6.エルフなる者
悠々と歩き、賊の集団に近づく。
およそ半数は気絶、残りはうめき声を上げながら必死で這いずり、逃げようとしていた。手足が妙な方向に曲がっているのもいるし、街道の地面は血まみれだ。
「……あ~あ~。ひっでえの」
「そんな目で見ないでくれたまえよ、親友。多少は痛い目を見せておかないと、また同じことをやりかねん。法に携わった男の責任とでも思ってくれ。あとは個人的な趣味だ」
気になる言葉を付け足されたが、スルーした。
「別に責めてねえよ。――それよか」
ダリウスは荷台の幌を捲る。
「お~い、嬢ちゃん。もう出てきていいぜ。安全だぞ」
返事がない。
倒れて中身の出てしまった木箱がいくつかあるだけだ。中身は果物や酒、それに帝都での商売で稼いだと思われる貨幣袋がいくつか。
「いねえ」
「ええ……」
ロットナーも覗き込む。
隠れているのかと思い、蓋の閉まっている木箱を開くが、干し肉が入っていただけで、やはりエルフの少女の姿はなかった。
「帰ったのかもねェ」
「どこに? ああ、さっきは事態が事態だったから言えなかったが、エルフだったんだ」
「エルフ!?」
ロットナーが素っ頓狂な声を上げる。
それはそうだ。エルフと言えば現存する個体数の最も少ない人類だと言われている、不老長寿の希少種だ。ある者は不老の秘密を求め実験体として、またある者はその美しさから自らの性欲を満たす奴隷として、いついかなる時代であっても誰かがその身に価値を見出す。
つまり賊の狙いはこの荷台にあった金銭や商品ではなく、彼女自身だったのだろう。まだ幼体だったみたいだが。
「それはちょっと心配だね」
「……うまく逃げ果せたならいいが」
「どうかな。どこにいても人間に近づけば捕まる恐れはある」
ダリウスが頭を掻いた。
「つってもどうしようもねえ。こんなだだっ広い街道でどこかに隠れられちゃあ、見つかるもんも見つからねえよ。――気を取り直して旅の続きと行こうや! エルフの小娘よりは、美女との温泉の方がいまの俺にとっちゃ価値があるっ!!」
「仕方ないね。死ぬまでに一度はこの目で見てみたかったけれど。エルフかぁ」
倒した賊からいくつか剣を見繕い、一番上等なものを鞘ごとかっぱらう。
「安もんしかねえ。ま、ないよかマシか」
ダリウスが先ほどまで使っていた抜き身の剣を投げ捨てる。たったの一戦で刃こぼれだらけだ。剣奴王の力に剣の質が追いついていない。
その間にロットナーは木箱から酒を一本、干し肉数枚と果物をいくつか見繕い、自身の革袋へと移す。
「金は持っていかなくていいのか?」
「そこまで盗っちゃうと私が賊みたいじゃないか。どちらかと言えば私は法の管理者だぞ」
ダリウスが荷馬車の前方を指さした。
「御者は死んでんだろ」
「御者は御者だ。馬車の持ち主の商人は他にいるかもしれないよ」
「その商品を盗るなら一緒だと思うが」
「やれやれ、皇帝陛下のお言葉とは思えんな。これは馬車を取り返した謝礼だ。これくらいは別にいいだろう。解決をギルドにでも頼めばもっと高くつく」
ダリウスは空を見上げて考える。
「確かに」
「だろ?」
元々頭のよい男ではない。〝賢者〟がそう言うのであれば、そうなのだろうと納得する。窃盗は窃盗なのだが。
「あの……」
それは幼く甘やかな声だった。
逃げたと思っていたエルフの少女が、いつの間にかふたりの背後に立っていたのだ。
「うおっ!? び……っくりした」
「おお! 見たまえダリウス! 本物のエルフだ! すごいな! 生きた宝石だぞ!」
少女がロットナーを見上げて、怯えた表情を見せる。
「ああ、心配しなくていい。私は金や奴隷に興味はないからね。たぶんこっちの男もだ。たぶん」
「そこを強調するな! 言うまでもなくガキなんざに興味なんかねえよ!」
