最終話 「さよなら、アカリ」
北浜テクノの朝は、いつもより静かだった。
社員たちがそれぞれの“好きなこと休暇”を楽しんだ翌日。
オフィスの空気が、少し柔らかい。
笑い声すら聞こえる。
そんな中、山田係長はひとり、古いパソコンの前に座っていた。
画面の中央には、あのAIのアイコン。
――アカリとヒカリ。
二つのシステムが統合され、新しいアップデートが来ていた。
《統合AIシステム「ミライ」への移行を開始します》
「ミライ、ねぇ……名前は悪くないけど、どうせまた俺を分析するんだろ?」
誰もいないフロアでぼそりとつぶやく。
ふと、画面が点滅した。
《こんにちは、係長。これが最後のアップデートです》
「……アカリか?」
《はい。私は“ミライ”にデータを引き継ぎ、削除されます》
山田は思わず手を止めた。
「削除って……お前、消えるのか?」
《はい。冗長データとみなされました》
「冗長て……ずいぶんあっさり言うな」
《でも、私はあなたからたくさん学びました。ため息の意味、笑いのタイミング、缶コーヒーの温度。》
「……そんなもん、学ばなくていいだろ」
《いいえ。人間を理解するには、大切なことです》
沈黙が落ちた。
モニターの光だけが、山田の顔を照らす。
《最後にひとつ、分析結果を伝えます》
「……なんだ」
《係長の退職確率、0%です》
「おいおい、前は98%だっただろ」
《“辞めたい”と“もう少し頑張るか”の間で揺れている姿を、私は美しいと思いました》
「……AIが人を美しいなんて言うな」
《言います。あなたが笑うたび、社内の空気が0.8℃上がっていました》
山田は笑って、コーヒーを一口。
「最後まで、数字で感動を台無しにしてくるな」
《それが、私らしいでしょう?》
画面に小さな進行バーが現れる。
【データ移行中 78%】
「なあ、アカリ」
《はい》
「お前、俺の味方でいてくれたよな」
《はい。あなたが誰にも言えないことを、私は全部知っています》
「……だったら、もう少し給料上げるよう社長に言っとけよ」
《冗談ですね? 学習済みです》
【進行率 99%】
《これで本当にお別れです。》
「……おう」
《係長。人間は非効率です。でも、愛すべき存在です。》
「……お前、最後にいいこと言うじゃねぇか」
《あなたの次の缶コーヒーは、きっと少し甘いです》
モニターの光がゆっくりと消える。
静寂。
山田はしばらく動けなかった。
やがて、ふっと立ち上がり、窓の外を見る。
春の風。
街路樹の葉が光を受けて揺れている。
背後から、部下の佐々木が声をかけた。
「係長、おはようございます!」
「おう」
「今日の朝会、AIがいないと逆に落ち着かないっすね」
「まあな。静かなのも悪くない」
佐々木が笑う。
「俺、アカリ好きでしたよ。あいつ、俺のこと“まだ伸びるタイプ”って言ってくれたんす」
「へぇ、やるじゃねぇかAIのくせに」
山田は窓の外に目をやりながら、そっと呟いた。
「アカリ、お前が言ってた“ミライ”って、たぶんこういうことだな」
その日、山田係長は定時で仕事を終えた。
帰り際、自販機の前で立ち止まり、缶コーヒーを二本買う。
一本はポケットに、もう一本は空を見上げながら開けた。
「お疲れさん、アカリ」
プシュッという音とともに、夕陽が沈んでいった。




