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第六話 そして今に至る

 満月が半分ほど昇り、高い木々の先にあるころ、十八歳のエレミアは思い出に耽っていた。


 思ったよりも軽いトランクと、地味な外出着のドレス、それにフェルト製のボーラーハット。どれも濃い茶色や灰色をしている。赤銅色の髪はまとめて結び、先端は首元のスカーフの中へ隠している。


(私は、結局王都から逃げるようにカリシア子爵家へ嫁ぐことになった。父が多額の持参金を無理して用意してくれなかったら、それさえ叶わなかっただろうけれど……叶わなかったほうが、なんて今更思ったってしょうがないわ。父は、最後に残った末娘を何とか人並みに幸せにしたかったのよ。まさかこんな裏目に出るとは、誰も思わなかったでしょうし)


 エレミアがカリシア子爵家へ嫁ぐことが決まり、王都から出立したあとに前カリシア子爵が病没したため、急遽嫡男のマークがカリシア子爵家を継いだ。今から思えば、それがいけなかったのかもしれないし、どうしようもなかったのかもしれない。エレミアはもう過去を振り返る意味のなさを知る年頃だ、前を向くしかないと自分に言い聞かせる。


 ただ、あのユリウス少年を頼ることが前を向くことなのかどうか、それはエレミアにもまだ分からない。


 今か今かとユリウス少年を待ち、エレミアはそっと南向けの大きな出窓のカーテンを開けて外を覗く。


 それがちょうど、ユリウス少年も部屋を覗き込もうとしていた瞬間だったらしく、エレミアはいきなり現れたユリウス少年のいたずらっぽい顔に驚いて一歩後ずさる。


「きゃ……!?」


 悲鳴を上げそうになり、エレミアはやっとの思いで踏みとどまった。ダメだ。誰かに聞かれてはまずい、両手で口を押さえ、必死に高鳴る心臓を落ち着かせようと深呼吸する。


 そんなエレミアをよそに、ユリウス少年は出窓の鍵を開けてくれ、と合図してきていた。外向けに開く出窓は、人一人くらいなら余裕で出られるほどで、つば付きのケーバ帽を被ったユリウス少年はすんなりと部屋へ入ってきた。


 胸に右手を当て、ユリウス少年は会釈を忘れない。


「こんばんは、レディ」


 部屋を見回したユリウス少年はエレミアの旅装とトランク一つを青灰色の両目に捉え、嬉しそうだ。


「決心されたようで何よりです。嬉しいです!」

「ええ。そう……そうね」

「ご安心ください、僕が守りますから」


 胸を張るユリウス少年は腰に帯剣し、乗馬に適した革の防具とマント、それにブーツを装備している。エレミアのトランクをひょいと持ち上げて、窓の外へ軽々と出していた。


 ユリウス少年の格好から、今から馬に乗ってどこかへ行くのだ、とエレミアは察した。ここではないどこかへ、彼が連れて行ってくれる。そんな考えは子供じみているかもしれないが、エレミアは信じるしかなかった。


(ここにいては、何も変わらない……!)


 だんだんと思い出してきていた昔の記憶、ユリウス少年が一体誰なのかという疑問と推測、それにカリシア子爵夫人の地位を放棄する覚悟。


 それらが混ざり合って、エレミアを動かす。


 エレミアは、差し出されていたユリウス少年の右手を、握り締めた。


「なら、お願いするわ、小さな騎士様」

「はい、お任せを!」

「それから」


 窓枠に足をかけて身を乗り出していたユリウス少年の背中へ、エレミアは一つの推測を投げかける。


「あなたのお父上は、もしかして……『ヴィクトリアス王子殿下』、かしら?」


 すると、ユリウス少年は振り返って、満足そうに微笑んだ。当たり、とでも言いたげで、誇らしげでもあった。


 追放された第一王子ヴィクトリアス、彼には子どもが二人いた。もしそれがユリウス少年ならば、エレミアは「お姉さんになる」というかつての約束を果たさなくてはならない。


 もちろん、ユリウス少年がそれを知っているとは限らないが——。


 そう案じていたエレミアに、ちょうどユリウス少年の答えが重なった。


「ご明察です、レディ。それについても、ここから出てお話ししましょう」


 優雅に手を引かれ、エレミアは生まれて初めて、窓枠を越える。


(あ……そうか。話せる、のね。これからあなたと話をして、それから……もし間違っていたとしても、そのときはそのとき。私は、あなたと話がしたいんだわ、ユリウス)


 ()()()()()、誰がエレミアの弁解や意見を聞いてくれただろう。家族にさえもその余裕はなくなり、アルカディア伯爵家の人間だからという理由で王侯貴族たちからは遠ざけられた。カリシア子爵家に来てからも、マークはおろか使用人だってエレミアのろくな話し相手になっていない。エレミアが嫌っていたのではなく、王都の貴族令嬢と地方の使用人では、普段使う言葉さえも大半は違うのだから話題なんて合わせようがなかったのだ。


 そう考えると、エレミアはいつぶりか高揚感を覚えた。他人と視線を合わせ、他愛ないお喋りを、いつかの思い出話を、将来に向けての大事な話を交わせることが、こんなにも待ち望んだことだったのかと——その相手が会えるとは夢にも思わなかった予想外の人物だったとしても——楽しみで仕方がない。


 地面に降り立ったエレミアはドレスの裾を払い、ふと見た小さな騎士が一生懸命背筋を伸ばして、自信満々に見えるような所作を心がけていることに、少しだけくすりと笑ってしまった。


 小さな騎士は、立派で誠実な紳士たろうと尽力してくれている。なら、エレミアもそれに見合う淑女たろうと思えてくる。


 満月の夜、二人は手を繋いで、近くの森へと駆け抜ける。


 どこに行ってもあまりにも静かで、カリシア子爵家屋敷の他の窓からは、一つも灯りが漏れていないことに、エレミアは最後まで気付いていなかった。

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