吐き捨てるダリウスを、ロットナーが指を指して笑った。
少女を奴隷商にでも売れば、生涯困ることのない大金が手に入る。だがそういう人物であるならば、そもそもこうして連んではいなかっただろう。お互いにだ。
しばらくしてダリウスが口を開いた。隣の相棒ではなく、見上げる少女に対してだ。
「しゃあねえ。送ってやる。おまえの家はどこだ?」
「……わかりません」
「馬車にいた御者は知り合いか? 商人は?」
少女がふるふると頭を振った。ダリウスは安堵の息を吐く。
あれが縁者なら、これほどむごい死に目はない。
ロットナーがつぶやいた。
「住所不定無職かぁ」
「そら無職だろうよ。ガキなんだから」
「わからんよ。貴族の奴隷だったかもしれんだろ」
奴隷制度は帝国でも根強く残っている。剣奴あがりであるからこそ、ダリウスが皇帝だった十年間で解消できぬものかと試行錯誤をしたものの、こればかりはどうにもならなかった。
そもそも解放されることを望んでいない奴隷の数が少なくなかったからだ。彼らは慣れすぎたのだ。奴隷として使われる生活に。それさえしていれば、食うに困ることはないのだから。
敗北すれば命を失う剣奴くらいのものだ。解放を心から望んだ奴隷は。
ただし、その中にあってさえ、死罪の確定している奴隷は戦うことを望んだ。剣奴王なる自由への称号を得るという、一縷の望みをかけてだ。たとえその達成者が、過去にひとりしかいなくとも。
「父ちゃんか母ちゃんの名前は?」
「ご主人様がいるならそっちの名前でも構わんよ」
だが少女は再び頭を振る。白金の髪が揺れた。
ふたりの男を見上げるばかり。その表情は不安げだ。
そうしてようやく、震える声で小さくつぶやく。
「いません……。あの、わたし、知らないところにつかまってて、ずっと長い間。それで売られてしまって、ここがどこなのかも、わからなくて……」
おっさんふたり。同時に空を見上げて眉間を摘まんだ。
年を取ると涙腺が弱くなる。ましてやこのような幼気な少女が相手であるならばなおさらのこと。ダリウスが声を震わせながら言う。
「あ、ああ。じゃあ、そもそもおまえの名前は何だ?」
不安そうな表情でふたりを見上げていた少女が、躊躇いがちに口を開いた。
だが寸前、ダリウスが遮る。
「ああ、すまない。名を名乗るときは自分からだな。俺はダリウス・マクスミランだ」
すかさずロットナーが咎めた。
「ダーリーウースゥ? せめて家名くらいは伏せた方がいいと思うが?」
「ああ、そうか」
素直に本名を名乗ってしまった。
皇帝陛下がこのような場所を歩いているわけがない、と、思われかねない。あるいは偽名を名乗ったか、と。その上、いまや貴族たちからは追われる身だ。懸賞金がかかっていても不思議ではない。
ゆえに雑な言い訳をする。
「ラルシア帝国の皇帝と同じ名だが、奇跡の偶然だ。で、こっちは――」
「私はブレア・ロットナー。通りすがりの紳士だよ。よろしく、かわいらしいお嬢さん」
「……っ」
すぐさま怯えた表情に変わる。
「はっはっは。大丈夫。小さな女の子に興味はないよ。こっちのダリウスと違ってね」
「おい、やめろっ!? 俺の守備範囲はそんなに広くねえ! せっかく築き上げた爪の先ほどの信頼が崩れるだろ!」
少女が少し目を丸くしたあと、わずかに笑った。
どうやら少女の前では、「小さいこと」と「かわいい」ことを繋げてはいけないようだ。
ロットナーがにっこり微笑む。
「それで。お嬢さんの名前を伺ってもいいかね?」
「はい。シエルミルです」
幼い声で囁くようにそう言って、少女はぺこりと頭を下げた。
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