9.苦い記憶と焼き魚の香り
「おや? 何か言いたげだねェ」
「何でもねえよ。ほら、孤児院探しに行くぞ」
「ふむ……」
ダリウスは身近にあった露店の主に話しかけた。
「仕事中にすまん。エイラに孤児院はあるか?」
平民服の女性が串に刺した魚を炭の上で裏返し、視線を上げる。
若い女だ。切れ長の瞳に紅を引いた唇は控え目に言って美人な部類だ。きっとすれ違った男性たちは、もれなく彼女を振り返るだろう。長い黒髪は一本に束ねられ、腰のあたりまで垂れていて、肌の色は指先まで透けるように白い。
女がチラリとシエルに視線を向けて、すぐにダリウスへと戻す。
「ありますよ」
「場所を教えてくれ」
指先で輪っかを作り、ニッコリと微笑む。
「旦那、こちらも商売なんですよ。懐と口は天秤。懐が重くなれば口が軽くなるのが商売人というものです」
「む……」
「ああ、他の露店をあたったって無駄ですよ。エイラは商人の町ですもの。大抵の人には同じこたえを返されますよ。うちはまだ良心的」
ダリウスが苦々しい表情をする一方で、ロットナーが革袋から銅貨を数枚取り出した。
「いやいや、実に美味そうじゃないか。ほら、見てみたまえよダリウス。焦げた皮に魚の脂が浮いている。これはもう食べる前から美味い。三尾くれないか」
「うふふ、まいど」
女性が串焼きの魚をロットナーに一尾、押しつけるようにダリウスに一尾、そして、小さなシエルにはわざわざ屋台を回り込み、膝を折って丁寧に渡した。
「はい、どうぞ」
「ありがとうございます」
少々がめついが悪い女ではないと、ダリウスは考える。
女が立ち上がり、屋台の向こう側へと戻った。
「塩は振ってありますので、そのままどうぞ」
「それより――」
「ああ、孤児院でしたね。もちろん忘れちゃいませんよ」
女が細く白い指で、十数歩先。川向こうにある建造物を指さす。渡るための橋も、すぐ近くに架かっている。
「そ・こ」
「あ? ……すぐそこじゃねえか!? ひっっっでぇ女だ。すっかり騙されちまった」
「うふふ、悪く思わないでくださいな。これが商売の町の洗礼ですよ、旦那」
女が片目を閉じて見せた。
「よく言うぜ、まったく。こっちはあまり無駄遣いできねえってのに」
「あはは、すみませんね。次は悪い女になんか騙されちゃだめですよ」
「不吉なことを。つーか、自分で言うなっつの」
だが、そう。だが。
ダリウスの顔にも笑みが浮く。不思議な女だ。話していて楽しい。騙されていたとしてもだ。
ま、魚三尾。昼食代わりだと思えばそれでいい。ダリウスの腹には少々物足りないが。
「行くぞー。ロットナー、シエル」
「ん? うん」
ロットナーは小さく手を振る女を振り返りながら、ダリウスに並んで歩き出した。
「どうした、ロットナー。ああいう性悪が好みか?」
「うん。まあ、そんなとこかな」
「なんだよ、はっきりしねえな」
「しっかり者は好きだよ。なにせ私の生活力は壊滅的だから。二度の離婚はそれが原因だ」
それでは数が合わないと、ダリウスは考える。
「残り一度は?」
「浮気だそうだ」
「ぶははっ。……あ? 他人事みてえに抜かしてるが、絵に描いたようなクズじゃねえかっ!」
「それがさ、一方的に言い寄られただけなんだよ。少なくなかったんだ、そういうの。ただそのときの彼女は、あ~……」
ロットナーがシエルに視線を落として言葉を濁したことは、鈍いダリウスにもわかった。
「少々大胆な姿をしていた。そこを妻に見られたわけだ」
当時を思い出したのだろうか。
ロットナーが額に手をあててため息をつく。
「まあ~信じてもらえないし、途中でもういいか~って思ってねェ。諦めたんだ。はっはっはっ」
「お、おお。他人事みてえに笑ってるけど、それはその、ご愁傷様だったな……」
橋を渡りながら同時に魚を囓る。
身がほくほくだ。炭の香りが爽やかな川魚の匂いとともに鼻を突き抜け、その後にほっくりとした白身の旨味と脂の甘味が口に広がった。囓れば湯気が立ち、それがまた芳醇な香りを漂わせる。
シエルがニパっと笑った。
「わっ、このお魚、おいしいです!」
「んだな。うめえ魚三尾の値段で情報まで買えたと思えば、あの女の性悪にも目をつむれらぁな」
「……そうだねェ」
ダリウスがロットナーの背中をバシバシ叩く。
「いや、落ち込むなよ! らしくねえぞ!? おら、元気出しやがれ、ロットナー?」
「うん……」
「だめだこりゃ」
こうして三人は橋を渡り、孤児院の前に立つのだった。
楽しんでいただけましたなら、ブクマや評価、ご意見、ご感想などをいただけると幸いです。
今後、作品を作っていく上での糧や参考にしたいと思っております。