8話 贈りもの
「明日は午後からデザイナーが来ることになったから同席しなさい」
「明日、ですか。明日はその……」
「友人との約束はキャンセルなさい」
母はエレノーラの予定を知っていながら、娘の意思はお構いなしで予定を組んだようだ。
家に呼んだデザイナーは王族の衣装を手掛けたこともある意匠で、なかなか予約が取れない人物。
そちらのほうが優先されるべきだと長々と説明を続けた。
「ですが、その、ずいぶん前から決まっていたことなので……」
「相手は子爵家の娘でしょう。取りやめるか日程をずらせばいいだけでしょう。どちらを優先させるかなんて考えるまでもありません」
「っ、そんなわけには……」
前々からの約束を無下にできないと、エレノーラはいつもより頑張って食い下がろうとした。
しかしまともに聞いてもらえなければ意味がない。
言葉を被せるように続けられる母の言い分。それを黙って受け入れる道しか初めから存在しない。
「……分かりました」
エレノーラは小さく了承した。
部屋に戻ったエレノーラは、紙にペンを走らせてお断りする旨と詫びの言葉を綴った。
手紙が相手の家まですぐに届くように、ケイトに手配を頼み終えると、ソファーでクッションを抱きしめた。
「楽しみにしてたのにな……」
心を沈ませてクッションに顔を埋めた。
翌日の午後。家を訪れたデザイナーとの打ち合わせが始まった。
エレノーラは母と並んで座り、長机の上に並べられた数十枚のデザイン画に目を通す。
(これ……素敵)
攻めた大人っぽいデザインが並ぶ中、シンプルで可愛らしいものを見つけ、エレノーラの目は釘付けになった。
その様子に気付いたデザイナーが笑顔で話しかけてくる。
「お嬢様、お気に召すものがございましたでしょうか?」
「はい、こちらの────……」
「それは地味すぎるでしょう。あなたには似合わないわ」
母はエレノーラの意見をバッサリ切り捨てた後、一枚のデザイン画を手に取った。
「これなんて素敵ね。この部分をもう少し大胆に開いて、大人っぽさを出せないかしら」
母はデザイナーと二人で意見交換を始めた。
そこにエレノーラの好みが取り入れられる余地はない。
自分がここにいる意味はあるのだろうか。
エレノーラは疑問を抱きながら静かに微笑んでいた。
(私の誕生日プレゼントなのに……)
思えば、誕生日に母から渡されるものに、自分好みなものがあったことなど一度もない。
何がほしいのかと聞かれたことすらない。
幼少期からそうであった。
母が選んだ宝飾品に靴。侯爵家の娘として恥ずかしくないよう、それが一番重要視されたもの。
あなたのために選んだのよと言って渡されるものたちは、キラキラとして高級感に溢れているものばかり。
だけど心惹かれるものは一つもなかった。
結局この日も母が選んだドレスに決まり、エレノーラの出番は採寸のみ。
(体のサイズなんて、半月前に測ったばかりなのに……)
その時の記録があれば十分なはずで、彼女がこの場にいる意味は本当になかった。
それから一ヶ月経ち、エレノーラの誕生日当日を迎えた。
「おめでとうございます。これは庭師から、こちらは私からのプレゼントです」
「わぁ……可愛い。ありがとう」
朝起きてすぐにケイトから手渡されたものは、エレノーラが好きな花が使われた栞と、ドライフラワーの小さなブーケ、手のひらサイズの茶色い犬のぬいぐるみだ。
どれも素朴な温かみがある。
ブーケとぬいぐるみはベッドサイドの引き出しにしまい、栞はまだ読んでいない新しい本に挟んでおいた。
そのまま置いておくと、母が部屋に入ってきた時に捨てられてしまう恐れがある。
朝から幸せな気持ちに満たされながら身支度を整えた。
