閑話2 ―家族を守れなかった僕へ―
よろしくお願いします。
咳が止まらなかった。
熱が出た。喉が焼けるように痛い。
ああ……やってしまった。
真一は、それがC菌――世界を終わらせた未知の感染症によるものだと悟った。
世界は既に壊れていた。
ニュースは数日前から止まり、物流も電気も途絶え、都市は封鎖され、病院の前には長蛇の列。
だが、そのどれもが、もう「機能」していなかった。
最初に感染したのは自分だった。
家族にうつしたかもしれない。それが、何よりも恐ろしかった。
「出て行ってくれ……頼む……。俺から離れてくれ……」
布団の中、掠れた声でそう言ったとき、妻はそっと彼の手を握った。
「……ばか。そんなのもう、どうでもいいでしょ」
隣には、娘の陽菜がいた。頬が赤い。熱がある。
そして、まだ幼い真人が、真一の腕の中に潜り込むようにして寄り添っていた。
「みんな……ごめん……」
涙が滲んだ。
守りたかった。絶対に、守ると誓ったのに。
「大丈夫だよ、パパ……」
陽菜が、細く優しい声で言った。
「うつったって、いいの。最後まで、家族で一緒にいるの」
まだ8歳の娘のその言葉が、まるで聖女のように胸を打った。
「ママと、姉ちゃんと、パパと……おれ、ずっと一緒がいい」
真人が無邪気に笑った。
壊れた世界の中で、もう何を選んでも、正解なんてない。
なら、せめて――最後の瞬間まで、愛する人と一緒にいたい。
それが、真一がくだした唯一の「正解」だった。
ほんの数日だった。
家族で寄り添って、眠って、笑って、泣いて、抱きしめあった。
陽菜が、真人が、そして佐奈が、静かに眠っている。
誰の顔も穏やかで、まるで幸せな夢を見ているようだった。
「ありがとう……ごめん……愛してるよ、みんな……」
朦朧とする意識の中で、彼が最後に見たのは、眠る妻と子どもたちの穏やかな寝顔だった。
***
――そして、光の中で、目を覚ました。
小さな身体。眩しい朝。誰かの子守唄。
「(……まだ……生きてる?)」
ぼんやりとした意識の中で、浮かび上がる光。
その時、はっきりと聞こえてきたのは、陽菜の声だった。
『パパぁーーーっ! やっと! やっと会えたぁぁ!!』
陽菜の声が、真一の心に深く響く。
それは、ただの叫びではなく、まるで光の精霊としての祝福そのものであった。
彼女がどれほど待ち望んでいたかが、伝わってくる。
そして、すぐに隣から、別の声が聞こえた。今度は、真人の元気な声だ。
『パパ起きてよかったぁ! 俺も姉ちゃんも頑張ったんだよ!』
「(……陽菜、真人……)」
心が震え、涙が溢れそうになる。
目の前に、確かに二人の姿が浮かび上がる。
もう二度と離れまいと手を伸ばそうとするが、うまく動かない。
『パパ、安心して! 私たち、ずっと一緒だからね!』
陽菜の言葉は、ただの慰めではない。
それは、まるで神のような確信に満ちた言葉だった。
真一が目を閉じ、ただ夢を見ていたのではない。
これは、間違いなく現実だ。
そして、これから始まる新たな物語が、彼を待っているのだと感じた。
その言葉に、真一の心は一瞬で晴れやかになった。
陽菜のその「大丈夫」の一言に、すべてを託すことができると思った。
家族は決して、今世でも永遠に切れない絆で結ばれている。
そして、その後に続く声。
今度は陽菜が言った、どこか嬉しそうな声だった。
『パパ、ママはね……もうすぐ転生するんだって!』
その言葉が、真一にとっては何よりも光に満ちて感じられた。
陽菜の声から、彼女の胸の内にあふれる喜びが、まるで空気そのもののように伝わってきた。
『少しだけ、時間はかかるけど……でも、絶対に! 家族はまた一緒になるから!』
その言葉に、真一は改めて全身が震えた。
そして心の中で、決意が固まる。
今度こそ、絶対に家族を守る。
転生したこの体で、前世の自分とは違う――強く、しっかりとした父親にならなければならない。
「(……ありがとう、陽菜、真人……)」
彼は静かに目を閉じる。
「(佐奈……待っててくれ。必ず、再び家族として出会うんだ)」
それが、今度の人生での、最初の願いだった。
陽菜の言葉が胸の中で響く。
彼はもう一度、前を向いて、心を新たに誓った。
今度こそ――家族を守り抜くために。
そして、すべてが一つになるような、温かな光の中で――
家族の絆が、今、再び深まる瞬間を感じた。
そしていつか、また全員で笑い合える日を、彼は静かに夢見た。
はぁ~‥‥。各務家には幸せになってほしいもんです。