10話 私は選ばれない
豪奢なシャンデリアが輝きを放つ会場には、いつも以上に気合の入った装いの令嬢たちの姿がある。
この国では十五歳頃に婚約者を作り、二十歳前後で婚姻を結ぶ者がほとんどなのだが、今現在王都近郊に住まう貴族の若者で婚約者がいる者は数少ない。
王太子であるオリヴァーに婚約者がいないのが原因だ。
代々、王族と婚姻する者は高位貴族の娘が多いが、子爵家や伯爵家の娘が選ばれて王妃の座に就いた例も少なくない。
オリヴァーは男女問わず誰とでも別け隔てなく交友しており、誰にでも等しく優しい。
自分にもチャンスがあると夢見る女性は多かった。
もしかしたらという望みを捨てきれないエレノーラもそのうちの一人である。
(すごい熱気……気を抜くと気圧されてしまうわね)
パーティー開始前からすでに周りの令嬢たちの圧力に負けそうになっていたが、エレノーラは会場にいる誰よりも美しく華やかだ。
マーメイドラインの赤いドレスは彼女の美しいボディラインを惜しげもなく披露している。
透明な宝石が散りばめられた薄手の白いストールから透ける肩や背中は美しく、男性の視線を釘付けにしていた。
艶のある紫紺の髪は上半分を緩く纏め、赤い宝石が埋め込まれた銀の髪留めが添えてある。
(恥ずかしい。今すぐどこかに埋まりたい……)
エレノーラのドレス姿を見た母が『少し露出が多すぎるかしら』と言い出して、ストールを羽織ることを許可された。
それでも恥ずかしいことには変わりない。
死んでしまいたいほどの恥ずかしさから、埋まりたいほどの恥ずかしさに変わっただけ。
その立ち姿は凛としていて、誰も声をかけられずに尻込みしていた。
(話しかけるなら今しかない)
(誰かに先を越される前に行かないと)
(早くしなければ……)
パーティーが始まってしまうと、ほぼ全ての令嬢たちはオリヴァーの方へ行ってしまうだろう。
声をかけられるタイミングは限られていると、彼女に好意を寄せる男性たちは意を決した。
しかし彼らの行く手を遮るように、一組の男女がエレノーラに素早く近づいた。
柔らかな金色の髪をオールバックにしたクリフと、ミルクティーブラウンの髪を後ろで編み込んだナディアは、共に装飾が少ない落ち着いた衣装を身に纏っている。
それでも隠しきれない高貴なオーラが漂っていて、エレノーラに近づこうと足を踏み出していた男性たちはすごすごと引き下がっていった。
「やぁ、今日は一段と華やかですね」
「本当に素敵よエレノーラ。…………それなのに受け入れようとしないあの男は本当にクズ」
ナディアはクリフと同じように笑顔で話しかけた後、視線を床に落として誰にも聞こえない小さな声で呟いた。
「ありがとう二人共。派手だから恥ずかしかったのだけど、そう言ってもらえて嬉しいわ」
この会場に入ってからというもの、痛いほどの視線を浴びてずっとドキドキしっぱなしだ。
この装いはもちろん頭から爪先まで母が選んだもの。
少しも自分好みの要素がなく、ただ恥ずかしいだけの格好だが、親友から褒めてもらえて心が軽くなった。
三人で話していると、拡声装置を手に持った司会の男性がパーティーの始まりを告げた。
繊細な装飾が施されたグレーのスーツ姿のオリヴァーが登場すると、令嬢たちからほうと溜め息が漏れた。
オリヴァーは精悍な顔つきで真面目に挨拶を始めた。
集まってくれた者たちへの謝辞を述べ終えると、にっこり笑って少し砕けた口調で話しだした。
「本日は皆各々好きに楽しむといい。この日のために厳選した食材をふんだんに使った料理は、王家自慢の料理人たちが腕をふるったものだ。私に挨拶なんて必要ないから心ゆくまで楽しんでほしい。私は一人で楽しませてもらうから、ぜひ存在を忘れてくれたまえ」
ぞんざいな挨拶を終えると、オリヴァーはさっさと料理が並ぶ台へと向かった。
彼は治癒属性が備わった光魔法の使い手であるため、毒見係は必要ない。
取り皿片手に次々と料理を取っていき、さっさと個室に引っ込んだオリヴァーに、自分をアピールしようと意気込んでいた令嬢たちはポカンとなった。
「……あーあ。その気がなくても少しくらい相手をするそぶりを見せたらいいのに。皆さん可哀想ですね」
