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13話 決別

 エレノーラが放った魔法によって、母の右手が石化した。

 肩から石に変えられた手は微動だにせず、振り上げたままの形で固定されている。


「…………え?」


 母はポカンと口を開けた。

 目の前の娘から何かが放たれたかと思ったら、なぜか右手が急に動かなくなった。


 感覚すらない。


 疑問に思い右方を向いた母の目に映ったのは、どう見ても石と化している自身の右腕。

 サーッと血の気が引いていく。


「エレッ、あっ、あなた……! 魔力がないはず、じゃっ……」


 母はエレノーラの口調がうつってしまうほど動揺した。

 魔力がないはずの娘が石化などという高度な魔法を放ったのだから無理はない。


「もっ、もももももっ」


 エレノーラは腕が石化した母を前に、もはやまともな言葉を発せないほど狼狽えた。

 申し訳ありませんと言っているつもりの言葉にならない謝罪をする。


 魔法を解除しようと右手を石化した腕に伸ばしかけ、触れる寸前でピタリと止めた。


 今、石化を解いたところでぶたれるだけ。

 母を説得するには今しかない。


「私にはっ、この家から出ても、一人で生きていく力があります! もうお母様の思い通りに生きるのは、こりごりなんです。私は、あなたに従順な人形じゃない……! もうこの家にいたくないし、あなたが選んだ相手と結婚したくありません! だからっ、自立することを許してください……!」


