8.かつての縁談
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温泉街エイラ――。
帝国領内にあるロア火山の麓の傾斜地に造られた、人口わずか三千人程度の小さな町だ。
五十年ほど前までは百名程度の限界集落にすぎなかったのだが、当時の集落民らがこの地を横断するように流れる河川の水に、ロア火山から滾々と湧き出る源泉を混ぜて造ったひとつの温泉が帝国民らに愛された結果、いまでは温泉街と呼ばれる一大観光地にまで成長した。
「――んだってさ。開拓した初代はさぞやウハウハだったろうね。夢のある話でうらやましい限りだよ」
エイラには町と外を隔てる壁はない。ロア火山から流れる河川を大岩が堰き止め、二股に分かれた川の中州に造られた町だからだ。周囲の川が天然の壁となり、魔物はあまり近づかない。むろん警戒のための、光晶石でできた街灯も存在している。
少なくとも大きな魔物被害があったという報告は、帝国の中心にいた皇帝ダリウスの耳にも、賢者ロットナーの耳にも入ったことはなかった。
温泉街の町並みを眺めながら歩く。
先ほどまで後ろからちょこちょことついてきていたシエルは、いくつもある露店を行ったり来たりしている。それも、串に刺した肉やトウモロコシ、妙な色をした果汁など、食べ物のところばかりだ。
ちなみにいまはローブのフードを被らせ、エルフ族特有の長耳を隠させている。誰が見ているかわからないからだと、ロットナーは言っていた。
「そうかあ? 俺ぁもう豪華なだけの暮らしは勘弁だ」
「贅沢だねえ。まあ、私も王城では結構好き勝手やらせてもらってたけど。だが確かにキミほど自由を縛られていたわけではなかったね。あそこの宮女はみんな美人だったし」
「嫉妬の炎で燃えそうだ……」
だが実際のところ、さほど自由がなかったことをダリウスは知っている。
ロットナーが政治に手腕を見せ始めたのは、皇帝がレオニアからダリウスに変わってからのことだ。それまでは飼い殺しも同然の扱いだった。とはいえ、その暇のおかげでロットナーが三度の結婚生活が失敗したことまでは、ダリウスは知らない。
「お~い、シエル。移動すんぞー」
「あ、はい!」
小さな川沿いの露店から、フードを両手で押さえながらシエルが慌ててこちらに駆けてきた。
実にかわいらしい仕草ではあるものの、それを口に出して褒めれば警戒されるため何も言えない。
ダリウスがロットナーを振り返る。
「んで、どこの宿に泊まるんだ?」
「なるべく安いところがいいね。キミほどではないが、私もさほど持ち出せなかったから」
「だよな。やっぱ馬車から盗っときゃよかったんじゃねえの?」
「こらこら、子供の前でそういうことを言うんじゃないよ」
シエルが背伸びをして口を開いた。
「わたし、そんなに子供じゃありません」
ふたりの中年男が彼女を見下ろし、しみじみと言う。
「説得力に――」
「――欠けるねェ」
人間から見れば、顔つきも身体も声も子供そのものだ。ましてや身長など、ダリウスの腰のあたりまでしかない。ちんまりしている。
「うう……」
ダリウスが腕組みをして仕切り直す。
「んで、安宿探す前に孤児院を探すか? 安全そうならこいつを先に預けちまった方が、宿代がひとり分浮くだろ」
「いやいやいやいや、本人の前で何と惨い発言をするんだい、キミは。デリカシーって言葉を知らんのか」
「あん? そうかあ? ――そうなのか?」
シエルが困ったように少し笑った。
「だ、大丈夫です。ここまで連れてきていただけただけでも。おふたりとお別れするのは少し寂しいですが――」
ダリウスとロットナーは目を見合わせる。
「初めて、人に優しくされたから……」
何とも言えない複雑な気分に、ダリウスは頭を振る。
シエルの言う寂しさや、誰かに優しくされたいという気持ちが痛いほどわかるのだ。
ロットナーには冗談めかして言うばかりであったが、実のところ、割と本気で将来を考えられるような恋人がほしいと思っている。二十年を忙殺されてきたのだから、いい加減、自分にも帰る場所がほしい。
むろん皇帝であった十年間には、縁談はいくつもあった。だが皇族の縁談というものは、貴族のそれ以上に厄介だ。必ず国を巻き込んだ政略がつきまとう。相手の容姿も性格も、果ては年齢でさえも関係ないのだ。
かといって宮女を娶ることは立場上許されない。宮女に手をつけていいのは、正妻を娶ったあとのみという、わけのわからない矛盾が存在するくらいだ。
だからこそ、そういった話からは逃げてきた。評議会にどれだけせっつかれようともだ。
しかしコロセウム収監から二十年を経て、ようやく自由を得たが、なかなかに状況は厳しい。
年齢は四十過ぎ。
財産はおろか家すらない。
おまけに帝国貴族には追われる身だ。
当然、皇帝や剣奴王だったという過去は隠さなければならない。
この上さらに子供つきともなれば、もはや詐欺師以外の女性は寄ってこないだろう。
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