チュニス13~國守高校無名科~
高校の入学式が体育館で厳かに執り行われている。新入生の有雨賀凪韻は粛々と進行していく中、その光景をただ見つめている。
そんな中、彼の前を人が横切る。中腰でなく堂々と背筋を伸ばしたままだ。彼は心の中で、遅れた恥じらいや申し訳なさはないのかと呟く。
その者は彼の隣の唯一空席のハイプイスに座る。彼は首を少しだけ回し、ちらっと見る。
女生徒である。制服のブレザーは男女違いはないので区別が付かなかったのだ。彼は太太しさから男子生徒だと思っていた。
暫くすると首がくすぐったくなってきた。彼が左隣を見ると先程の女生徒が髪を掻き上げている。
それが彼の首筋に何度も触れている。彼女の首が動き次第に顔が露わになろうとする。彼は素早く視線を逸らし壇上を見る。
プログラムが順調に進んでいく。すると、再び首がくすぐったくなる。隣の女生徒の髪が彼の首筋に纏わり付いている。
彼は暫く放置、いや我慢していた。しかし、彼女が首を動かしているからだろうか、くすぐったいというより痒くなり忍耐の限界を迎える。
打開したい彼だが、直接言うのは何だか躊躇われる。しかし、女性の髪に直接触れてよいものかと思う。
トラブルは避けたいというのが彼の内心だ。入学早々、万が一にも女生徒の髪を撫で回した変態生徒言う称号、いや蔑称なんか付けられたら溜まったものではない。
希望に満ちあふれ輝かしい高校生活を送りたいという気は毛頭ない。波風立てずに平凡にやり過ごし卒業を迎える、ただそれだけで良いのだ。
彼が考え出した解決策は手の甲で退かす事だ。彼の頭の中では手の甲は触れたことにならないという謎理論に何故か結論付いたのだ。というよりは懸命に言い聞かせた。
彼は早速行動に移す。しかし、手の甲をすり抜けて中々に上手くいかない。その結果、余計に痒くなっていく。
痒さと焦りに駆られた彼は、どうしようかと思い悩む。
彼は、やり方を変えることにする。それは人差し指と中指で髪を挟んで退ける事だ。彼は挟むことは触れることにはならないと思い込む事にした。
ゆっくりと彼は挟み持ち上げようとする。すると、髪が指を擦り抜けようとする。彼は思わず指に力を入れてしまった。
彼は、その方向を見る。すると、彼の指を起点に黒く艶のある髪がピンと伸びている。視線を動かすと髪の持ち主と目が合う。その表情は怒りに満ちている。
「こっ、これはですね」
と口を開き彼が説明しようとしたが、パシッと乾いた音がした。ほぼ同時に来賓の祝辞が終わり拍手が沸き起こり周囲の者は気にしている様子は殆どない。
その中、彼は頬に痛みを覚える。そして、次第に赤くなっていく。そして、拍手が鳴り止んだ。
「えっ!」
「ハァ!?」
と彼の驚きに彼女は呆れた口調と表情で返した。彼女は眉間にシワを寄せ臨戦態勢といった具合だ。
彼はあまりの形相に顔を背けたくなる。しかし入学式早々、変質者扱いは御免である。普段は揉め事は勘弁だが敢えて立ち向かうことにする。
「髪掻き上げていましたよね?」
「だから何よっ?!」
「掻き上げた貴女の髪が私の肩に引っかかり私の首に纏わり付いていたんです。それで痒くて退けようとしただけです」
「纏わり付くという表現は如何なものかしら?てっ、 なにっ! 痒くなったですって?! 私の髪が不潔だとでも言いたいのっ? シャワー浴びてないとでも言いたいの?!! 私は毎日朝晩2回浴びてるのよっ! それだから一度たりとも首に触れて痒くなった事なんかないわよっ!!!」
「そうじゃなくてですね。あのぅ、声小さくお願い出来ませんか? 式典の妨げになりますので」
彼の言葉に彼女は周囲を見回す。すると、数名の生徒が2人に注目していることに気付く。
彼女の頬が次第に赤くなっていく。気恥ずかしくなった彼女は一瞬俯いたが、すぐに顔を上げ彼を睨みつける。その眼光は徐々に鋭くなっていく。その彼女の名前は九乃矢という。
彼は射抜くような彼女の二つの瞳に圧倒されそうになる。しかし、これからの平穏無事な学校生活がかかっている。
