……そうですか。分かりました。もうこの話は口にしません。失礼しました」
あくまでも会議の場で、自分一人の意見を押し通すわけにはいかない。議論すべきことは他にもある。夏季合宿の余興企画についてあまり熱心に考えている暇がないというのは、新人の自分にもさすがに理解することはできた。
結局会議の場では、それ以上夏季合宿の企画の件について話し合われることはなかった。新しく企画担当になった前原先生は企画以外にも通常の講師としても仕事を抱えている。私がでしゃばってあれこれ口出しをするのも憚られた。
煮え切らない気持ちを抱えたまま会議室を後にする私。
その後、いつものように問い合わせメールを確認しようと自分の席についたところで、「雪村さん」と声をかけられた。
「立花先生、どうかされましたか?」
振り返った先にいたのは、国語科の立花美織先生だ。年齢は私より一つ年上で、職場では一番歳が近く、面倒見もいい。何か困ったことがあれば、いつも彼女を頼りにしていた。生徒からの信頼も厚く、美人なので人気もある。立花先生に想いを寄せているという上司がちらほらいることも知っていた。
そんな彼女から話しかけられて、悪い気は全くしない。よく仕事の相談にも乗ってもらっていて、信頼している先輩だった。
「あのね、さっきの会議のことでちょっと話があるんだ。今大丈夫? あっちの部屋に行かへん?」
立花先生は、周りの人たちに聞こえないくらいの小さな声量でそう言った。
「は、はい。大丈夫です」
さっと周りを見回したが、誰も私たちの動向を見ている様子はない。そもそも、仕事についての話をするのに後ろめたいことはないはずなのに、なんとなく周囲を気にしてしまう自分が嫌だった。
立花先生について、事務所を出てから隣の空き教室に向かう。比較的小さな教室で、少人数で話をする時なんかによく利用している。
「そこ座って」
「はい」
一番前の席に腰掛けた私と、私の前の机を反対向きにして、正面に座る立花先生。
こうして別室で二人きりで話すのは久しぶりだったので、なんとなく緊張してしまう。
「そんなに畏まらんでええよ。説教するわけじゃないんやし」
「はあ、分かりました」
そうは言うものの、立花先生の表情はどこか硬く、これから重要な話をしようとしていることが窺えた。やはり、反射的に身体が固くなる。ふう、と息を吐いてから、彼女は語り始めた。
「雪村さんが会議で言ってたホラー企画の件なんやけど、あれ、もう事務所で口にせえへん方がいいかもって、ちょっと助言をしておきたくて」
「え?」
彼女の口から、まさかホラー企画の話が出て来るとは思わず、私は間抜けな声をあげた。
「ああ、突然ごめんな。雪村さん、ホラー企画のことで不服そうやったから。あんなふうに流されたら納得いかんやろうなって思って」
立花先生の言い分に、ようやく理解が追いついてきた。
つまるところ、ホラー企画の件で納得がいかない私をそのまま放置しておけば、また私から同じ話題を振られかねない。そうなる前に、立花先生の方から私を牽制しておこうということだろう。それが、塾長の指図によるものなのかは知らないが、なんとなく気まずい空気が二人の間を流れる。
「口にするなと言われても……その方が余計に納得できません」
立花先生に意地悪するような口調で、思わずそう言ってしまった。けれど、私の反論も彼女にとっては予定調和のうちだったのか、「そやねえ」と顎に手を当てて答える。
「しゃーない。私の方から理由を話すから、それ聞いたらもう誰にも言わんといてくれる?」
「え……? あ、はい」
どうやら事情を話してくれる気になったらしい彼女が、コホンと咳払いを一つした。半月の間納得がいっていなかったことに、ようやく答えをいただける——ほっとしながら話を聞き始めたのも、最初だけだった。
「実はな、去年の夏にホラー企画をしててん。ホラー企画自体、毎年企画の候補に上がってて。去年は、肝試しをしようってことになって。確か、雪村さんも最初にそんなこと言ってはったやろ? 私らも当然、それくらいは思いついて、実際やってたんよ。肝試し」
「はあ、そうだったんですね」
彼女の話を聞いて少しだけ合点がいった。去年、同じ企画をやっているならば今年もホラー企画、というのは面白みがない。だからみんな、ホラー企画には後ろ向きだったのかと理解する。と同時に、それだけではやはり、納得がいかない部分もあった。単に去年と企画が被りたくないだけなら、そう言ってくれればいいのだ。隠す必要はないと思う。
「でな、話はまだ続くんやけど。去年、どうしても肝試しに参加したくないっていう生徒が出て。女の子やった。まあ、気持ちは分からなくもない。肝試しが苦手な子もおるやろうから。本気で震えながら訴えてきたから、さすがに強制的に参加させるわけにもいかんくて。結局その子は肝試しに参加せずに、部屋で待機することになった。勉強合宿やし、部屋で勉強してます、って言って」
そこで一度、立花先生の話が途切れる。どうしたんだろう。続きを話すのにためらっているような素ぶりを見せた。だが、途中まで話しておいて、中途半端に話を終えることもできないと思ったのか、彼女は再び口を開いた。
「それで……事故が起こった。事故って言っても大事に至るようなことやなくて、ちょっとしたトラブルなんやけどね。肝試しを休んだ女の子が、行方不明になったんよ」
「行方不明……?」
そんな……。そんな話、入社する時に聞いたこともない。SNSやニュースでも聞いたことがないし、もし本当に行方不明になったのなら、英生会の経営が危ぶまれることだろう。でも、今現在英生会はこうして繁盛し続けているわけで……一体、どういうこと?
