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第五話 ──宙(そら)を仰いで、文(ふみ)を綴る──

本日もお願いいたします。


 


暖かな朝日が、ミラーノア伯爵家のバルコニーから差し込んでいた。

ゆっくりと目を覚ましたオクサーナは、ふわりとベッドに腰掛けていた陽菜に微笑みかける。


 


「おはよう、陽菜……」


 


「おはよう、ママ! 今日もいい天気だよ!」


 


陽菜は白金の光をきらりと瞬かせながら、佐奈の手にそっと触れた。


 


昨日よりも少しだけ血色の良くなった頬。栄養が体に馴染んできている証拠だと、陽菜は内心ほっとしていた。


 


その後すぐに、ハンナがメイドを伴ってオクサーナの部屋を訪ねた。

朝の支度を整えるためだ。


 


オクサーナの支度が終わり、食堂に案内されると、そこには父オスカーと母カレンが既に待っていた。


 


「おはよう、オクサーナ。今日もいい顔をしているね」


 


「……うん、おはよう、お父さま、お母さま」


 


小さな声で応じながらも、オクサーナの目はどこかよそよそしく泳いでいた。


 


そのまま席に着き、食事を始めたが、ふと、ナイフとフォークを持った手が止まる。


 


「……あのね、お父さま……“しゅぴーげる”って、おうちはある?」


 


一瞬、食卓に静寂が走る。

オスカーとカレンが顔を見合わせ、思わず手元のスープをすくうのを忘れる。


 


「オクサーナ、その名前……どこで聞いたの?」


 


「……夢、の中……かも。でも、なんとなく、気になって……」


 


声は小さく、どこか不安げだった。

だが、彼女の目は真剣だった。


 


言葉を濁すでもなく、真っ直ぐに両親の目を見ていた。


 


その目は「シュピーゲル家はあるはずだ」と確信しているようにも見える。


 


オスカーが言葉を選んでいると、

カレンが一度だけ微笑み、紅茶をひと口飲んだ後で言った。


 


「そう…… “シュピーゲル”家は、王都に住む由緒ある家柄よ。とても偉いおうちってことね。侯爵位を持っていて、国王陛下の側近でもあるの」


 


「そうだ。ミラーノアの領地からはとても遠いところに広い領地をもつ貴族だよ」


 


オスカーの言葉に、オクサーナは小さくうなずいた。


 


「そこに“ごっどふりーと”っていう名前のおとこのこはいるの?」


 


「まさか、名前まで知っていたとはな……」


 


オスカーは頬を指先でなぞりながら思案する。


 


生まれてすぐに昏睡状態に陥った娘が、侯爵家の名前と、しかも当主の子息の名前まで知っている。それだけでも尋常ではない。


 


(まさか…… “覚えて” いるのか?しかし名までは告げてはいないはず・・・)


 


彼は思わず眉間に皺を寄せた。


 


あのときの名を、病に臥せった娘に向けて囁いたことが、本当に届いていたというのか。


 


父として、嬉しさと戸惑いと、ほんの少しの怖さが胸にせり上がる。


 


彼の胸を一瞬よぎった不安と希望の入り混じる想いを、オクサーナは知らなかった。


 


ただ、目覚めたオクサーナの前では、家族の誰も言っていないはずの名前を口にしたという事実だけが、場を少々困惑させていた。


 


「……父として、確認せねばなるまいな」


 


そう言うと、食事もそこそこにオスカーは席を立ち、書斎へと向かった。


 


その背中を見つめながら、オクサーナは「やっぱり、言わなければよかったかな……」と少しだけ唇を噛んだ。


 


***


 


オスカーは羽根ペンを手に取り、慎重に筆を走らせていた。


 


『拝啓 シュピーゲル侯爵閣下

 突然のご連絡をお許しください──』


 


慎重に言葉を選びながら、しかし急を要する気配をにじませる。

書きかけの手紙を何度も見直し、息を吐き、またペンを進める。


 


『以前、貴家より賜りましたご子息との婚約に関するご打診につきましては、未だ正式なお返事を差し上げぬまま、時のみが過ぎてしまいましたこと、まずは深くお詫び申し上げます。

 さて、件のご子息――貴家の嫡男のお名前を、三つになったばかりの娘オクサーナが唐突に口にいたしました。貴族社会にまつわる教育など、いまだ一切施しておらぬ身でありながら、本来知るはずのない御名を知っていたことに、私ども一同、驚きを禁じ得ません。

 つきましては、事の次第を詳しくお伺いしたく、かくも筆を執った次第にございます。』


 


彼は思い悩むように手を止めると、ふと、初めてその名前が持ち込まれた日のことを思い出す。


 


オクサーナが生まれてすぐ、病床にあったにもかかわらず、シュピーゲル家から婚約の打診があった。


その時は何かの間違いだと思っていた。ゆえに失礼とは思いつつも返事を出さなかった。娘が生まれたばかり、まして命の危機であるさなか、嫁にやる心配などしてはいられなかったのだ。しかも侯爵家と伯爵家とはいえ、こちらは田舎伯爵で裕福な家でもない。侯爵家と縁続きになることでの利益より負担のほうが大きい。そんな負担を娘の命がかかる中考えることもできなかった。返事を返さないことへの追及はなく、安心していたのだ。


 


 


「ありえん……なぜ名を……?」


 


オクサーナが自発的に話題に出したこの件は、おそらく偶然ではない。

そう感じたオスカーは、心の奥でざわつく何かを必死に抑えながら、ひと文字ひと文字に思いを込めて綴っていった。


 


***


 


その頃、部屋でくつろいでいたオクサーナは、陽菜の光をじっと見つめていた。


 


「陽菜……さっき、お父さま、びっくりしてたね」


 


「うん、そりゃあねぇ。今まで意識のなかった子が、聞いたこともない家の名前と、人の名前を言い出したら、普通はびっくりするよ~」


 


陽菜はくすくす笑いながら、窓辺の光の中をふわりと舞った。


 


「でもね、ママ。もし今、パパに何か伝えたいことがあったら、真人からすぐ伝えられるよ。精霊同士なら、 “精霊通信” っていうやり方で、真人と私はやり取りができるのよ? 電話みたいに!」


 


「……えっ、そうなの?」


 


「うん! ちょっと集中すれば、ほら――」


 


陽菜の光が、一瞬だけ強く脈動した。


 


『ねぇ真人~、ママが元気になってきたよ! あとね、ちょっとだけ、ママがこっちの家族にゴッドフリート様のこと聞いてたの。あとで何かあるかもしれないけどびっくりしないでね』


 


数秒後、どこか遠くの空で小さく真人の声で「本当!?」という声が聞こえた……気がした。


 


「……ちょっと、やめてよぉ……恥ずかしい……!(子供から伝わるのって思ってる以上に恥ずかしいわ!?)」


 


「えへへ、でもちゃんと伝わったよ~?」


 


頬を赤くするオクサーナの横で、陽菜の光は楽しげに揺れていた。


 


「……でも、手紙のほうが、気持ちは伝えやすいかな……うーん……」


 


そんなふうに思案する佐奈の姿は、ようやく「らしさ」を取り戻しつつある母の姿そのもので、陽菜はそれが何より嬉しかった。


 


──精霊の力も、神の采配も、母の歩みを優しく照らすためにある。


 


陽菜はそんな想いを、光の中に込めて、静かに宙を舞った。



早く各務家を集合させてあげたい。

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