ここで引くわけには絶対いかないと気持ちを鼓舞する。それで、持ち直した彼は視線を逸らさない。いや逸らせないといった方が正しいのかもしれない。
「誤解です。許してもらえませんか?」
「髪は女の命という言葉もあるのよっ。知らないの?」
「もっ、もちろん知ってます。意図して触った訳ではありません」
「あなたの手は意思と関係なく勝手に動くわけ?即刻、 病院で診察する事をお勧めするわっ」
「…………」
正論を放つというか口が立つと彼は察した。たとえ彼が経緯を懇切丁寧に説明したとしても、悉く言い負かされる姿が目に浮かぶ。
彼は誠意を見せれば許してもらえるかもと淡い期待を抱く。それで、膝に手を置き深々と頭を下げる。
「泣けば許されるとでも思ってるのかしら?」
その彼女の言葉に頭を下げたままの彼は体勢通り項垂れた気持ちになる。そして、すぐに絶望感に襲われた。どうやら、彼女には不遜な態度にしか見えていないようだ。
それでも彼は誠意が伝わるのではないかと淡い期待を捨てきれず姿勢を崩さない。
ただただ時間だけが過ぎていくばかりだ。2分ほど経っただろうか。しかし、彼には数十分にも感じられる。
不意に肩を叩かれた。ようやくお許しが出たのかと彼はゆっくりと頭を上げる。
視線の先の彼女は表情を崩しておらず険しいままである。彼は落胆する。
そんな彼は違和感に気付く。まだ肩に感触があるのだ。彼が右肩に目をやると手が確認できた。
彼が振り返る。すると、前髪ぱっつんで黒縁メガネをかけた女生徒と目が合う。
彼女はオドオドし始め頬を赤らめる。しかし、彼女は視線を逸らすことはない。彼は彼女の視界を遮った、もしくは彼女の式典への集中を途切らせてしまったかと申し訳なく思う。
「すみません」
「ちっ……違うんです」
そう言うと彼女は、ゆっくりと手を引っ込める。その手は軽く震えている。
「体調が悪いんですか?」
「そうじゃありません。あのう……」
「何でしょうか?」
「あなたは悪くありません。私、見てました」
「あっ、そうなんですか?」
彼は九の方を見る。すると、視線が合った。しかし、そっぽを向かれる。あからさますぎて彼は開いた口が塞がらない。しばらくした後、彼は気を取り直す。
「あのっ、すみません」
彼が声を掛けるが九は正面を向いたまま微動だにしない。
彼は溜め息を付きそうになる。誤解は解けたと思われるが何だか釈然としない。別に謝罪して欲しい訳ではない。しかし、反応くらいしてくれてもと思う。
彼は、わだかまりを解きたい。しかし、これ以上は彼女と会話が成立するとは思えない。その二つの感情がせめぎ合っている。
彼が思い悩んでいると肩越しに腕が伸びる。その行き先を目で追うと九の肩を手で軽く叩いた。それは黒縁メガネの彼女だ。
九が下唇と突き出し息を吹き上げる。すると、彼女の前髪が不規則に舞う。
黒縁メガネの彼女が再び叩く。すると、九が手の甲で振り払う。彼女の頬が引き攣る。苛立ちが隠せないようだ。しかし、声は発しない。
振り払われた手で黒縁メガネの彼女が九の手首を掴む。
「しつこいわね」
九が横を向き物凄い形相で彼を睨む。そして視線を下に移す。彼女は驚きの表情を見せる。その後、彼女を掴んでいる手に視線をやり、その先を目で追う。
2人の女生徒は目が合う。黒縁メガネの彼女は怯えているが目を逸らすことはない。一方の九は視線を下方に逸らし狼狽えている。
「彼が説明しようとしていたのに、いきなり叩くことはなかったと思います」
「………………」
九は言葉を発せられないでいる。それは問いかけが高圧的だったからではない。むしろ、か細かった。怯えながらも黒縁メガネの彼女の真剣な眼差しに圧倒されたのだろうか、それとも疚しさからなのか。
「どうして何も言わないんですか? 貴女みたいな綺麗な方には私みたいな者は眼中に入ってないんですかっ?!」
「……そんなことは決してないわよ。誤解なさらないで」
「なら、どうしてですか?」
「おっ、思い違いをなさってるわ」
「えっ? どういうことですか?」
九は右上を見て口をへの字にして唇に人差し指を軽く当てる。
「この人の頬を蚊が刺していて排除してあげようとしたのだけれど誤解なされたのね。そうなら私の落ち度です。ごめんなさい」
