13 予想外のヒート
突然心臓が跳ね上がるような鼓動を感じ、それを合図に、身体中を熱が駆け巡る。
一体何が起きているのだろう。
燃えるような熱さに、成す術もなく藻掻き出す。
あつい、あつい、あつい。
助けてっ──!
目の前がぐにゃりと曲がり、周りの景色もぐるぐると回る。
状況判断をしようと試みるけれど、どう頑張っても正常な判断など出来る状態ではない。
身体は熱くなるばかり。
そして、あらぬところが疼き出す。
なんで? どうして? これは何?
──ガタガタンッ!
派手な音を立てて転げ落ちるように椅子から降りる。
そのまま床に座り込むと、土下座をするような姿勢のまま、出来るだけ小さく小さく身体を縮こまらせた。
すぐ収まるはず。そう信じてじっと耐える。こんなことは初めてでどうすればよいのか分からない。
なのに意思とは反して、目の前のアルファに手を伸ばしたくなる。
本能が訴えてる。目の前のアルファが、この身体の火照りと疼きを治めてくれるのだと──。
「さくく……ちが……あ……あお……と……あおと……あおと……」
朦朧とする意識の中、目の前のアルファに伸ばそうとした手を、ぐっと握りしめ、胸元に戻した。
おれは、うわごとのように蒼人の名前を繰り返す。
「だ、大丈夫ですか?」
「大丈夫です。休める場所に連れていきますので。すみません、オメガタクシーを呼んでもらえませんか? ヒートのオメガだと伝えてください」
慌ててやってくる店員。それに答える佐久くん。
でもおれにはもう僅かな思考能力しか残っていない。
あおとあおとあおと……。
名前を呼んでいるのか、言葉の羅列を唱えているだけなのか、もう分からない。
ただ、自分にとって、その名前が大切なものだということだけは、確かだった。
どこまでの事を覚えているのか、どこから記憶が途切れたのか。
そもそもこれは夢なのか、現実なのか、この世なのか、あの世なのか。それすらも分からない。
熱くて、苦しくて、寂しくて、悲しくて──。
何もない真っ白な空間を、ただただ彷徨い続ける。
何故ここにいるのか、どこに向かおうとしてるのか、何ひとつ分からない。
そんな中。誰かに呼ばれたような気がした。
とても優しくて、暖かくて、落ち着いて、……大好きな、声。
「……と。……こと。……まこ……と……」
ま……こ……と……?
誰? ……それは、……おれ? ……の、名前?
呼ぶのは、誰……?
「まこと、……麻琴」
声に導かれるままに、ゆっくりと重いまぶたをひらく。けど、靄がかかったように目の前がよく見えない。ぱちぱちと数回瞬きをしてみた。
「ああ良かった。目を覚ましたな」
やっと開けて来る視界に、会いたかった顔が見えてきた。
飯田くんに向けた笑顔じゃなくて、しっかりとおれだけを見てくれている。
何もわからない未知の空間を彷徨い続けて、不安に飲み込まれそうになっていたのに、蒼人の顔を見ただけで、不安がどんどん無くなっていく。
すごい。蒼人は、おれの特効薬だ。
「……あ……お……と……」
もっともっとおれだけを見てほしくて、蒼人の名を呼んだ。
やっと絞り出した呼びかけに、おれの顔を覗き込んで、頭を撫でる。
「……どこか気持ち悪いところはないか? ……痛いとか、苦しいとか。……大丈夫か?」
普段あまり話さず無口な蒼人が、心配そうにおれの様子を聞いてくる姿に、やっぱり過保護だよなぁって思う。
でも、直ぐ側に蒼人がいる。……その事実だけで、おれの中にあった不安が、嘘のように消え去っていた。
ほっと安堵の笑みを浮かべると、蒼人もそれに気づいてふんわりと微笑んだ。
「大丈夫そうだな。……ちょっと起きるか?」
小さく頷いたおれの背中に腕を当て、起き上がらせてくれる。
その時、腕に巻かれた包帯の存在に気がついた。
「あおと……それ……」
「ああ、これ? 大丈夫だ。なんでもない。気にするな」
全然痛くないしな。って言いながら、腕を動かしてみせるけど、うっと一瞬顔をしかめた。
「ちょっと、火傷しちゃったんだけどさ、まだちょっと痛みあるけど、こんなのは平気だ」
どう見ても強がっているようにしか見えないけど、蒼人にだってプライドとかそういうのあるだろうしと、それ以上深追いするのはやめた。
ただ、慎重な蒼人が火傷をするなんて考えられなくて、きっと何かを隠してるんだろうなとは思う。
「俺の心配は良いから、麻琴はもう少し休んでいたほうが良い。横になるか? それとも、何か飲み物でも飲むか?」
相変わらず甲斐甲斐しく世話を焼こうとする蒼人に、「大丈夫」そう言うと、ゆっくりと回りを見回した。
「なぁ、蒼人。ここ、病院だよな? ……おれ、どうしちゃったんだ……?」
喫茶店で急に身体に変化が起き、その後は途中までの記憶しかない。
理由の分からない身体の熱と疼き……あれは、何だったんだろうって……。
「先生呼んでくる。すぐ戻るから待っていて」
一瞬顔を曇らせた後、蒼人は病室を出ていった。
すぐ戻るとか言っておきながら、なかなか戻ってこない。かれこれ30分は経っていると思う。
先生今丁度忙しいのかぁ。……そう思いながら窓の外を眺めて待っていると、それから程なくして先生を連れて病室へ戻ってきた。いつもオメガの検診をしてくれている担当医だ。
「こんにちは、麻琴くん。具合はどうですか?」
「はい。春岡先生、ありがとうございます。特に気になるところはないです」
春岡先生はぽっちゃり体型で少し白髪交じり。優しさが全体に滲み出てくるような柔和な先生。医者なので時には厳しいことを言わなければならないと思うけど、基本的には物腰柔らかな先生だ。
「点滴を打っていたからね。後から気持ち悪くなるようだったら、すぐ言うんだよ?」
「はい、分かりました」
実際、今のところおれには体調の変化はみられない。
さっきも蒼人が心配していたけど、気持ち悪くもないし、痛みがあるわけでもないし、不快感とかそういうのもない。
「麻琴くんが友だちと出かけたのは土曜日だよね? でも今日は月曜日なんだ」
「えっ?」
「病院に運ばれてきてから、ずっと眠っていたんだよ」
「そんなに?」
おれの意識としては、少しお昼寝をしたくらいの感覚だったので、まさかそんなに時間が過ぎているとは驚いた。
「先生、おれどうしちゃったんですか? 喫茶店でなんか身体が変になるし、気付いたらもう月曜日だし──」
「麻琴くん、少し落ち着こうか」
矢継ぎ早に質問を投げかけようとしたら、先生はおれを落ち着かせるように言葉をかぶせてきた。
「まだ目を覚ましたばかりで、体調は万全ではないよね。詳しい話は後日にしたほうが良いと思うんだ」
「でも……」
「これはね、主治医からの指示だよ。今日はゆっくり休んで、明日の朝話をするから」
先生の言う通りだ。二晩も眠り続けていたんだ、普通の状態なわけはない。
おれは大人しく先生の言葉に頷くと「はい、分かりました……」と、消え入るような声で返事をした。




