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あれで付き合ってないの? ~ 幼馴染以上恋人未満 ~  作者: 一ノ瀬麻紀
太陽の話(スピンオフ2)

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01 戸惑い

 一体、何が起きているんだ?


 オレは自分の身に起きていることが理解できず、一瞬、全ての動きが止まった。

 機械のように、人間の脳も思考回路がショートするのだろうか。

 何も考えられなくなったオレは、されるがまま、その場で硬直してしまっていた。


 時間にして、ほんの数秒だったと思う。

 オレは我に返って、ここはオレの働くクリニックで、今は就業時間だということを思い出した。


「もうすぐ診察が始まるぞ」


 オレはほんの数秒前の出来事を処理しきれず、記憶の引き出しの奥底にしまいこんで、厳重に鍵をかけた。

 そして、何事もなかったかのように、抱きしめられている腕をベリッと剥がし、スタスタと歩いて更衣室に向かった。


 時計を見ると、診察開始15分前を指していた。もうこの時間になると、患者さんは受付を済ませて待合室にやってくる。

 あんまりゆっくりしていられないぞと思って振り返ると、さっきとは別人のようにしっかりと距離をとった凛太郎(りんたろう)が、静かについてきていた。

 その頭にはペタンと伏せた耳と、しゅんと垂れたしっぽが見えるような気がした。


「5番のロッカーを使ってくれ。白衣に着替えたら、今日やることを説明するから。鍵はこれな。ちゃんと名札もつけろよ」


 先に着替えを済ませていたオレは、簡単な指示を出すと、何か言いたげな凛太郎を残しさっさと更衣室を出た。


 今日は休み明けの月曜日だから、患者さんが多くて忙しいと思う。

 実習に来たばかりの凛太郎には悪いけど、手短に指示を出し、手際よく準備を始めないとならない。


 春岡クリニックは、個人院としては大きめで、入院棟も併設されている。スタッフ専用の更衣室も完備されていて、今回は実習生用の白衣や医療用シューズ、そして名札も準備した。


 以前は毎年数人の実習生がやってきたけれど、ここ数年は、新設された大学附属病院で実習を受ける学生が増え、うちのクリニックに来る学生はすっかり減っていた。

 正直、バース専門病院はやることが多いので、実習生に時間をかけるよりも、通常業務を行いたいというのが本音なのだけど……。


「今年は、ちょっと厄介なやつが来ちゃったなぁ」


 オレは、更衣室の方を振り返ると大きなため息をついた。

 いつものルーティーンに、実習生の面倒を見るというミッションが加わっただけ。ただそれ以外は変わらない日常のはずだった。

 ……なのに、オレの日常が大きく変化するような気がして、何か落ち着かなかった。


 実習初日は、連休明けということもあって、いつも以上に慌ただしかった。

 オレ自身も忙しく、十分な指示を出すこともできなかったけど、凛太郎は初日から何の問題もなく実習をこなしていた。

 忙しいながらも、あまりにも何事もなく順調に1日が過ぎていったので、朝の出来事を思い出す暇もなかった。


 最後の患者さんを見送り、やっと一息をついた。

 凛太郎は実習生なので、実習は夕方までだ。家に帰る前に大学に寄ると言っていたので「熱心だな、頑張れよ」と背中を押して送り出した。


 そうなんだよ。凛太郎は初日に一緒に過ごしただけでもわかるけど、とても優秀だし勉強熱心なんだ。似合う相手なんていくらでもいるだろう。

 なのになんでオレに……?

 

 忙しさが一段落した途端、オレは急に朝の出来事を思い出してしまっていた。

 衝撃の出来事は、記憶の引き出しにしまい込み、厳重に鍵までかけたはずなのに、あっさりと外に飛び出してきた。

 オレは、凛太郎の言葉と抱きしめられた感触を思い出し、思わず自分の体を抱え込むように抱きしめた。


「オレ、今まで好きだなんて言われたことないから、そういうのわかんないんだよ……」


 戸惑いの中で、オレは大きなため息をついた。



 実習を開始してから1ヶ月が過ぎようとしていた。


 初対面のバグった距離感に不安を覚えたけど、凛太郎は冷静に的確に業務をこなしていた。

 患者さんの記録メモに目を通しただけで、体温や血圧、診察前の聞き取り内容までしっかり把握していて、春岡先生への報告も的確だった。カルテの読み取りも丁寧で、先生からの質問にも迷いなく答えていた。


 患者さんへの対応も誠実で、どんな患者さんにもゆっくりと言葉に耳を傾けた。

 病院を怖がる子どもには、目線を合わせて、大丈夫だよと優しく微笑んで話しかけた。

 その笑顔は、普段の凛とした表情とは違って、目尻が柔らかく下がり、少し幼さの残る印象を与えた。

 そのギャップにやられる人が続出で、気づけば定期受診がまだ先の患者さんまで、わざわざ顔を出しに来るようになっていた。


 凛太郎は、先生、スタッフ、患者さん、そして近所の人たちにまで評判は良く、気づくとあっという間にこの街に馴染んでいた。


「天性の人たらしって、こういう奴のことを言うんだろうな」


 オレは、たまたま街で人に囲まれている凛太郎に遭遇し、ひとりごとのようにつぶやいた。


 きっと、誰にでもあいつは好きって言うんだ。

 オレに向けた『好き』も、ただ単に人として好き、仲良くなりたい。そう言う意味だったんだろう。

 あいつは、人の良いところを見つけ、褒め、歩み寄ることのできる人間だ。


 そう、ただそれだけ。

 なのに、なぜかオレの心の奥底の記憶の箱が、カタカタと小さく揺れた気がした。

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