母は今日は観劇の予定があるため機嫌がいい。
朝食の時間は比較的穏やかな気持ちで過ごすことができた。
朝食を終えると、馬車で学園に向かった。
教室に入るとすぐに、エレノーラは令嬢たちに一斉に囲まれた。
「エレノーラ様、おめでとうございます。こちらはお祝いの品ですわ」
「どうぞ」
「おめでとうございます」
差し出されたのは小さな箱や紙袋など。どれもリボンや花で可愛らしく装飾されている。
「ありがとうございます。大切にしますね」
エレノーラは笑顔で受け取って席につく。
机に置いた箱や袋を穏やかな顔で眺めていたら、ブリジットが登校してきた。
「おめでとうございます。本当は聖獣様の抜け殻をプレゼントしたかったのですが、どこにも見つからなくて。ですのでこれをどうぞっ!」
ブリジットはしょんぼりしながら近づいてきたかと思えば、照れ臭そうに笑いながら机の上に小さな革袋を置いた。
袋の中からは、ジャラッと石が擦れるような音が聞こえた。
「ブリジットさん、あなたまさか聖獣様に挑みに……」
エレノーラは、以前ブリジットが聖獣に負けないと豪語していたことを思い出して青ざめる。
しかしブリジットはカラリとした笑顔で手を横に振った。
「いえいえ、さすがに戦っていません。神々しい赤いバリアで身を守っていて、あまりの美しさに見惚れてしまいました!」
「会いに行ったのは確かなのね……無事で良かったわ」
聖獣が棲む森には数多くの魔物が棲息するという。本当に破天荒なことをする子だと肝を冷やした。
この国では蛇の抜け殻は縁起物とされているが、自分で探しに、それも聖獣と呼ばれる神聖な生き物の抜け殻を探しに行く令嬢なんて、ブリジットくらいだろう。
ついでに闘いを挑んだわけではないようでホッと胸を撫で下ろした。
二人で話していると予鈴が鳴ったので、エレノーラは机の上のものを全て鞄に仕舞った。
放課後になると、ナディア、オリヴァー、クリフの三人から数冊の本をプレゼントされた。
この日のために他国から取り寄せたと聞いて、エレノーラは涙を浮かべた。
「あーあ。泣いちゃった」
「私が泣かせたみたいな目で見るのはやめてくれるかな」
「ですが手渡したのはオリヴァー様ですから、あなたの責任ですよ」
教室内にはもう他の生徒の姿はないため、気心の知れた三人以外の目を気にしなくていい。
今日一日の幸せな気持ちを噛み締めながら思い切り泣いた後は、オリヴァーがエレノーラの目元にそっと手をかざした。
「これでよし、と。さ、帰ろうか」
「……はい。いつもありがとうございます」
「どういたしまして」
目元の赤みは引いたけれど、間近で見る美しい笑顔には慣れそうにない。
四人で教室から出ると、オリヴァーには護衛の二人が付き従った。
エレノーラはナディアと並んで廊下を歩きながら、真っ白な髪を揺らして歩く後ろ姿に熱のこもった視線を向けた。
(こうやって学園で一緒にいられるのも今年で終わりか……)
放課後になるとしんみりしてしまうのはいつものことだが、今日は特に寂しく感じてしまう。
(……早く帰ってこの本を読みたいな。プレゼントを開けるのも楽しみ)
沈んでいく気持ちをどうにか上げようと、楽しいことを考え始めた。
エレノーラは本が好きだ。
読書中は辛いことも悲しいことも忘れられる。その上、新たな知識も身に付く。
いつかオリヴァーの隣に立てる日が来たなら、豊富な知識は必ず役立つはずだ。
(……あぁ、だけど誕生パーティーではきっと婚約者を選ぶはずだから、それでもう一緒にいられなくなるかもしれないんだ)
自分が選ばれなかった時は、もう友人ではいられないだろう。
***
家に到着したエレノーラは、母が居間で待っているから行くようにとケイトから言伝を受けた。
