6話 勘違いしてはいけない
オリヴァーは舞台の真ん中に設置された演台の前に立った。
その顔に笑みはない。
緑色の瞳を鋭く光らせて、静かに全体を見渡す。
ホールの端から端までゆっくりと視線を移す。それは何かを刈り取ろうとしているような、絶対的強者の視線。
彼から放たれる威光に空気が張り詰めて、皆が居住まいを正していく。
大勢からの視線を一身に浴びているのはオリヴァーの方だというのに、生徒たちの方が一挙一動を注視されているような感覚に陥っていた。
微動だにできず、息が詰まる。
オリヴァーはそれを確認すると、いたずらが成功した子供のように無邪気に笑った。
ホール内の空気は穏やかなものに入れ替わり、美しくも可愛らしい笑みにあちこちから感嘆の息が漏れる。
「新入生の皆、入学おめでとう。私はオリヴァー・スタンフィールド。この国の第一王子であり今日から君たちと勉学を共にする仲間でもある」
演台に設置された魔道具、青い石が付いた拡声装置により、オリヴァーの声は大ホール全体へと行き渡った。
堂々としながらも柔らかな口調からは、威厳と人柄が滲み出ている。
遠目でも分かる美しさに、女生徒のみならず男子生徒も見惚れていた。
(すごい……さすがオリヴァー様)
エレノーラも例外でなく、見惚れると共に敬意を抱いていた。
祝典などの催し物がある際、この国の王太子であるオリヴァーは挨拶を述べる機会が多々ある。
幼い頃からずっとそれを目にしてきたエレノーラにとって、いつも変わらず堂々としているオリヴァーは憧れそのものだ。
「この学園では爵位は関係なく交流を深めていってほしい。豊かな人脈や多彩な情報は君たちに必要不可欠であり、望む未来への道標となる。そして……」
何も見ずにスラスラと話していたオリヴァーだが、急に言葉を止めた。
彼は腕を組みながら天を仰いだ後、照れくさそうに頬をかく。
「失礼。大勢の前で話すのは久しぶりでね、こう見えてすごく緊張してるんだ。さて、何を話そうと思っていたか」
首を傾げながらそう言うと、あちこちからクスクスと笑い声が聞こえてきた。
オリヴァーは笑われていることに少しも動じず、穏やかな表情だ。
「笑うなんてひどいな。君たちもこの場に立ってみれば私の気持ちが分かるよ。何なら誰か交代してくれるかい? アイザック、君なんてどう?」
名指しされた学友は、両手を前に出して全力で拒絶した。
あちこちからまた笑い声が聞こえる。
その後、オリヴァーは何事もなかったかのようにまたスラスラと話しだし、彼の祝辞は終了した。
舞台袖に戻ってくると、向かった時と同じようにエレノーラの肩をポンと叩いた。
「失敗してしまったよ。大勢に笑われるとさすがに傷つくんだけどな。君は私と同じ轍を踏まないよう、健闘を祈るよ」
「っ、はいっ……!」
「ふふ、気楽にね」
オリヴァーからの激励にエレノーラは力強く答えた。
目を閉じてすうと深く息を吸い込んで、恐怖心や緊張をどこか遠くへと追いやっていく。
自分は由緒ある侯爵家の娘。持って生まれた品格とたゆまぬ努力で身に付けた胆力がある。
だから大丈夫。
必ず成功すると心を強く持ち、ゆっくりと目を開けて歩き出した。
ナディアと並んで演台の前に立つと、オリヴァーと同じように全体を見渡した。
誰もが自分に注目し、憧れに満ちた眼差しを向けてくる。
(大丈夫……いつものようにすればいいだけだから、大丈夫……)
先ほどまでここに立っていたオリヴァーの姿を頭に思い浮かべる。
彼はエレノーラの緊張をほぐすため、わざと失敗してくれた。幼い頃から付き合いのある彼女にはそれが分かる。
自分も彼のように胸を張って堂々とできたなら。理想とする姿を頭に思い浮かべる。
エレノーラはお腹の前で両手を重ねて背筋を伸ばした。
目の前の拡声装置にはオリヴァーがたっぷり魔力を含ませてあり、エレノーラも問題なく使える状態だ。
