30.もうこれ以上はやめたげて!(最終話)
夜のロア火山を背中に見て、星空の下、メルキス地方領を離れていく。もともとふたりから始まった旅路は、いまや倍の人数になってしまっていた。
枝葉のついたままの木枝を振り回し、幼体の猫人は調子っぱずれの歌を歌いながら先頭をいく。街道を外れて草むらに入りかけた猫人の少女を、フードを目深に被った小さなエルフが慌てて追いかけて連れ戻し、不良中年ふたり組はそれを横目で見守りながら歩いていた。
「いいのかい、ダリウス?」
ロットナーの問いかけに、ダリウスが不機嫌そうに顔をしかめる。
「あにが?」
「わかってる癖に。二番目の妻のようなすっとぼけ方はやめたまえよ。私の古傷が疼くだろ。メルミィさんに旅立ちの挨拶はいらなかったのかね。彼女、シエルが無事に救われたことさえ知らないんだよ」
ダリウスは何もこたえない。ぶすくれた顔で夜の街道を歩くのみ。
夜は多少冷えるのか、コートの襟に収めるように首をすくめている。子供らは元気に走り回っているけれど。
ロットナーがニヤつきながら言った。
「彼女、それほど悪人じゃあないと思うんだけどねェ」
「うっせえな。んなこたぁ、孤児院の痩せたガキども見てりゃわかる。限界も限界だ。正直シエルを預けるときも迷った。押しつけていいものかって」
人手が足りない。その言葉でシエルを彼女に預けることに決めたのだ。
「だから、おめえには悪いが、最悪あの最低な座り心地の椅子に戻ることも一瞬は考えた」
「そうか。なら許してやってもいいのではないかね?」
孤児院の庭には畑があった。だが、収穫物はまだなかった。
季節が巡らなければ何も育たない。それでは間に合わない。
「そういうんじゃねえんだよな……」
名前が出たからか、シエルがふいに振り返った。
「?」
「なんでもねえよ」
「はい。あ、レニさんがまたいない……」
視線を回したシエルが、再び街道から外れた草むらでレニを発見する。
「レニさん、危ないですよ。光晶石のある街道から外れたら魔物が――」
「お? レニ、なぜか草原の方に行ってしまうな~? なんでだ?」
「わかりませんけど、ちゃんと街道を歩きましょう」
「でも、でも。レニの中の、野生がっ、野生がっ、カクセーする! ――にゃおーっ!」
シエルが小走りでレニに追いつき、問答無用でその手を引いて引き返してきた。野生のレニはおとなしく連行されている。完全に家猫だ。
それを見ていたダリウスが喉を鳴らして笑った。
「俺はずっと無理を通して生きてきた。無理を通すためなら他人を殺してきたし、自分の命も捨ててきた。先代皇帝のレオニアを殺ったのは、別に正義だの大義だのがあったわけじゃねえ。圧政に苦しむ民衆の幸せなんざ知ったこっちゃなかったし、正直どうでもよかった」
あくどい笑みを浮かべて、ダリウスは続ける。
「俺にクソを押しつけた阿呆をぶっ殺してやりたかっただけだ」
「大人は結果論で語るものだよ、ダリウス。過程こそクソ喰らえだと、私は思うがね。キミはよくやったよ。その反骨精神のおかげで、ラルシア帝国は多少なりとも持ち直したのだから。評議会があの椅子にキミを連れ戻したがるのも仕方がないと思える程度にはね」
「別におめえが座ってもよかったんだぜ。俺なんざよりうまくやるだろ」
ロットナーが苦笑した。
「わかっていないな、キミは。何もわかっていない」
「あんだよ? 実際に政治をやってたのはおめえだろ。俺は頭空っぽにしてうなずいてただけだ」
「そもそも私では皇帝の椅子になど座れない。先代のレオニア帝を殺すなんて、思いもつかなかったことだ」
街道にレニを連れ戻してきたシエルが、どこから取り出したのか縄を一本腰に巻き、余らせた分でレニの腰に繋げた。これならレニは数えるほどの歩数しか離れられないだろう。
だが、ダリウスとロットナーは同時に噴き出す。
罪人の連行かよ、と。
それを見たシエルが愛らしく、むぅと頬を膨らませた。
「キミには困難を打開していく気概があった。敵はもちろん、自分さえ捨てて。そういう人間が、あの椅子には相応しい。政治なんて、多少頭の切れる人間なら誰にだってやれる。代わりはいくらでもいる」
「そこなんだよな、メルミィさんに戻れねえのは」
「ん?」
ロットナーが首を傾げた。
「俺はな、彼女と同じく手段を選ばずやってきた。だから五百名の罪人を殺せたし、てめえの命と引き換えにするつもりでレオニアを斬った。でもな、捨てられるもんってのは自分にとってどうでもいい人間と、そして自分自身だけなんだよ。……わかるか?」
「あ~……」