 エレノーラは溜まりに溜まった胸の内を吐き出した。

 そうすると、今度は左手が勢いよく飛んできた。


「ひいっ」


 再びとっさに顔を守るように構えた両手から、反射的に魔法を放つ。


 ────カキンッ


 母の左手が石化した。

 肩から石に変えられた手は微動だにせず、振り上げたままの形で固定されている。


 エレノーラは、目の前で両手を上げて固まっている母に啞然となる。


 恐怖の権化である母が、何とも無様。

 あわあわと狼狽えるその顔は滑稽で情けない。


「…………ぷ」


 エレノーラは思わず吹き出してしまった。

 母は眉を釣り上げて、カッと見開いた青色の双眼で睨んだ。


「エレノーラァッ! 今すぐ魔法を解除しなさいっ!!」

「っひゃいっ!」


 長年染み付いた癖で反射的に口から返事が出てしまう。

 そのままつい解除しそうになったが、どうにか寸前で踏みとどまった。


 エレノーラは出しかけた魔力を引っ込めて、深呼吸する。


 大丈夫。今の自分は誰よりも強い。

 自分に言い聞かせ、精一杯の睨みを向けた。


「解除はいたしません。この家から出る許可をください。許可をいただけるまで、お母様はそのままです」


 駆け引きなんてものとは無縁な人生を送ってきたエレノーラは、涙目でガタガタと震えながら条件をつきつけた。


 母はそれ以上開いたら眼球がポロリと落ちるのではないかというほど限界まで目を見開く。


「エレ──⁉」


 甲高い声が再び室内に響き渡る前に、エレノーラは咄嗟に母の口元を石化させた。


 すぅーと息を吸って吐き出して、目を閉じる。

 大丈夫、大丈夫。


 心の中で何度も唱えて気持ちを整えると、侯爵令嬢らしい凛とした顔をケイトに向けた。


「今すぐここに誓約用紙とペンを用意しなさい。言う通りにしないとお母様の鼻を石化させるわ。そうしたらどうなるかわかるわよね?」


 ケイトは初めて向けられたエレノーラの高圧的な命令口調にゾクリと粟立った。


 口に続き鼻まで石化したらどうなるかなど分かりきったこと。


 長年この家に従事して、エレノーラを近くで見てきたケイトには、彼女がそんなことをする人間でないと確信している。


 だから安心して、この家の女主人の危機を脱するためにエレノーラに従う使用人に扮した。


「すぐにお持ちいたします」


 ケイトは一礼すると急ぎ足で部屋から出ていき、すぐに紙とペンを持って戻ってきた。


 砕いた魔石による装飾が施された分厚い用紙は、魔法誓約を交わすための特別な用紙。


 エレノーラは机に紙を置いて中腰になり、ペンに魔力を流しながらサラサラと文字を走らせる。

 最後に自分の名前を書き終わると、目を鋭く細めながら用紙を母に差し出した。


「お母様、こちらにサインをください。今から石化を解きますが、おかしな真似はなさらないように。今の私は何をしてしまうかわかりませんから」


 冷たい声で牽制してから母の石化を解いた。

 両腕と口が自由になった母はよろめいて後ろに倒れそうになるが、足を一歩後ろに出して耐えた。


 姿勢を正して娘を睨むと、受け取った紙に書かれた文字に目を通す。


 母はわなわなと震えだし、再び娘を睨んだ。

 エレノーラは内心でビクビクしながら、涼し気な表情で母の睨みを受け止めた。


 母は何か言おうと大きく口を開けたが、先ほどのエレノーラの警告を思い出してグッと呑み込んだ。


 顔を歪めてソファーに座り、机に紙を置いてペンを走らせた。母が自分の名前を書き終わると、紙は淡い金色の光を放った。


 これで魔法誓約が成立した。

 この紙には特別な力が宿っているため、破り捨てることや誓約内容を違えることは決してできない。


 エレノーラはティレット侯爵家から除籍されることが決まった。


「……あなた、この家を出てどうやって生きていくつもり? 温室育ちの小娘が一人で生きていけると思っているのかしら」 

「ご心配には及びません。私には誰にも負けない魔法がありますから」

「っ、今まで育ててあげた恩を仇で返すなんて、親不孝もいいところだわ! あなたを育てるのにどれだけ費用がかかっていると思っているのよ」


 母は淡々と言葉を返してくるエレノーラにカッとなり、机を強く叩いて声を荒らげた。


「……」


 エレノーラは黙り込んでしまった。


 高価なアクセサリーやドレスなど。

 彼女を美しく着飾るためのものは母から数え切れないほど与えられた。

 どれも母が勝手に選んで購入したものばかりで、エレノーラがねだったものなど一つもない。


 彼女が欲しいと望んだものは、侯爵家の娘として相応しくないと全て却下されてきたのだから。


 だけどここまで何不自由なく生活してこれたことには感謝しているため、反論する気にはなれなかった。


「……ケイト。私の部屋にある宝石箱を持ってきてちょうだい」

「かしこまりました」


 ケイトは先ほどと同じように、一礼すると急ぎ足で部屋から出ていった。


「ふん。宝飾品を全て返そうって魂胆かしら。そんなもの、今まであなたにかけた費用の一年分にすら満たないわよ」


 母は腕を組みながらソファーの上でふんぞり返っている。


 しばらくの沈黙の後、ケイトが宝石箱を持って戻ってきた。

 エレノーラは机の端に置いた宝石箱からアクセサリーを取り出し、重ならないように机の上に全て並べた。


 ふうと息を吐き、机の上に両手をかざす。

 手のひらから溢れたのは金色の光。先ほど魔法誓約書が放っていたものと同じ色の光だ。


 それをアクセサリーに付いている全ての石に注いでいった。

 二十秒ほどで注ぎ終えると、エレノーラは光を出すことをやめて両手を戻した。


「これでここにあるアクセサリーは全て、守りの加護が付与された宝具となりました。元の数十倍、もしくは数百倍の価値になるでしょう。今は信じられないでしょうが、鑑定士に見せれば本当だと分かるはずです」

