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白の牢獄と鍵の影

作者: のみ

 その世界は、能力を持つ者と持たない者に二分されていた。能力者は人口のわずか1%にも満たず、能力の種類は多岐にわたる。薄暗い路地をほのかに照らすだけの微弱な光を発する者から、炎を自在に操り、身体能力を何倍にも高める者まで。しかし、どんな能力も、国が定めた「封印器具」の装着を義務付けられていた。冷たく重い金属でできた首輪や手枷は、能力を抑制する一方で、装着者には月々の補助金が支給された。

 名目上は「心身を縛る代償」への補償だったが、誰もが知っていた。それは、能力者が暴走しないよう管理するための枷に他ならない。



 街の外れには、能力者専用の居住区があった。灰色のコンクリートで囲まれた区域で、能力者たちは補助金で細々と暮らしていた。非能力者との接触は最小限に抑えられ、街角では「能力者狩り」と呼ばれる暴行事件が後を絶たなかった。能力者であることは、才能ではなく呪いだと誰もが口にしていた。


 そんな世界の片隅に、真っ白な建物が佇んでいた。世間では「神の社」と呼ばれ、どこか神秘的な信仰の対象として語り継がれていた。曰く、"神様"がそこに住まい、奇跡を起こすと。しかし、誰も神様の姿を知らない。白い壁に囲まれた最深部には、一人の人間が幽閉されていた。部屋は特殊な素材で作られ、能力を封じる機能が備わっていた。封印器具では抑えきれぬ力を持つ者を閉じ込めるための牢獄だ。


 その者の名は知られていない。性別も年齢も不明。だが、能力だけは知られていた。「全能」。望むこと全てを叶える力。何かを生み出し、消し去り、変えることさえ可能だ。あまりにも強大すぎるがゆえに、恐れられ、閉じ込められた。


 部屋の壁は無機質な白に塗られ、窓一つなく、ただ静寂が支配していた。無数の監視カメラが天井から冷たく見下ろし、微かな機械音が時折響く。長い髪を床に広げた神様は、部屋の中央に座り、膝を抱えていた。首に嵌められた封印器具は、冷たく光る金属でできており、微弱な電流が絶えず流れる仕様だった。能力を抑えるため、そして精神を疲弊させるため。


 神様は、かつての記憶を繰り返し思い出すことで時間を潰していた。能力が発覚した日、家族の怯えた顔、街から引きずり出される瞬間。そして、この白い牢獄に閉じ込められた最初の夜。希望という言葉は、最初の数年で色褪せ、ただ虚無だけが残った。力を制御しようと試みたこともあったが、封印器具の電流がそのたびに脳を焼き、痛みだけが刻まれた。


「何のために生きているのだろう」と、神様は呟いた。声は小さく、誰にも届かない。監視カメラの赤い光が、無感情に瞬くだけだった。



 ある夜、白い建物の静寂を破る音はなかった。警報も鳴らぬまま、一つの影が建物内に忍び込んでいた。監視員たちが目を光らせる中、その影はまるで空気のように滑り込み、足音一つ立てなかった。名はカイ。能力者だ。能力は「開錠」。物理的な鍵を開けるだけでなく、人の心の鍵さえも開くことができる。閉ざされた扉も、警戒心も、カイの前では意味をなさなかった。


 カイの目的は単純だった。神様を解放すること。それが、能力者全体の運命を変える第一歩だと信じていた。カイ自身、幼い頃に親を「能力者狩り」で失い、以来、国の管理体制に反発してきた。封印器具を外す技術を独学で学び、地下で活動する能力者たちのネットワークに加わっていた。だが、神様を助けるという計画は、仲間たちからも無謀だと笑いものだった。それでもカイは決めた。誰かが動かなければ、何も変わらない。


 最深部の部屋に辿り着いたとき、カイは初めて立ち止まった。分厚い鋼鉄の扉の向こうに、神様がいる。無数の電子錠が施された扉は、通常なら数時間かけても開けられない構造だった。カイは指先を軽く扉に触れさせ、目を閉じた。微かな振動と共に、複雑な錠が次々と外れる音が響く。能力を使った瞬間、カイの額には汗が滲んだ。心の鍵を開けるよりも、物理的な錠を開ける方が体力を消耗するのだ。


 扉がゆっくりと開き、薄暗い部屋の中が露わになった。そこには、長い髪を床に広げた姿が静かに座っていた。無数の監視カメラに囲まれながらも、その存在はどこか現実離れしていた。カイが一歩踏み出すと、神様はゆっくりと顔を上げた。驚きも恐怖も見せぬ瞳が、カイをただじっと見つめた。


「ここへ何をしに来た?」声は静かで、感情の色をほとんど帯びていなかった。長い幽閉の中で、感情さえも薄れてしまったかのようだった。


 カイは肩をすくめ、部屋の隅に腰を下ろした。監視カメラの存在を無視するかのように、気軽な口調で言った。

「出て、自由に暮らしてみたくないか?」


 神様は一瞬、目を伏せ、小さく首を振った。「無理だ。出られないんだから。出たところで、追い詰められるだけだ」


 カイは小さく笑った。

「出られるよ。俺と一緒なら。俺が鍵を開ける。物理的なのも、心の鍵もな」


 神様はカイの言葉に、初めて微かな動揺を見せた。だが、すぐに顔を背け、呟いた。

「自由なんて、知らない。もう思い出せない」


 カイは黙って立ち上がり、神様に近づいた。首に嵌められた封印器具を一瞥し、神様の目を見て宣言した。

「なら、思い出させてやるよ。少し我慢しろ。こいつを今外してやるから」



 カイは全能の者の首に嵌められた封印器具に手を伸ばした。冷たく光る金属は、複雑な電子回路が埋め込まれた構造で、触れるだけで微弱な電流が指先に走る。カイは小さく舌打ちし、再び器具に触れた。