メルミィは自ら身を切る以前にシエルやレニを切った。それはいまのダリウスにとって、真っ先にロットナーを切り捨てるという判断にも等しい。
我を通すにしても、最低限のルールがある。
ダリウスは考える。
もしも彼女が真っ先に切り捨てたものが彼女自身であったならば、たとえそれが花売りであったとしても、己は彼女を見初めていただろう、と。
だがそうではなかった。
「たぶん、彼女と俺は相容れねえんだろうなって考えちまったんだ」
ため息交じりに頭を掻いて、ダリウスは苦い表情でつぶやいた。
「や、なんつうか、飾らずに言わせてもらえば興味が失せた」
「そうかぁ。でもねえ、ダリウス。女性ってのは大なり小なり我が儘なもんだよ。それを許容するのも男の器だ」
ダリウスは下唇を剥いて拗ねたように言った。
「んなもん許容できる人間だったら、俺ぁ皇帝時代に適当なところの姫さんと結婚してたわっ」
「…………面倒臭い男だなあ、キミは。適当に結婚して、嫌になれば別れたらいいだけなのに」
「けっ! うらやましいぜ、その単純さ」
「わははははっ」
互いに顔を見合わせて笑う。
優しい夜風が吹いた。
「おい、ロットナー」
「ん? ――うわっ!?」
その瞬間、ダリウスはロットナーの肩を右手で突き放していた。街道でよろけたロットナーの視線の先では、金属音と同時に火花が散っている。
ダリウスが剣を抜き、大型ナイフで首を掻こうとした女とつばぜり合いをしていた。ダリウスが片手で軽く弾くと、女は身軽にステップで後退する。
「ちょっと!? 完璧なタイミングだったはずよ!? なんで防げるの!?」
「なぁ~んで襲いかかってくるんだよぉ」
耳付きヘルムにボディラインが顕著に浮かぶ謎服を着た痴女――もとい、暗殺者だ。
あいかわらず素晴らしい格好をしている。
「仕事だからに決まってんでしょ!」
「やめとけ。そもそも向いてねえよ。……その、性格と体型的に……」
礼のつもりだった。温泉でシエルの一件を忠告してくれたのだから。
あとは褒めたつもりだ。ナイスバディを。
「うっさい! 体型ってどこ見て言ってんの! 向きまくってるわよっ!!」
だが、女はため息とともにナイフを腰の鞘へと戻して、大きな胸で両腕を組む。
「まあいいわ。今日はちょっとお願い事があってきただけだから」
「じゃあ殺そうとするなよ……。つーか、願い事されるような仲じゃねえだろ」
女が街道の向こうを指さした。
釣られて振り返ると、ロア火山方面から何かが走ってきている。小さな小さな何かだ。シエルより小さなレニ、さらにその半分程度の肉体の、何かが。
月光があるとはいえ、闇夜のために全景までは見えない。
ダリウスは眉間に皺を寄せて目を凝らす。
わからん……。人間サイズで言うならば、二歳児が走っている程度の体長に見える……。
女の声が少し離れた位置から響いた。
「群れからはぐれていた子に餌をあげたのよね。そしたら懐かれちゃって。でもこんな仕事じゃ飼えないでしょ。そこで思いついたのよ。子供集めて育ててる変な皇帝がいたってこと。一匹くらい増えたってどうってことないわよね?」
「あ? ふざけんなっ! これ以上ガキを増や――」
「だいじょぶだいじょぶぅ。子供って言ってもコボルトだから簡単に懐くし、ペットみたいなもんよっ」
「はあ!? コボルトォ!? 正真正銘の魔物じゃねえか!!」
ダリウスが振り返ったときにはもう、女の後ろ姿は遙か遠く。
「おい!」
「――お願いっ、ちょっとの間だけでいいの!」
「具体的にはどれくらい!?」
ロットナーが呆れたようにつぶやいた。
「それを尋ねてしまうのがキミのいいところであり、悪いところでもあるね」
女が遠くで手を振っている。
「そんなの、あたしがあんたを殺すまでに決まってるでしょ。すぐよ、すぐ。そしたら貴族派から大きな報酬が手に入るから、暗殺者を引退して? そのときに犬を返してくれたらいい感じ?」
「ふぅぅぅざけんなぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーっ!!」
女が闇に溶け込むように消える頃、ロア火山方面の街道からは、小さな二足歩行の犬が舌を出しながら楽しそうに、えっちらおっちら走ってきていた。
レニがコボルトに手を振り、ロットナーとシエルが目を見合わせて苦笑する中で、ダリウスだけは魂の抜け落ちたような顔で両足から街道に崩れ落ちるのだった。
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