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第十話 私が役に立てるのならば

 不思議なことに、エレミアはすっきりと目覚めてしまった。寝る前の衝撃的な出来事や話も、もう嵐が通り過ぎたかのようだ。


 もちろん、実際には現在進行形で、エレミアが嘆く資格さえない身である、というだけだが——自分の力でどうにもならないことをいつまでも気にかけていても仕方がない、と割り切れたのだろう。それ自体、最近のエレミアにとっては驚くべき進歩で、カリシア子爵家屋敷にいたころよりもずいぶんと心が軽かった。


 しかし、浮かれてはいけない。自分を戒めつつ、エレミアはベッドとは名ばかりの藁の山と分厚い布たちから起き上がり、窓の外へ目をやる。とっくに太陽は西へ傾きはじめ、山肌の放牧地には羊がのんびり昼寝をしていた。


 そして、集会所には誰もいないのかと思いきや、いた。


「おはようございます。眠れましたか?」


 ユリウスが入り口横の椅子に座り、静かに本を読んでいた。ずっと同じ部屋の中にいたようなのに、エレミアはまったく気づいていなかったほどだ。


「お、おはよう、ユリウス……多分、大丈夫。心配をかけてごめんなさい」


 小さな騎士ユリウスは読みかけの本を閉じ、微笑んで応える。おそらく、見知らぬ土地で休むエレミアを気遣って、守ってくれていたのだ。それなのに、自分は大して休憩を取っていないだろう。


 集会所には、火の消えた暖炉脇にまだ温かい鉄製の火鉢が用意されていた。その火種を使って切った黒パンとチーズを温め、サンドして頬張る。すべてユリウスが素早く用意してしまい、エレミアは何もできなかった。いや、させてもらえなかった。少し悔しいが、エレミアは黒パンと美味しいチーズのとろけるサンドをもしゃもしゃと飲み込み、さらにすっと差し出された牛乳の木製カップを受け取る。至れり尽くせりだ。


 半分ほど食べてから、エレミアは何かしなければ、という思いに駆られて、ユリウスへ話しかけた。


「ところで、ここの領主は何という家かしら」

「ここはヤルンヴィト辺境伯領です、しばらくはここを拠点とします。何せ、隣国との間には荒野が広がっていて、今の時期は南からの季節風による暴風が吹き荒れていますから、落ち着く頃合いを見計らって隣国への帰路を確保しなくてはなりません」


 いつの間にか、エレミアはカリシア子爵領からかなり遠くまで来ていた。ユリウスが近道でも通ったのか、それとも飛地に入ったのか、とにかく、ここまで来れば追っ手からも逃げられたとエレミアが安堵するくらいには距離がある。


 それゆえに、王都生まれ王都育ちのエレミアにとっては、王国の東端から隣国に至る土地は未知の世界にも等しい。


 新聞のおかげで一般的な知識だけはあるが、辺境と呼ばれる地域に足を踏み入れたのはこれが初めてだ。


 ここベルルーニ王国と隣国であるフィンダリア同盟の間にある大荒野は、草木も生えぬ土地だ。何せ暴風や鉄砲水などの災害が日常茶飯事、一日のうちに砂漠よりも暑くなると思えば凍える冷たさにもなる。きわめて危険ながらも、ほぼ唯一の二ヶ国間貿易路だけあって、仕方なく長く使われてきた場所だった。


 そして、ヤルンヴィト辺境伯家は、建国以来東からの襲撃や侵略に耐え、王国の盾として機能する武門、破格の名家だ。それと同時に、王国東唯一の玄関口として様々な貿易交流を行う商業都市も持ち合わせている。


(我が国に直系王族の公爵(デューク)はいても侯爵(マーキス)がいないのは、辺境伯(マルグレイヴ)がその爵位の位置を占めているから……そんなふうに言われるほどの名家だもの。王都からの追及を逃れるには絶好の場所だけれど、私にとって安全かどうかはまた別の話だわ。いくらいい季節を待っても、体力のない私がユリウスと一緒に隣国へ行けるかしら……)


 エレミアの実家アルカディア伯爵家に戻れば、ヤルンヴィト辺境伯家との商業的な繋がりがあるかもしれない。しかし、もう王都方面には戻れないし、手紙も安全とは言えない。実家に疑いの目をかけさせないためにも、()()()()()()()()()()()()()()()()()エレミア側から連絡を取ることはできなかった。


 思うところは色々あるが、まずエレミアは黒パンとチーズサンドを完食しなければならない。新鮮で濃厚な牛乳で流し込みつつ、もそもそと小口で齧っていたところに、浅黒い肌の青年イシディヤが勢いよく扉を開けてやってきた。