「そうかしら。中途半端に相手されるよりいいと思うわ。元々誠意なんてものはないでしょう」
「それもそうですが」
「なぜあんな人が慕われているのか本当に不思議よね」
「それはまぁ、顔と地位とオーラのお陰でしょう」
「ふふ。二人とも言いすぎですよ」
表情こそ上品だが、オリヴァーに対する辛辣な言葉を吐き続ける二人に、エレノーラは口に手を当てて笑った。
(令嬢たちに囲まれるオリヴァー様を見なくて済んだのはいいけど……)
だけど相手をされない令嬢の中には、自分も含まれている。
いつもなら目が合うと微笑んでくれていた彼とは、今日はまだ視線が重なっていない。
「エレノーラ、私たちもいただきましょう」
「……ええ」
ナディアに手を引かれて料理が並ぶテーブルの前に来ると、取り皿に少しだけ料理を載せた。
相変わらず大勢から向けられる視線に緊張が高まる一方で、息が詰まる。
料理をほんの少し口にするのが精一杯で、ナディアたちと語らった後は化粧室に行くと言って会場から外に出た。
テーブル席が設置されたメインバルコニーではなく、人気のない小さなバルコニーに出て外の空気を吸う。
しばらく星空を眺めて心を落ち着けることにした。
「エレノーラ?」
不意に後ろからかけられた声に振り向くと、そこにはオリヴァーが立っていた。
「大丈夫? 気分が悪くなった?」
「……いえ、まだ大丈夫です。オリヴァー様こそ、主役なのにあんな挨拶をされて……」
「ふふ、そうだね。自分でも酷いと自覚しているよ」
彼はいつものように悪びれない笑みを浮かべた。
バルコニーにもたれかかると彼の顔からはすぐに笑みが消え、遠くを見つめる顔はどこか寂しげだ。
すぐ近くにいるのに遠い存在のように感じ、どこかに行ってしまいそう。
今しかない。気持ちを伝える機会は今後もう訪れないだろう。
エレノーラは漠然とそう思った。
(これでダメだったら諦めなきゃ)
エレノーラは唇を引き結び、気持ちを伝える覚悟を決めた。
「オリヴァー様。聞いていただきたいことがあります」
そう切り出すと、遠くを見つめていたオリヴァーはエレノーラに顔を向けた。
「私はあなたのことが────……」
「ごめん」
肝心なことを伝える前に、オリヴァーが言葉を被せてきた。
「……ごめん、エレノーラ。それ以上は言わないでほしいんだ」
オリヴァーは静かに願いを口にする。
その表情はどこまでも悲しそうで、今にも泣きそうに瞳が揺れている。
まさか伝えることすら拒絶されるとは思わず、エレノーラの頭は真っ白になった。
オリヴァーはまだ言葉を続けているようだが、少しも頭に入ってこない。
ただ何か言わなければと思い、『承知しました』とだけどうにか返すことができた。
彼は最後にまた『ごめん』と一言だけ言い、その場から立ち去った。
エレノーラはしばらく立ち尽くし、気づいた時には馬車に揺られていた。
窓の外をぼんやり眺めながら心を圧し殺す。
侯爵家に到着すると、玄関を開けてすぐのところで母が待ち構えていた。
早すぎる帰宅とエレノーラの表情から、母は自分の思い通りにならなかったのだと察した。
「殿下に選んでいただけなかったようね」
「……はい。申し訳ありません」
俯きながら返事をすると、母は大きな溜め息を吐いただけで何も言わず、くるりと踵を返した。
エレノーラはとぼとぼと廊下を進んで自室に戻った。
ベッドに倒れ込むと、すぐに部屋を訪れたケイトがドレスを脱がし始めた。
ケイトはいつものように軽く言葉を放つことなく、無言でエレノーラを着替えさせる。
ころんと仰向けにしたり上半身を起こしたりしながら部屋着のワンピースを着せ終えると、『失礼いたします』とだけ言って退室した。
部屋からケイトが居なくなると、自然と涙が流れた。
エレノーラは仰向けに寝転がったまま、声も出さずに静かに泣いていた。
(……まさか伝えることすらできないなんて思わなかった)
振るわけではなく、その手前で止めるなんて彼らしいと思った。
「余計に傷つくのに……」
何でもそつなくこなす完璧な王子だと思っていたのに、乙女心は少しも理解できないようだ。
そんなのは優しさではないのに、そんなところすら好きでたまらない。
この気持ちが早く消えることを願いながら眠りについた。