手荷物をケイトに託してさっそく向かう。
居間にはソファーに座る母とお茶を淹れている使用人、そして華美なドレス一着がドレスフォームに飾られていた。
裾が控えめに広がり、肩や胸元、背中を大胆に出した赤いドレス。色もデザインも細部まで母が決めたものだ。
「美しいでしょう。あなたへの誕生日プレゼントよ」
母は優雅にお茶を飲みながら、得意げに微笑んだ。
「とても素敵なものをありがとうございます」
「そうでしょう。来週の殿下の誕生パーティーはこれで行きなさい」
「……はい」
「ふふ。会場中の視線を独り占め間違いなしだわ。殿下だってさすがに焦るでしょう」
母は目を細めながら鼻をフンと鳴らした。
エレノーラとオリヴァーが友人関係の枠を出ないことに苛立っていた母は、攻めたドレスで彼を煽ることにしたようだ。
それでなくても、十七歳を過ぎてもまだ婚約者を作ろうとしないオリヴァーは王族としては異例。
さすがに今回のパーティーで何かしらの動きを見せるはずだと憶測されていた。
母からドレスの披露とその他宝飾品を見せられ、侯爵家の娘としての心得を長々と聞かされ、エレノーラはぐったりしながら自室に戻った。
「うう……あんなに派手で露出の多いドレスなんて着たくない……」
ベッドに顔を埋めて弱々しく嘆いた。
何一つとして自分好みな要素がないだけでなく、上半身の露出が多すぎる。
貴族の娘としての品を失わない程度の露出なのだろうが、エレノーラには無理だ。
真っ赤な色と相まって、会場中の視線を集めるのは間違いない。
ただでさえ人の視線は怖いというのに、余計に注目を浴びるなんて嫌に決まっている。
エレノーラはごろんと仰向けになり、天井を見つめた。
「オリヴァー様も十八歳かぁ……」
自分と誕生日が近いことがずっと嬉しかったが、今年だけは彼はもっと遅くに生まれてほしかったと思ってしまう。
せめて学園の卒業式間近に誕生日を迎えてくれれば、あと数ヵ月は楽しい気持ちでいられたのに。
「……そうだ。プレゼント見よう」
エレノーラはサイドテーブルに置かれた鞄の存在を思い出し、中からいくつかの箱と袋、本を取り出した。
学友たちは皆、エレノーラにどのようなものを好むのかと事前に聞いてくれた。
エレノーラは『どんなものでも嬉しいけれど、できるだけ小さなもの、素朴で可愛らしいものが好きです』と答えた。
母から隠すには小さい方がいい。
箱と袋の中には雑貨や砂糖菓子など、小さくて可愛らしいものが沢山入っていた。
「ふふっ」
自然と顔が綻ぶ。
自分のためを思って選んでくれたことが本当に嬉しい。
ブリジットがくれた革袋は特にワクワクしながら開けた。
「わぁ、やっぱり」
期待通りのものが出てきて感嘆の声が漏れる。
中から出てきたのは色とりどりの魔石。
魔物から採取することができる魔石は、アクセサリーに使われたり魔道具に組み込んで使われたりする。
エレノーラはアクセサリーになったものより、原石のままの方が好きだった。
「綺麗……」
机の上に石を並べて、しばらく見入っていた。
満足したところで袋の中に戻し、引き出しに仕舞った。
母に見つかると、趣味でないアクセサリーに加工されてしまう。
はあと一つ溜め息を吐くと、数冊の本の中から一冊を選んで読み始めた。
本は他国の言語で書かれているが、エレノーラはそれを完璧にマスターしているため、すらすら読むことができる。
本は落ち着いた表紙と題名から想像していたものと違い、エレノーラ好みの楽しい話だ。
この本を選んだのは、多言語を習得しているオリヴァーで間違いないだろう。そう思うと温かな気持ちになる。
「選ばれたいな……」
来週のパーティーのことを思い、小さく願いを口にした。