「エッ!?」
そう言うと彼女は目を見開いている。すると、九が手の平を見せる。彼が見ると手の平に黒い点がある。
「ほらっ、見えますよね?」
そう言終えた途端、彼女は即座に手を結ぶ。そして、背中に手を回す。
その様子に彼は愕然とする。彼が見た限り、どう考えてもホクロであった。いくら切羽詰まっていたからって稚拙すぎる。
「私ったら何て誤解を。恥ずかしいです。本当に申し訳ありません」
彼は思わず声が出そうになったが我慢した。彼女は顔を真っ赤っかにしている。耳までも次第に赤くなっていく。
一方、九とはいうと口角を上げ不敵な笑みを浮かべている。彼には、ほくそ笑んでいるように見える。
この二人の女生徒の対照的な表情に遣り切れない気持ちになる。そして、正義感が湧き溢れていく。
「あのすみません。手の平見せてもらえませんか?」
「なんでよっ」
「気になる点がありまして」
「お断りよ」
「そこをお願いします」
「あっ、私呼ばれてるみたい」
「逃げるんですか」
彼の声に反応せず、立ち上がり背を向け歩いて行く。彼は追いかけようと中腰になったが思い止まった。
彼は目で彼女を追う。すると、彼女は舞台に上がり壇上の前に立ち一礼する。そして、彼女はスピーチを始めた。新入生代表だったのだ。
彼は手にしている進行表の紙を確認する。そこには彼女の氏名が記載されている。振り仮名は振られていない。
彼には読み仮名の見当が付かない。それは、流石に字のまま読まないだろうと思ったからだ。
壇上の彼女は彼と言い争っていたときとは違い落ち着き一段落としたトーンで話している。
挨拶が終わり彼女が一礼すると彼女に盛大な拍手が送られる。その中、彼女が戻ってきて彼の左側に着席する。その姿勢は彼に対して半身である。
どうしても確認したい彼は彼女を覗き込む。それに対して彼女は右足を組み右膝を立て頬杖し顔を背ける。
彼が悶々としてる中、式が終わった。すると、そそくさと彼女は会場を後にする。彼は出遅れた。
追うことも過ったが一連の彼女の態度から無理だと結論付けた。
彼は立ち上がると後ろを向く。黒縁メガネの彼女の姿は見えなかった。彼はお礼を言い損ねた。
その後、オリエンテーションに参加して帰宅した。その日の彼は寝つきが悪かった。
登校初日を迎えた。彼は教室に入り、机の上に張られたネームシールを見つけ座る。
渡りを見回すと会話をしている生徒が数人確認できる。学校や塾が一緒だったのだろうかと彼は思う。
残念ながらと言おうか、彼には知り合いや顔見知りが1人もいない。なので、ホームルームが始まるまで静かにやり過ごすことにする。
しばらくすると、教室の扉が開き担任教師の女性が入ってきた。彼女は生徒を見回している。
それは担任としての生徒への牽制だろうか、それともこれからのクラス運営の雰囲気をイメージしてのことだろうか彼には窺い知ることは出来ない。
彼女がクラス名簿を開く。そして、その中に挟んでいた1枚の紙を取り出し名簿を閉じた。そして、それを凝視している。
「手違いがあったようです。有雨賀さん、いますか?」
突然、名指しされたことに彼は身構えると共に漠然とした不安に襲われる。
「有雨賀さん、いませんか? おかしいな~、席は全て埋まっているのに。誰かクラスを間違えているのかしら?」
その彼女の言葉に生徒たちが誰だと犯人捜しでもするかのようにお互いを牽制し合っている。
有雨賀は乗り遅れたことに気恥ずかしくなる。その結果、俯き加減になる。
「連絡が行き違いになったのかしら?」
彼は立ち上がり手を上げる。その姿に生徒たちがザワつく。押し殺した笑い声が彼の耳に入ってくる。
居心地悪い彼は自ら教壇へ進む。教師から手書きの地図の紙を手渡され足早に教室を出る。
目的の場所に辿り着いた。先程と違い足取りは重いが中に入る。
「おぉ、来たか。すまなかったね。あそこの席に座ってくれるかな?」
男性教師の指し示した席へと向かう。その前まで来ると接触を持ちたくない見覚えのある顔が視界に入る。そう九だ。