顎を軽く上げて微笑むと、祝いの言葉をなめらかに紡いでいった。
***
控室でぐったりしているエレノーラには、数分間の記憶がない。
気付いたら舞台袖に戻っていて、その場にへたり込んでいた。
頭上から覗き込むナディアとオリヴァーからお褒めの言葉をもらえたので、どうやら自分はきちんと務めを果たせたようだと胸を撫で下ろした。
どうにか立ち上がると、来た時と同じように護衛騎士に付き添われたオリヴァー、ナディアと共に控室に戻った。
ぐったりしながら椅子に座り、目の前の机に突っ伏した。はしたないと思いながらも、力が入らないのだから仕方ない。
しばらく立ち上がれそうになさそうだ。
本来なら挨拶を終えると大ホールの後方扉から静かに入り、入学式に途中参加するものだが、そんな余力は残っていない。
「あの……私のことはお気になさらず行ってください」
脆弱な自分に付き合わせるのは申し訳ない。エレノーラは机に顔をつけたまま横を向き、近くに座るオリヴァーとナディアに弱々しい声で言った。
「気にしなくていいよ。私も朝から気を張って疲れたんだ」
「私もここにいたくているだけだから気にしなくていいわ。正直、長々と話を聞くのは苦手なの」
「ははは。それは言ってはいけないよ」
「他に誰も聞いていないからいいでしょう。堂々とサボれて役得よね」
オリヴァーはどこまでも爽やかに笑い、ナディアはふふんと鼻を鳴らした。
エレノーラはぐったりしながらも、大好きな二人がそばにいてくれることが嬉しい。
(ずっとこんな関係でいられたらいいのに……)
幼少期から変わらず仲良くしている二人は、エレノーラにとってかけがえのない友人だ。
数十分後には入学式も終わり、三人は教室へ戻った。
「お疲れさま」
オリヴァーはひらひらと手を振って、隣のクラスへと入っていった。
ナディアはエレノーラと同じクラスなので、一緒に教室に入る。
「エレノーラ様! とても美しくて凛々しくて格好よくてとにかく素敵で……! お言葉の一つ一つが心に染み渡っていくようで感動いたしました!」
エレノーラが教室に入るやいなや、さっそくブリジットが興奮気味に駆け寄ってきた。
「堂々とされていて惚れ惚れいたしました」
「本当にご立派でした」
ブリジットの言葉を皮切りに、女生徒達も賛辞を寄せてくる。
「ありがとうございます」
微笑みながらお礼を口にすると、すぐに教師が入ってきたので、全員席についた。
その後のことはよく覚えていない。
気付いたら帰りの馬車に揺られていて、いつの間にか自宅に到着していた。
ケイトに鞄を渡し、ふわふわした足取りで廊下を進む。自室に入ると、制服のままベッドに飛び込んだ。
頭がぼんやりとしていて、熱っぽい気怠さを感じる。
「そのまま寝かせてあげたいのですが、着替えておかないと奥様に怒られてしまいますから」
ケイトは眉尻を下げながらそう言うと、エレノーラをころんと転がして仰向けにし、制服のボタンに手をかけた。
されるがままぼーっと天井を見ているエレノーラの衣服を剥ぎ取ると、ささっと部屋着のワンピースを着せた。
「夕食のお時間になりましたら、お迎えにあがります」
「……わかったわ」
肌掛けをふわりとエレノーラに被せ、ケイトは部屋から出ていった。
パタンと扉が閉まる音が聞こえると、エレノーラの意識は眠りの中へとゆっくり沈んでいく。
(あぁ、また同じ夢を見るのかな……)
内容はいつも覚えていないけれど、辛く悲しい気持ちだけが残る夢。
母に叱られた日やオリヴァーと関わった日、彼のことを考えながら眠りについた日は必ずといっていいほど見ている。
(辛い気持ちを抱くのは現実だけで十分なのに……)
彼と話せた日は、いつも幸せな気持ちになる。
だけど優しさに勘違いしてはいけない。そう自分に言い聞かせては胸が痛んで苦しくなる。
彼には幼少期からずっと変わらず、想い続けている相手がいるのだから。