私の疑問を解消するかのように、立花先生は話を続けた。
「肝試し企画が終わって、私ら講師陣と生徒たちが部屋に戻った時に発覚してん。彼女と同室だった子が、彼女がいないことに気づいて。でも最初は、飲み物でも買いに行ったんかと思ったって言うてた。中学生やし、一人で部屋の外に出ててもおかしくない。でも、30分経っても、1時間経っても、2時間経ってもその子は部屋に戻ってこんかった。さすがにおかしいと思った同室の子が私たちに報告をしてくれて、そこで初めて待機してた子が行方不明になっとることが分かったんよ」
立花先生の口から語られるまさかの出来事に、私は驚きを隠せない。私が入社する1年前の夏季合宿でそんなことがあったなんて。会議の場では誰も口にしていなかったことだ。それ自体、不自然だと感じ始めていた。
「その女の子は結局見つかったんですか?」
一番気になっていたことを聞いた。立花先生は「うん」と頷く。
「生徒たちには部屋で待機をさせて、私たち講師だけで彼女を探した。もう夜も遅うなっとったし、探したのは夜中やな。探し始めて3時間ぐらい経った頃やろか。合宿所から1キロほど離れた茂みの中で、彼女が倒れてるのを見つけてん。見つけたのは青木先生。慌てて彼女の身体を確認したら、ちゃんと息をしとったからほっとしたって。まるで普通に眠ってるようやったって言うてたな。目立った外傷もなく、ただ行方不明になったことを除いては、身体に何も異常はないみたいやった。もう少し発見が遅かったら、警察に通報してたと思うわ。倒れてた子をそのまま合宿所まで運ぶとすぐに目を覚ましてん。彼女は、自分がどうして合宿所から離れた場所に倒れてるのか、理解できてない様子やった。ただ一言、『あの子に呼ばれた』とだけ言うてはって。『あの子って誰やねん』って聞いたら、『ヒロインだ』って答えたって。ちょっと意味が分からんよな。私らも気味が悪くなって、それ以上は追及できひんかった。ちょうど肝試しをした夜の出来事っていうこともあって、何か悪いものが憑いたんじゃないかって、みんな怖がって。意外とビビリなんよ、先生たち。やから今後はもうホラー企画なんてやりたないんやと思う。雪村さんの話を取り合わなかったのも、そういう事情があったからなんや。不快な思いさせてごめんなぁ」
立花先生は申し訳なさそうに両手を合わせてへこへこと頭を下げた。彼女が私に謝ることはないのに、それで溜飲が下がったような気がしたのは確かだ。
「事情は分かりました。でもそんなことがあったなんて、正直びっくりです。誰も話してくれない理由も分かったんですけど、やっぱりちょっともやもやする部分はあります」
「せやなあ。普通、そう思うよな。行方不明のまま青木先生が見つけられへんかったら警察沙汰になっとるし。そしたらうちも、経営どころじゃなくなるしな。雪村さんが言いたいことは分かる」
眉根を寄せて私に同情してくれる立花先生だが、彼女がどこまで勘付いているのかは分からない。
あと少し発見が遅れていたら警察沙汰になっていた——確かにそうだが、私は少し、別の解釈をしてしまっていた。
英生会の先生たちは、どうしても警察に通報したくなかったんじゃないだろうか。
たとえ行方不明になった生徒が無事だったとしても、警察沙汰になった時点で、英生会に対して批判が生まれることは明らかだ。それも、合宿の余興企画が招いた事故となれば、お客さんからの信頼はかなり下がることだろう。その結果、客足が途絶えて倒産してしまう——そこまで考えていたに違いない。新人の私でも思いつくことなんだから、上の人たちが考えないはずがなかった。