顔を背け彼女の隣の席に着く。すると、コンと音がした。この方向を見ると彼の机を小さな握り拳がある。その主は黒縁メガネの彼女だった。彼は会釈する。彼女も返してくれた。
「では揃ったことだし自己紹介させてもらおうかな。私は担任の御前大禮だ。長々聞くのも退屈だろうから私の自己紹介はこれくらいにしようかな。君たちの自己紹介をお願いしようか」
出席番号順に始った。次々進んでいく中、黒縁メガネの彼女の番が来た。彼女名前は内姫那子で趣味は読者だそうだ。彼は恩人の名前を頭に叩き込む。程なくして彼の番が来た。
「有雨賀凪韻です。〇〇中学出身です。よろしくお願いします」
あっさり彼は自己紹介を終えた。彼の前まで生徒たちは趣味や将来の夢など彼よりは多くを語っていた。彼のそれは、あまりにも淡泊すぎた。次は例の女生徒の番だ。
「九乃矢です。よろしくお願いします」
そっけなく言って座った。呆気にとられた生徒たちは拍手のタイミングを逸した。五秒ほど遅れて叩き始めた。
他人の事を言えた義理はないが、あまりにも短いと思った。ふと、彼女に視線を遣ってしまった。すると、睨まれた。登校初日から気分が重くなった。全員が終えた。
「みんな、これから宜しくな。あっ、連絡が上手く伝わってなかったようだ。すまなかったね、有雨賀」
「あっ、いえ」
「有雨賀以外は知ってるよな。この科はまだ科名が決まってない。当分は無名科ということにしよう。おいおい皆で考えよう 」
担任のその言葉に急に不安になってくる。それと同時に担任の御前に彼は見覚えのある。しかし、誰か思い出せない。モヤモヤしたまま彼は帰路に着く。
リビングのソファに座りくつろいでいる。そのつもりではあるが何が居心地が悪い。学校でのことが頭から離れないのだ。
実は彼は破格の条件で推薦入学を進められていた。校長自ら出向いてまでだ。
学力も体力も突出して良いわけではない。母親には強く勧められたが断った。何か釈然としなかったからた。
学費免除は勿論のこと交通費、制服一年毎に支給、その他諸々高校生活に付随する一切を支給するとの事だった。
この高校が怪しいわけではない。伝統あるトップクラスの高校である。
彼には、あまりの破格の条件が荷に重かった。それに彼は模試で常にA 判定だったので、どうしても推薦を受ける必要がなかったからだ。
それでも何度も校長直々進めてきた。辟易した彼が受験校を変更すると言ったら、それ以降は出向いて来ることはなかった。
気になって仕方がない彼は貰った名刺の番号に電話を掛ける。すると、母親に許可を得てるとの返事だった。
「余計なことしやがって」
そう呟くと携帯をテーブルに軽く投げソファに横になり右腕で両目を覆う。
母親とは訳あって離れて暮らしている。彼女から電話が来ることは年に一度あるかないかだ。
彼は彼女に確認する気は毛頭ない。彼女なら相談なしで遣りかねないからだ。それに会話したくないのが一番の原因だ。
気分が収まらない彼は気晴らしにリモコンでテレビの電源を入れる。
画面にはニュース映像が流れている。内容はai の暴走についてだ。最近は事件の大小あれ、よく見聞きする。見慣れた内容に彼は電源を切り、そっと目を閉じる。
翌日、彼は重い足取りで学校へ向かった。授業中、教師たちには大変失礼ではあるが上の空であった。
全ての授業を終え、後はホームルームを残すのみとなった。
担任より議題は各委員会2名ずつ委員決めが行われる事となった。彼が各委員会の名を呼び上げ参加したいものが挙手すると方式であった。
彼は特に参加したい委員会はなく何でもよかった。それで最後に読み上げられる委員会でいいとそんな風に考えていた。
それが大きな間違えであった。よりにもよって九と一緒の委員になってしまったのだ。彼は御免被りたいが今更変えて欲しいなんて言えない雰囲気だ。手遅れだと諦めた。
ホームルームが終わり、帰宅のため彼は教室を後にしようとするが、彼は昨日は憂鬱で忘れていたことを思い出し踵を返す。
「内姫さん、この間は有り難うごさいました」
「あっ、でも私の早とちりだったね。お礼なんて」
「いえ、あれはですね」
「そこのあなた!!」
