7.楽しそう
シエル。空を意味する言葉だ。髪色が太陽だからか、よく似合っていると感じる。
ダリウスはうなずいた。
「シエルか。いい名だ」
「シエルミル……」
少女が訂正した。だがダリウスは聞いていない。
「シエル、他に思い出せることはないのか?」
早々に諦めたシエルが、ふるふると首を振った。プラチナブロンドの直毛が左右に揺れる。
ダリウスはロットナーに視線を向けた。
「どうする? いまさら帝都に連れて戻るわけにもいかねえぞ」
「う~ん」
貴族派連中はこちらの首を取ろうと躍起になっているだろう。戻れば間違いなく追っ手と鉢合わせだ。貴族派だけではない。評議会にも発見されたくないというのが正直なところだ。あの老人連中に見つかれば、十年前同様、また泣き落としで皇帝の椅子に連れ戻されかねない。
ロットナーがぼやくように言った。
「どのみち帝都には連れてかない方がいいだろうね。家のないエルフなど、簡単に誘拐されてしまう。そうなれば先は奴隷か見世物だ。どこか信頼が置けそうな田舎の孤児院にでも相談してみてはどうだろうか」
ダリウスが腕組みをして白い歯を剥いた。
「ならちょうどいいじゃねえか。エイラは広くもねえ温泉街だ。連れて行こうぜ。そこの孤児院にあたってみよう」
「そうだね。――シエルくん、しばらく私たちと一緒に来るかい?」
「どうせ帰る場所もねえんだろ?」
シエルが小さくうなずく。
「……ご迷惑でなければ」
「よし、決まりだ。さっさと進もうぜ。やつらの仲間が追ってこねえとも限らねえ」
賊の追っ手も、貴族派の追っ手も、何なら評議会の追っ手もだ。
ダリウスがげんなりしながら歩き出すと、ロットナーも歩き出した。シエルは遠慮がちにその背後をちょこちょことついてくる。
子供の足だ。小走りになってしまう。
それに気づいたふたりは無言で足を弛めた。さらにそのことに気がついたシエルは、不思議そうな表情で彼らの背中を見上げたあと、少しだけ口元を弛めた。
青空に両手を挙げて背中を伸ばし、ロットナーがあくび混じりにつぶやく。
「ああ、暖かくて気持ちいいねえ。ごらんよ。街道の石畳の隙間からかわいい花が咲いてる」
「くっだらね。ただの雑草じゃねーか」
「おお、なんと嘆かわしい。趣のない男だ。だからモテないのだよ」
「うっせえな」
シエルが微かに笑った。
ただの雑草を、歩調を崩してまでわざわざ跨いで通り過ぎたダリウスに。
「ふふ」
ダリウスが歩きながら振り返る。
「なぁ~んだよぉ?」
「……す、すみません」
「こらこら、ダリウス。お嬢さんをいじめるんじゃあない。ただでさえキミは無骨な顔面で周囲を威圧しっぱなしなのだから、愛想くらい振りまきたまえよ。モテたいんだろう?」
「人聞きの悪ィこと言うな。あと、俺はモテる。機会さえあればな。……たぶん」
ロットナーが鼻で笑ってシエルに話しかけた。
「しかしシエルくんは幼く見えるのに、しっかりとした受け答えをするねえ」
「あ……。そう……ですか?」
「年齢を尋ねてもいいかい? もちろん知られなくなければ黙っていてくれても構わないよ」
見た目から年齢を察するのは不可能だ。ことエルフ族に関しては、特に。
「はい。物心ついた頃から閉ざされた環境にいたので正確にはわかりませんが、おそらく十代の後半から二十代の前半くらいではないかと思います」
「マジかよ。どう見ても七、八歳ってとこだぜ」
まじまじとシエルを見つめるダリウスに、ロットナーが説明する。
「エルフ族の死因で確認されているのは怪我か病死のみらしい。寿命が途方もないから、ゆっくりと歳を取る。かつては数千歳のエルフもいたそうだ。そこまで生きるとさすがに見た目はお爺ちゃんになってたらしいけどね」
「はぁ~ん? 眉唾じゃねえの」
「ほらほら、そんなふうにレディをじろじろ見ない。そんなだからモテないんだ、キミは」
「しつこいぞ! 見てろよ、エイラについたら速攻でモテてやるからなっ!!」
「その言い方がもうモテない男なんだよ……」
ふと気づくと、シエルが視線を逸らせて口元に手をあて、肩を震わせていた。
「す、すみません……。ううん。あ、でもわたし、ダリウスさんみたいな人、すきですよ」
「おお。よかったではないか、親友。私は常々心配していたのだよ。人生の半分以上を面倒事に費やされ、すっかり婚期を逃したキミのことを」
ロットナーがダリウスの肩に腕を回す。
「うっせえ。おまえだって婚期なんざとっくにすぎてんだろうが」
「私? 言ってなかったっけ? 城に雇われてから三度ほど宮女さんと結婚したのだが。全部離婚したけど、いまもそこそこいい関係を保っているよ。はっはっは」
「はあ!? おま――俺が激務に目ぇ回してる間にナニしてんだ!?」
髪を掻き上げ、ロットナーはダリウスに流し目をした。
「おいおい、よしたまえよ。こんな幼気なお嬢さんの前で言わせる気かい?」
「この野郎……」
「まあまあ、いいじゃないか。キミをすきと言ってくれる少女がいる。しかもエルフだ。将来的にとてつもない美人になるのは保証されているも同然ときたもんだ。最高じゃないか」
とんとん拍子に進む縁談に、シエルは混乱している。
「え? え? わた、あの――」
「ふざけんなっ。おまえ、さっきエルフはゆっくり年を取るっつったろうがっ。それはつまりなんだ、俺が爺になっても、こいつは幼女のまんまってことだろーが!?」
ロットナーがお茶目な表情で舌を出した。
「わはは、さすがにバレたか。キミなら簡単に騙せると思ったのだが」
ダリウスが拳骨を振り上げてロットナーを追いかける。
「てめ、こんにゃろう! 俺はいますぐ妙齢の女性とお付き合いしてえんだっつってんだろ!! 失われた二十年を返しやがれ! 皇帝時代はおまえのせいなんだからなっ!?」
「わははははっ、私が盗ったわけではないぞっと」
戯けながらシエルの周囲を回るように逃げるロットナーを追って、ダリウスも彼女の周囲を走り出す。
しばらくは呆然としていたシエルも、時折方向を変えながらもぐるぐると周囲を走り回るふたりの中年男に、やがて笑い出すのだった。
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