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第三話:国境砦の記憶と、残された矢

 翌朝、私が目を覚ましたのは、騎士団庁舎に用意された簡素だが清潔な一室だった。


 昨夜、カイン様が侍女に命じて準備させた部屋だ。夢の中にまで、あの『殺された』魔晶石の感覚が蘇り、何度も目が覚めた。けれど、不思議と恐怖はなかった。むしろ、あの騎士たちの無念を晴らさなければという、静かな使命感が胸に宿っていた。


 身支度を整えて監察局の執務室へ向かうと、カイン様は既に着席していた。机の上には北の国境周辺の地図が広げられ、その表情から、彼も一睡もしていないことが窺えた。


「おはようございます、カイン様」


 「ああ」と短く応えると、彼は地図の一点を指し示した。「君の昨日の『殺された』という表現は、的確だった。これは単なる機能不全ではない。目標を定めた、知能犯による攻撃だ。我々は現場へ行く」

「現場……ですか?」

「そうだ。事件が起きた、ケストレル砦だ。一時間後に出発する」


 あまりに急な展開に、私は言葉を失う。心の準備も、旅の準備もできていない。しかし、カイン様の瞳には、有無を言わせぬ強い光が宿っていた。これはもう、決定事項なのだ。


 ◇◇◇


 馬に揺られて半日。物心ついてから王都の外に出たことのない私にとって、初めての長旅だった。


 カイン様は何も言わずに、時折私のペースに合わせて馬を歩かせ、黙って水筒を差し出してくれた。その無言の気遣いが、かえって彼の不器用な優しさを伝えているようで、私の緊張は少しずつほぐれていった。


「ケストレル砦は、王国の北壁。砦の向こうは、魔獣が跋扈する『嘆きの森』が広がっている。あの砦が落ちれば、北の民は蹂躙されるだろう。だからこそ、犯人は砦の通信機能を狙った」


 彼の説明に、私はゴクリと唾をのんだ。私が昨日触れた事件は、この国の存亡に関わる、あまりにも大きなものだったのだ。


 夕暮れ時、ようやくたどり着いたケストレル砦は、生々しい戦いの傷跡に満ちていた。城壁には魔獣の爪痕が深く刻まれ、行き交う兵士たちの表情は硬く、悲しみに沈んでいる。


 砦の司令官が、私たちを出迎えた。


「監察官閣下、ようこそお越しくださいました。しかし……そちらの嬢ちゃんは?」


 歴戦の勇士である司令官は、場違いな私を見て、あからさまに訝しげな顔をする。


「私の専門官だ」


 カイン様は短く、しかしきっぱりと言い放った。


「彼女の目には、貴官らには見えぬ『真実』が映る。現場へ案内しろ」


 彼の権威に、司令官はそれ以上何も言えず、私たちを問題の西壁へと案内した。そこは、最も激しい戦闘があった場所だった。折れた剣や矢が散乱し、今も鉄と血の匂いが立ち込めている。


「ここで、通信兵だった若者が……。魔晶石が沈黙し、助けを呼べぬまま……」


 司令官が悔しそうに唇を噛む。


 カイン様は私に向き直った。「アリア。ここで何を感じる?」


 私は言われた通り、目を閉じて意識を集中させた。


 途端に、凄まじい記憶の奔流がなだれ込んでくる。魔獣の咆哮、騎士たちの怒号、剣のぶつかる音、恐怖、痛み――。


 普通の人がここにいたら、情報量の多さに気を失っていただろう。でも、私は『調律師』だ。無数の音の中から、不協和音だけを探し出す。


 あった。


 昨日、魔晶石から感じたのと同じ、氷のように冷たくて、粘りつくような悪意の残滓。それは戦場の熱気とは全く異質な、冷え冷えとした『澱』だった。


「……こっちです」


 私は導かれるように、壁際へと歩き出した。澱は、壁の上、見張り台の真下あたりで最も濃く感じられる。そして、その澱の中心にあったのは、打ち捨てられた瓦礫に紛れた、一本の黒い矢だった。


 ゴブリンたちの使う粗末な矢とは、明らかに違う。闇色の木で作られた軸に、カラスの羽ではない、艶やかな黒い鳥の羽が使われている。


「カイン様……一番、嫌な感じがするのは、この矢です」


 私がそれを指さすと、カイン様は目つきを変え、慎重にその矢を拾い上げた。


「これは……『夜烏よがらす』の羽。そして、『嘆きの森』の奥地でしか採れぬ『闇夜木やみよぎ』……。ゴブリンの武器ではない。高度な訓練を受けた暗殺者の使う、呪具の矢だ」


 彼は静かに、だが恐ろしい結論を口にした。


「……狙いは、魔晶石そのものではなかった。通信兵の騎士が、この呪矢によって狙われ、その結果、魔晶石が『殺された』のだ。これは、外部の魔獣の仕業に見せかけた、内部からの、あるいは高度に統制された敵による、計画的な犯行だ」


 その言葉に、私と司令官は息をのんだ。


 事件は、私たちが想像していたよりも、遥かに深く、暗い闇に繋がっている。カイン様は、呪矢を布で丁寧に包むと、私に向かって言った。


「よくやった、アリア。次の目的地が決まった」

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