彼が振り返ると腰に両手をやりし九が仁王立ちしている。威圧的な口調と態度の彼女に嫌気が差す。
「私、行くね」
内姫が足早に去って行く。彼はその背中を見送る。そして、嫌々対応することにする。
「何でしょうか?」
「行くわよ!」
「どこにですか?」
「清掃に決まってるじゃない!」
疑問形でなく決め付け口調にイラッとするが堪える。しかし、顔に内心が出ているんじゃないかと不安になる。
ガラスに自分が映っていることに気付く。確認してみると、どうやら大丈夫のようだ。彼は気を引き締める。
「清掃なら昼にやったじゃないですか?」
「あなた、美化委員でしょ!」
「そうですが」
「一般生徒より美化に気を遣うべきでしょ!」
「はぁ……」
「何その気の抜けた返事は! 美化委員としての矜持はないの!!」
「難しい言葉使うんですね?」
「そこじゃないでしょ!」
「あっ、はい。すみません」
これ以上は彼女と話しても埒があかないという考えに彼は至る。そして、彼女に背を向け清掃用具ロッカーへと向かう。
「また教室清掃する気なの?!」
彼は反論する気が失せ降参することに決めた。一度深く呼吸する。
「どうすればいいですか?」
「ついてきなさい!!!」
そう言い放つと彼女は足早に教室を後にする。彼は足取り重く彼女の後に続く。
彼女は靴箱で履き替えて校舎を出る。すると、立ち止まり彼の方へ振り向く。
「ちょっと待ってなさい」
すると、彼女は歩いて行き倉庫に入っていった。戻ってくると手にゴミ袋と清掃用トングを一つ持っている。
彼女はトングの先端を向けたまま彼に差し出した。彼は普通取っ手の部分を向け渡すものだろと心の中で叫ぶ。
常識がないのか、自分を見下しているのかと頭に浮かんだ。しかし、考えたのは無駄だったと至る。どう考えても後者なのだろうから。
「校外清掃に行くわよ」
彼は反論せず彼女に付き従う。その結果、彼は彼女が飽きるまでゴミを拾い続けている。
彼女はゴミを見つけては彼に命令するばかりで一切拾わない。
そうしていると緊急避難警報が鳴り響く。前を歩く彼女が振り返る。
「シェルターに避難なさい!」
彼女は駆け出していく。言われた通りにする。小一時間鳴り続けて止んだ。
その後、暫くして外に出る。すると、彼女が前方から歩いてくる。
何を言われるか分からないので清掃を続ける。すると、ドスンと鈍い音がした。すると、彼女が地面に倒れている。
さすがの彼も駆け寄る。呼吸はしている。彼は両膝をつき首と膝の裏に手を差し込み軽々持ち上げる。そして、飲食店の時間待ち用のベンチに寝かせる。
彼は背もたれの上部に手を置き表情を窺っている。10分程して彼女は目を覚ました。
「救急車呼びましょうか?」
「余計なお世話よっ!」
彼女は起き上がり去って行く。彼は呆然として後ろ姿を見ることしか出来なかった。
その後も平日は校外清掃に付き合わされている。そればかりか土日のうちの一日も呼び出されている。
彼は強引にスマホを奪われ彼女が自身の番号を入力し発信され番号を強奪されたのだ。あれから緊急避難警報は鳴っていない。
彼は何度も着信拒否設定にしてやろうと思った。スマホの設定画面まで進めたが思い止まった。それは、クラスメートの前で罵倒される自身の姿を想像して痛たまれなくなったからだ。
放課後、彼は恒例の校外清掃に励んでいる。相変わらず彼女は指図しかしない。
そんな中、緊急避難警報が鳴り響く。その刹那、彼女は走り出していく。振り返り彼女が指差す。
彼は避難しろとの御命令だと理解し頷く。歩き出すが暫くして立ち止まる。この間、彼女が気を失った事が気になったからだ。
彼は駆け出し大通りに出る。そこは十字路で前方と左右を見るが彼女の姿は確認できない。
彼は諦め元来た道へと歩みを進める。すると、背後で爆音がする。振り返ると立ち込める煙で視界が遮られている。
次第に視界が開けている。トレーラーとトラック、乗用車が少なくとも10台以上積み上がっている。
地鳴りがし再び噴煙が上がる。それらが崩れたのだと思った。視界が開けると彼の目の前に有り得ない光景が広がっている。
