「記録の鎌と、痛みの記憶」
第四章「記録の鎌と、痛みの記憶」
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夜の静寂が、裂けた。
地下鉄車両の薄闇に、ノワールの鎌が閃光のように走る。
無機質なマスク、その瞳孔の奥には、感情が欠けていた。
「回収対象、反応を確認。初期化を開始──」
鎌が風を切り、シルバの肩を裂いた。
「ッ──ぐっ……!」
切創はすぐにふさがる。
だが──違和感。脳が熱を持ち、世界が霞んでゆく。
“記憶”が、抜け落ちていく感覚。
「なにを……した」
シルバの声が震える。
「お前の中の“過去”を一つ、消した。名も、日付も、顔も、匂いも──もう思い出せないはずだ」
ノワールが淡々と告げる。
シルバは歯を食いしばった。
消えたのは──妹の笑顔。
たしかにそこにあった、唯一の“あたたかさ”。
「貴様……!」
怒りが爆発する寸前、ミアが飛び出す。
「やめてっ!! もうやめてよ!!」
彼女の叫びに、ノワールの動きが一瞬だけ止まった。
そのすきを突いて、シルバは前に出る。
「消されても、俺は……“俺”だ!」
痛みに震えながら、拳を握る。
銃も刃も持たない少年の一撃が、ノワールの仮面に亀裂を入れた。
──カン、と乾いた音。
仮面の破片が落ち、そこから覗いたのは──驚くほど幼い顔。
年齢は十代前半。少年のような瞳だった。
「きみ……」
ミアがつぶやく。
「ノワール……? 本名は──“ルキア”」
ミアの記憶の奥に、それはあった。
自分と同じ、“永劫”の実験体だった少年。
感情を抑制され、“記録”の守護者として再構築された存在。
シルバは息を切らしながら言った。
「……戻ってこい。お前も、“ここ”にいるはずだろ……!」
ノワール──ルキアの指先が、わずかに震えた。
だが次の瞬間、彼の背後に無数の“記録球”が現れる。
それは組織が“記録”と称して集めた膨大な記憶の断片。
「命令に従う……ぼくは、“記録”でしかない……」
ルキアは、再び鎌を構えた。
けれど──その手は、ほんのわずかに迷っていた。