3話 茶会
エレノーラが住むティレット侯爵家別邸の敷地内には広大な庭園がある。
芝生は美しく刈られ、手入れの行き届いた花壇は様々な季節の花に彩られていた。
アーチ状に誘引されたバラは見事に咲き誇り、芳醇な香りを放つ。
それらが見渡せるガゼボには円いガラステーブルがニ台。繊細な草花の刺繍が施された白いテーブルクロスがかかっていた。
侯爵家別邸の前に次々と到着する馬車。
美しく着飾った令嬢が一人、また一人と降りてきて、茶会の場にやってきた。
エレノーラは一人ずつ丁寧に席へと案内していった。
「こんなに美しい景色を見ながらお茶を楽しめるのね。なんて贅沢なのでしょう」
「本当に見事ですわ」
「ご覧になって。このクロスの刺繍はエレノーラ様が刺されたものに違いありません」
「ここまで繊細なものを作りだせるなんてさすがエレノーラ様。美しくて淑やかなだけでなく才能豊かで本当に憧れます」
先に集まった三人の令嬢は、テーブルに視線を落としながら感嘆の声を漏らした。
それらはエレノーラの耳にしっかり届く。
少しの嫌味も含まれていないストレートな褒め言葉だったが、照れ臭さや嬉しい気持ちを抱く余裕はない。
侯爵家の娘として恥じることのない振る舞いができているようだと、一抹の安心感を覚えるだけ。
しかしそれも一瞬。すぐに重圧に押し潰されそうになる。
(うう……早く終わって……)
まだ始まってもいない茶会の終了をただ願う。
七名の客人を席まで案内し終えると、誰にも気付かれないように深呼吸を繰り返した。
どれだけ吸っても息苦しさは消えない。
今は誰もが美しい景色に夢中になっているため気づかれはしないと、時間が許す限り深呼吸を繰り返した。
これからエレノーラは二つのテーブルに向かって挨拶をし、茶会の始まりを告げなければならない。
全員の耳にしっかり届くように声を張らなければならないのだ。
聞き苦しくない美しい声で。笑顔で堂々と。
言葉を詰まらせたり緊張で声が震えるなんて言語道断。あってはならないことだ。
(大丈夫……もう何度もしてきたこと。ここ数年は一度も失敗していないのだから、大丈夫)
自分は由緒正しき侯爵家の娘。だから大丈夫。いつものように何度も自分に言い聞かせて、すぅと息を吸い込んだ。
「皆さま、本日は私、エレノーラ・ティレット主催の茶会にお越しくださり真にありがとうございます。精一杯おもてなしいたしますので、心ゆくまでお楽しみくださいませ」
よく通る澄んだ声でゆっくり挨拶し、庭園の見所や本日の茶菓子について説明を始めた。
短すぎず長すぎず、適切な時間で話し終えると淑女の礼をとった。
前を向いて微笑む凛とした美しさに、令嬢たちは感嘆の息を漏らす。
エレノーラは皆から向けられる視線に憧れと尊敬の念が含まれていることを感じ取り、どうにか上手くやれたのだとホッと胸を撫で下ろした。
(良かった……最初の挨拶さえ終われば、後は微笑んでいるだけで大丈夫……)
早鐘を打つ心臓を押さえながら自分の席につくと、ケイトが淹れてくれた紅茶を一口飲んだ。
横に目をやると、目が合ったケイトは一度だけパチンと片目を閉じて口元に笑みを浮かべた。
それだけでエレノーラの胸の鼓動はずいぶんと収まる。その代わり泣きそうになってしまうけれど。
令嬢たちは皆おしゃべり好きで、茶会の開始と共に楽しく語らい始めた。
「オリヴァー殿下はまだ婚約者をお決めにならないのかしら」
令嬢の一人がそう切り出した。
いつも決まって話題になるのが、この国の第一王子の婚約者選びについてだ。
「もうさすがにそろそろ……ですわよね」
「噂によると、王太子の座を幼い弟君にお譲りしようとなさっているのだとか。ですが陛下がお許しにならないようです」
「それはそうでしょうね。優秀なお方ですもの」
「次期国王として確定なのに、婚約者を作らないことに何か事情がおありなのかしら」
「その辺りについては一切耳に入ってこないのは、なぜでしょうね」
「謎ですわ」
第一王子について話し始め、謎という言葉で締め括られるまでがいつもお決まりの流れ。
エレノーラは積極的に会話に参加することはないが、彼女たちの話にしっかり耳を傾けて相槌を打つ。
笑みを崩さず話に共感することにより、好印象を与えられるよう心掛けた。
令嬢たちの話が尽きることはなく、すぐに次の話題が始まる。
「さすがカレン様! いつも流行を先取りですね」
「王都にはいつ入ってくるのかしら?」
「父の知り合いの商会ではもう契約が成立していると聞きましたし、早くて再来週あたりでしょうか」
「それは楽しみです」
今日は特にお喋り好きの令嬢が一人いる。
その人を中心に盛り上がっているため、エレノーラは全くといっていいほど口を開かずに済む。
他国の人気商品について熱く語り合う中、エレノーラは心から感謝しながら、リラックスしてお茶を楽しんでいた。
「はぁー、早くお目にかかりたいですわ」
「ふふ……実は我が家ではすでに入手済みなんです。それでですね、エレノーラ様っ!! もしよろしかったら────」