ロボットが彼を見下ろしているのだ。それは先程の自動車の集合体だ。
ロボットが彼を認識する。そして、彼を目がけてアームを振り下ろす。
彼は避けようとするが、足が地面と同化したかのように動かない。体中から血の気が引いていく。彼は目を閉じる。
痛みを感じない。一瞬の事だったからだと思う。目を開ける。すると、もう一体のロボットが間に入りアームを掴み防いでくれている。
片方のアームで首根っこを掴み投げ飛ばす。ビルに激突して停止した。
助けてくれたロボットが振り返る。それはくノ一型である。なぜそう判断したかと言うと彼は年の割には歴史ドラマと時代劇が好きだからだ。
いつの間にか新たに2体出現してる。彼は退避しようする。すると長い影が伸びてくる。
見上げると足裏が迫っている。もう1体いたのだ。今度こそ覚悟を決める。すると視界からロボットが消えた。
「邪魔よ。退きなさい」
その声の持ち主は九だ。
「ここは!?」
「内部に決まってんでしょ」
「……」
「私の後ろでじっとしてなさい」
「あぁ……」
彼女は前方の敵に指の間に挟んだクナイ2本を投げ放つ。見事命中し2体は停止する。
「ダメだわっ! チュニスの相互干渉が強すぎるぅっ」
彼女が動かなくなり、椅子から滑り落ちていく。
彼は慌てて彼女と床の間に入り込み背後から抱きとめる。そして、そっと彼女を床に寝かせる。
背中に一撃を喰らう。その後も攻撃は止むことない。衝撃で彼女が床を滑る。為す術を知らない彼は途方に暮れる。
――ソウゾウシ、クゲンカセヨ
その言葉が脳に染み入ってきた。混乱していると何度も繰り返される。
冷静にと言い聞かせ、これまでの経緯をまとめる。頭をフル回転させる。結論付け一か八かに賭ける。
彼が鎧武者を想像すると具現化された。その手には槍が握られている。
彼は腰を落とし構え一気に踏み込み敵の胸に突き刺した。すると、完全停止した。
その瞬間、酷い脱力感から彼は気を失った。
彼は目覚める。朧気に視界が開けてくる。見覚えのある光景だ。しかし斜めに見える。
彼は上目遣いになる。すると、その先には九の横顔が。慌てて体を起こす。
「肩が痛かったわよ」
「あっ、ごめん」
「疲れてたんでしょ? 気にしないで。それより友人に感謝なさい。私たちを運んでくれたのよ」
「友人? 誰です」
「しらばっくれちゃって」
その後、会話が途切れる。気まずい雰囲気が流れる。暫くして沈黙が破られる事になる。
「それにしても変な夢だったな」
「あれは現実よ」
その言葉を言い残し彼女は立ち上がり彼に背を向け去って行く。
「ちょっと待って下さい。どういう意味ですか?」
「言葉通りよ」
彼女は背を向けたまま言い放ち歩き出す。彼は彼女の肩に手を伸ばす。
寝起きの為か感覚が狂う。それで彼の手は空を切る。ほぼ同時に風が吹き荒び彼女の髪が舞う。事もあろうに、その髪を掴んでしまう。
「髪フェチなのっ?!」
振り返りながら言い放つ。
「違いますよ! あっ、すみません」
彼女の手が彼へと伸びる。 彼は叩かれるのを覚悟し身構え目をつぶる。
一向に頬に痛みは走らない。ゆっくりと彼は目を開ける。すると、彼女は真っ直ぐ彼の胸元へ手を差し出している。
「あなた、私に興味があるのかしら?」
「……えぇっ」
「あなたとは縁を感じるわ。私、決めたわ。あなたがバディよ」
「どういうことですか?」
「あらっ、横文字は苦手なのかしら? 日本語で言うと相棒ってことよっ?」
「言葉の意味は知ってるけど具体的にどういう意味ですか?」
「言葉通りの意味よ」
「……あっ! 美化委員会の一員として認められた事ですね」
彼も手を差し伸べる。
「ええっ、それも含まれているわよ」
この言葉に違和感を覚え彼は手を引っ込めようとする。しかし、彼女は素早く掴まえ力強く握る。
「あらっ、握り返してくれないの? 目も合わせてくれないし。非礼だと思うのだけど」
彼は顔を上げる。彼女の切れ長で大きな瞳に吸い込まれそうな感覚に襲われる。
彼女が首を傾げ口角が下がる。その表情は喜怒哀楽どれとにでも受け取れる。
彼は力なく握り返した後、目を逸らすように頷く。