そう思うと、別の意味で背筋がひやりとした。何も知らずに入社して、今日までのうのうと過ごしてきた自分に嫌気が差したのもそうだ。立花先生から聞いた話のことを除けば、今の仕事に不満はない。上司も同僚もみんないい人だ。でもだからこそ、裏切られたような気分にさせられたのは間違いない。
「立花先生、話してくれてありがとうございます。みなさんがホラー企画のことを語りたがらない理由も分かりました。その上で一つ、気になることがあります」
「なに?」
「行方不明になった生徒が言ってた『ヒロインに呼ばれた』っていう言葉の意味です。結局その台詞については、何か分かったんでしょうか?」
「ああ、それなあ。さっきも言うたように、よう分からんのよ。確かその子、元々控えめでおとなしい子で、読書好きの子やった。『ヒロイン』って言うからには、小説か何かに出てくる登場人物のことかなって思ったけど。肝試しの最中に本でも読んどったんちゃう? でも彼女が単に夢を見とっただけかもしれんし。空想好きの子なら、夢と現実が曖昧になることもあるんやないかってことになって。まして行方不明なんて特殊な経験をしたやろ? 自分でも頭が混乱してはったんやないかな。部屋で本を読んでて、その記憶が残ってたとか。ちなみにその子、行方不明になる前後の記憶が抜けとって何が起こったのか、本人もよう分からんみたい。兎にも角にも、行方不明になった原因が分からへんから、何とも……。ごめん、答えになってないよね」
「なるほど……部屋で読書をしてて、気づいたら行方不明になってたということですね。分かりました。いや、本当のところは分からないんですけど、何が起こったのかだけは十分理解できました」
立花先生も、他の先生たちも、行方不明事件の全貌を理解していないということだけは分かった。もし行方不明になった当事者に何かしらの外傷や心理的ストレスのようなものが残っていたとすれば、もう少し調査も続いたはずだが、そんなこともなかったんだろう。
「ああ、そういえばその子、帰ってきてから『本を失くした』って言うてたわ。『合宿所に忘れてないか問い合わせてもらえませんか?』って言われて、前原先生が問い合わせてくれたみたいやけど、結局本は見つからんかってん。そのことを伝えると、『そうですか』ってあっさり引き下がってたわ。まあ、そこまで大事なもんやなかったんかもしれんし、ないもんはないって諦めたんかもしれへん。どちらにせよ、帰ってきてからは普通やったよ、彼女。受験も無事に終わって、志望校にも合格したし。あの一件以降は、特におかしなことは起こってない。やから、そこまで大事にならへんかったというか。ただホラー企画だけは今後はもうやめようって話になっただけ」
そこまで話すと、立花先生は、ふう、と息を吐いた。
「やからさ、雪村さんもできるだけもうホラー企画については話さんといてもらえんかな? 無理なお願いしてるのは重々承知の上。せっかく企画案を出してくれるのに申し訳ないとも思うとる。青木先生も同じ気持ちなんよ。納得はできひんかもしれんけど……だめかな?」
潤んだ瞳で「だめかな?」と美人な先輩に言われて、頷かないわけにも言わず、私はなんとか首肯した。
「ありがとう。助かる。雪村さんには、私も色々と助けてもらって本当に入ってくれて良かったって思うとるんよ。他の先生もそう。すごい綺麗な資料つくってくれるし、裏方の仕事すんの、めちゃくちゃ早いし。ほんまにありがとう。これからもよろしくね」
なんだかんだ、私は立花先生が好きだし、青木塾長も、前原先生も、他の先生たちのことも信頼している。今回の一件だけで自ら好きだと思って飛び込んだ職場に対して悪く思うのは自分としても辛いものがあった。
だから、今日こうして立花先生に本当のことを教えてもらえて良かったと思う。
うん、本当に良かった……はず。
【あの子に呼ばれた】
【物語のヒロイン】
【その子の名前は——】




