第二話:監察官様の執務室と、殺された魔晶石
「任命する。異論は認めん」
氷のように冷たい声が、私の人生を勝手に書き換えていく。
あまりに一方的な宣告に、私だけでなく、工房長も呆然と口を開けていた。やがて我に返った工房長が、慌ててカイン様の前に立ちはだかる。
「お、お待ちください、監察官様! アリアは確かに少々変わっておりますが、この工房に必要な人材でして……!」
「必要?」
カイン様は心底不思議そうに眉をひそめた。
「ガラクタの山に埋もれさせていた人材が、か。笑わせるな。正式な異動辞令は今日の午後には届く。それまでに彼女の私物をまとめておけ」
その言葉には、一ミリの交渉の余地もなかった。彼は工房長を透明な壁でもあるかのように通り過ぎると、立ち尽くす私に向き直る。
「行くぞ。君の仕事は、もう始まっている」
有無を言わさぬその声に、私は操り人形のようにこくりと頷いた。カイン様に促され、ポンコツ置き場を後にする。最後に振り返ったそこは、薄暗くて、埃っぽくて、居心地の悪い場所だったはずなのに。なぜか、ひどく名残惜しかった。
◇◇◇
連れてこられたのは、王立魔道具騎士団の庁舎にある一室だった。
私のいた工房とは何もかもが違う。床は大理石で磨き上げられ、空気は澄み切り、静かだが張り詰めた緊張感が漂っている。すれ違う騎士たちは皆、精悍で隙がない。
「ここが、君の新しい仕事場だ」
通されたのは、広々とした個室だった。窓からは王都の街並みが見下ろせ、部屋の中央には最高級の木材で作られた作業台と、見たこともないような精密な魔道具用の工具がずらりと並べられている。
「……私の、ですか?」
「君以外の誰がいる」
カイン様は当然のように言うと、机の上に一つのファイルを置いた。
「単刀直入に言う。ここ数ヶ月、王国各地で重要な魔道具が原因不明の機能不全を起こす事件が頻発している。通常の検分では、ただの『経年劣化』や『マナ効率の低下』としか判断できない。だが、私はこれが意図的な『汚染』……人の悪意によって引き起こされていると睨んでいる」
彼の瞳が、鋭さを増す。
「君の『調律』は、その悪意の残滓を読み解き、浄化することができる。私の目となり、この陰謀の正体を暴き出してもらう」
初めて、私の力が「呪い」や「気味の悪いもの」ではなく、明確な価値を持つ「能力」として評価された瞬間だった。心臓が、とくん、と大きく鳴った。
「これが、最初の仕事だ」
カイン様がケースから取り出したのは、鈍い光を放つ通信用の魔晶石だった。表面にはヒビが入り、完全に魔力の光を失っている。
「先週、北の国境砦で起きたゴブリンの襲撃の際、機能不全に陥った通信石だ。救援要請が遅れ、三名の騎士が命を落とした」
その言葉の重みに、私は息をのんだ。これは、もうポンコツ置き場のガラクタとは訳が違う。人の命がかかっている。
震える手で魔晶石を受け取り、私はそっと目を閉じて、意識を集中させた。
『――応援を! 西の壁が破られる!』
『隊長! 応答してください! ぐあっ……!』
騎士の必死の叫び、恐怖、そして痛みが流れ込んでくる。だが、その直後。
ぞわり、と肌が粟立った。
騎士のものではない、氷のように冷たく、嘲るような『誰か』の意志が、外から魔晶石に絡みついてきたのだ。それはまるで、助けを求める喉を、見えない手で締め上げるような、残忍な悪意。
『――静かに、お眠り』
囁きが聞こえた気がした。次の瞬間、魔晶石の魔力回路が、内側からブツリと断ち切られる感覚。
「あ……っ」
私は目を見開いた。額には冷や汗が流れ、呼吸が浅くなる。
「どうした。何が見えた」
カイン様が、低い声で問い詰める。私は彼を見上げ、か細く、けれどはっきりと告げた。
「これは、故障じゃ、ありません。この魔晶石は……まるで、殺されたみたいに……機能が、止められていました」
「殺された、だと?」
私の言葉に、カイン様の氷の表情が、初めてわずかに揺らいだ。彼は私がただの検知器ではなく、事件の最後の瞬間に立ち会う証人なのだと、その時初めて理解したのかもしれない。
彼は無言で一杯の水を差し出すと、静かに言った。
「……今日はもういい。休め。明日から、本格的に動く」
その声には、ほんの少しだけ、私を気遣う響きが混じっているような気がした。