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2話 母と娘

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 六人掛けの長いダイニングテーブルの一番奥。

 エレノーラの母はすでに席に着いていた。


 いつものように黒髪を後ろで緩やかに纏めあげ、落ち着いた色味の上品なドレスを身に纏っている。


「おはようございます、お母様」


 エレノーラは背筋を伸ばしてしっかりとした口調で挨拶をした。


 心の乱れを悟られてはいけない。


 母は娘と同じ青色の瞳をいつも以上に鋭く光らせた。

 エレノーラの頭からつま先まで、絡みつくような視線を向ける。


 隅々までチェックし終えるとようやく口を開いた。


「おはよう。今日は侯爵家の娘としてしっかりと務めを果たすように。決して粗相のないよう……分かっているわね?」


「っ、はい……もちろん、です、お母様」


 エレノーラは母から向けられた抑揚のない言葉に恐怖を覚え、言葉を詰まらせてしまった。


 どうしよう。もう失敗してしまうなんて。

 焦りから表情が陰っていき、目を泳がせてしまう。


 瞬間、母の瞳の奥が鈍く光った。


 エレノーラは全身を鎖に締めつけられたかのように息苦しくなる。

 この瞬間が堪らなく苦手だ。


「エレノーラ。侯爵家の娘たるもの少しの弱さも見せてはいけません。いつ如何なる時も堂々とした振る舞いを崩さぬようにと、何度言えば分かるのですか」


「はっ、はい。申し訳ありません」


 そう言われても、母の静かな迫力にはどうしても気圧されてしまう。恐怖心でいっぱいになり、肩を竦めて震えた。


 母は諦めて小さく息を吐くと、エレノーラから視線を外して静かに食事をとり始めた。


 この場でこれ以上諫められることはなさそうだ。


 息苦しさが少しだけ和らいだエレノーラは、素早く母の斜め前の席に着いた。

 もたもたしているとまた怒られてしまう。


 朝食には彩り豊かな新鮮な野菜がふんだんに使われ、焼き立てのパン、黄金色に透き通ったスープなど、料理人たちが腕をふるった品々が並ぶ。


 どれも王家に引けを取らないほどのものばかり。だが今のエレノーラには味が感じられない。


 いつも以上に美しく上品に。少しの音もたてないよう。

 無事に食事の時間を終えることだけを考える。


(気持ち悪い……)


 吐き気を催し、キリキリ痛む胃は食べ物を受け付けない。


 どうにか口に運んだ食べ物を喉は飲み込むことを拒絶する。

 それでも無理やり流し込んで、最低限の食事を済ませた。




 朝食の時間を終えたエレノーラはすぐに自室に戻り、ソファーに倒れ込んで背もたれに顔を埋めた。


「うぅ……怖かった……」


 今日のように催しがある日は、母の目がいつも以上に厳しくなる。

 父と兄の目がないとはいえ、この世の終わりのような辛さは変わらない。


 ここは王都に構える侯爵家の別邸。


 父と兄は自領の本邸にいるため、現在は離れて暮らしている。会うのは年に数回ほど。


 エレノーラは王都の学園に通っているため、幼少期から母と共にここで暮らしていた。


 自分が娘を立派な淑女に育てなくてはと使命感に燃えているのか、母の目は年々厳しくなっていた。


 エレノーラがこの家で落ち着ける場所は自室のみ。



 気持ちを落ち着けるために、テーブルの上にある刺しかけの刺繍を手に取った。


 自室で一人、複雑な花の模様を黙々と刺していると心が落ち着いていく。

 ケイトが淹れたお茶を飲みながら没頭しているうちに、昼食の時間になっていた。


 食事の用意ができたとの知らせに絶望し、心休める時間の儚さを嘆きながらとぼとぼと食事室に赴く。


 朝と同じように母と二人でテーブルを囲んだ。 


 しんと静まり返る重苦しい空気の中、冷えきって感覚がほとんどない手にスプーンを持ち、ポタージュスープを掬って口に流し込む。


 朝以上に通らない喉。吐き気。胃の痛み。

 気合いでどうにか飲み込んだ。


 メインディッシュの魚料理は、気合いでどうにかなりそうになく、手を付けることなく食事を終えた。


 自室に戻ってソファーに座ったエレノーラは、ただ静かに項垂れた。


 予定時刻まであと二時間。

 胃はキリキリと締め付けられ続け、気を張っていないと胃液が上がってきそう。


 昼食に行っている間に、部屋にはケイトによってドレスや宝飾品が用意されていた。


 エレノーラはケイトの手を借りながら繊細なレースが施された水色のドレスに着替える。


 二つに編み込まれていた紫紺の髪は解かれてふわりとなり、後ろにバラのモチーフの髪飾りが添えられた。


 希少な宝石が輝く耳飾りを着け、派手さは抑えながらも隙のない上品な化粧を施された。


「お嬢様、今日もお美しいです。挨拶さえ終われば黙って微笑んでいるだけで大丈夫ですから、自信を持ってお臨みくださいませ」


 エレノーラの身支度を完璧に整えたケイトは、椅子に座るエレノーラの前に跪き、幼子に諭すように、そっと柔らかな口調で鼓舞した。


 エレノーラは感極まって泣きそうになり、ケイトに止められてどうにか涙を引っ込めて微笑んだ。


「必ずやり遂げてみせるわ」

「お嬢様……!」


 二人は見つめ合った後、ひしと抱き合った。


 まるで大きな壁や難題に立ち向かおうとしているように見えるが、今から行われるのはただの茶会である。


 本日、エレノーラはここ侯爵家の庭園にて、自身が主催として茶会を開くという使命があるだけ。


 特別高貴なゲストを招いているわけではなく、自分と同じ王立学園の高等部に通う令嬢たちが来るだけだ。


 貴族の令嬢として当然の嗜みであり、すでに何度も行っていること。

 本来なら何の心配もなく臨めることだが、彼女には無理なことだった。


 エレノーラはとにかく気が弱い。


 常に人の目が気になってしまい、人の挙動や発する言葉全てに神経をすり減らしてしまう。


 時には自分の息づかいや瞬き、爪先に至る細部まで見られていると錯覚してしまい、どうしようもない動悸に襲われることもしばしば。


 彼女は由緒ある侯爵家の長女であり、両親から受け継いだ美貌を持っている。


 それは幼い頃から自覚していたが、生まれ持った性質はどう頑張っても変えられなかった。


 あまりに気弱すぎて家族から呆れられ、叱責されながらも、立派な侯爵令嬢として振る舞えるよう努力を重ねながら日々を過ごしていた。


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