「我慢しろよ。ちょっと時間かかるかもな」


 全能の者は黙ってうなずき、目を閉じた。長い幽閉生活の中で、痛みには慣れていた。だが、カイの手が器具に触れるたび、微かな振動と共に過去の記憶が蘇る。能力が発覚した日、家族が自分を拒絶した瞬間、封印器具を初めて嵌められた時の焼けるような痛み。全てが頭の中で渦巻き、感情の波が押し寄せてくる。


 カイは器具の構造を解きながら、ふと呟いた。

「何でもできるんなら、閉じ込めるより活用したほうがいいと思うけどな……。この世界、腐ってるよ。能力者も非能力者も、誰も幸せじゃない」


 神様は小さく首を振って、どこか自嘲気味に答えた。

「何でもできるってことは、何をするかわからないってことでもある。怖いんだよ、みんなにとって。…私にとっても」


 カイは一瞬手を止めて、神様の横顔を見た。その瞳には、長い孤独の中で蓄積された諦めと、微かな恐怖が宿っていた。監視カメラの赤い光が、薄暗い部屋で不気味に瞬いている。カイは再び手を動かし、器具の最後のロックを外した。微かな音と共にそれは床に落ち、瞬間、部屋の能力封印機能が軋み、けたたましいブザーが鳴り響いた。


 壁に埋め込まれた赤いランプが点滅し、遠くから監視員たちの足音が近づいてくる。カイは即座に立ち上がり、神様の腕を掴んだ。

「逃げるぞ! 急げ!」

 神様は一瞬躊躇したが、カイの力強い手に引かれて立ち上がった。長い幽閉生活が体を衰えさせ、足元がふらつく。それでも、カイが手を離さず引っ張るたび、前に進むしかなかった。


 白い廊下が続く建物内を、二人は駆け抜けた。監視員たちの叫び声が背後に迫り、金属の床を叩くブーツの音が響く。全能の力は封印から解き放たれていたが、長い抑圧が精神を蝕み、思うように力を制御できない。壁を突き破る力も、監視員を吹き飛ばす力も、頭に浮かんでは消えるだけだった。


「右だ!」カイが叫び、角を曲がった瞬間、目の前に武装した監視員が立ちはだかった。黒い防護服に身を包み、電撃棒を構えた男たちが、無感情な目で二人を見つめる。カイは素早く手を動かし、近くの扉の錠を開けた。「こっち!」


 狭い通路に逃げ込んだ瞬間、背後で電撃棒が放つ鋭い音が響いた。神様は走りながら、ふと力を試してみようと思った。だが、力を解放しようとした瞬間、頭の中に鋭い痛みが走り、膝から崩れ落ちた。封印器具の電流が脳に刻んだトラウマが、能力を使うことを拒絶していた。


 カイが振り返り、神様を抱え起こした。「大丈夫か? 無理すんな。力は後でいい。まずは逃げるんだ!」


 長い廊下の果て、ようやく外の空気に触れたとき、夜風が髪を揺らした。星が瞬く空の下、神様は立ち止まり、息を切らして呟いた。

「このまま追い続けられるのは無理だ……。どこへ逃げても、捕まるだけだ。」


 カイは夜空を見上げ、静かに笑った。

「じゃあ、世界をやり直そう。」

 神様は目を丸くした。

「やり直す?」


「ああ。何でもできるんだろ? なら、この腐った世界を終わらせて、新しい世界を作ればいい。能力者も非能力者も、誰もが縛られずに生きられる世界を」

 カイはそう言って、神様と並んで地面に腰を下ろした。遠くから響くサイレンの音が、夜の静寂を切り裂いていた。



 神様はしばらく黙っていた。カイの言葉が胸の中で反響する。新しい世界。誰も縛られない世界。そんなものが本当に作れるのか? 長い幽閉の中で、力を制御することさえ怖くなっていた。だが、カイの確信に満ちた声が、心の奥底に小さな火を灯した。


「…もし、新しい世界を作ったら、私も変われるのかな」

 神様は小さく呟き、カイを見た。初めて会った時から、彼の言葉にはどこか人を動かす力があった。彼の能力が、そうさせるのかもしれない。


 カイは肩をすくめ、軽く笑った。

「さあな。やってみなきゃわかんねえだろ? でも、少なくともここで終わるよりマシだ。俺はもう、逃げ回るだけの人生は嫌だ」


 その言葉に、神様は小さく頷いた。初めてできた友との別れが惜しかったが、カイの提案に希望を見出した。新しい世界を作るなら、カイと自由に過ごしてみたい。そんな思いが、胸の中で膨らんでいく。


「次の世界では、おまえから迎えに来てくれよな」

 カイがそう言って、神様の肩を軽く叩いた。


 その一言で、覚悟が決まった。神様の瞳が光り、世界が白く染まり始めた。風が止まり、音が消え、ただ白い光が広がっていく。サイレンの音も、監視員たちの叫び声も、全てが遠ざかり、静寂だけが残った。


最後に、神様はカイに向かって小さく微笑んだ。

「またね」


 その声が響いた瞬間、世界は新たな一歩を踏み出した。白い光の中に、カイの笑顔が最後に見えた。神様……と呼ばれていた人物は目を閉じ、新しい世界の形を思い描いた。能力者も非能力者も、誰もが自由に生きられる場所。

 彼との再会の願いを込めて。

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