「なっ……」


 母は娘が目の前で行ったとんでもない行為に開いた口が塞がらない。


 宝石に加護を付与できるのは、この国では中央神殿に勤める上級神官二名だけ。

 過酷な修行に何年も耐えて、悟りを開いた者にしか成し得ないこと。


 そんな上級神官ですら、数日かけて一つの宝石に付与することがやっとだ。

 本当に加護を付与したというのなら、ここに並ぶアクセサリーの価値はエレノーラが言った通りになる。


 侯爵家がエレノーラに今までかけた費用など余裕で賄えるほどに。


「……この家を出てどこに行くつもりよ」


 母は不貞腐れた顔でそっぽを向きながら、投げ捨てるようにエレノーラに言葉をぶつけた。


「それはまだ決めていませんが、まずは国を出ようと思っています」

「ふん……どうせすぐに音を上げるわ。戻りたくなってももう知らないわよ」

「なんとか頑張るつもりです。荷造りをして今日中に出ていきますから、最低限の衣類などを持ち出すことを許可願えますか?」

「……勝手にしなさい」


 母はもう怒ることもせず、力なく返事をした。


 エレノーラは母に背を向けて、扉の方へと歩き出した。

 扉の前まで来るとピタリと足を止めて、母の方に向き直る。


「今までお世話になりました。育てていただいたご恩は忘れません。……さようなら」


 涙目で最後の挨拶をして、部屋から出ていった。


 キビキビと歩きながら自室に戻ると、すぐに荷造りに取りかかった。


 手荷物は多すぎると移動の邪魔になる。

 できるだけ簡素なワンピース、下着などを選んで鞄に詰めた。


「食料は道中に立ち寄った町で買えばいいし、水は自分で出せるから問題ないし……」


 何が必要か考えながら荷造りしていると、部屋にノックの音が響いた。

 エレノーラは驚いて肩を跳ね上げる。


 母がまだ小言を言い足らず、やってきたのだろうか。

 怒りを再燃させて怒鳴りにきたのだろうか。


 エレノーラはありったけの勇気を振り絞って、母と対立したばかりだというのに。


(……え、無理……)


 もう余力は残っていないどころか、緊張から解き放たれて若干吐き気を催している。


 もし怒鳴り込んできたら、母の目の前に土の壁を作って、自分は窓から出ていこうと決めた。


 しかし部屋に入ってきたのはケイトで、その手には白い封筒を持っていた。


「お嬢様……!」


 ケイトは扉を閉めるとすぐにエレノーラに駆け寄った。


「まさか奥様にあそこまで立ち向かえるだなんて……」

「あなたたちが見守ってくれたお陰で頑張れたわ。ありがとう」

「そんな。私たちは何も……」


 ケイトは申し訳なさそうに視線を床に落とした。


「いいえ。あなたたちがいてくれたお陰で、私は今日まで頑張ってこれた。だから本当に感謝しているわ」


 オリヴァーへの想いだけではここまで頑張れなかっただろう。

 両親のみならず使用人からも厳しい目を向けられていたら、とっくの昔に心が折れていた。


「っ、お嬢様……これは奥様からです」


 ケイトは涙ぐみながら手に持っていた封筒を差し出した。


「奥様からの言伝です。『侯爵家の娘だった人間にその辺で野垂れ死にされたら困るのよ。手切れ金だと思って受け取りなさい。国外に出るまでうちの馬車を使うなり好きにしなさい』だそうです」

「……そう」


 エレノーラは封筒を受け取り、両手でぎゅっと握りしめた。


 分厚さからみてかなりの金額が入っている。

 母から愛情を感じたことは一度もなかったけれど、もしかするとこうやって一方的に物を与えることが母なりの愛情の示し方だったのかもしれない。


 自分がもっと強い人間だったら母とうまくやっていけたかもしれない。

 だけど弱気な性格はどう頑張っても変えられなかった。


 前世のことを思い出した今ならわかる。それは根本的に無理な話なのだと。


(……ごめんなさい)


 申し訳なくなってじわりと涙が滲むが、自分で選んだ道を進もうと決めた。


「お嬢様、旦那様や坊ちゃまには……」

「そうね、落ち着いたらいつか連絡を入れるつもりよ」

「そうですか……」


 ティレット侯爵家の領地にいる父と兄は、さぞかし驚くだろう。


 自分が居なくなることを少しくらいは寂しがってくれたらいいなと思ったが、それはきっとない。


 ケイトが部屋から出ていくと、エレノーラは荷造りを再開した。

 これからどこに行こうかと考えているうちに、自然と前世のことを思い浮かべていた。


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