「死なないだけの少年」
第二章 「死なないだけの少年」
---
廃ビルを出てから、二人は雨に濡れながら街の隙間を駆け抜けた。
シルバは先を走り、ミアが一歩後ろをついてくる。
「足、大丈夫か?」
振り返ったとき、ミアは微かに息を切らしながらうなずいた。
「慣れてるから……逃げるのは」
その言葉に、シルバは笑いもせず、ただ前を向いた。
逃げるのが当たり前になっている者同士、笑う理由もなかった。
やがて、彼らは街の地下──廃棄された下水路跡に身を潜めた。
赤錆の浮いた鉄扉の裏、わずかな電灯の光のもと、ミアがつぶやく。
「……あなた、本当に死なないの?」
「たぶんね。ナイフでも銃でも、火でも毒でもダメだった。心臓を貫かれても、また動き出す」
シルバの口調は淡々としていたが、その目の奥に沈んだ色があった。
「痛みは、あるの?」
「あるよ。だから、余計にタチが悪いんだ。
死ねないってのは、痛みと終わりなく向き合わなきゃいけないってことだから」
ミアは黙った。しばらくして、自分の腕をそっと見下ろす。
焼かれた番号の痕。そこにはもう皮膚としての感覚はなくなっていた。
「わたしは……不老。細胞の老化はしない。でも、死ねる」
「……それも、苦しいな」
そのとき、足音が聞こえた。
水を踏みしめるような、鈍い足音──重たい靴の音。
地下通路に響くそれは、ただの人間ではなかった。
「《永劫》だ……!」
ミアの目が見開かれ、声が震える。
鉄扉が吹き飛んだ。
瓦礫の向こう、白いスーツの強化兵が姿を現す。
金属の腕、異様に膨らんだ脊椎部、呼吸器すらつけた改造兵。
「特異体D09、及びE02、確保対象──」
その声が終わるより早く、シルバはミアを抱えるようにして飛び退いた。
銃火が散り、壁が砕ける。
シルバはミアを守りながら、被弾し、血を流し、それでも立ち上がる。
「今は……逃げろ。俺が引きつける」
「無理だよ、そんなの、あなたは──!」
「だからいいんだよ。俺は死なないから」
言葉通り、シルバはその場に立ち、兵の銃撃を一身に浴びた。
膝が崩れ、何度も地に伏す。
それでも、立ち上がる。
再生するたび、痛みは増していく。
それでも、死ねない。
「くそったれが……!」
怒鳴るように叫びながら、シルバは兵の懐に飛び込み、短刀を突き立てた。
心臓、肺、脊椎──的確に殺しの急所を突く動き。
人を何度も殺された者だけが身に付ける、殺しの技術だった。
敵が倒れ、周囲に静寂が戻る。
そのとき、ミアが泣いていた。
声を殺し、唇を噛み、膝を抱えていた。
「なんで……あなたは、そんな顔で……!」
「泣くな。お前まで泣いたら、俺が悪役みたいじゃないか」
血に濡れた笑顔を見せて、シルバはそう言った。
その笑顔は、とても人間らしかった。
──そして、どこまでも哀しかった。
その夜、ミアは決めた。
もう、ひとりでは逃げないと。
どれだけ逃げても、ひとりきりでは“生きていない”のと同じだから。
だから。
「ねえ、シルバ。わたし……あなたと一緒にいたい」
雨は、まだ降り続いていた。
けれどふたりの間に、確かに“何か”が芽生え始めていた。