「おいユリウス、早速問題が起きた。辺境伯から呼び出しだ」

「何の理由で?」

「連絡の担当者が粗相をしちまったらしい。辺境伯の屋敷で密偵と間違われて斬られた」


 エレミアの目には、イシディヤはかなり慌てているように映った。一方のユリウスは落ち着き払って、顎に手を当てて考え込んでいる。


「どうする? 俺が行ってもいいが、ここはお前が行ったほうがマシだと思うぞ。辺境伯としちゃあお前の親父に忠誠を誓ってるわけで、長年争ってる隣国人の俺は嫌われっぷりが半端ないしなぁ」

「そうだな……分かった、僕が行く。ひとまず状況を説明して、謝罪しないと」


 さすがにエレミアでも、状況の深刻さは何となく分かる。


 長年争ってきた隣国フィンダリア人に対して、その最前線に居座るヤルンヴィト辺境伯がいい感情を持っているはずがない。それでも、かつての第一王子ヴィクトリアスの子ユリウスなら何とか辺境伯と話ができるだろうか——いや、フィンダリアの支援を受けて祖国へ帰ってきた身分であるユリウスにもあまりいい感情は抱いていないかもしれない。


 となると、どうすべきか。


 本来なら口を挟むべきではないと思いつつも、エレミアは声を上げた。


「わ、私は、役に立てないかしら」


 ユリウスとイシディヤがエレミアへと視線を注ぐ。


 エレミアとて無策でそう言ったわけではない。ちゃんと理由くらいは説明できた。


「ヤルンヴィト辺境伯も、今回あなたが私を助けるために帰ってきたことはご存知でしょう? その私が姿を見せることであなたたちの仕事がちゃんと実際に進んでいて、それ以外のことにまで手を伸ばしてはいない、と主張できるのでは、ない……かしら?」


 実際のところ、それは分からない。ユリウスやイシディヤが、支援してくれているフィンダリアに協力して、ヤルンヴィト辺境伯領において密偵のような真似をしている可能性はエレミアには否定できない。


 ただ、今は『エレミアの救出』という大義名分を持って帰国したユリウスを、ヤルンヴィト辺境伯も無視はできないに違いない。それがかつての第一王子ヴィクトリアスの意思によるもの、という建前を使われては、彼に忠誠を誓っているらしきヤルンヴィト辺境伯も無碍にはできないはずだ。


 しかも、ユリウスは本当にエレミアを救出して帰ってきたのだから、ひとまずそちらの功績を優先して、密偵疑惑については後々調査でも何でもする、という話の流れにはできるだろう。インパクトのあるいい話題を先に出すことで、不祥事についてぼやかす、というわけだ。


 その意図をどこまで理解しているかは定かではないが、不可解な顔をしているイシディヤと違い、ユリウスは納得したように頷いた。


「名案だ」

「迷案の間違いだろ」

「レディ、お疲れのところ申し訳ありませんが、ついてきてください」

「おいおいユリウス、やめとけって! 辺境伯の気性の荒さは知ってんだろ!」

「だからこそだ。僕も殺されないためには、レディのお力に縋るしかない。決まりだ、手配してくれ」


 イシディヤは頭を抱え、「あーもう!」と叫んで集会所の外へ飛び出していった。イシディヤが誰かに命令を出す苛立った大声が、集会所の中まで聞こえてくる。


 ヤルンヴィト辺境伯への謝罪に出向く——かつての第一王子の嫡男にはあるまじき、屈辱的とも言える行動だが、ユリウスは文句も愚痴も口にしない。


 そうすることが必要であり、そうすべきだと決断できる。血統も、経歴も、プライドも関係なく最善を希求できるというのは、得難い才能だ。エレミアでさえ、それがどれほど尊く、希少な性質であるかは知っている。


(あのマークも、私が伯爵家令嬢だったから離縁を切り出せず、相手にしないなんて子どもじみたことしかできなかったわけだし……貴族なら尚更プライドが邪魔をしてしまうもの。それを十歳を越えて少しのユリウスが、緊急事態でも冷静に判断してのけてしまうのだから、すごいわ)


 エレミアとのカリシア子爵領からの逃避行でも、ユリウスはとても頼りになった。大人顔負けの行動力と決断力は、彼が外見や所作以外でも第一王子の嫡男であることを納得させてしまうだけの説得力がある。


 であれば、エレミアも怖くはない。


 二人はイシディヤの手配した馬車に乗り、すぐさまヤルンヴィト辺境伯の居城へ出立した。

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