第四話:裏市場の街と、銀の蛇の紋章
「次の目的地が決まった」
カイン様のその一言で、私たちはケストレル砦を後にした。しかし、向かった先は王都ではなかった。馬を乗り継ぎ、主要街道を外れ、たどり着いたのは活気と胡散臭い空気が混じり合う、巨大な商業都市――『リヴェン』だった。
「ここは……?」
「『自由交易都市リヴェン』。王国の法が及ばぬ、治外法権の街だ。あらゆる品が、あらゆる情報が、金で取引される。……裏も表も、すべてだ」
私たちは騎士の身分を隠し、ごく普通の旅人として街に紛れていた。カイン様は黒い革鎧を纏った腕利きの傭兵に、私はその従者に。いつもと違うラフな服装の彼は、監察官の時とはまた違う、野性的な色気を漂わせている。
「あの『呪矢』の出所を探る。公式な調査はできん。ここからは、俺とお前の、二人だけの仕事だ」
真剣な眼差しでそう言われ、私の心臓が大きく跳ねた。二人だけの仕事。その言葉が、なぜか私の胸を熱くする。
リヴェンの裏路地は、まるで迷宮のようだった。私たちは、カイン様が目星をつけていた一軒の店に入る。表向きは古美術商だが、一歩足を踏み入れた瞬間、私は肌に刺さるような悪寒を感じた。並べられた品々から、怨念や苦痛といった負の記憶が、声なき声で叫んでいる。
ここは、呪具や曰く付きの品を専門に扱う店なのだ。
「……いらっしゃい。何かお探しで?」
店の奥から現れた、痩せた店主がにたりと笑う。
カイン様は動じず、懐から布に包んだ呪矢の破片をカウンターに置いた。
「これと同じものを作れる職人か、これを注文した買い手を探している。心当たりは?」
店主は矢の破片を一瞥すると、肩をすくめた。「さあね。こんな物騒な品、うちでは扱っちゃいないよ」
嘘だ。店全体が、あの矢と同じ種類の、冷たい悪意で満ちている。
私がカイン様の袖をくいと引くと、彼はその意図を正確に読み取った。
「そうか。では、仕方ない」
次の瞬間、カイン様が指を鳴らすと、彼の腰の剣から放たれた凄まじい威圧感が、店中に並べられた呪具をビリビリと震わせた。店主の顔から、すっと血の気が引く。ただの傭兵ではない。とんでもない手練れだと悟ったのだ。
「……思い出した。思い出したよ!」店主は慌てて両手を上げた。「職人は知らねえ。だが、注文の仲介をした奴なら知ってる」
「誰だ」
「リヴェンの情報屋さ。いつも銀色の蛇のブローチを付けてる、気取った野郎だ。確か、どこぞの貴族様のご依頼だとか言ってたな……」
『銀の蛇』。その言葉に、カイン様の目が鋭く光った。
私たちはすぐに店を出て、情報屋を探した。そして、酒場の片隅で、見つけた。上質な服を着こなし、胸元に銀の蛇をかたどったブローチを付けた男が、ワイングラスを傾けている。
カイン様が、そのテーブルの前に立つ。
「『闇夜木』の呪矢の件で来た」
情報屋の男は、一瞬だけ驚いたように目を見開いたが、すぐに余裕の笑みを浮かべた。
「おっと、怖いお方だ。何の御用で?」
「依頼主を教えろ」
「お客様の情報は、命より大事でしてね」
交渉が決裂しかけた、その時だった。
私は、情報屋が付けている銀の蛇のブローチから、ケストレル砦で感じたものとよく似た、しかしずっと希薄な『澱』が漂っているのを感じ取った。私は意を決して、口を開いた。
「……そのブローチ、依頼主の方からいただいたのではありませんか?なんだか、とても冷たくて、悲しい感じがします。まるで、何かを『黙らせたい』という、強い想いが込められているみたい……」
私の言葉に、情報屋の男の顔から笑みが消えた。
カイン様が、畳み掛ける。
「そのブローチは、依頼が成功した暁に、依頼主の『紋章』そのものを与えると約束された、手付金代わりの品だな。違うか?」
情報屋はしばらく私たちを無言で見つめていたが、やがて観念したように、大きくため息をついた。
「……あんた達、一体何者だ。まあいい。依頼主のことは、口が裂けても言えん。だが、ヒントだけくれてやる。銀の蛇を己の紋章とする貴族家は、この王国に一つしかない。王都に聳え立つ、あの忌まわしきアルバレスト公爵家だけだ」
アルバレスト公爵家。
王妃の実家であり、王国でも屈指の権勢を誇る、名門中の名門。
点と点が線で繋がり、事件の背後にいるとてつもない大物の影が、はっきりと姿を現した。
「よくやった、アリア」
リヴェンの宿屋に戻る道すがら、カイン様がぽつりと言った。
「君がいなければ、ここまでたどり着けなかった」
初めて聞く、素直な賞賛の言葉だった。私の胸は、先ほどまでとは違う、温かい熱で満たされていった。
しかし、私たちの本当の戦いは、これから始まろうとしている。相手は、この国で最も権力を持つ一族なのだから。