第五話 不幸のどん底へ
あれから数年後。
エレミアは十四歳を前に、初めて舞踏会へ参加することになった。
本来の参加者である友人が、都合により急遽エレミアへと代理を頼んできたからであり、過去の栄華は色褪せ、すっかり影響力も財力も鳴りを潜めてしまったアルカディア伯爵家、さらにエレミアにとっては願ったりの晴れ舞台だった。
姉のお下がりのドレスを仕立て直し、サイズを合わせて、母から譲られたカメオのペンダントを付けて、おっかなびっくりとある侯爵家主催の舞踏会のきらびやかなホールへ足を踏み入れた直後。
見覚えのない紳士が、エレミアの肩を叩いて、尋ねてきた。
「君の名前は?」
不思議に思いつつも、エレミアはカーツィを披露し、名乗る。
「アルカディア伯爵家五女、エレミアと申します。このたびは、友人の代理で」
ところが、途中でエレミアの言葉は遮られてしまった。
「アルカディア……ああ、君が、あの。こちらへ」
「え?」
エレミアはしっかり背中を押され、見覚えのない紳士に無理矢理ホールから追い出されたのだ。
その短い道中、ホールの内部にいる人々——扇子の向こうにある口々から、醜い噂話が噴き出していた。
「亡き王妃と王子たちに何を仕込まれているやら」
「王城に出入りしていたのだろう? 伯爵も怪しいところだ」
「ほら、噂にあった王子たちの淫蕩に付き合っていたのではなくて?」
「図々しいこと。素知らぬ顔で舞踏会にやってくるなんて」
「新しい男を探しに? 吸血鬼か魔女のようなご令嬢ね」
「はっ、男の血を吸ってあの髪の色を維持しているのだろうかね?」
それが聞こえてしまったエレミアは、開いた口が塞がらない。
(何を言っているの、この人たちは。なぜそんな、伯母様や王子殿下たちを貶めるようなことばかり言っているの……!?)
反論しようにも、とっくにエレミアはホールから出され、集まってきた他の紳士たちや警護の男性使用人たちに出口まで追われている。
抵抗する暇もなくエントランスまで押し出されて、ようやく最初の紳士がエレミアへこう告げた。
「こほん。エレミア嬢、ご退出いただけますか。それと、今後私どもの舞踏会にはお出でいただかずともけっこう。どなたかのご招待があってこそでしょうが……こちらの品位に関わりますゆえ」
エントランスには、まだエレミアの乗ってきた馬車の御者がいて、何事かとエレミアに駆け寄ってきた。
だが——エレミアには、何が起きたのかさっぱり分からない。友人の代理でやってきた舞踏会で追い出された、着飾ったことは全部無駄になってしまった。そのくらいしか、困惑しきったエレミアには理解しようがない。理解したくない。
やがて、御者に支えられて馬車へ戻り、茫然自失のまま屋敷へと帰ったエレミアは、やっと現実に帰ってきた気がして泣き出してしまった。玄関先で泣く娘を見た両親は慌てて屋敷の中へエレミアを運び入れ、談話室の火をくべた暖炉の前に三人で座り込んで、エレミアが泣き止むまでしばし待った。
エレミアが口を開いたころ、とうに壁の時計は夜の九時をすぎていた。
エレミアは舞踏会のホールに入った瞬間から、エントランスまで追い出されてしまった顛末を両親へと語る。
「ということが、ありました」
また何かの拍子で泣き出しそうになりながらも、振り絞るようなエレミアの声に、父は天を仰ぎ、母は口を押さえて嘆く。あれ以来、すっかり痩せこけてしまった父と母を見るたび、エレミアは我が家に降りかかった災難とその原因へ思いを馳せずにはいられない。
「何ということだ。ただでさえ、我が家は王妃の一族に連なるというだけで王城の職を追われたのに」
「この子は醜聞になるようなことはしておりませんわ」
「分かっている、だとしても噂を消すことはできぬ!」
「なら、この子の将来はどうなるのです? 一体誰が、これほどの辱めをエレミアへ受けさせたというのですか」
お互いに積もり積もった暗澹たる気持ちが溢れ出す、その前にエレミアの両親は自制心が何とか働いて、しんと黙り込んだ。
実のところ、両親はエレミアへあの件について何も教えなかったのだ。あの日以来王城に行くことを禁じ、伯母たちのことは一切話さないよう命じられたエレミアは、何が起きたのか、その最低限のことしか知ることができなかった。
アルカディア伯爵家は王妃に連なるとして、王城での公職を免じられた。その後、国王が代替わりしても登用されることはなく、自前の商会を維持することで何とか糊口をしのいでいる。
伯爵家としての権威は地に落ち、貴族としての面子はないも同然、そんな家の娘を舞踏会に誘う人間は皆無だ。招待された友人の代理という名目も、実は父が手を回して遠い親類からチャンスを買ってきたのであって、決して偶然の出来事ではない。
せっかくのデビュタントさえ逃し、意気消沈のエレミアは、自分と家を取り巻く境遇について身をもって思い知ってしまった。
(王妃様……伯母様と仲が良かっただけで、あんなに悪く言われるものなの? あの日、何があったかなんて誰も正確に知らないだろうに。ヴィクトリアス殿下も、テトラシウス殿下も、アルウィウス殿下も……反乱なんてするはずがないのに、どうして)
あの日以来、エレミアはずっとその疑問を持ちつづけていた。
誰もが元王妃とその王子らを口々に罵り、前国王の弟に当たる現国王を褒め称える。前国王はあの日からしばらくして代替わりしたのち、行方不明となってしまったのに、誰も探そうとしない。
あの日より前を知るだけに、エレミアにとって異常事態はずっと続いていた。自分が罵られたことよりも、伯母と従兄たちが悪し様に貶められるほうがもっとつらかった。
そんなとき、騒ぎを聞きつけたエレミアの姉の一人が、談話室へやってきた。
頬が削げ落ち、赤銅色の髪は細く鈍くなってしまった姉は、生気を失ったかのように一気に歳を取ってしまって、エレミアの目には母と同年代のように映るほどだ。
「お姉様、戻っていらしたのですね」
嫁ぎ先から戻ってくる話は聞いていなかったが、エレミアは久々の年の離れた姉との再会に心躍る。
しかし、姉は無言でやってきて、家族の輪に混ざって座り、大きなため息を吐いた。
「ええ、アルカディア伯爵家の女とは離縁する、と言われてね」
「え?」
「どうして私が、あの人と引き離されなくてはならないのよ……子どもだってまだ小さいのに、もう会えないなんてあんまりだわ」
涙声になる姉を、母が背中をさすって慰める。エレミアは何と言っていいか分からず、口を閉ざすしかない。
そうして溢れる涙を堪えきれなかった姉は、エレミアへと謝りつづけた。
「ごめんなさい。あなたは悪くない、あなただって王妃様に可愛がられていただけなのに、可哀想なエレミア」
悲痛なすすり泣きが、談話室に響く。誰もが、何も言えなくなってしまった。
この年だけで、エレミアの家族は一気に減ってしまった。
母、姉たち、彼女たちが流産した子どもも含め、死因は違えども、死に追いやった原因はただ一つ。
一族、その中でもエレミアが、王妃や王子たちと親しかった。
ただそれだけで、エレミアの家族たちは思い詰め、命を落としたのだった。
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