ガチャンッ。
令嬢の話を遮るように、白磁器がぶつかる音が響いた。
しんと静まり返る中、エレノーラの目の前には欠けたカップが転がっている。
入っていたお茶が残り僅かだったため、中身が飛び散らなかったことがせめてもの救いだ。
「……お見苦しいところを失礼いたしました」
エレノーラは慌てることなく、眉尻を下げて静かな声で謝罪した。
「……っ、すみません……! 急に大きな声で話しかけてしまった私のせいです。驚かせてしまい申し訳ありません」
興奮気味に自慢話をしていた令嬢は、青い顔になって頭を下げた。
彼女が興奮のあまり、一際大きな声を出してしまったのは事実で、同席する令嬢たちから見ても、エレノーラが驚くのは無理もないと思えた。
侯爵家の使用人がカップを拾い上げ、テーブルの上を片付けていく様子を俯き気味に見ている。
カップを落としてしまった理由はその通りで間違いないが、エレノーラは首を横に振る。
「いいえ、カレンさんのお話があまりに楽しくてつい気が緩んでしまいました。ですから続きをお聞かせいただけると嬉しいのですが……」
エレノーラは胸の前で両手を組み、小首を傾げてお願いをした。
親友から教わった、その場をごまかすとっておきの方法だ。
羞恥心が込み上げてきて、今すぐ地面に埋まりたくなる。
だけど今はこの場の空気を和ませようと、自分を奮い立たせた。
恥を忍んだ甲斐もあり、カレンの表情はすぐに明るくなり、何事もなかったかのようにまた話し始めた。
エレノーラが羞恥心で死にそうになっているなんて、誰も気づかない。
盛り上がっている様子に、死にそうだったエレノーラの気持ちはようやく落ち着きを取り戻し、カレンが心を痛めなくてよかったと安堵した。
そしてすぐに早鐘を打つように鼓動が早くなる。
いきなり名指しされるなんて思わず、驚いて手が滑ってしまった。
緊張を忘れてリラックスできていたことはいいが、失敗してしまった事実はもう消せない。
(今日はどっちかしら……指導だったら嫌ね……)
母から与えられるであろう罰を思い浮かべると気が重くなる。
再び痛くなってきた胃を押さえながら、どうにか集中して話に耳を傾けた。
カレンの自慢話が終わると、次は腕っぷしに自信のある田舎令嬢の武勇伝が始まった。
この世界には魔物という獰猛な生物が存在する。
主な生息地は森や洞窟の中であり、都会住まいの令嬢がお目にかかることなど滅多にないため、皆は興奮気味に聞き入っていた。
エレノーラは興奮することはないが、なぜか懐かしい気持ちになっていた。
彼女は魔物を見たことがないというのに。
「────そうしたら一斉に襲いかかってきたものですから、返り討ちにして差し上げました!」
「まぁ、さすがブリジット様!」
「格好いいですわ」
肩まである柔らかな桃色の髪。ブリジットと呼ばれる小柄な令嬢は、可愛らしい顔に生き生きとした表情を浮かべ、拳を握りしめながら語る。
興奮して魔力が漏れ出たのだろう、その右手にうっすらと氷の膜が張った。
特に珍しいことではないので令嬢たちは気にすることはない。
エレノーラだけがブリジットの手をじっと見つめていた。
(いいな……)
気が昂ってつい放出してしまうほど魔力量が多いブリジットが羨ましくてたまらない。
自分もそうであったなら。純粋に羨望する気持ちを抱く。
同時に心がひどく痛んだ。
魔法が使えたならと考えると、いつも何か大切なものを忘れているような、辛く悲しい想いが込み上げてくる。
「ふふ、大したことありません……っと、私としたことがまた熱く語ってしまいました。こんな粗暴な話はこの場に相応しくありませんでしたね。すみませんエレノーラ様」
鼻高々に語り終えたブリジットは、申し訳なさそうに眉尻を下げてエレノーラに目を向けた。
彼女は華奢な見た目に反して好戦的な性格をしているため、気分が高まるとつい田舎での武勇伝を語ってしまう癖がある。
貴族の令嬢らしからぬ振る舞いに肩を落とす彼女に、エレノーラは柔らかな笑みを向けた。
先ほどの失敗を踏まえて今回はしっかり気を張っていたため、急に話しかけられたことに冷静に対応する。
「楽しませていただいてるので問題ありません。ブリジットさんは本当に文武共に素晴らしい才能をお持ちですね」
「そんな……私なんてまだまだです」
「謙遜なさらないで。貴族でありながら強く美しい女性の存在は、この国で自立して活躍しようと日々努力している女性たちにとって希望の光ですから」
「エレノーラ様っ……!」
感極まったブリジットは、頬を紅潮させながら瞳を潤ませた。
そして右手をぐっと握りしめて胸の前に掲げる。
「私、これからも精進いたします! 西の森の上級魔物はもちろん、聖獣様にだって負けない力を手に入れてみせますっ!」
「ふふ、それは頼もしいですが、くれぐれも怪我のないようにお気をつけください」
「はいっ!」
エレノーラの慈愛に満ちた笑みに、ブリジットのみならず他の令嬢たちもしばし見惚れた。




